歓迎会
なのに、何故。
「取締役が私の横に座っているのですか?」
歓迎会の会場は高級中華料理店の個室という、何とも素敵なところだった。確かに綺麗な秘書の方々が好むお店と言ったら、こういう店の選択になるのかも知れない。
ただ、なぜ松井が麻友の隣に座っているのか……。
「招待されたから来たに決まっているじゃないか」
松井は相変わらず無駄なまでの整った笑顔で、そう答えた。
「室長、誘ったのですか?」
幹事であるはずの春日に聞いてみると、彼は苦笑いをしながらその時のやりとりを再現してくれた。
「『御庄さんの歓迎会を開くので、その日は6時半には仕事を終わらせてあげて下さい』とお願いしに行ったら、『解った。私も参加するから』と返事がありました」
「……招待されていないじゃないですか」
麻友がジト目で松井を見るが、まったくひるんだ様子がない。さすが俺様上司。
「何度食事に誘っても断るくせに、室長の誘いには一度でオッケーを出す御庄が悪い」
「私のせいですか?!」
思わず声を上げてしまった麻友に、春日が「まあまあ」となだめる。麻友も上司に対して大人気ない言動だったかなと反省して静かになったが、それでも明らかに松井のほうが悪いと思っていた。
ビールと前菜三種盛りが運び込まれた所で、室長が乾杯の音頭を取る。
「では、新しい仲間の御庄麻友さんを歓迎して、乾杯」
グラスを合わせるには席が離れているので、それぞれに唱和してグラスを掲げる。
隣に座っていた松井は麻友のグラスに当ててきて、麻友は一応笑顔で応えた。
「麻友ちゃん、お疲れ」
麻友の隣に座る秘書仲間、 藤堂葵<トウドウアオイ> さんが声をかけてくれた。とても長い黒髪を後ろに束ねた、落ち着いた雰囲気の美人さんで、麻友よりも4つほど年上。
彼女は特定の専属上司を持たない、秘書のための秘書のような役割を担ってくれている。だから、麻友も室長と彼女には本当にお世話になっていて、とても頼りになる優しい先輩だった。
「いつも有り難うございます」
「いえいえ、どういたしまして」
にこやかに微笑む優しい表情は、何でも受け入れてくれそうな深さがある。
麻友は松井のことを放っておいて、彼女に話しかけ始めた。
「今日は女の子だけで、上司の愚痴を話せるかと思って楽しみにしていたのに」
「そうねえ。確かに……」
麻友と葵は、ちらっと横に座る松井を見つめた。
松井は片眉だけ、わずかに上げる。
「私に愚痴があるのならば、直接言って欲しい。優しく接しているつもりだが?」
「あれで優しいんですか?」
「十分、優しいだろう」
「私を待たずにさっさと行っちゃったり、休みの日でも問答無用で呼び出したり、今まで自分がされていた仕事をどんどんこちらに回してきたり」
「……ためらいなく、言ったな」
松井は苦笑いをしながらビールを飲んだ。コップ一杯がひと飲みで消えていく。かなりお酒には強そうだ。
「でも、松井取締役。今までの秘書の中で、御庄さんを一番可愛がっているように見えます」
落ち着いた声で話してきたのは、室長の隣に座る先輩秘書である 鹿野百合子<シカノユリコ> 。番頭役の専属秘書で、秘書歴は密かに室長よりも長い。年齢は不詳だけれど見た目は30代後半ぐらいで、恐らく実年齢はきっともっと高い。
和風美人を絵に描いたような人で、いつも髪をきれいに後ろにまとめている。
「あれで可愛がっているんですか?!」
麻友が思わず声を上げてしまうと、百合子がかすかに笑った。
「優しくとは言いませんが、今までの秘書達に対してはかなり遠慮されて接してこられていたことが良く解りました」
「つまり、今は遠慮がない、と」
「安心して御庄さんにぶつけている様子が、松井取締役からの信頼を感じます」
百合子の言葉に、松井は満足そうに頷いた。
「さすが、鹿野さん。よく見ている」
言われた百合子も満足そうに微笑んでいたが、麻友の方は納得できない。
「信頼をしていただけるのは有り難いのですが、私もか弱い新人の女の子です。遠慮や優しさはあって欲しいです」
このままでは睡眠不足が解消されない。肌荒れ対策としても、このあたりは何とかしたい、と麻友も感じていた。
取り合ってもらえないだろう、と諦めつつも呟いた言葉に、意外にも松井は真剣な表情で答えてくれた。
「お願いをしたことを、御庄はいつも予想以上に応えてくれる。私もついつい、まだできるかな、と期待してやり過ぎているところはあるかも知れない。加減が解らないんだ」
ーーー あら、意外な優しさ。……そう言われると弱いのよね。
「…………まあ、出来無いことはないですし、理不尽だとは思っていませんから……」
そう。松井のお願いしてくること、大変だとは言っても麻友にとってためになることが多い。松井の言うままに応えて憶えていくうちに、他の会社の経営者達とも顔馴染みになってきたし、会社の指針・方向づけと言うものの深さも理解しつつある。
これは麻友がいくら頑張ったとしても、一生経験することのできない出来事だったと思っている。
松井は嬉しそうに笑うと、麻友の頭を大きな手で撫で回した。
「有り難う、御庄。信頼しているよ」
「子供じゃありませんので。頭は撫でないで下さい」
「視線がどうしても頭のてっぺんになるんだ。御庄のつむじを見ていると、ついつい撫でたくなる」
「私は小動物ですか」
「……近いな。ワンコかな」
ーーー 犬ですか。気が合いませんね。私は猫派です。
「うわぁ、そんなラブラブな松井取締役、見たこと無い。麻友ちゃん、気をつけてね」
松井の隣に座る、もう一人秘書仲間、 倉敷佳奈<クラシキカナ> が話に入ってくる。彼女は銀行からの監査役の専属秘書だが、あまり会社には来ない上司なのでやはり秘書室にいることが多い。
麻友と同い年で、茶色の短い髪がふわふわしている、とても可愛らしい女性。元気の塊のような明るさがあるが、仕事も抜群にできる。
「ラブラブと言うか、からかわれているだけのような気がしますが、いつでも十分に気を付けています」
「鉄壁の防御線を引かれているよ」
「取締役、以前はかなり遊んでいたらしいですからね」
佳奈の言葉に、麻友は大きく頷いた。
「やっぱり」
「やっぱりってなんだ。……若い時は少し遊んだかも知れないが、もう昔のことだ」
いらないことを言うな、と松井が視線だけを送ると、「ああ怖!」と佳奈はおどけたようにつぶやいて、小さく舌を出す。
それを見て、麻友も笑った。