表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/26

眠れない夜は



 料理を口に運びながら、しばらく静かにお酒を飲んだ。

 さすがに用意された料理は素晴らしいもので、口の中で美味しく花を開くようだった。

 シャンパンともよく合う。



 また松井から話しかけてきた。


「聞かないのか? 社長と何を話していたか」


 振ってきた話題は、今日の本題。

 麻友は手を止めて、松井を見つめた。


「話せない内容ですよね」

「まあな」

「だったら聞きません」

「…………じゃあ何で、今日は夕食を一緒に食べようと声をかけた」


 松井は身体をすこし前に傾けてくる。口の端がすこしだけ笑っていた。

 また麻友のことを試しているのだろう。ただ聞かれた内容は想定の範囲内だ。

 麻友は戸惑うことなく、松井に聞き返した。


「じゃあ何故あの時、私に声をかけようとしたのですか?」


 あの時、確かに松井は麻友に何か語ろうとした。

 それを心に押し込めたとはいえ、今も話を振ってきたのは松井の方だ。

 話せない、けど話したい。そう思っているのは確かだろう。

 そして、その内容はきっと重い。

 麻友が軽々しく、聞きたい、と言える内容ではないことは解っていた。


「話すか話さないかは、取締役にお任せします」


 判断を松井に任せ、麻友はにこりと微笑んだ。


 渡したパスをどう返してくるかな、と麻友は想像していたが、松井は思わぬことを話題にしてきた。



「その笑顔に弱いんだ」


「……はい?」


「俺にとって、その笑顔が好みのストライク、ど真ん中なんだ」


 松井が少しばかり恥ずかしそうに話し始めたので、さすがの麻友もわずかに頬を赤く染めた。

 それにいつの間にか、松井の口調が「私」から「俺」に変わっている。多分、こちらが素の姿なのだろう。


「黒髪とか、抑えめの化粧とか、見下ろした時に見える長い睫毛とかね。初めて会った時に、心を撃ち抜かれたような衝撃だった」


 初めて会った時の反応が、まさかそんなことだとは麻友も想像していなかった。


ーーー あえて抑えた格好に、まさか需要があるとは……失敗したな……。


 そう考えつつ、麻友は思わず笑ってしまった。

 松井にそう思われたことは嫌ではなかった。


「好きなんじゃないですか」

「まさかのロリコン疑惑に、自分でも戸惑っているんだ」


 松井の言葉に、麻友は本当に声を出して笑ってしまった。

 ロリコンと言われるほどの歳ではないが、差があることは確か。

 それでもまさか、そんなことを考えていたなんて。


「もっと仕事にも恋にも自信家かと思っていました」

「俺が?」

「はい」

「社長と話しただけで心配されるぐらいの、弱いところもあるさ」

 

 松井はそう言って、お酒を飲み干した。いつの間にかシャンパンは無くなり、赤ワインに変わっている。相変わらず早いピッチで飲んでいる様子だが、松井が酔っているようには見えなかった。


 酔っての言葉なのか、酔っていない言葉なのか。松井はそれまでに隠していたはずの秘密を、独り言のように呟いた。



「俺と社長は親子なんだ」



 麻友の顔から微笑みが消え、黙りこんでしまった。

 まだまだ秘密を共有するほどの関係ではないと、麻友は考えていた。それなのに、松井は告白してきた。


「…………」

「誰にも言ったことはない。……何で一周りも違う女に話してんだ、俺は」


 松井は自虐的な苦笑いを浮かべる。

 恐らく彼にしても、麻友に話をする気持ちは無かったのかも知れない。

 でも、話したい気持ちが次第に膨らんで、壁を超えてしまった。

 その気持ちの変化を、松井も持て余しているようにも見えた。


「噂は本当だったんですね」

「まあね。いわゆる妾の子っていうやつだ。ありがちだろ?」

「それにしては、噂の信憑性がありませんでした」

「上手くやっていたんだろうね。俺が知ったのでさえ、成人してからだ。社長と母親と俺しか知らない」


 今までずっと隠し通してきた事実。麻友はそのたった3人のなかに入ってしまった。

 想像はしていたけれど重い事実に、麻友は少しだけ夕食を誘ったことを後悔してしまった。


 愛だの恋だのを確認し合う前に、伝えられてしまった人生の秘密。


 それとも互いに心の底で信頼してしまったということ?


 松井のつぶやきは続いた。


「俺が知っていることを解っているはずなのに、社長は一切その素振りを見せたことがない。いつだって社長と部下の会話だ。……こんな歳になって恥ずかしいが、今でも期待してしまうんだ。父親としての言葉が聞けるんじゃないかって」


 それが疲れてしまった原因のひとつ。

 期待してしまうこと、そしてそれが叶うことのないと解っていても感じる失望。

 誰も聞いていない、二人だけの時ぐらいは見せてくれるのではないかと思ってしまうのは、ずっと父親がなく育ってきた人間が抱く思いとしては、きっと自然なこと。


「1〜2年後には社長を交代する。そのための話し合いだったけれど、それ以上のことじゃなかった」


 松井は椅子にもたれかかり、天井を仰ぎ見た。今は疲れていることをあえて隠そうともせず、その気持を表情に浮かべている。


「社長を任される、と言うのは、子供だから継がせたい、という意味ではないのですか?」

「恐らくそうだと思う。だけれども、言葉としては言われていない」


 松井はため息をつきながら、言葉を続けた。


「会社も大きくなりすぎた。息子だから継ぐ、という時代じゃない。血縁ではなく実力で勝ち取った、という形にしたほうが、おそらく都合がいいのだろう」


 そして、松井は実力も結果も残してきた。望むべき形が整ったのだ。

 誰もが納得をする円満の形なのに、ただ一人、松井は親子の絆で苦しんでいた。


「確かに、お金持ちになりたかった。実力でトップに立ちたい。若い時はそんな思いも少なからずあった。でも今となっては……手に入れたからかな……別の何かが欲しい」


 別の何か……それは恐らく形ではないもの。

 親としての言葉だったり、愛情のようなものを言っているのかも知れない。


 松井が今まで秘密にしていたことを何故話す気になったのか、 麻友は何となく理解した。


 お金も手に入った。

 地位も手に入れた。

 でも、思っていたほど心を満たしてくれないことに、気づいてしまった。


 そんな隙間に、麻友が現れた。


 その何かを埋めるような存在ではないか、と松井は思い始めているのかも知れない。


「なあ、順序が逆で悪いが、遊びの気持ちじゃないから聞いて欲しい」


 松井の瞳に艶が見える。

 相手をその気にさせる、男の魅力だ。



「抱かせて欲しい」



 声にまで熱がこもっている。

 強い思いが麻友にまで響いてきた。


「この気持ちのまま、家で一人眠りたくない。お前を抱きたい」


 こんな景色の前で、しかも二人きりで。

 見惚れるほど端正な顔立ちの男性に言い寄られれば、だいたいの女性はほだされてオッケーするだろうな……と麻友はちょっとばかり身体がじんっとしながらも、どこか客観的に状況を把握することができた。


 流されるべきではない。それに、そこまで相手に尽くす義務もない。


 少しの思考の後、麻友は話し始めた。


「ここの支払い、割り勘という訳にはいかないですよね」


 思ってもいない麻友の返答に驚きつつも、松井は怒るように答えた。


「当たり前だろ。女に払わせるわけが無いだろ」


 その言葉に、麻友は二度三度うなずく。


「私、借りを作るのが嫌なんです」

「?」

「取締役が眠るまで、側に居てあげます。それで、貸し借り無しにしませんか」

「側に……」


 松井は麻友の言っている意味を理解して、吹き出して笑った。


「いい大人が二人でベッドの側にいるのに、寝かしつけだけか……俺が襲う可能性は考えていないのか? 俺の家に来た時点で、襲ったとしても罪としては問われないぞ」


 松井の試すような口ぶりに、それでも麻友はにっこりと笑って答えた。


「解っていますよ。その時は……」

「その時は?」

「会社を辞めます」

「辞める?」

「はい、辞めます」

「それだけ?」

「それだけです。……それでも抱きますか?」


 今度は麻友が問いかける番だった。

 松井も麻友の言わんとしていることを理解した。


 一時の寂しさを満たすだけならば、抱いてもいいですよ。でも、本当に欲しいものはそうじゃないでしょ?


 松井も自分の気持を確かめると、ああ、と頷いた。


「本当だ。抱けない」

「理解してもらえたようで」

「しかしせめて、添い寝でもしてくれ」


 松井の意外な甘えように、麻友は苦笑してしまった。


「子供ですか……寝るまで膝枕で手を打ちませんか」


 松井が考える素振りをし、そして頷いた。


「……膝枕か……悪くないな」

「では交渉成立、ということで」


 男性の自宅へ夜中に行って、「膝枕だけです」なんて誰が聞いても信じてはくれないだろう。

 行かないことが一番の安全策、とは麻友も解っていたが……。

 夕食を誘った時点でどこまで許すべきかを覚悟しつつ、考え続けていた。

 相手の気持を確かめて、自分の気持を問いかけて。そしてたどり着いた結論だが、正解かどうかなんて、後になってみないと解らない。

 そして振り返った時はきっと、あれで良かったと思うのだろう。


 麻友は小さく息をついて、ワインを飲むことにした。


 そんな、終わった話と思っていた麻友に、松井はもう一度聞き返してきた。 


「でも、聞いていいか? 少しはセックスしたい、と思わなかったか?」


 ワインを飲んでいた手を止めて、麻友はくすっと笑った。


「自信家の顔が出てきましたね。その方が、らしいですよ。……答えはノーです。女性にとって気持ちのいいセックスは、行為そのものでも技術でもありません。相手を欲しいと思う気持ちです」

「俺は欲しいけどな」

「私はそう思いません」

「残念だ。……本当に落としたくなってきた」

「私の好みではありませんので、悪しからず」


 麻友はそう言って笑った。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ