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夕食の誘い



 麻友の帰る時間は相変わらず遅かった。

 ひとつできるようになると次を要求され、それができるようになると、また次の要求をされる。だから、本来の業務が終わってもそのための勉強であったり、下調べであったり、試行錯誤で帰ることができない。

 ドS上司……と呟くことはあるが、それほど理不尽な要求はされていないので、しょうがなく麻友も受けていた。


 松井の言うことは勉強にはなるし、成長にもつながる。


 会社の全体が見えてきたし、いろんな人にも紹介してもらって今までにない人の繋がりもできた。

 忙しいけれど、楽しい。麻友もそう思えてきていることは確かだった。



 そして、遅くなっている麻友を、松井がよく夕食に誘ってくる。


「おい、御庄。夕食を食べに行くぞ」

「業務外です。お断りします」

「上司と部下が情報を交換して良いコミュニケーションを保つことは、業務内だと思うが?」


 相変わらずドキッとしてしまうほどの綺麗な笑顔で松井が言ってくるが、麻友は何の抑揚もなく返答する。


「業務規則に載っていません」

「すべての業務を記載できるわけないだろう」

「……タイムカードを押してあるので、これは残業ではありません。プライベートの時間です。私の存在は気にしないで下さい」

「頑なだな」


 麻友は仕事を始めてから、男性と二人きりの食事を全て断っていた。恋に発展しないための大切な防御線と、麻友は考えていたのだ。

 複数人での食事だとしても、最後は二人っきりにならないように早々に切り上げて帰るなど、麻友は今まで徹底してきていた。それも自然に、あまり相手にダメージを残さずにやるのは結構な技術が必要だった。

 そうこうしている間に、大体は相手も脈なしと諦めるのだが……この上司はドSの上になかなか引かない。


ーーー 頑ななのはどちらですか?!


 麻友は心の中だけで愚痴った。


「前に言っていた、夕食は食べてある、というのは嘘だろう」

「確かに嘘ですが、取締役のお弁当を作るために帰ってから下ごしらえがあります。そのつまみ食いで十分にお腹が一杯になるのです」


 事実は時として武器になる。麻友は、これでも誘いますか?、と視線だけで尋ねてみる。

 松井は両手上げて、ため息をついた。


「いいだろう。今日は一人で寂しく食事をとるよ」

「取締役なら声をかければ、可愛い子が喜んで一緒しますよ」

「誘ってみたが、駄目じゃないか」

「私は可愛くありません」

「可愛いさ、とても」


 爽やかに断言されても、麻友はそれをさらっと流した。


「経理の須崎さんとか、総務の野島さんとか、企画の吉田さんとかどうですか? 取締役のこと、少なからず思っている人達と思われますが」

「誰でもいいわけじゃない。私はお前と一緒に食事をしたい、と言っているんだ」


 告白のようにも聞こえる言葉を、麻友はあえて無視して続けた。


「私は明日のための時間が欲しいのです。あなたの役に立てるように、放っておいていただけると有り難いのですが」

「……解ったよ。邪魔した。お先」

「お気をつけて」


 最近はこんなやり取りを毎日のように繰り返していた。

 相手を傷つけずに断り続けているはずなのだが、いい加減気づいて諦めて欲しい、と麻友も思わずにはいられない。

 


 そんなある日、室長からこんなお誘いがあった。


「御庄さん、少しは落ち着いてきたかな。良ければ歓迎会を開きたいと思っているのだが」

「あっ、はい」


 異動になってからだいぶ経つので、歓迎会などというものがあるとは思っていなかった。慌ただしい毎日ではあるが、わずか7名しかいない役員秘書室のメンバーとはすでに良く知った間柄になっていた。

 社長付きの2名の秘書はほとんど会社にいないため、麻友もあまり会ったことはないが、それは他の仲間も同じだという。何でも、社長が起きてから寝るまでを2人で世話をしている状態で、会社には寄ることもできないという。

 それは秘書の域を超えているのでは……と思わないでもないが、どうも昔からの慣例とのこと。社長は仕事はできるが、何かと人の手の掛かる人らしい。麻友もまだ、顔を合わせたことはない。


 だから、室長と麻友自身を除くと、秘書室のスタッフはたったの3名。 

 歓迎会を開くまでもなく、すでに仲も良くなっていて、麻友もいろいろ助けてもらっていた。

 もちろん、どの人もみんな美人で頭がいい。

 役員秘書の条件なのかな、と思うと麻友もちょっとばかり自分を誇らしく感じた。


「秘書室は女社会だからね。時には、食事会が必要だと感じているんだ」


 確かに会社内ではあまり雑談もできない。特にこの役員秘書室は、お偉いさんばかりが行き交う場所で、噂もはばかられる秘密事項の塊。室長なりに息抜きが必要と感じているようだ。


「今週の金曜日。7時で予約をとっているから時間を開けておいて」

「あっ、でもその時間までに仕事が終わるかは……」


 普段でさえ、仕事は8時をまわることがほとんどで、そんな早い時間に切り上げる自信が麻友にはなかった。

 しかし、室長はそのあたりのことも解っているらしい。麻友の言葉にうなずきながら、教えてくれた。


「松井取締役には、伝えてあるから。ちゃんと6時半には開放してもらえるはず。そのあたりのことは理解のある人だからね」


ーーー さすが室長! 段取りの抜かりはないなぁ。あの人も、私には容赦無いけど、室長の言うことは聞くのね……。


 最近は朝が早くとも、夜が遅くとも、必要であれば休みの日でも、松井は問答無用で麻友に付いてくるよう命令してくる。


「秘書なんだから当たり前だろう」


 と言われるが、時間的に拘束のない役員と、労働基準法に守られている平社員を同じに扱わないで欲しい、と麻友は思う。逆らいはしないが。


 久しぶりの飲み会だ。


「喜んでいかせてもらいます」

「主役なんだから、必ず出席して楽しんで下さい」


 室長の笑顔は、いつでも優しい。




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