私は私が私である理由を探すために私は私が私として生きてきた証拠を見つけ出そうとしたけれど私は私が私である証明すら掴めていないので私は私が私として存在する意義をまず考える。
ツイッターお題シリーズです!
お題「私」
セミは一週間の命だ。でもたまに六日とか八日とか生きる個体がいてもおかしくない。統計的に七日なら、それ以外も多からず少なからず存在するはずだ。
人間は自分を認識できている。でもたまに自分を認識できない個体がいてもおかしくない。統計的に自分を認識できているなら、それ以外も多からず少なからず存在するはずだ。
私はそんな多からず少なからずの存在で、今だって私を私って自称してることすら不思議な感覚だ。絶対倒れないやしろべえがあと少しで倒れそうな感覚。
私は私以外にありえないのに私以外が私として生きているんじゃないか。私が思う私と他人が思う私のどちらが本当の私なのか。
私は私が信じられない。
だからまず私と私を結びつける何かを探したい。私という器に私という物質が投入された理由を。
そうやって一日ぐっと我慢して(何をと聞かれれば起床、呼吸、瞬き、排泄、その他微動を除く一日の所作)、私の理由を探した。
私という図書館の本を一冊ずつ開く。開けど開けど有力な情報は得られない。私が私である理由が得られない。
そこで気付く一つの事実。理由を探すためには私が今までどうにか私として生きてきた証明を見つけ出さねば。
だから次の日私は気を紛らわせ(具体的には近所のブランコに乗り、森を散策し、汚れた衣服を洗濯籠に入れ、風呂に浸かっていつの間にか寝る)、私の生きてきた証明を探した。
私という博物館の標本を一つずつ睨め回す。見よう見ようと思ってもそこに証明たる標本の存在は無い。私が私として生きてきた証明がわからない。
そこで気付くもう一つの事実。生きてきた証明を見つけ出すには私自身の証明を掴まねば。
そして次の日私は理不尽に苦悩しながら(例を挙げるならば、家を出た瞬間に鳥の糞が飛来した。そしてそれを拭おうと家に入った途端に扉にバッグを引っ掛けバッグを破損。それによって困惑した挙句遅刻。理由を熱弁するも担任に叱られた)、私自身の証明を探した。
私という学校の生徒に一人ずつ話を聞いていく。聞けど聞けど私の証明を知っている生徒は居ない。だって彼らは私じゃないのだから。当たり前。
そこで気付く更なる一つの真実。証明を掴むには私が存在する意義を考えなければ。
来たる次の日私は折れるも(ストレートに言うならば挫折。部活でエースを競っているライバルに大敗を喫した)、私の存在意義を考えた。
私という世界の有象無象一つずつを理解しようと試みる。考えても考えても私の存在意義を秘めた物はない。だってこれらは私という私以外の有象無象なんだから。むしろ秘めてれば何も苦労はない。
しかし有象無象の中で一つだけ、私の心に輝きを灯すものがあった。
それは、私という世界に住まう私だ。
私は言う。「私はあなたを理解し考えます」私は答える。「余裕でしょ?あなたは私で私はあなた。区切りをつけてもどうせ同じ。イコールで区切られたエックスも、中身は同じ。そういうこと」私は言う。「確かに余裕です。でもあなたの中から私の存在意義を感じることは出来ないわ」私は答える。「いい加減私をあなたって言うのを辞めたら?私はたった今辞めたわ。私だから私に言うけど、私は私の顔を鏡を使わず見ることができる?あぁもちろんカメラとかも駄目。今ここでリアルタイムに現在進行形で」私は言う。「わかったわ、私。できないわ。だって顔は顔に付いていて、それを見るなんて事できないから」私は答える。「じゃあ存在意義が見えるなんて可笑しな話よね。私の存在意義、というか自分の存在意義って言うのは元来顔と同じくらいあって当然で見えないものなんですもの」私は言う。「私はそう考えるのね。じゃあ私もそう考えるしかない」私は答える。「可笑しなことを重ねますこと。私は私なんだから私が考えていることは全部私が考えていることなんですわよ?そんな私がそう考えてるからなんて流用的な考え、最初から必要ないのよ」私は言う。「じゃあそうなのね。私がそう言うから私はそう理解したわ。ありがとう。元気でね」私は答える。「私が元気なら私は元気。他の私も私が元気なら皆元気よ。逆を言えば」ここでいつの間にかこれらが意識ではなく夢であることに気付く。おはよう。
腕を枕にしていたから顔の右側がジンジンするけれど、私はそれを気に留めることはなかった。
やっぱり同時進行で自分のことと部活を考えるなんて無茶だったか、とも思わなかった。
今何よりも私の頭に回っているのは何を隠そう私のこと。私に私を教えてくれた私のこと。
存在意義は顔と同じで、当たり前で見えない、か。
じゃあ私である証明も、私が生きてきた証明も、私である理由も、顔と同じで当たり前な存在なんだ。
なぁんだ、ここまで考えたのが馬鹿みたいだ。私は立派に私をしてるじゃないか。
私は私が私である理由を探すために私は私が私として生きてきた証拠を見つけ出そうとしたけれど私は私が私である証明すら掴めていないので私は私が私として存在する意義をまず考えた。
でも意味無かったね。だって私が私を模索するより前から私は私だった。何より誰より私だった。かけがえの無い私だった。
強いて言うなら私の強みは私が存在してること。それが一番の私の理由。
多からず少なからずだった私は見事その時統計的な人間に仲間入りすることが出来た。やったね。
まぁだからといってあの子に負けたことは覆らないけど。でもあの子に負けた私は私以外の何でもないんだ。
私はそれを糧に頑張るからな。器に注ぎ込まれた私の質量を舐めるなよ。
如何でしたか?
「私」ばかりで理解が追いつかなかったらごめんなさい、頑張ってください。一回読んでしまえばゴールは近いです。