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Sの上司に勝てました



 松井がいたものの美味しい料理とお酒もあって、食事会は楽しく過ぎていった。

 松井もその後はそれほど麻友に絡むこともなく、室長と真面目な話をしている。

 麻友も女性達だけで、昔の出来事や恋の話などで盛り上がっていた。


 佳奈が聞いてきたのは、そんな自然な話の流れからだった。


「麻友ちゃんは、付き合っている彼氏とかいるの?」


 隣の松井の意識が不意にこちらに向かってきたことに気付いたが、麻友は気にせずに話を続けた。


「いませんよ。今は仕事が楽しいし、私は仕事を続けていきたいので」


 佳奈は頷いてくれたが、百合子の意見は違った。


「仕事を続けたままでも、恋はできるわよ」


 彼女は結婚していて、子供も二人いる。説得力のある言葉だ。

 とは言え、麻友の考えは別だった。


「今は仕事が忙しいのもありますし。……少なくとも社内恋愛は、仕事を続けていく上で支障になると思っています」

「それは、頼もしいね」


 松井が反応するかと麻友は思っていたが、答えてくれたのは室長だった。

 ちらっと横を見ても、松井は表情も変えずお酒を飲み続けていた。


ーーー ところでそれ、何杯目ですか?


 何となくいろいろと会ったことのないタイプだ、と麻友は心の中で思った。



 歓迎会は特に大きな問題もなく、温かい雰囲気のままお開きとなった。




 麻友も仕事にはだんだんと慣れてきた。

 室長や他の秘書の人に助けてもらうことも無くなったし、松井からの要求も予想の範囲を超えなくなってきた。

 ここに至るには数ヶ月を要したが、それでも早いほうだと室長は褒めてくれた。もちろん、松井からのお褒めの言葉は無かったが。

 おっ、と思わせてみたい……麻友の心にふつふつとそんな思いが湧き上がり始めるが、それを狙おうとまでは考えていなかった。


 それはある日、結果として現れた。



「少し時間が開いたな。御庄、一緒にお昼でも食べるか」


 夕食を誘うことを諦めた松井が、最近はお昼を一緒にどうかと誘ってくる。今までは社食で他の社員と一緒のことが多かったのに、お弁当にしたせいで部屋でふたりきりで食べる機会が多くなってきた。

 包囲網でも敷いてきているのかしら、と麻友も感じていたが簡単に突破を許す気持ちもない。

 目の前の松井に、麻友は資料を差し出した。



「明日の企画会議の資料を作成しました。取締役も把握しておいた方がいいかと思いまして」



 松井の眉がわずかに上がる。麻友からの資料を受け取り、ぱらぱらとページをめくり簡単に目を通し始めた。

 考えるように資料を見つめ、松井はまた麻友の方を見た。


「鬼」


 松井は憎々しげに呟いて、資料を丸める。

 どうやら読んでおいた方が良さそうと、判断したようだ。


「鬼でけっこうです。取締役には必要な知識と思いまして。かき集めなので体裁は悪いですが、重要なところは解りやすいように印をつけておきました。……私は皆さんと一緒にお昼はとりますので。お弁当はこちらです」


 麻友がにっこりと微笑むと、松井はお弁当をかっさらうように持って行き、自室へ歩き始めた。


「あ、お弁当箱は洗っておいてもらえると有り難いです!」


 背中越しに伝えたが、松井は返事もせずに部屋の中へ入ってしまった。


 多分これがささやかながら、麻友の初めての勝利だった。




 次の勝利は、車の中での出来事だった。



「取締役。もしかして、名前とか忘れっぽくないですか?」



 資料の読み込みとか、方針の決断とか、交渉力とか、麻友も感心するほど凄いかと思えば、松井は時折ぽろっと人の名前を忘れていたりする。

 会っている人の数が多いので仕方が無いのかも知れないが、興味がないことには記憶回路が働かないらしい。


「……まあ、そうだな」


 松井は苦笑いをしながら、麻友の言葉を肯定した。


「これから会う方の説明でもしましょうか」


「できるのか?」

「簡単なものなら」

「お願いしよう」

「解りました」


 麻友は運転しながら、思いつくままに説明を始めた。


「今から会われるのは日本支社長の熊倉英太郎さんです。48歳で若いのですが、確か外車の販売会社からヘッドハンティングされた経歴があります。結婚されていますが、女遊びをしている噂を聞いたことがあります」


「……どこからそんな噂を」


「女の情報網です。全てが大切な情報ではありませんが、憶えやすいかと」



 麻友の言葉に、松井が笑った。


「確かに。他には?」


「恐らく今日は、支店長が店内の案内をすると思います。佐々木美和さん、32歳。アルバイトから正社員になって、今では本店の支店長です。とっても綺麗な方で、勧める服のセンスがいいので、女性の方に何かプレゼントをする時には相談するのもいいかも知れません」


「なるほどね」


「バツイチ、独身です。どうやら彼氏とも別れたばかりのようで、今は特定の彼はいないようです。取締役、気に入ったならチャンスですよ」


「……どこから入るんだ、そんな情報まで」


「女の情報網」


「…………侮れんな」



 松井は苦笑いを通り越して、ちょっと空寒い気持ちになった。


 会社の概要から、どこまで交渉が進んでいるのか、他との競合も含めて、麻友は店につくまで報告を続けた。

 麻友は周囲を確認しながら、ゆっくりと店の前で車を止めた。


「着きました」


 車を止めて声をかけたのに、後ろから返事が無い。

 振り返って見ると、松井は目を閉じて考え事をしているようだった。


「取締役?」


 麻友が声をかけると、松井はようやくまぶたを開く。

 軽く頷くと、車を出る間際にまた麻友の頭を撫でてきた。


「今日の話し合いのイメージができた。助かった。有り難う」

「撫でるのは止めて下さい。髪の毛が乱れます」


 麻友の言葉を聞かないまま、松井は車を出て行ってしまった。

 相変わらずのマイペースな上司だったが、どうやらこれが2勝目となったようだ。




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