昆布さんの二日間
12月になって日も短くなり、熱い季節がやってきました。
あ、人間の皆さんは寒くて敵いませんよね。分かります分かります。そんな人たちを暖めるのが、僕たちの仕事ですからね。
皆さん初めまして。私、昆布と申します。
平成26年、12月18日生まれ。北海道のとある工場で生を受けた、御歳2日と15時間。体の真ん中をギュッと縛った粋な奴でございます。え、海で生まれたんだから、もっと歳をとっているはずだって?
嫌ですよぅ、皆さん。あんなヒラヒラ波に揺られてる奴と一緒にされちゃ。私はね、生まれ変わったんです。柔道の黒帯みたいな、立派なおでん用昆布にね。
そんな私は今、たくさんの具材と一緒に、茶色いお出汁の中でぐつぐつと煮込まれております。この家のお母さん、よほどおでんに力を入れているようで、鰹節から出汁をとり、時間をかけて煮込んでくれています。パックになったおでんを汁ごとぶっこむような無粋なことはいたしません。ありがたいことです。
おっと、ここで別の鍋で煮込まれていた牛スジさんが合流してきました。牛スジさんはおいしいけれど、一緒に煮込むと脂がたくさん出てしまいますからね。別鍋で煮込んで、食べる直前に移し替えるのが通ですよ。分かってますねお母さん。
さて、牛スジさんが合流してきたということは……。
おおっとっとっと。私たちの入った鍋が今、キッチンから卓上コンロのもとへ運ばれました。いよいよ夕飯の時間ですね。この時間を、どれほど待ちわびたことか。皆さんに食べてもらえる時間が来たんですね。私、嬉しいです!
いただきます、という声がお鍋の向こうから聞こえてきます。ふむふむ、声を聞く限り、四人家族のようですね。だとしたら、私を食べてくれるのは、お父さんでしょうかねぇ。
そんなことを考えていると、隣にいる大根さんが私に話しかけてきました。
「よう昆布さん。いよいよだな」
「大根さん。いよいよですね」
大根さんもはしゃいでいるようです。
「でも、大根さんはいいなぁ。きっと、すぐに食べてもらえるんだろうなぁ」
「そんなこたぁねぇよ。……まぁでも、たまごの奴には負けたくねぇな」
「ああ、たまごさんも人気ですからね」
「ああ。……ところで聞いたか。何だか、おかしな奴が紛れ込んでいるって話」
「え、なんですかそれ」
「さっきこんにゃくさんに聞いたんだけどよ。赤い化物みたいな奴が、牛スジさんと一緒に入ってきたって」
「えぇ、本当ですか」
赤い……なんでしょうか。変わり種の魚肉ソーセージさんはピンクだし……。
「こんにゃくさんの冗談なんじゃないですか? あの人、腹黒いし」
「うーん。そうかもしれねぇな。……おっと、どうやらお別れのようだ」
見上げると、銀色のお玉が大根さんめがけて潜ってくる所でした。
「わぁ、おめでとうございます」
「おう、じゃあな!……っておお!?」
大根さんがびっくりしたように叫びました。無理もありません。お玉は大根さんを掬い損ねたのか、大根さんの半分だけをもぎ取って行ってしまったんです。
「だだだ、大丈夫ですか」
「お、おう。柔らかい具材はこれだから嫌だよ。やだな、このまま砕けてぐずぐずにばらけたりしたら」
しかし、大根さんの心配は杞憂でした。再び潜ってきたお玉が、残りの大根さんを掬っていったからです。大根さんは嬉しそうな表情を浮かべながら、消えていきました。
「やっぱり、大根さんは人気だよねぇ」
私の上からそう声を掛けてきたのは、はんぺんさんです。
「あ、はんぺんさん」
「どうも、昆布さん」
はんぺんさんは、軽いからお出汁にぷかぷか浮いています。
「はんぺんさんだって人気じゃないですか。ふわふわで食べやすいし、お出汁もよく吸うし」
「でも、やっぱり大根さんやたまごさんには負けるよ。現にこうやって、プカプカ浮いて皆より目につくはずなのに、まだ残っている」
「それは……」
「いや、別に卑屈になっているわけじゃないんだ。具材にはそれぞれの魅力がある。誰にいつ選ばれるかなんて、さして重要なことでもないし」
「そう、ですよね」
「そんなことは気にしなくていい。ぼくはぼくらしく、ぷかぷかと浮いていれば、それでいい」
「……」
「でも、寂しいよな」
寂しい。はんぺんさんがそう言うと、本当に寂しくて、泣きたい気持ちになってしまいました。
「あ」
「どうしたんですか」
「いま、男の子と目が合った。多分、もう食べられる」
「あ、おめでとうございます」
「……さっき話していたね」
「え?」
「大根さんと。赤い化物の話」
「ああ、はい」
「あれ、本当だよ。ぼくも見た」
「え、本当ですか」
「ああ、あれは多分ト……」
言い終わらないうちにはんぺんさんはお玉に掬われていきました。お出汁から出る時、はんぺんさんは少し、嬉しそうな顔をしていました。寂しい私を残して。
赤い化物……。一体なんなんだろう。こんにゃくさんだけじゃなく、はんぺんさんが言うのなら間違いないだろう。でも……。
「誰が化物よ!」
そんなことを考えていたら下からそう怒鳴られ、私はとっても驚いてしまいました。
「だ、誰ですか!」
「私よ私! まったく、失礼しちゃうわ!」
そういって真っ赤な顔をして怒っているのは、お鍋の底で、丸く膨れている方でした。
「……も、もしかして、トマトさんですか?」
「そうよトマトよ! こんな茶色い出汁の中であんた達みたいな地味な奴と煮込まれてるだけで最悪な気分なのに、化物呼ばわりなんて!」
「どうして、トマトさんがこんなところに」
「知らないわよ。どうせ、テレビかなんかで変わり種として紹介されたんでしょ。フン、この家の母親、よっぽどミーハーなんじゃない? あーあ、どうせならカプレーゼかなにかになりたかったわ」
私たちをじっくり煮込んでくれたお母さんにそんなことを言うなんて、私は少しムッとしました。それに、ちょっとうるさい。
「あんた、昆布?」
「はい。そうですけど」
「ふぅん……」
そう言うと、トマトさんは私をじろじろと見て、こう言いました。
「地味ね」
「うぅ……」
「白とか茶色の奴らばかりだけど、あんたはその中でも特に地味ね。もしも私が人間だったら、あんたなんか絶対食べない」
「……そう言うトマトさんだって、まだ食べられていないじゃないですか」
「馬鹿ねぇ。トマトなんて珍しいもの、食べられないわけないじゃない。きっと、もうすぐ誰かが私を掬い上げてくれるわ。そうしたら、場は私の話題で持ち切りよ。おでんの具としては珍しい私を見て、きっと皆はしゃいでくれるわ」
トマトさんは、うっとりとした目をして言いました。
「それに比べて、あんたなんかきっと、誰にも相手にされないんでしょうね。可哀想に。今日は誰にも食べられることなく、明日の夜に残り物として食卓に並ぶのよ。それで、ああ、こんな具もあったな、なんて言われながら、対して喜ばれもせず食べられるのがオチ。ああ、なんて哀れなのかしら」
悔しい。昨日今日出てきたおでんの具にここまで言われるなんて、文字通り煮えくり返るほど悔しかった。
でも、反論出来なかった。だって、その通りだから。
「さっきから見ていたけど、たまごは確か四つくらいあったかしら。大根なんてもっと多かった。それに比べて、あんたら昆布は、この鍋の中に何個入れられているのよ」
「……二つです」
「二つって、あはは、笑っちゃうわね。周り見て見なさいよ。大根もたまごももうないわよ。向こうに漂っているのは、え、なにあれ。なんかクラゲみたいなやつがいる」
「……しらたきさんでしょう」
「へぇ、しらたきなんかもいるんだ。あれ、でも、もう一人の昆布はいないわね。もしかしてもう食べられたのかしら。うわ、じゃあ、あなたって正真正銘残り物? 哀れねぇ」
「うるさい」
「ねぇ分かってるの? たった二つしかないのに、あなた残っちゃっているのよ。というか、最初から二つしかない時点で、あんたの人気度が窺えるわね。正統派おでんの具、みたいな顔しちゃっているけど、本当は、お情けなんじゃないの?」
「うるさい!」
私は思わず叫んでしまいました。近くを漂っていたごぼう巻きさんが驚いています。
「何、いきなり叫ばないでよ。本当のこと言われたからってキレちゃって、うざい……あ」
頭上から、お玉が下りてきました。トマトさんが目的のようです。
「じゃ、お先に。せいぜい残り物同士、茶色いプールで遊んでなさいな」
トマトさんはそう言うと、お玉に掬い上げられて、姿を消しました。
本当に、本当に嫌な気持ちになりました。怒りのあまり、お腹の結び目が解けてしまいそうです。なんだこれトマトかこんなものいらん、そうじゃあしょうがないから私が食べるわ、という会話が聞こえたことだけが、唯一の救いでした。
でも、結局はトマトさんの言う通りになってしまったのです。その後、私は誰にも食べられることなく、器に移し替えられ、冷蔵庫に仕舞われてしまったのです。
どのくらい眠ったでしょうか。チーン、という電子音で目が覚めました。といっても、目覚まし時計のはずがありません。今のは電子レンジの音でしょう。体もお出汁も熱々になっています。
私たちは電子レンジから取り出され、「残り物」として、再び、食卓に並べられます。
辺りを見渡します。大根さん、たまごさん、牛スジさん、はんぺんさんの姿はありません。残っているのは、ゴボウ巻きさん、ちくわぶさん、こんにゃくさん、しらたきさん、ウインナー巻きさん等、トマトさんが言っていた「地味」な方々です。もちろん、人のことを言えた義理ではないのですが。
昨日とは違い、あまりこちらに箸は伸びてきません。暇を持て余していると、さっきまで黙ってぷかぷか浮いていたウインナー巻きさんが、声を掛けてきました。
「ど、ど、どうも、昆布さん」
「え、ああ、こんにちは、ウインナー巻きさん」
こんなことを言うのもなんですが、実は、ちょっと苦手な方です。
「あ、あはは、昆布さん。やっぱり残っちゃってますね」
やっぱりって……この方には言われたくありません。
「ウインナー巻きさんこそ。残っているじゃないですか」
「あれ、昆布さん。な、なんだか怒っていますか」
「……怒ってないです」
「な、なら良かった」
「……」
「僕は、ね、分かるんですよ」
「は?」
「あなたに比べてって話です」
この人、一体何が言いたいんでしょう。
「だって、ウインナーですよ、おでんなのに。和風の出汁に洋風の食材をあわせるなんて」
「そんなこと……」
「ないわけないでしょ……よく聞きますよ、僕が入ると出汁がくどくなるっていう人」
確かに、ウインナー巻きさんからは、なんと言うか、ど、独特の匂いが漂ってきています。牛スジさんにはない、西洋の香りなのでしょうか。
「そ、そんなに悲観しなくても」
「あ、ご、誤解です。僕みたいに、残される理由がはっきりしているだけマシって話です」
「は?」
「だ、だって、そうでしょう? 昆布さんって、思い切り和風じゃないですか。でも残ってる。おでんの出汁にも合うはずなのに」
「……」
「結構長いでしょう、おでん歴も。なのに、な、なんで残っちゃうんですかねぇ。不思議ですねぇ」
なんだ、そうか。
この人も、トマトさんと一緒だ。
自分以外の具を見下すのが、楽しくてしょうがないんだ。
「で、でも、僕分かっちゃったんです。どうして昆布さんが残っちゃうのか。ねぇ、き、聞きたいですか、聞きたいですよ、ねぇ?」
「別に、いいです」
「昆布さんはね、ダシなんです」
!!!
「ダ……シ……?」
「そ、そうです。昆布さんはね、ダシなんですよ。旨味を出した後は捨てられてしまう、ダシ要員なんですよ」
「そ、そんな……」
「つ、つまり、今のあなたは、旨味を全部放出してしまった、出涸らしなんですよ」
「嘘だ!」
「はい?」
「わ、私はダシじゃありません。立派なおでんの具です! だって、ダシを取る用の昆布は別にいるんですから。私だって、おでん用昆布として売られているんですから!」
「おでんのダシ用昆布の間違いでは?」
「違う!」
やめろ、やめろ! そんなこと言わないでくれ!
「お、怒らないでくださいよ、おっかないなぁ。僕は、か、感謝しているんですよ。だってあなたのおかげで、ぼ、ぼくたち他の具材がおいしくなるんですから」
「わ、私は、私は」
「いらない具材なんですよ、僕たち。分かるでしょう、残り物になっている時点で。用無しなんです。誰からも必要とされていないんです」
「そ、そんな……」
「僕たちみたいな地味な奴は、大根さんやたまごさんには勝てっこない。だったら、このまま消えてしまった方が楽ではないですか。意地を張る必要もないんです。そもそも、あなたのことなんか、誰も気にしちゃいないんですから」
「やめて、もう……」
「し、正直言って、昆布さん古いんですよ。伝統があるって言ってしまえば聞こえはいいですけど、いつまでもそれにしがみついているのも惨めではないですか。いいじゃないですか。ダシ用で。具材としての地位は、諦めましょうよ」
「……」
「だって、誰からも必要とされていないんですから」
あああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!!
気が付いたら、ウインナー巻きさんはいなくなっていました。
いえ、ウインナー巻きさんだけではありません。こんにゃくさんもゴボウ巻きさんもしらたきさんも、皆姿を消していました。私は、本当に一人ぼっちになってしまったのでしょうか。
「よう、昆布」
びっくりしました。だって、ここにいるのは私だけだと思っていたのですから。
「……ちくわぶさん、ですか」
私に声を掛けてきたのは、はんぺんさんとは違って重量感たっぷりの、ちくわぶさんでした。
「なんだ、お前と二人きりか」
「……そう、みたいですね」
「なんだ、元気ねぇな」
「……」
「ウインナー巻きに言われたこと、気にしてんのか」
どうやら、ちくわぶさんはさっきの会話を聞いていたみたいです。ま、それもそうですね。狭い器の中ですし。
「私は、誰からも必要とされていないんです。出涸らしで、ダシ要員なんです」
「いじけるなよ。あんなやつの言うことなんか気にするなって」
「でも、事実残っちゃってるじゃないですか」
ウインナー巻きさんの言葉は、深く心に突き刺さりました。いえ、彼だけではありません。トマトさんの言葉でも傷ついたし、今思えば、はんぺんさんも大根さんも、実は私のことを見下していたのではないのでしょうか。
「俺の話、聞いてくれるか」
「はい?」
意外でした。ちくわぶさんには、あまり人と話さない寡黙な具、という印象を抱いていましたから。
「俺はな、ある程度人気のある具材だったと自負していた。おでん歴も長いし、主役とまではいかなくても、欠かせない具になっている。そう思っていた」
「はぁ……」
「でもこの間、俺は衝撃の事実を知らされた」
「……なんですか」
「俺は、関西のおでんには、はいっていないんだ」
「!!!」
「関西では、ちくわぶという具を知らない輩もいるらしい。そんなんだってのに、俺と来たら、おでんに欠かせない具だなんて言って、自惚れていたんだ」
「それは……」
「所詮俺も、万人に愛される大根やたまごにはなれない。この歳になって思い知らされたよ」
ちくわぶさんの気持ちが、痛いほど分かりました。自分を必要としない人がいる、ということは、とっても怖いことだということを、私は知っているからです。
「ちくわぶさんも、私と同じなんですね。誰にも必要とされない、可哀想な存在」
「……それは違うぞ」
「え?」
「確かに、俺のことが嫌いな奴は多い。食感も独特だし、すぐに腹にたまる。でもその一方で、俺のことを好いてくれている奴もいる」
「……どうしてそんなこと、分かるんですか」
「それはな、俺がここにいるからだ」
え?
「おでんの鍋という戦場。俺はそこに身を投じている。それは何故か。作った人が、俺を鍋に放り込んでくれたからだ。その時点でもう、俺がここに存在している意義が確立しているんだよ」
「……」
「本当に要らない存在だったならば、最初からここにいるはずがない。そうだろう?」
「私は、私は、誰かに必要とされている……?」
「意味を見出すな。お前がここにいること自体が、お前の存在意義を証明しているんだ」
黒い箸が、ちくわぶさんを掴みました。
「先に失礼する! お前はゆっくり、器の中を漂いながら自分と向き合うがいい!」
そう言って、ちくわぶさんは姿を消しました。
私を、必要としてくれる人がいる。
私は、用無しなんかじゃない。
それは、ここにいるということが、既に証明している。
さっきまでは狭いと思っていた器の中が、やけに広く感じられます。私は、その広いプールの中を、悠然と泳ぎました。
お出汁の中には、他の具の名残が見受けられました。大根さんの欠片、はんぺんさんの甘い香り、トマトさんについていた赤い皮、ウインナー巻きさんのお肉の匂い。
ちくわぶさんの、優しい言葉。
ちくわぶさんを取り上げた黒い箸が、今、私を掴みました。温いお出汁から取り出されると、すこし肌寒いです。
私を取り上げたのは、お父さんでした。お父さんは、私をすぐに口に入れずに、しばらく見つめていました。
「お前、人気ないんだな」
そう、小さく呟きました。
「俺は、結構好きだけどな」
お父さんはそう言って、私をおいしそうに、平らげました。