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2042年3月25日から31日にかけての一週間。
全世界で一斉に細菌目視液の接種が行われた。
人類初のこの試みの効果が出るのは半月後。とはいっても、試験的に行われていた下位階級の人間が、すべての細菌を見られるようになった期間だ。
つまり、接種した数時間後には僅かだが細菌が見えるようになる。初めはそんなに気にしなかっただろう。しかし、翌日から急激に視界を埋める細菌。そんな細菌に恐怖を抱かない人間はいなかった。
「なにこれ……こんなにいるの!?」目を見開き、絶望に打ちひしがれる女性。
「俺にはムリだ!!」髪をかきむしり、そこかしこの物を投げつける男性。映像に映るすべての人の目はうつろで、焦点があっていなかった。
ここで教師が映像を止め、解説をしていく。
「今まで効果があると思っていた除菌方法が、すべて覆された。どんな方法も、長期間菌を除去することは出来ていなかった。このことにより、潔癖症だった人間から常に全身に服をまとって、できるだけ菌と触れないように肌を隠し始めた。……ここからの映像はきついものもあるから、見たくなければ目を閉じ、耳をふさいで構わない。」
誰かが唾を飲み込む音がした。
画面から目を反らさない生徒達に教師は眉をひそめると、映像を再開させた。
先ほどの画面が一転。
全身を服で包まれ、見た目だけでは男か女かすら分からない人間が、全身をよじって絶叫する。
この世の終わりだとでもいうくらいの叫び声に、全員がとっさに耳をふさいだ。
そして、そんな人間のそばを生気のない様子で横切る人間たち。
彼らもまた、叫びたいほど絶望しているのだ。今にも発狂して死にそうな人間を気にしていられるほど余裕ではない。
全員の目に、映像が焼きつく。
あまりの恐ろしさに、映像とリンクするように一人の少女が叫び、気を失った。大きな音を立てて倒れるイスに我に返った周りは急いで少女をかかえると、隣接されている保健室へと運んだ。
苦い顔をした教師の指示で、気分の悪い者は保健室へ、それ以外の者は帰宅することとなった。
その慌ただしさに、少女は教師に話を聞こうとしていたのを忘れていた。
少女が話を聞き忘れたのに気づいたのは、家と学校の中間あたり。戻るのも面倒なので、聞くのは明日にしようと止めていた歩みを再開する。
そんな少女の少し先に、あの少年が。どうやら少女が来るのを待っていたようで、目が合うとはにかんで小さく手を振った。
「ごめん、待とうと思ったんだけど、つい会いたくなって……家まで送らせてくれないかな?」
その優しさに、先日の告白を断ろうと思っていた心が痛む。
けれど少女は頭を振ると、できるだけ申し訳なさそうに、「ごめんね、あたしには恋愛なんて出来そうにないから……」と断った。
そう言ってから、この間の夜のことを思い出し、唾があふれ出てくる。やっぱり断るのは正しいのだと実感した。
ほんの少しだけ、沈黙が続く。気まずいなあ、と少女が思った時、少年は小さく笑った。
「そうだと思った」
その言葉に、え?と声を出した少女は、少年の顔を見やる。彼は苦笑していた。
「細菌目視を気にしていて、出来るだけ人と関わらないようにしてるのは知ってたから。」
その言葉に罪悪感がよみがえる。
分かっているのに、彼は小さな可能性にかけたのだろうか。
「まあ、細菌が大丈夫になったらもう一度考えて。」
あまりのポジティブさに思わず少女が頷くと、少年はまた笑って「じゃあ、またね」と少女が困惑しているうちにその場から立ち去った。