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上司との対面


 役員秘書室。

 社長と取締役、計4人しかいない経営者達のための秘書。


ーーー 社長秘書って、何か淫靡な感じがするのは私だけではないはず……。


 麻友はそんな不届きなことを考えながら、セキュリティーのかかったドアのインターホンを押した。


『はい』

「御庄麻友です。本日、役員秘書室に配属になりました」

『ああ、はい。今、開けます』


 インターホンの声は男性だった。

 程なくしてドアが開き、インターホンの声と思われる男性と向かい合った。


「待っていました。中に入って下さい」

「はい」


 相手の男性は180cm近い身長に丸い縁無しメガネをかけていて、作ったような笑顔を崩さない。麻友は彼にホテルマンのような印象を受けた。

 悪い人ではなさそうだけれど、本音が見えないと言うか……ある意味プロだなぁ、と麻友は感じた。


「私が役員秘書室の室長をしています。 春日圭一<カスガケイイチ> と言います。今日からあなたの上司の一人となります。よろしくお願いします」

「こちらこそ、よろしくお願いします」


 上司の一人、という言葉に違和感を感じだが、麻友は何はともあれ一礼した。

 きっと、これから説明があるのだろう。


 部屋はひとつの大きなフロアとなっていて、幾つかの机とコンピューターと資料の棚が並べられていた。

 完全空調とセキュリティーの入った出入り口、それに簡単な飲食やトイレ、休憩する場所まである所を見ると、ここには重要な情報が詰まっていて、基本的には外に出ないで全てがすますことができるようになっていることが解る。


 何というか、静かでぴりっとした緊張感が部屋に漂っていた。


「ここがあなたの机です。ロッカーは後で女性に案内させます」

「はい」


 机は、室長のすぐ向かいの角。思っていたよりも良い位置だ。


「御庄さんには結婚されて退職した人の代わりを努めてもらいます。簡単に概略を説明しましょう」


 室長は笑顔のまま、説明を続けてくれた。


 役員は4人。

 創業者であり、社長の 神原寿一<カンバラジュイチ> 。年齢は78と高齢だが、一人でここまで会社を大きくした有名な経営者だ。麻友も経済誌で見たことがある。

 取締役は3人いて、一人は銀行からの監査役の人間であまりここにはいない、とのことだった。

 もう一人はいわゆる番頭さんで、創業の時からの社長の右腕となって働いている人。 木島宗一郎<キジマソウイチロウ> 、年齢も70歳とかなり高め。しかし、未だに社長からの大きな信頼を得ている実力者。


 そして、最後の一人が 松井博仁<マツイヒロヒト> 。年齢は一気に下がって42歳。若いながらもどんどんと業績を伸ばしての役員入り。次の社長と噂されている人物だった。


「噂を聞いているかも知れないけれど」


 室長の声のトーンが一段下がる。これからの話は内密に、という意味だろう。


「松井取締役は神原社長の息子さんではないか、と社内では言われています。これは双方が否定していますので噂の範囲を超えないのですが、次期社長に一番近いことは確かです。御庄さんには、この松井取締役の秘書になっていただきます」


 松井取締役があまりにも早い出世をしたことに、実は社長の愛人の子供ではないか、という噂が広まったことがある。やっかみが元だろうと思い、麻友も本気にはしていなかった。


 ただ、そんな大物の秘書を任されるとは想像していなかったため、麻友の身体に緊張が走る。

 その様子を感じてくれたのか、室長は優しく言葉をかけてくれた。


「初めから全てができるとは思っていません。我々がサポートしますから、あまり緊張しないで下さい」

「はい。有り難うございます」


 とは言え、今までとは勝手も違うだろうし、憶えることも山のようにありそうだ。慣れて楽しくなっていた営業の仕事を思い出して、麻友は少しばかり心のなかでため息をついた。


ーーー 私向きではないと思うのだけれど、会社がそう判断をしたのならばしょうがないか。


 麻友は気持ちを立て直し、覚悟を決めた。


「ではさっそく、その松井取締役に挨拶に行きましょう」

「はい」


 いきなりの対面に、麻友はまだ心の準備が整っていなかったが、専属の秘書なのだから会わないわけにもいかない。

 麻友は室長の後ろに付いて歩きだすと、すぐに目的地にたどり着いてしまった。


 室長が扉をノックすると、中から返事が聞こえた。


「はい」

「春日です。失礼します」


 室長が扉を開けて、そのまま中に入る。麻友も後ろに付いて、部屋の中に入った。


 想像していたよりも広い部屋だった。

 大きな机に質の良いソファー、壁には無数の資料が整然と並べられ、何故かジムで見るような筋力トレーニング用の機械まで置いてあった。

 そして椅子に座る、将来の社長候補……。


 麻友はその顔を見て、もう一つの噂を思い出した。

 彼は見惚れるほどに格好いい……と。


 確かに、30代と勘違いするような綺麗で精悍な顔立ちは、力強さとどことなく優しさが感じられる。

 少し長めで柔らかな髪は自然体なのにきっちりと計算されたように整えられ、体つきもスーツの上からでも鍛えられていることが解るほどしっかりしていた。


 そして、若くして登りつめただけあって迫力と言うかオーラがある。

 

 瞳が澄んでいて、何もかも見通してしまいそうな視線をこちらに向けていた。


 麻友も思わず見惚れてしまった。

 そして同時に、


ーーー 一筋縄ではいかなそう。


 麻友はそんなことを考えながらも、にっこりと笑顔で応えてみた。


 そんな麻友の笑顔が意外だったのか、松井の眉がぴくりと動いてじっと見つめている。


ーーー ……何か変だった?


 何故こちらをそれほど見つめているのか麻友には解らなかったが、何はともあれ笑顔を崩さずに見つめ返しておいた。


「松井取締役。新しい秘書で、取締役の専属になります。御庄麻友さんです」

「御庄です。よろしくお願いします」


 麻友は深く頭を下げた。

 相手は無言。まだ麻友のことをじっと見ていた。


「松井取締役? 何か不都合でも?」

「いや……」


 松井がようやく口を開いた。声まで、低く響いている。

 椅子から立ち上がり、松井がこちらまで歩いてきた。

 身長も高くて、185cmぐらいはあるか。麻友と比べると頭2つ分ぐらい違う。


「松井です。よろしく」


 差し伸べられた手に麻友も手を伸ばして握手をしたが、その手はすっぽりと埋まってしまった。


ーーー 大きな手…………私の手が小さいからか。


「御庄です。こちらこそよろしくお願いします」

「うん。今日は一日、春日についてやり方を教えてもらってくれ。明日から早速宜しく」

「解りました。有り難うございます」


 麻友は室長と共に一礼すると、すぐに仕事を再開した松井を邪魔しないように、静かに部屋を出た。

 扉が閉まると共に、知らずに感じていた緊張感もほぐれてきた。



ーーー それにしても……。



 凄い存在感と、見惚れるほどの容姿だった。騒がれるのも仕方がないだろうな、と麻友は思った。

 そして、恐らくかなり強引で、完璧主義者。気合を入れてかからないと、信頼は勝ち取れなさそうだ。

 苦手なんて言ってられない。

 会社のこれからを決める重要な位置に立たされたことを理解して、麻友の中のスイッチが入った。


 自分の机に戻り、隣に椅子を持ってきた室長に麻友は頭を下げる。


「室長、いろいろと教えて下さい」

「よし。じゃあいくよ」



 秘書の仕事というのは、かなり多彩だった。

 担当役員の一日のスケジュール、時間調整や段取り、場所の確保などは言うに及ばず、この会社だけかも知れないが、役員に同行して車の運転、食事の管理、会う相手の基本的な情報を伝えたり、会議のための基礎資料集め……などなど。

 どう考えても、一人では対応不可能な範囲と量だった。


「そのあたりは、ここに待機している秘書がいるから、助けあいながら進めればいい。何か困ったときはいつでも私に連絡するように」

「はい。有り難うございます」


 さらに、いま進めている事業の資料や行われるはずの会議の資料、関係各社および重要人物の資料。

 コンピューターの使い方、一日の流れ、細々とした決め事。


 麻友はひとつひとつ手帳に要点を書きながら、さらに必要な資料を受け取っていくと、机の上はあっという間に埋め尽くされた。


ーーー これを一日で理解して憶えろと?


 さすがに麻友も唖然としていると、室長が優しくフォローしてくれた。


「当然、今日一日で憶えられるわけじゃない。少しずつ経験をしながら憶えていけばいいし、足りない部分は私達がフォローするから心配しないように……ただ」

「ただ?」


 室長は言いにくそうにしていたが、麻友には続く言葉のおおよそ想像がついていた。


「松井取締役はかなり高度な要求をしてくるかも知れない」

「……そうでしょうね」

「全てを抱え込まないように。それだけは忘れずに」

「はい」


 他にもいくつか説明があったが、室長も仕事が多い。あとは質問があったら聞きに来て欲しい、と言葉を残して自分の席へ戻って行った。すぐ近くだけれど。


ーーー さあ、やりますか。


 負けず嫌いの麻友は、さっそく山と積まれた資料を分類・整理して、読み始めることにした。





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