序章
──漆黒の闇に、白刃が煌く。
森の木々の合間より差し込む、冷たく冴えた月光。
その光を受け、まるで濡れたような艶やかさを帯びた『ソレ』は、恐るべき速度を持って、男の顔面に深々と真一文字に食い込む。
……彼が咄嗟に構えていた受け太刀のロングソードを、まるで粘土の様に斬り裂いて。
悲鳴を上げる事も能わず。
「ひゅっ」という、小さな吐息が漏れるような音を口から零して、男の顔面の鼻より上が宙へとすっ飛んだ。
「な、なな……なんだ……?」
頭部の半分を失い、前のめりに斃れる仲間の姿。
それを唖然と見つめながら、赤毛の男──この強盗団の頭目はそれだけの言葉を口から捻り出すのが精一杯であった。彼の周囲で武器を構える残りの仲間はと言えば、言葉すら忘れてしまったように、ただただ動かなくなった仲間を青ざめた表情でじっと見つめているばかりである。
……葉を踏みしめる音。
その音に、ようやく男達はハッとしたように動きを取り戻す。
闇の奥より、ゆっくりと歩き出でる者があった。
降り注ぐ月明かりが、次第にその者の姿を闇の中より露わにしていく。
黒髪黒瞳。その顔立ちは鋭く、身長はさほど高くないにも関わらず、見下ろされるような威圧感を感じる。
その黒髪の男は、強盗達には見慣れぬ衣装──縦襟にダブルボタン、暗緑色のコートを纏っていた。
だがそんな衣装よりも、何よりも。
強盗達の目を引くのは彼が持っている武器である。
一般的に見るような類の剣、ではない。緩やかに湾曲した様に見える刀身は片刃で、剣呑な輝きを湛えていた。一瞬の神々しさすら感じるような、美しい姿をした剣である。
地面に向けた刀身の切っ先から、ぽたぽたと粘性を帯びた液体が地面へと滴っていた。
「て、テメェ! ふざけた真似しやがって……おい、テメェ等ッ! ボヤボヤしてねぇでコイツをさっさとぶっ殺せ!」
姿を現した黒髪の男に、頭目はしゃがれたダミ声をあらん限りに荒げた。
それは黒髪の男に対してというよりも、仲間達に対するアピールという意味合いの方が強い。
ただ野蛮な勢いと数に任せて敵を蹂躙する。……その程度の戦法しか持たない強盗達は、最初の犠牲者が出た時点で、すでに意気を挫かれつつあった。頭目としてはそれを鼓舞するのと同時に、束ねる者としての意気を見せる必要がある。ここで退いたなら、頭目は先導者としての資質を疑われ、いずれ仲間の強盗達から寝首をかかれないとも限らないからだ。
頭目の命令に強盗達はお互いに顔をちらりと見合わせた後、歪んだ笑みを浮かべ。
一斉に黒髪の男へと、斧、手槍、剣、それぞれの得物で襲い掛かった。
多対一という状況が強盗達に自分達の圧倒的な優位を思い出させ、ドス黒い勇気を励起させたのだ。
だが、次の瞬間。
強盗達は自分達の決断がいかに愚かであったかを思い知らされる事になる。
──いや、思い知る暇すらなかったかもしれない。
振り下ろされる斧の一撃。
黒髪の男はその動きに合わせ。下げていた剣を鋭く斬り上げ、斧を持つ強盗の丸太の様な腕を切断する。
そのまま、流れるように。
左半身を開いた黒髪の男は、絶叫を迸らせ前のめりになる腕を失った強盗へと冷酷に刀身を振り下ろし、その首を叩き落とす。
噴水のように鮮血を吐き出しながら斃れこむ死体。
それには目もくれず、背後から繰り出される槍を身を捻るだけでかわす。身を捻りながら、黒髪の男が持つ剣は、槍をその中程で断ち斬っていた。
驚愕に表情を歪ませる、槍を振るった強盗。その顔へ、黒髪の男が握り締めた槍の穂先が打ち込まれる。
残った強盗は目の前で一瞬の内に屍へと変わった仲間の姿を目の当たりにし、黒髪の男に背を向け逃げ出そうとする。
刹那── 一閃。
まるでキノコを縦に裂くように。強盗の体が左右に分かれ、地へとくずおれた。
「……あ……あああ……」
独り残された頭目の口からは言葉にならない声が漏れ出る。
ほんの数回瞬きする程度の僅かな時間。
たったそれだけの内に三人が惨殺されてしまったのだ。
為す術も無く、一方的に。
これはもう尋常の沙汰ではない。
「て、テメェ……テメェ、いったい何者だッ?!」
ざくざくと地面を覆う葉を踏みしめながら近づく黒髪の男に、頭目は慄きながらも声を荒げる。
その声に、ざくりと黒髪の男の歩が止まる。
「……いいだろう、教えてやる──」
その瞬間、頭目が手にしていた剣を振りかぶり雄叫びを上げながら斬りかかる。
その一撃をなんなくかわし、黒髪の男は得物を水平に構える。
「俺は帝国陸軍中尉、綾村 伊織だ……!」
その名を脳内で反芻する暇すら与えず。
口腔に空を裂き突き込まれた鋼は、頭目の意識を脳幹ごと断ち切った。
◇◇◇◇◇
「──……まいったな。俺を恨んでくれるなよ? 先に問答無用で襲ってきたのはそっちなのだから」
死屍累々と化したその場を見回しながら、伊織は眉根をひそめる。
まさか、いきなり斬りかかって来るとは。
人数が人数だけに、やむにやまれず斬り捨てたものの……無論、気分が良い筈もない。
片刃の剣──軍刀に付着した血を、強盗達の衣服の切れ端で拭う。あれだけ豪快に人を斬り払ったに関わらず、その刀身は変形もせず、刃こぼれすら起こしていない。
するりと流れる様な動きで刀を腰の鞘へと納め。
伊織は今いる場所より、わずかに離れた後方へと振り返る。
「…………」
そこには豪奢なブロンドをした少女が、一糸纏わぬ姿で倒れていた。
伊織はその少女へと近づき、そっと胸へ抱き上げる。
「……まったく。君を助けたお陰で、俺は人斬りだぞ?」
意識を失っている少女に、少しばかり恨みがましい口調で呟きかける。
まるで、ただ眠っているかの様にさえ見えるあどけない表情。だが深く閉じられた目が開きそうな気配はない。
「やれやれ」
少女を抱きかかえたまま、伊織は嘆息まじりに夜空を見上げた。
黒い森の木々の合間。そこから見える夜空には満天の星の姿と、『二つ』の月。
「いったい、ここはどこなんだろうか……」
何度見直しても一つに重なる事の無い月の姿。
それを厭世と見つめながら、伊織は深い深い溜息を吐き出した。
いきなり、ずんばらりと斬りまくりで始まりました。
三人称っぽい書き方に憧れて、それ風味で書いていこうかと思っておる次第であります。
もう一つの作品共々、末永くお付き合いいただけら幸いでございますー(´∀`)