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29 二割主人公

 翌日の昼休み、透葉たちは昨日と同じ理科準備室横の小さな倉庫に集まった。

 扉を閉めた瞬間、空気が一枚薄くなる。薄くなるだけで、胸の奥の圧がほどける。

 柚羽は鞄の中から小さなノートを出した。

 表紙の色は淡い水色。

 それだけで、柚羽が今日、ちょっとだけ気持ちを整えてきたのがわかる。

「……これ……」

 柚羽がノートを差し出す。

 透葉が受け取ると、表紙にペンで小さく書いてあった。

 ——「使用記録(仮)」

 透葉は一瞬、変な顔をした。

 それを自覚して、すぐ無表情に戻す。

「……仮って」

 柚羽が慌てる。

「……まだ……部屋……確定じゃないので……」

 陽葵が笑った。

「真壁さん、準備が早いね」

 沙良が肩をすくめる。

「こういうの、先生に効くよね。“ちゃんとしてます”アピール」

 透葉はノートをぱらっとめくった。

 罫線がきっちり。日付欄まで作ってある。

 柚羽の几帳面さは、世界に対抗する小さな武器だ。

「……柚羽、こういうとき強いね」

 柚羽が小さく首を振る。

「……強くないです……ただ……」

 陽葵が柔らかく続ける。

「ただ、守りたいんだよね」

 柚羽の目が揺れて、頷いた。

 その頷きで、倉庫の空気が少しだけ温かくなる。

 沙良が急にスマホを掲げた。

「ねえ、顧問の先生、放課後に“視聴覚準備室”使えるかどうか、今日返事くれるって言ってたよね」

 陽葵が頷く。

「うん。担任経由で連絡来るはず」

 透葉は言葉を短く切った。

「……来なかったら直談判」

 沙良が即ツッコむ。

「また? 透葉、先生に好かれる才能ゼロなのに?」

 透葉は無表情で返す。

「好かれなくていい。通ればいい」

 柚羽が小さく言う。

「……通れば……」

 陽葵が笑って、少しだけ真面目な顔に戻る。

「でも、今日は様子見。……あんまり刺激しない」

 “刺激しない”。

 その言い方が、もう戦ってる人の言い方で、透葉は喉が少し痛くなった。

 戦うって、こういう日常の言葉になる。


 昼休みはいつも通り短い。

 段ボールの上で弁当を広げて、柚羽が飴を置いて、沙良がパンを食べて、透葉が雑なツッコミを入れて、陽葵が笑って咳払いを一回だけした。

 その咳払いが透葉の耳に残った。

 透葉は何も言わない。

 言うと、陽葵が“大丈夫”を早口で投げるのがわかっているから。


 午後の授業が終わり、放課後。

 廊下の音が部活の音に変わっていく。

 笛、足音、遠くの歓声。

 世界が“普通”に動く音。

 透葉は教室を出たところで、担任に呼び止められた。

 担任は手招きして、声を落とす。

「彩瀬さん。……あなたたち、四人ね」

 透葉は頷く。

「……はい」

 担任は短く言った。

「視聴覚準備室。条件付きで、今日から使える。放課後だけね。鍵は職員室で受け取り、返却。使用記録をつけること。あと、掃除して帰る。守れる?」

 透葉の胸の奥がふっと軽くなった。

 でも、油断しない。条件付きは首輪付きと同じだ。

「守れます」

 担任は透葉の耳元のピアスを一瞬だけ見て、ため息をひとつ吐いた。

「……真面目にやってね」

 透葉は少しだけ間を置いて言った。

「……真面目です」

 担任の口元がほんのわずか緩んだ。

 緩んで、すぐ戻る。

 先生の笑いは、こういう“ほんの少し”しか存在しない。


 透葉が廊下の角へ行くと、陽葵と柚羽と沙良が待っていた。

 透葉が無言で頷くと、陽葵が察して目を見開く。

「……来た?」

 透葉は短く言った。

「来た。今日から。視聴覚準備室」

 柚羽が息を呑んだ。

 目が少し潤む。

 でも泣かない。泣くとまた“弱い”ラベルが貼られる気がするから。

 沙良はいきなり透葉の両手を握りしめた。

「やった。やったやった。……てか、今日の私、パン潰してないし、勝ち続けてる」

 透葉が即ツッコむ。

「勝ちの基準が低い」

 陽葵が笑って、柚羽が小さく笑った。

 笑いが出る。

 それだけで、今日が“日常の勝ち”に見えた。


 職員室へ向かう途中、視線が刺さった。

 四人で職員室。

 それだけで、“何かやってる”感が透ける。

 沙良の肩が少しだけ固くなる。

 柚羽の歩幅が小さくなる。

 陽葵は背筋を正しく保つ。

 透葉はその三つを同時に見て、心の中で息を吐いた。

(見られてる。……でも、人目のある場所で取った許可は、逆に強い)

 職員室で鍵を受け取る。

 鍵は小さくて、古いキーホルダーが付いていた。

 “視聴覚準備室”と油性ペンで書かれた札。

 雑な文字が妙に現実的だった。


 廊下を歩いて、視聴覚準備室のある棟へ向かう。

 そこは旧校舎ほど古くないけれど、普段あまり人が通らない場所で、空気が少しだけ温度を失っている。

 扉の前で陽葵が鍵を取り出した。

 鍵穴に差し込む手が、ほんのわずか震える。

 透葉は視線を外した。

 見つめると、陽葵は“平気”を作る。

 また無理が増える。

 鍵が回る。

 カチ、と音がして、扉が開いた。

 視聴覚準備室は、思ったより“学校らしい部屋”だった。

 壁にスクリーン。

 天井から吊るされたプロジェクター。

 端に折り畳み椅子が積まれていて、教卓がある。

 そして、窓には薄いカーテン。

 日が傾いているから、室内の光が柔らかい。

 透葉は部屋の匂いを吸った。

 紙の匂いより、機械の匂い。

 でも、埃と消毒液の混ざった匂いが、妙に落ち着く。

 ここは誰かの“思い出の場所”ではない。

 だから、これから自分たちの匂いにできる。

 柚羽が小さく言った。

「……ここ……明るいです……」

 沙良が部屋の中央に立って、くるっと回った。

「やば。ちゃんと部屋だ。隠れ家じゃなくて、正規ルートの部屋」

 透葉が即ツッコむ。

「言い方がゲーム」

 沙良が真顔で言う。

「RPGだよ、今。私たち、“許可”も鍵も取ったし」

 陽葵が笑った。

「じゃあ次のクエストは“掃除”だね」

 柚羽が慌てて鞄から小さなウェットティッシュを出した。

「……あります……!」

 透葉は無表情で言った。

「……柚羽、ほんとに準備が早い」

 柚羽が赤くなる。

「……癖で……」


 四人はまず、椅子を四脚出して並べた。

 並べるだけで“四人の形”ができる。

 形ができると安心が少しだけ増える。

 陽葵が教卓の上を拭いて、柚羽が窓辺の埃を取って、沙良が椅子の座面を拭きながら、妙に真剣な顔で言った。

「ここ、さ。名前つけない?」

 透葉が即答する。

「やめて」

「なんで! 拠点には名前いるじゃん!」

「名前つけたら愛着湧く。奪われたとき死ぬ」

 沙良が口を尖らせる。

「現実的すぎる。透葉、ほんと現実で殴ってくるよね」

 陽葵が間に入るみたいに笑った。

「じゃあ、コードネームにしよ。……先生に聞かれても意味わかんないやつ」

 柚羽が小さく言う。

「……こ、コード……」

 沙良が目を輝かせる。

「いい! じゃあ、“アダン”」

 透葉が手を止めた。

 心臓の奥が小さく跳ねる。

 “アダン”。

 沙良の口から出た瞬間、胸の奥が温かくなる。

 陽葵が静かに頷いた。

「……いいね。“アダン”は、私たちだけの合図」

 柚羽が少し恥ずかしそうに頷く。

「……アダン……かっこいいです……」

 透葉はしばらく黙っていた。

 机を拭く手を動かしながら、ようやく言った。

「……合図なら、いいか」

 沙良が勝ち誇った顔をする。

「ほら! 透葉も認めた!」

 透葉は無表情で返す。

「認めてないし。妥協だから」

 柚羽が小さく笑って、陽葵が少しだけ笑った。

 その笑いが、部屋に最初の“匂い”として染みていく気がした。


 掃除が一段落して、柚羽が例の水色のノートを教卓に置いた。

 透葉はペンを取り、日付と、利用者欄に四人の名前を書いた。

 書くと、妙に“許可された日常”が現実になる。

 ——笹波 陽葵

 ——真壁 柚羽

 ——朝比奈 沙良

 ——彩瀬 透葉

 四つの名前が並ぶだけで、胸が少し熱くなった。

 名前はラベルにもなるし、盾にもなる。

 今は盾になってほしかった。

 陽葵が椅子に座り、息を吐いた。

 息が少しだけ長い。

 透葉は横目で陽葵の手元を見る。

 ペットボトルのキャップに指をかけて、開ける動作が一瞬遅れた。

 陽葵は笑う。

「……固いな、これ」

 沙良がすぐ手を伸ばす。

「貸して。私、こういうの得意だから」

 沙良がキャップを回して、あっさり開けた。

 開けた瞬間、陽葵が小さく肩を落とす。

 透葉の胸の奥がきゅっとなる。

 でも、陽葵はすぐに言った。

「ありがとう」

 沙良が少しだけ照れくさそうに笑う。

「どういたしまして。私は今、役立ち係だよね?」

 柚羽が小さく言う。

「……役に立ちます……」

 沙良が柚羽を見る。

「真壁さんは“飴とノート係”で最強。透葉は……」

 透葉が身構える。

「……何」

 沙良がにやっと笑う。

「ツッコミ係。あと、たまに主人公」

 透葉は無表情で返した。

「たまにって何」

 陽葵が穏やかに言う。

「八割主人公、二割面倒くさい人」

 透葉は即答した。

「逆」

 柚羽が真面目に頷いてしまう。

「……はい、逆……ですか?……」

 沙良が吹き出した。

 笑い声は大きくない。

 でも、部屋の中でちゃんと響いている。


 透葉は思った。

 旧校舎の匂いは奪われた。

 でも、この笑いは奪われていない。

 奪われていないものがある限り、居場所は作り直せる。

 ふと、廊下の方で足音がした。

 背中が冷える。

 でも足音は近づかない。

 ただ通り過ぎるだけ。

 それだけで、四人の呼吸が一瞬だけ揃って浅くなるのがわかった。

 沙良が小声で言った。

「……今の、追跡じゃないよね」

 透葉は言った。

「……違う。たぶん」

 陽葵があえて軽く言う。

「たぶん、が多いね」

 柚羽が小さく言う。

「……でも……ここ、鍵……」

 鍵。

 鍵がある。

 鍵があるだけで、人は少し強くなれる。

 陽葵がノートを指で軽く叩いて言った。

「ここを守ろう。方法もある。鍵と記録と、ルール」

 透葉は頷いた。

 頷きながら、胸の奥で別の不安がうごめく。

 ——守る方法はできた。

 でも、噂からは守れない。

 噂は鍵がなくても入ってくる。

 噂が入ってきたとき、四人の関係がどうなるか。

 透葉はその未来をまだ見たくなかった。


 時間が来て、四人は椅子を戻し、机を整え、最後に床をさっと拭いた。

 柚羽が念入りにゴミを拾って、沙良が「真壁さん、プロっぽい」と感心して、透葉が「プロって何」とツッコむ。

 陽葵はそのやり取りを聞きながら、少しだけ目を細めて笑う。

 その目が、ちゃんと今日の中にいる。


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