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下の名前



 新幹線の指定席とはいえ、体格の良い松井にはやや狭い。

 小柄でゆったりと座ることのできた麻友が、二人の間を仕切るバーを後ろに倒してくれて、松井はようやくほっとした様子でくつろぐことができた。

 わずかに肘が触れたりするが、そこは互いに気にしないことにした。


「実家はどこなんだ? 市内か?」


 松井は切符の行き先を眺めながら、麻友に聞いてくる。

 麻友の実家がどこにあるのか、松井は切符を買って初めて知った。ただもしかしたら、そこからさらに移動するのかもしれない、と疑問に思ったのだ。


「市内です。新幹線から乗り換えて、そうですね、電車に乗って20分ぐらいですね」

「父、と言っていたが、母親は?」


 さすがするどいな、と麻友は思ったが、表情は変えずに質問に答えた。


「私が中学生の時に他界しました」


 松井はその答えが来ることを解っていたように頷き、質問を続けてくる。


「再婚は?」

「していません」

「兄弟は」

「一人っ子です」

「じゃあ、お父様は一人で生活しているのか」


 松井の言葉に、麻友が頷く。


「お手伝いさんが掃除はしてくれていますが、やっぱり私が時折は見に行かないと。それに父も顔を見せると喜びますし」

「そうだろうな」


 妻を亡くした男の、たった一人可愛い娘。

 会えれば嬉しいに決まっている。


「じゃあ何で、東京に出てきたんだ?」


 当然といえば、当然の質問を松井がしてくる。

 窓の外は、午前の光に照らされた街並みが勢い良く過ぎ去っていた。

  

「ありきたりな答えですが、東京で生活してみたかったんです」


 本当は好きだった人としっかり決別して、新たな一歩を踏み出そうとしたのがきっかけなのだが、東京に行ってみたかったことは嘘ではない。

 そして父親も、少し迷うその背中を快く押してくれたのだった。


「取締役はどこが実家ですか?」


 話をそらそうとかけてみた麻友の質問に、松井は眉をしかめる。

 何か気に触ったのかと思ったら、問題は別のところだった。


「休みの時ぐらい、名前で呼んでくれ」

「そこですか」


 麻友は思わず笑ってしまった。

 仕事場を離れると、どことなく松井の行動は幼くなるような感じがする。年上のくせに、いろいろと甘えてくるのだ。


「では失礼して。……松井さんはどこが実家ですか?」

「下の名前」


 麻友は思わず吹き出して笑ってしまった。


「どこまで子供なんですか」

「子供って。別に希望を述べただけだろう」

「お付き合いもしていないのに、プライベートになったらいきなり下の名前って」


 麻友がお腹を抱えて笑ったためか、松井は少しばかり機嫌を悪くしてふてくされたように外の景色を眺め始めた。

 しばらく、くっくっ、という麻友の小さな笑い声と、そして沈黙が続く。


「生まれは東京だ。知っての通り、社長の子供だからな」

「そうでしたね。忘れかけていました」

「……いい性格だな」

「良く言われます」


 今度は松井の方が吹き出して笑った。

 こらえようとして、くっくっとなるが、どうやら止められないらしい。

 何が彼のツボに入ったのかは解らないが、麻友は少しだけふてくされた顔をした。


「何か私の性格にご不満でも?」


 それでも止められない笑いを、松井は何とかこらえる。

 一度大きく息を吸い込み、隠し切れない笑顔を浮かべたまま呟いた。


「いや。最高だ」


 麻友は驚いたように目を見開いて、松井のことを見上げる。

 松井はまだ、くっくっ、と笑っているが、その瞳はいつもよりもずっと優しげだ。

 プライベートだとこんな笑顔も見せるんだ、と麻友はふとその表情を見つめ続けてしまった。


「取締役も、そんな風に笑うんですね」

「下の名前で」

「……だからお付き合いしていません……」


 麻友が苦々しい顔でつぶやくと、松井はまた嬉しそうに笑う。


 新幹線の中では、そんな他愛もない会話ばかりで時間を過ぎていった。




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