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異端ノ魔剣士  作者: 如月 恭二
一章 遠い日の誓い
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逃避の行く末

 異端の魔剣士、第十部でございます。

 コメディ的な要素を入れるつもりが、何時の間にやら“かなり”硬派な印象になってきましたね……。

 今更ながらに『シリアス多めだよなぁ』と思い知りました。

 

 「こら、シガール! 一体いつまでそうしているつもりですか!?」


 母子おやこが父親から離れて約二十分が経過していた。

 最寄りの村迄向かってはいるのだが、どんなにいても一刻以上は掛かると思われた。

 暗闇になれば身動きは取れないし、火種も手持ちに無い。加えて、頼れる男手も居ないのだ。


 リュンヌは僅かな呆れと、焦燥しょうそうの気配を以てシガールをたしなめる。

 もうかれこれ二十分もの間、シガールは母の手を煩わせていた。しかも、ソレイユと別れて以来、明らかに表情がかげっていた。

 ことここに至るにあたって、リュンヌは手に伝わる小さな震えの正体に気付く。


 「どうして父さんを置いてったのさ……?」


 「……」


 うつむきながら、呟かれた言葉に二の句が継げなくなる。

 ──違う。

 非難じみた、けれども何よりも明白な怒りをにじませた、純粋無垢な糾弾。

 そこに有ったのは、悲しみのみではない。

 夫を一人残した事に対する率直な弾劾。リュンヌとしては、我が子にまっすぐ見つめられる事が今では気恥ずかしく、また腹立たしくも有った。正しい行動ではあるが、彼女もまた内心は納得出来てなど居ないからだ。


 (あなただけじゃない! 私だって辛い……辛いのよ!!)


 癇癪かんしゃくを起こしたくなる衝動を何とか飲み込み、諭す様に言い聞かせる。


 「あの人が足止めしている間に一刻も早く逃げるの! 分かっているでしょう!?」


 「父さんはどうなるんだよ……? ねぇ、父さんは…………生きて、帰れるんだよね?」


 その言葉に何も考えられなくなる。

 頭の中が真っ白になりそうだったが、慎重に言葉を選び抜く。


 「……きっと、ね」

 

 リュンヌは口にして、心が痛んだ。

 きっと、夫が帰って来られるなんて事は希望的観測だとリュンヌはあの時に知った。

 ソレイユからも、『状況判断と観察をしろ』と有事の際にはそうするように言い含められていた為、理解は出来ていた。

 ──が、いざその時となると思考はまとまらず、身体は硬直し動けなくなるのだ。


 (やっぱり、私はあなたが居ないと駄目……何もできない。 お願い、無事でいて……)

 

 「さぁ、行きましょう……安全なところへ」


 「……っ。 分かったよ、母さん……」


 シガールは唇を噛むが、すぐに肯定しリュンヌに続いた。

 ──だが、数分の後、後方で茂みの揺れる音がした。

 

 (追手……? いえ、あなたなの……!?)

 

 「父さん、なのか……?」


 暫し止まる親子はその場で待ち、すぐに悲嘆した。


 「……! 居たぞー!!」


 敵が追い付いてきた、その事実でリュンヌは腰が抜けた。

 夫はもう、死んだのだと理解し、膝が笑う。


 そんなリュンヌの脳裏にある光景が浮かぶ。

 隊商の仕事で輸送中だったのだが、争いに巻き込まれた際の情景だ。

 ──北方の国は内紛だった。

 『中立だ!』と誰かが言ったが、殺気だった兵士に話は通じなかった。

 護衛が、隊商の仲間が凶刃に倒れ、あわや全滅かと思われた時に“彼”はやって来た。

 向かって来た敵は彼が斬り伏せ、退けて見せる。

 そんなリュンヌは不思議がって彼に尋ねた。



 ──……あなたは?


 ──ただの通りすがりだ。


 ──どうして、助けてくれたの?


 ──さあな。


 ──ふふ。変な人。


 ──……あんたもな。


 ソレイユとの馴れ初め。かつて彼に助けられた記憶である。

 それから二人の仲は面白いほど急速に深まった。出来すぎた寸劇もかくやと言わんばかりの恋をして、ソレイユとの愛を育んだ。

 暖かくも輝かしい日常が駆け巡り、そしてそれらはリュンヌの心をずたずたに引き裂いた。


 「あぁ、そんな……嘘よ! ……っ! シ、シガール……?」


 対してシガールはリュンヌですら怯える程の憎悪を顔に出していた。それを見て、リュンヌは息を呑み我に返る。

 悪鬼さながらに顔をしかめ、口角を吊り上げるとシガールはゆっくりと長剣デモンを抜く。


 「……お前ら、許さない! ……絶対、絶対にやっつけてやる!」


 放つ怒号。

 しかし、剣は重い上に上手く持ち上がらず、切っ先は下を向くばかり。見た目は威勢がいいだけの虚勢に過ぎなかった。

 

 「くはは、剣は棒切れみたいにゃ振るえんぞ!」


 男の一人が声を挙げ、つられて他の男も腹を抱える。


 「くっ……笑うなぁ!!」


 「止めなさい、シガール!!」


 怒声を放ち、真っ向からシガールは突撃。剣を抱えて怨敵に向かい走り出す。

 リュンヌの静止は耳に届かず、シガールは男達へ突っ込む。


 「──くっ!?」


 「おっと、動くな? 女は殺すなと言いつけられてるんでなぁ?」


 何時の間にか、リュンヌは後ろから回り込んできた男から首を絞められ、裸絞めの格好に持ち込まれる。


 「……母さん!? くっそぉ、離せー!!」

 

 シガールも呆気に取られた隙に男に羽交い締めにされてしまっった。

 手詰まりだった。

 男達が親子を近付けると、一人が言った。


 「おい、母親の目の前で餓鬼を殺してみるのも一興じゃねぇか?」


 「いいねぇ、きっといい声で鳴いてくれるだろうさ」


 「……っ! 正気ですか、あなた達……!」


 「おお、怖い怖い。 後でしっかり可愛がってやるからそうにらむなよ?」


 男の一人が短槍を掲げて笑う。

 リュンヌはその言葉で怒り心頭だったが、男の機を冷静に観察をしてもいた。

 どうすれば、我が子を助けられるのか。思考はその一点のみを模索し続けていた。


 (どうすればいいの? ……どうすれば?)


 そんな時、男の腕が目につく。

 首を締める格好でこそあるものの、首がしまっていないということは、ある程度首を動かせるという事でもある。勿論、敢えて意識を失わせない意図があるのだろう。そしてそれこそが、一筋の光芒(こうぼう)となる。

 リュンヌから迷いが消える。


 「じゃあな、餓鬼。 せめて迷わず死んでいけや」


 (……今しかない!)


 リュンヌは機を見計らい、男の腕に思い切り犬歯を突き立てる。皮膚を突き破った犬歯が肉に到達、鉄錆てつさびた匂いが口腔に広がる。


 「いってぇ……!!」


 「なっ……!?」


 リュンヌはひるんだ男を肘鉄砲で突き放し、シガールへ向かって駆け出す。

 男の手元に引き戻された短槍は、弓につがえられた矢さながらに引き絞られ今まさに解放される寸前にあった。

 永遠にも思える僅か数秒の距離を、リュンヌは我が子を救う為に走る。

 呆然とした男が声を挙げた瞬間、ついに凶器は陽光を照り返しうなりをあげて解放された。

 しかし、その機も非情なことに対応しきれないように思えた。

 ──このままでは、シガールが死ぬ。

 最悪のシナリオが脳裏をかすめる。


 (駄目、間に合わない……いえ、間に合わせる!)


 リュンヌは胸中でかぶりを振り、火事場の馬鹿力とも言える速さでシガールへ駆け寄り、


 「母、さん……?」


 ──シガールを男ごと突き飛ばした。

 同時にリュンヌの胸部を槍の穂先が捉え、さも当然のように貫通する。

 そうして倒れ込むシガールの視界に、短槍に貫かれた母リュンヌの姿が映る。

 一拍遅れて、創部から血液が滴り始める。


 「か、かかか……母さん!? これは……な、何かの間違いだ!! そうだ、そうに決まってる!!」


 シガールは飛び起きて駆け寄り、リュンヌの様子を見る。

 思考の定まらない、混濁した理性は、それでもようやく受け入れ難い現実を直視する。

 短槍はリュンヌの左胸を穿うがち、時間が経つにつれて出血の度合いが酷くなっていた。

 シガールは、小さな掌で傷口を必死に押さえるが、改善の兆しすらない。寧ろ悪化の一途を辿る有様で、最早絶望的とすら言える。


 「ふざけんな馬鹿! オイ、お前! なに女を刺してんだ!?」

 

 「うるせぇ! まさか飛び出すとは思いもしねぇだろが!?」


 とうとう詰り合いは口論へと形を変え、口喧嘩を始める男達。

 まるで無関係の様なその傍若無人ぶりに、シガールは幼いながらもこの時初めて人に対してくらい感情を抱く。

 

 「シ、シガール今の内に、逃げなさい。 今ならまだ間に合うかもしれ──ゴフッ!」


 その時、リュンヌはシガールへ逃げるようにと言葉を投げかけ、喀血。口角から一筋のあかが伝う。


 「な、何言ってるんだよ、逃げるなら……母さんも一緒だ!」


 その言葉を嬉しく思ったが、リュンヌは何時ものさとす様な口調で言った。


 「シガール、私は……怪我を、してるのよ? 分かって、お願い……」


 「分かんない……」


 「え……?」


 「なんでだよ……父さんやマジー姉ちゃん、母さんまで……。 どうして! どうして皆俺を置いていこうとするんだよ!? 俺は、俺は荷物と同じだって言うのかよ!?」


 リュンヌは、そんな泣き顔をしたシガールの頬に優しく手をやると、包み込む様に撫でる。シガールの肩がピクリと震えた。

 リュンヌは次第に息が荒く、短くなっていく。顔色も既に蒼白であったが、仕草は普段のそれである。


 「違うわよ……シガール。 あなたは、あの人と同じくらい……大切なの。 だから、傷付いて欲しく、ないの。 これだけは、本当よ……。 だから、ね? 無事で……いて」


 「……」


 シガールは身震い一つし、顔をゆっくりと横に振り始める。

 ──知っている、この言い方。

 シガールはつい最近、この口上を実際に聞いていた。

 気が狂いそうだった。


 「ねぇ、嘘でしょ、母さん!? 嫌だ、こんなの俺は認めない! 逃げて、また……また三人で──」


 続く言葉は見付からない。

 もうあの頃には戻れないと、頭ではなく心で理解していたが故に言葉は続かない。

 最早息も絶え絶えにリュンヌは懸命に言葉を紡いだ。

 気が付けば、リュンヌの下は真っ赤な血液が円を描く様に広がっており、シガールの膝にまで拡散し付着していた。


 「も……う、駄目、みたいね。 さよな、ら……あり……う。 ……ル」


 白魚の様な柔らかい手はけれども唐突に、力なくぱたりと落ちる。

 父と別れた時以上の絶望が押し寄せる。


 「う、嘘だよ……そんな……。 ねぇ、母……さん?」


 紛れもなく、彼女はこの時息を引き取ったのだ。そして、それを理解するのに、さほど時間は掛からなかった。

 その事実にシガールの心は悲鳴を挙げた。


 「母さん! 母さん!? うあぁあああああ!?」


 哀切に打ちひしがれるのもお構い無しに、武骨な腕ががしりとシガールを掴み寄せる。


 「なぁ、憂さ晴らしにこの餓鬼使って遊ぼうぜ。何回ぶっ刺せば死ぬかってヤツ」


 「あぁ、こんな上玉を殺す羽目になったのも、この餓鬼が原因みたいなもんだからな。さあ、やろうぜ」


 シガールにとって、そんな男達のやり取りは既に意識の外だった。


 ──お前が母さんを守るんだ。


 ソレイユが言った、誓いの言葉。

 ──守れなかった。

 その言葉が脳裏に反芻はんすうされ、反響する。

 呪いにも似た思いが、心を侵食していく。

 視界の中に男が取り出した短槍が映るも、どこか頭の片隅で「これは母を守れなかった罰なのだ」と胡乱うろんげに把握するだけだ。


 (俺は……守れなかったよ、父さん。ごめんなさい……ごめんなさい! 俺に力が……もっと力があれば、こんな事には……!)


 ただ後悔の念に涙を流し、来るべき殺意に身を委ね、目を閉じる。

 けれども、来るべき害意は未だその身を穿つことはない。


 「──誰だ、お前は!?」


 男達の怒声でシガールは目を見開く。

 何時の間にか、黒い外套姿の人物が傍らに立ち、シガールに届くはずの槍の穂先を、黒い棒状の物で受け流した後となっていた。

 その人物は、一人対四人という絶望的な兵力差にも臆する事なく──(なま)りのある公用語ではあるが──静かに言った。


 「俺か? 俺はただの──しがない“殺し屋”さ」

  


 

 

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