朝のコーヒー
翌朝。
松井は結局、麻友の家に泊まった。
遠慮をしてホテルに泊まろうと考えていたが、圭吾に引き止められてしまった。
「気にせずに泊まっていって下さい。今日は賑やかで楽しかったです」
そうにこやかに言われて、松井も申し出を断ることが出来なかったのだ。
麻友もそのことをあまり気にした様子でもなく、お風呂や布団の用意をしてくれた。当たり前だが松井が案内されたのは客間で、静かに一人で眠ったのだが。
圭吾は、日曜日だというのに早々に仕事へ出かけてしまった。ゴルフなのかも知れないが、いずれにしろ忙しいのは本当のようだ。
麻友も当たり前のように朝食を作って送り出したようだ。松井が起きたのは、圭吾が家を出た後だった。
「お早うございます。よく眠れたみたいですね」
ダイニングでコーヒーを飲んでいる麻友が、パジャマ姿にぼさぼさの頭をした松井に声をかける。
何となく色々と考えてしまってすぐに眠れなかった松井だが、眠りについたら不思議なほど深い眠りに誘われ、起きるのが遅くなってしまった。
「コーヒー、飲みますか?」
「ああ、頼む」
松井はゆったりと椅子に座ると、あたりを見渡した。窓からは明るい陽射しが降り注いでいる。その眩しさに視線をずらすと麻友の母親の写真があり、松井は何となく頭を下げた。
「はい、どうぞ」
「有り難う」
机の上に置かれた大振りなカップのコーヒーを手に取る。口元に持って行くと、なんとも言えない芳香が鼻をくすぐる。
一口飲みこみ、深い息を吐いた。
「……美味しい」
「良かったです」
麻友も向かい側に座り、同じようにコーヒーをゆっくりと飲んでいた。
沈黙が広がるが、それが何故かとても心地よい。一人ではない温かさのせいなのか、マンションでは聞こえない鳥の鳴き声のせいなのかは解らないが、松井はまたコーヒーを口に含んだ。
「朝食を、と言いたいところですが、実は待ち合わせの時間が近づいています」
「待ち合わせ?」
麻友の言葉に、松井は首を傾げる。
その様子に、麻友はため息をついた。
「忘れたなら、連れて行かないですよ」
麻友の一言で、松井も「ああ」と思いだした。
そう言えば、今日はお昼に麻友の大好きだったとか言う男性夫婦と会うのだった。
「思い出した……と言うか、もうそんな時間か?」
「ブランチぐらいの時間ですね。いま食べてしまうと、お昼は食べられないかも知れませんね。早めに行って、すこし食べていましょうか」
「そうしよう。有り難う」
麻友がにっこり笑う。
その姿を見て湧き上がった気持ちを、松井は抑えこむのに苦労した。
キスしたい。
やわらかなピンクの唇が微笑むのを見たら、松井は不意にそんな衝動に駆られたのだ。二人きりとはいえ、そんなことが許されるわけでもなく、松井は自分の気持ちをなだめるのにずいぶんと努力を要してしまった。
(ちくしょう、何か魔法でもかけてあるのか。あの唇には……)
そんなことに気付いた様子もなく、麻友は美味しそうにその唇でコーヒーをすすっていた。