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惹かれる思い


「のび太じゃないんだから……」


 疲れていたとはいえ、思っていたよりも早い松井の熟睡に、麻友も何となく呆れてしまった。

 でも、いつもの松井とはギャップがあって、ちょっとばかり可愛いと思ってしまう。

 麻友は松井の頬をつんつんとつついた。


 起きやしない。本当に熟睡しているようだ。


 麻友はそーっと足を抜こうとすると、松井の手が伸びてきた。

 目が覚めたかな? と動きを止めると、松井の動きも止まった。どうやら無意識の行動らしい。

 麻友はあらためて慎重に足を抜くと、松井の手はそれ以上は伸びて来なかった。


「ふう……」


 麻友はため息をついて、松井を見下ろす。

 緩んだ寝顔は、思っていたよりも可愛く感じてしまう。

 ちょっとだけ疼いた胸の感触を、麻友は慌てて振り払った。


ーーー いけない、いけない。


 気を付けないとね。

 麻友は静かに部屋を出ると、リビングに戻った。


 部屋を見渡し、散らかっていたものを簡単に整理する。


 そして台所の食器も、静かに洗うことにした。

 お皿やカップを丁寧に洗い流し、布巾で水分をとり、見当をつけて棚に戻す。


「さて、では帰りましょうか」


 もう二度と来ないかも知れない部屋の、綺麗な夜景に名残惜しさを感じつつ、麻友は軽く頭を下げて外に出た。


 


 翌朝、松井は朝日とともに心地よい目覚めを迎えた。


「ん……朝か……」


 身体を起こし、息を大きく吸い込む。

 いつもと変わらぬ朝のはずなのに、なぜか身体が軽く感じる。

 いるはずがないと解っていても、松井はぐるっとあたりを見渡し麻友がいないことを確認した。

 夢だったかなと勘違いするほどいつもと変わらない景色に、松井は思わず麻友が座っていたあたりを触った。

 もっと一緒にいたいと思ってしまっている……松井は麻友のことを好きになってしまっていることに、気づいていた。

 だからと言って、そのまま走ってしまっていい立場でもない。


 松井は自分の気持をいったん振り払い、台所へ水を飲みに歩き出した。


 やわらかな朝日に照らされたリビングはいつもと変わらなかったが、台所の食器類は片付けられ綺麗になっていた。

 女性がいた痕跡は残していないのに、生活しやすい環境を整えている。

 松井はくすりと笑った。


「タクシー代の借りを返したつもりかな」


 なかなか麻友の壁は厚いらしい。

 松井は「それを崩すべきか崩さぬべきか」と呟きつつ、心はすでにどう崩すかを考え始めていた。




「おはよう」

「おはようございます」


 会社での松井の自室で、松井と麻友はいつもと変わらぬ挨拶を交わした。

 誰も見ていないが、おそらく誰が見ていても二人の間に昨夜何があったか気づく人はいないだろう。

 仕事は仕事だ。それでいい、と松井は考えつつも、どこかで麻友が何かのサインをくれてもいいじゃないか、と期待してしまっていた。

 表情ひとつ変えず、松井はそんな自分を心の中だけで笑う。

 久しぶりの、もしかしたら初めてかも知れない恋心を、松井も楽しむことにした。



 その日の仕事はいつものように多忙で慌ただしく過ぎていたが、昼過ぎは山のように溜まった報告書に目を通すことにした。

 松井は自室で黙ったまま書類を読んでいた。


 麻友は同じ部屋の片隅で、パソコンに何かを打ち込んでいた。


 もともと秘書室と同じ環境で仕事が出来るように、机とコンピューターが設置されていた。

 麻友はなるべく秘書室で仕事をしようとしていたが、あまりにも頻回に松井が呼びつけるため、今ではこちらの方で仕事をする時間が長くなっていた。


 今は恐らく、何かの資料を集めているのだろう。

 松井の仕事を邪魔しないように、静かに画面と向き合っていた……はずであった。


 しかし、気づくと何の音もしない。


「……?」


 不思議に感じた松井が顔を上げると、麻友の頭が不自然なほど落ちていることに気付いた。

 両手はキーボードに乗ったまま、視線は画面ではなく机を見ている。


 恐らく、寝ているのだろう。


 松井は麻友を起こさないように、静かに笑った。


 確かに昨晩は、松井を寝かしつけて食器まで洗い、タクシーで帰った後も、化粧を落としたりシャワーを浴びたり、いろいろあるのだろう。

 しかも朝は、二人分のお弁当も作らないといけない……昨日はほとんど寝ていないに違いない。


 松井は静かに立ち上がって、麻友の側まで歩いていった。


 やっぱり寝ている。


 近づくと消え入りそうな小さな寝息が聞こえてきた。


 松井は体を屈めて、麻友の顔を覗き込んだ。

 さらさらとした黒髪が流れ、閉じられた目元に長い睫毛を見ることができた。

 そして、真っ白で柔らかそうな肌をした頬。


 松井は麻友に触れてみたい衝動に駆られていた。


 麻友の寝息がはっきり解るほど、二人の顔の距離が近づいても、麻友は気づく様子もなく眠っている。



 このままキスしたい。



 そう思ってしまうほど、麻友の頬は柔らかで惹かれるものがあった。


 松井はさらに、唇が頬に触れるか触れないかのぎりぎりの間隔まで詰めた。


 あと少し。


 ほんのわずか近づけば……。



 強い誘惑に松井の理性が折れそうになるが、麻友の気持ちを無視して進めては、かえって離れてしまうことは解っていた。


 一つため息をつき、松井は言った。



「起きろ」



 松井の低い声で、麻友は飛び上がるように顔を上げる。


「あっ……すみません」


 麻友は慌てて目を瞬かせ、落ちていた髪を後ろに流す。

 涎が垂れていないか確認しつつ、頬を赤く染めていた。 


 初めて見る麻友の恥らう姿にぐっときつつも、松井はあえて冷静さを崩さなかった。


「いつも無理をさせてて悪い。かまわないから、少し休むといい」

「いえ、大丈夫です。……お心遣い、有り難うございます」


 麻友の表情がいつもの顔に戻ってしまう。

 もうしばらく寝顔を眺めておけば良かった、と後悔しながら、ついつい松井はまた麻友の頭を撫でてしまった。


「だから、頭を撫でないで下さい」

「解っているけれど、やめられない」


 止めて欲しいと言いつつも、撫でられたままでいる麻友のことを、松井はこの上なく愛しいと感じ始めていた。




いつも読んでいただき、有り難うございます。


年末年始は慌ただしく、しばらく書く時間が取れそうにありません。途中でごめんなさい。しばらく更新はお休みになります。



必ず完結はしたいと思っていますので、お待ちいただけると嬉しいです。

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