信者は打てば、固くなる。
静かな部屋の空気を押しのけるように、低い唸りがじわりと立ち上がる。
やがてそれは細く鋭い蒸気の声へと変わり、「コォォ……」と息を吐くように続いたあと、弾けるように「カチッ」と音が鳴り、すべてがすっと静まった。
お湯の沸いたポットを手に取り、カップラーメンに注ぐ。
「制限時間は……3分!」
その言葉を合図に、部屋の空気を切り裂いた。
反射的にリモコンへ手を伸ばす。
力任せに電源ボタンを押し込み、テレビの黒い画面が一瞬で光に溢れる。ほぼ同時に、机の上のパソコンへ体を寄せる。スリープ状態から無理やり叩き起こすようにキーボードを打ち、立ち上がりを待つ間にも、ポケットからスマホを引き抜いた。
時間を気にしながら、テレビの音を聞き、スマホを操作する。
「続いて、今日の株式――」「現在〇〇市において――」「半導体関連――」
パソコンの画面がようやく立ち上がる。
ブラウザを開く、検索欄に指を走らせる、候補が表示される前にエンターキーを叩き込む。一方で、スマホは別の情報源を追う。SNS、配信、ニュースアプリ……指が画面の上を滑る。
その動作の途中で、ふと、気になる言葉が聞こえた。
「…そういえば…………昨日発売だったけ。」
パソコンのブラウザが別のページを開き、画面には新作ゲームのランチャー。
好きな開発会社のロゴが、静かに表示されている。
ジャンルは、ソーシャル寄りのオンラインゲーム。
——苦手な分野だ。
人と関わる前提の設計。
意思疎通、協力、交渉。
どれも自分には向いていない。
「この会社が、MMOを作るかね……」
レビューを見ても、賛否両論。この会社には珍しくない評価だ。
イデアロム社。
ゲームを手に取ったのは、いつだってプレイヤーの側のはずなのに。
この会社の作品だけは、逆だ。選ばれている気がする。
試されている、というより——選別されている。
容赦がない、という言葉では足りない。
ボスは理不尽に強い。パターンを覚えろと言わんばかりの構成なのに、次の瞬間にはその前提を裏切る。
同じ行動をしても、同じ結果にならない。“覚えゲー”と呼ばれているのに、覚えた通りに進まない。
初見の攻撃。未確認の挙動。想定外の連続。
一度の判断ミスで崩れ、立て直す暇もなく叩き潰される。それでも、やめられない。
勝てた時の感覚を、体が覚えている。
全てが繋がる一瞬。積み重ねた失敗が、意味を持つ瞬間。理不尽だと思っていたものが、ただ自分が届いていなかっただけだと理解する瞬間。
あの時だけは、このゲームと出会ってよかったと思わされる。
だからこそ、負けた時が地獄になる。
納得できない。理解できない。何が間違っていたのか、説明がない。ただ、結果だけが突きつけられる。
——足りていない、と。
因縁と言えば、一方的で、信者と言うには、感情が濁りすぎている。
それでもなお、この会社の名前を見れば、手が止まる。
「それに、フルダイブ型のVRか。」
思わず、画面から目を離す。
ここ最近になって、ようやく実用化された技術。
視覚や聴覚だけじゃない。感覚そのものを接続するインターフェース。
だが、完成されたとは言っても、まだ過渡期だ。
対応タイトルは少ない。安全性だって、完全に信用されているわけじゃない。どの企業も、様子見に近い形で小規模な作品を出している。
——普通なら。
「その一作品目で、MMOか……」
イデアロム社のロゴが、静かに点灯している。
慎重とは程遠い選択だった。フルダイブ環境は、個人差が大きい。操作精度も、反応速度も、感じ方も人それぞれだ。
その状態で、多人数同時接続。ラグ。同期ズレ。感覚の差異。それらすべてが、ゲーム体験に直結する。
「まともに作る気があるなら、やらない構成だよな。」
小さく呟く。
だが——あの会社は、そもそも“まとも”ではない。
これまでの作品だってそうだった。
ふと、レビュー欄に視線が滑る。
閉じるつもりだった。それでも、目に入ってしまう。
「同じ[スキル]を使用しても結果が揃わない。」、「ステータスが最悪」、「条件が不明すぎる」
スクロールを止める。視線を逸らす。ブラウザを閉じる。
それで終わるはずだった。だが、指が止まる。ほんの一瞬、思考が戻る。
同じスキルで結果が揃わない?
乱数か。
それとも条件分岐か。
ステータスが最悪——初期値の偏り? それとも隠し補正?
仮説が、勝手に立ち上がる。
「……やめろ」
小さく呟く。
椅子にもたれ、目を閉じる。
情報を遮断するために。思考を切るために。
だが、完全には消えない。
さっきの文面が、そのまま残る。
“結果が揃わない”
“最悪”
ただの文字が、やけに頭に残る。単なる感想にしては、引っかかる。
呼吸が一つ、深くなる。
「……」
数秒の沈黙。
「あぁぁ~…………気になる。」
「他のゲームならこんなに、気にならなかったものを、」
目を開ける。諦めたように、マウスに手を伸ばす。
もう一度だけ。確認するだけだ。そう自分に言い訳しながら、レビュー欄を開く。
スクロール。
断片的な報告。
食い違う結論。
一致しない前提。
視線を画面に固定したまま、小さく息を吐いた。
「中に入るしかないか」
ひと言、そういいながら、あることに気づく。。。
カップラーメンに目を向ける。湯気はもうほとんど立っていない。表面はわずかに揺れているだけで、さっきまでの熱は感じられなかった。ちょっと時間過ぎて、麺がふやけている。
「・・・・・忘れてた。」
「……食うか。」
ズッ、ズズズッ……コクン。一気に口へ運ぶ。
少し冷めてしまったスープと、麺を一気に吸い上げる音が、部屋に小さく響く。
「……教本、読み直さないとな。」
机の方に、目を向けるとそこには
[サルから学ぶあいさつ編]と書かれた本が置いてあった。




