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ただいま


 新幹線を降りて、二人はロータリーに停まっていたタクシーに乗りこんだ。いつもは地下鉄を使って自宅へ戻る麻友だが、松井にそれをさせるわけにもいかない。

 麻友が目的地を告げると、タクシーは大通りを抜けながら、20分ほど街並みの中を走り抜ける。麻友の指示に従って幾つかの角を曲がり、車は白い家の前で停まった。


「有り難うございました」


 松井が払おうとする手を抑えて麻友がお金を支払い、二人はタクシーを降りる。

 眼の前には、二階建ての白い壁の家が建っていた。

 麻友の言葉が正しければ、もともとは3人で住んでいたはずだが、それにしてはかなり大きい。敷地も100坪ぐらいはありそうだし、部屋数もかなりありそうだ。


 麻友が鍵を取り出して、鉄製の門を開ける。


「どうぞ」

「ああ」


 松井が中に入ると門を閉め、また歩いて今度は家の扉の鍵を開ける。

 がちゃり、と鍵を開けると、松井を中に招き入れた。


「どうぞお入り下さい」

「有り難う」


 松井が中に入ると、扉の鍵も閉める。

 明らかに誰もいなそうな家に男性を招き入れて、鍵まで閉めて不安はないのだろうか? ……と松井は考えていたが、麻友は気にした様子もなく、家の中に入るとカーテンを開けたり、窓を開けて換気をしたりと慌ただしく動き始めていた。


 入り口から一番近い部屋はリビングとダイニングが一緒になった広い空間で、一面の窓からは綺麗な芝生の広がる庭が見えた。

 部屋は全体が白で統一されていて、ソファーの皮も白で、アイランドキッチンも大理石と思われる白色でできていた。

 そんな中でひとつだけ、10人位は座れそうな机と椅子だけが温かな木製だった。


 シンプルで、センスがいい。

 無駄がないのに生活感の温かさもある、素敵な部屋だと松井は感じた。


 その壁に大きめな写真が一枚、飾ってあった。


 綺麗な女性だった。


 すこしうつむいたような、もしかしたら眠っているような穏やかな表情をしている。

 白黒写真ではあるが、流れるような黒髪がとても印象的だった。


「ただいま、お母さん」


 麻友がその写真に向かって、言葉をかけて手を合わせる。


 やはり、写真は麻友の母親のものだった。

 よく見れば麻友と似ている。どちらかと言えば、麻友の方が華やかで元気がある印象だが、母親はとても落ち着いた雰囲気に見えた。

 松井もつられて写真に向かって、軽く頭を下げる。


 麻友はすぐにまた歩き出して、そのまま部屋を出ていってしまった。



 麻友が出ていくのを見て、松井も思わず後を追いかけた。

 松井が部屋を出ると、麻友はすでに階段を上がりきっていて、すぐ向かいの部屋に入っていく。

 多分、そこが麻友の部屋に違いない。


 ここは遠慮すべきなのだろうが、興味のほうが上回ってしまった。

 松井はそのまま階段を上がると、ノックもせずに麻友が入っていった部屋の扉を開けて中に入る。


 その部屋は、思っていたほど女性らしい雰囲気ではなかった。

 一面の壁がすべて本棚になっていて、足元から天井まで無数の本で埋められている。ファッションの雑誌もあれば、漫画もあれば、文学もある。写真集から絵本まで。とにかく雑多に本が並べてあった。

 そして反対側は一面がクローゼットになっているようだが、その扉がすべて鏡になっている。

 そして、部屋の中央にはベッドがひとつ。奥の窓際には、シンプルな木の机が置かれていた。


 窓を開けていた麻友が振り返り、視線が合う。

 松井はその視線を気にせず、麻友に問いかけた。


「ここがお前の部屋か?」 


 麻友は小さなため息をついて窓から離れると、クローゼットの扉を開けた。


「そうですよ」


 中からジャージかスウェットのようなものを1枚2枚と取り出すと、自分の来ている服に手をかける。


「着替えます。別に見ていてもいいですけど、できれば後ろを向いていて欲しいですね」


 そう言いながら、外したボタンはすでに胸元まで来ている。

 松井はその姿勢のまま目をつぶることにした。


「男としては見てみたいが、歯止めが効かなくなりそうだから、ここは目をつぶることにするよ」

「ぜひ、そうして下さい」


 そう言いながら、麻友は松井のことを気にする様子もなく、さっさと着替えを済ませていく。父親が帰ってくるまでの間にしておくことが山のようにあって、麻友としては上司だとか男だとか気にしている時間はなかった。


 動きやすいスウェット姿に着替えると、麻友は部屋を出た。先ずは、洗濯物から取り掛かることにした。

 お風呂場の洗濯カゴ、それに父親の部屋の散らかした洋服を手際よく集めて行き、色物を分けたり、クリーニングに出すものを別にして洗濯機へ入れてスタートボタンを押す。

 次は散らかっていたものを、それぞれにあるべき場所へ片付けていく。そこで足りないものをチェックしながら、後で買いに行くものを小さな紙に書きたしていく……。


 松井はその様子をリビングのソファーに座りながらゆっくりと眺め、そしてふと昔のことを思い出していた。

 松井は母親と二人、マンションで暮らしていた。いま考えれば女性一人の稼ぎからは贅沢過ぎる広さのマンションだったが、そこはやはり父親からの援助があったのだろう。その頃は大した疑問もなく生活をしていた。

 母親はけっして家事が得意な人ではなかったが、それでも休みの日になると慌ただしく洗濯や掃除をしていて、松井はいつもそれを勉強をしながら見つめていたのだった。

 麻友の様子を見て、忘れかけていたそんな昔の出来事を思い出して、松井は何となく懐かしいような、心が温かくなるような気持ちに包まれていた。


 掃除機をかけている麻友の横顔を、松井は眺め続ける。


 髪をたくし上げた耳元。

 真剣な眼差し。

 細い指先。


「あまり見られると、やりにくいのですが」


 視線は変えずに、麻友が独り言のように呟く。気にしていないように振舞っても、堂々と見ている松井の視線はやはり気になっていたようだ。


「見ていて飽きない」

「……何が面白いのか、今ひとつ理解できませんが」

「なんだろうな」


 松井はあらためて、うーんと考える素振りをしてみせる。


「横顔とか、指先とか。普段はあまりじっと見ることもないからな」


 麻友はふっと微笑んで掃除をする手を止め、初めて松井と視線を合わせた。


「じっと見て、どうでした。普通でしょ?」


 何しろ色気のないスウェットの上下に掃除姿。麻友としてはむしろ普通さに飽きてもらいたいぐらいで、いつもの自然な姿をそのまま見せていた。

 だが、松井の感想は違った。


「綺麗だと思った。あらためて、惚れなおしている」


 松井は麻友を見つめながら、恥ずかしげもなく一気に言ってのけると、むしろ言われた麻友の方が頬を赤くしてしまった。


「年をとると言葉にためらいがありませんね」

「親父扱いするな」

「と言っても、父といい年齢ですよ」

「……いくつだ」


 忘れかけていた年の差にふと松井は不安になり、麻友に質問した。


「52歳です」

「……確かに若いが一緒にするなよ。さすがに少し差があるぞ」


 松井はほっと安堵の息を漏らす。さすがに父親と近かったら、やはり気が引ける。ご両親に悪いと言うか、世間体と言うか、罪悪感と言うか。


「取締役は顔立ちは若いですが、落ち着き具合がもう父親クラスです」

「今ひとつ褒めてもらっている感じがしないな」

「安心してぶつけられるから、私としては褒め言葉かな」


 掃除を再開しつつ麻友が嬉しそうにそう呟くと、松井も一瞬ぽかんとしたが、言葉の意味を理解するとにやにやと嬉しそうに笑い始めた。

 少なくとも、年上であることは麻友にとってマイナスではないらしい。

 そうして松井はやっぱり飽きもせずに、麻友の横顔を見つめ続けることにした。




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