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そのさんとかづきさん

作者: 佐藤 楓

フリーワンライ企画様1/16参加作品。


使用したお題。

世界五分前仮説

最初からやり直すには

欠けた愛

 もしこの世界が、五分前に作られたものだとしたら――


「これで、園さんは僕の奥さんだよ」

「はい、香月さん」

 深夜の窓口。一枚の紙を提出しただけで、私は24年間付き添った「加佐見園」から「高谷園」になった。


「じゃあ、帰ろうか」

「……本当に、これだけのためにここへ?」

「だって今日は、君の誕生日でしょ」

 そうですね、としか返せなかった。

この人が私の誕生日を覚えているだなんて、なんだか不思議である。



 この結婚は、れっきとした政略結婚だと言うのに。



 高谷香月さんは、私より2つ年上の、茶道の家元の次男さん。

家はお兄さんが継いでいるから、香月さんは季節ごとの催しには参加するが、普段は会社勤めらしい。

重ためな前髪が、涼しい目元と揃い、凛とした美しさを出している。

これに藍色の着物と雨が降る縁側がそろえば、やり手俳優の写真集の表紙のように見える。

私がふれると消えてしまいそうなくらい、美しい人。



 この結婚の目的は、資金融資だとか、株取引だとか、学の無い私には難しくて理解できないが、そんな事らしい。

私と彼の結婚は、札で出来たヴァージンロードを歩くためにあるようなものなのだ。


 駐車場に止めていた、燃費がいいことが売りのお値段を聞くに聞けない国産車の助手席に乗り込む。

最近の車はキーを差し込む必要がなく、ボタンを押せばエンジンがかかるのだ。実家では中古の箱型軽自動車に乗っていた私に、この感覚はまだ慣れない。

流れていく景色はオレンジの街灯に照らされて、宇宙の中を走っているように錯覚してしまう。エンジン音が静かだからなおさらだ。


 ぼんやりと外を見る私と香月さんの間に会話は無く、おざなりに付けられたラジオが、平均年齢17歳のアイドル曲をポップに囁く。


「あの……」

ラジオにかき消されそうなくらい、小さな声で香月さんが話しかけてきた。

「どうしました?」

「園さんには、ちゃんと言っておかないといけないなって、思っていたんです」

 ハンドルを握る彼の腕が、こわばっている。


 彼の言葉に、胸に氷塊が落ちたかと思った。

きっと、あの話だ。私より一つ下の、香月さんの同僚の可愛らしい事務員さん。

仕事終わりに香月さんの会社に行ったときに、まるで恋人同士のように語らっていたのを見た。

すれ違った女の人たちが彼女と香月さんについて話をしていて……あまり聞き取れなかったが、「お泊り」や「結婚間近」、「浮気」の言葉が聞こえた。


 別に、悲劇のヒロインを気取る訳ではない。

政略結婚だと至極当たり前のことなのだ。

彼女はちゃんと自立した素晴らしい女性。

対して私は、親族の経営する会社にコネですべり込ませてもらったような体たらく。

立っている位置が違うのだ。


 ふと、学生時代に研究したラッセルの仮説が思い浮かぶ。

世界は五分前に作られたかもしれない、それを誰も証明できないと言うものだ。


 この記憶も、この想いも、五分前に作られたものならば、どんなによかったのだろうか。

痛みも、悲しみも、やるせなさも、すべて作り物だと思えたらどんなにうれしいだろうか。


「……香月さんのお好きになさってください。家庭内別居でも、彼女と暮らすのもよろしいですが、嫡子だけはお気を付けください」

「え? そのさん?」

「このようなつまらぬ女が妻になってしまい、申し訳ございません……」

「園! ちょっと待て!」

 カチカチとウインカーを出して車が止まる。

ギアをパーキングに入れてハザードランプを付けると、香月さんは私の肩を掴んで目が合うように私の体をひねらせた。

聞いたことがない鋭い声の香月さんに、先ほどの悲しみが吹っ飛んで驚きで目をぱちくりさせてしまう。

掴まれた肩が火が付いたように熱い。

暗いからばれていないだろうが、きっと私は顔から首までリンゴのようになっている。


「どういうことだ」

「香月さんの人生を縛ってしまってはいけないと思い……」

「園以外の誰に俺の人生を握らせるって言うんだ」

 ごおっと音を立てて通ったトラックのライトで、香月さんの端正な横顔が照らされる。


 彼は、怒っている。


 どこで間違ったのだろう。

どこから間違ってるのだろう。

もしかして、最初から間違っていたのだろうか。

政略結婚なんてしなければよかったのだろうか。


 だって、目が合っただけでこんなにも胸が痛い。


「……わかった」

低く呟かれたその言葉にびくっと肩を震わせるが、彼はハザードを消して、車を発進させていた。

 しかし、向かう先は家とは違う道。


「何勘違いしてるか知らないけれど、ぐっちゃぐちゃになるまで可愛がってやれば、俺の嫁だって実感するだろ。と言うか、実感させる」


 座った目で車を走らせる香月さん。エンジン音静かに入る先は、うわさに聞いた大人のテーマパーク……。

え……?



 油が切れたブリキの人形のように横を向くと、とてもさわやかな笑顔を浮かべた彼がいた。

「“はじめてのふうふのきょうどうさぎょう”よろしくお願いしますね、奥さん」

今度は背筋を氷塊が滑って行ったように感じた。



 その後、彼女との関係が根も葉もない噂であるし、彼女も結婚していると言う事と、この結婚は政略結婚じゃなくて、お見合い結婚である事。香月さんが私のおいしそうに点てたお茶を飲む姿が好きな事を一晩中じっくり……うん、じっくり説明されて、思う存分“可愛がって”もらった。



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