27 居場所になりそうだから
放課後。
陽葵は部活を休んだ。
休むと言い出す瞬間、陽葵の口元が一瞬だけ揺れた。
揺れは悔しさ。
悔しさは陽葵が生きてる証拠でもある。
四人は職員室へ向かった。
廊下は放課後の音になっている。
部活の声。足音。窓外からの笛。
日常の音。
なのに、透葉の胸は固かった。
職員室の扉の前で、沙良が少しだけ足を止めた。
輪の中にいた沙良は、職員室の前で平気な顔をしていたはずだ。
でも今の沙良は、輪の外の人間として立っている。
立つ位置が違うと、扉の重さが変わる。
透葉は沙良の袖を軽く引いて言った。
「逃げないでね」
沙良が小さく笑って返す。
「逃げない。……逃げたら、また私が私じゃなくなる」
その言葉が、透葉の胸の奥を少しだけ温めた。
陽葵が担任の席へ向かい、声をかける。
担任は顔を上げ、四人を見て、少しだけ困った顔をした。
嫌悪じゃない。
“面倒が来た”って顔だ。
言った通りだと思った。
担任が言う。
「どうしたの、四人で」
陽葵が整った声で言った。
「放課後の居場所について、相談があります。……昼休みも含めて」
担任の目が少しだけ細くなる。
周囲を一瞬見回した。
周囲には別の先生もいる。
この“見回す”動作が嫌だった。
周囲の目を気にする正しさ。
周囲の目で誰かの居場所が消える。
担任は低い声で言った。
「……今、ここで?」
陽葵が頷く。
「はい。短くでいいので」
担任はため息をひとつ吐いて、
「分かったわ。……でも、場所は選んで」
そう言って、職員室の外へ出るよう促した。
廊下の端。
人通りの少ない場所。
そこへ移動すると、担任は少しだけ肩の力を抜いた。
「……旧校舎の話、出てるよ」
その一言で透葉の胃が冷えた。
出てる。
もう、噂じゃない。先生たちの中で“案件”になっている。
陽葵は声を落として言った。
「私たちは、規則を破りたいわけじゃありません。……ただ、真壁さんの件で、安全な場所が必要なんです」
担任が柚羽を見る。
柚羽は一瞬だけ縮みそうになって、でも踏ん張った。
踏ん張って、ちゃんと顔を上げた。
担任が言う。
「……真壁さん、嫌がらせは続いてる?」
柚羽の喉が動く。
言うか、言わないか。
言うと、また空気が刺す。
でも言わないと、守られない。
柚羽は小さく、でも確かに言った。
「……続いてます。……でも、今日、言い返しました」
担任が少し驚いた顔をする。
柚羽が“弱いまま”だと思われていた証拠でもある。
担任はゆっくり頷いて言った。
「……分かった。……あなたたちの気持ちは分かったけど、旧校舎はダメ。安全面でも、管理面でも」
透葉の中で怒りが込み上げる。
安全面。管理面。
言葉が正しいぶん、息が詰まる。
陽葵が整った言葉を出した。
「だから、手続きを教えてください。私たちは、正式に申請します」
担任が目を瞬かせる。
“申請”という正しさは、先生にとっても面倒だ。
面倒だから嫌がる。
でも、面倒だからこそ、先生は動く。動かざるを得ない。
透葉はそれを、冷たく理解してしまう自分が嫌だった。
担任は言った。
「申請って言っても……美術室の使用は顧問の許可がいるの。昼休みは基本禁止。放課後も、部活が優先。……それでも?」
陽葵が頷く。
「それでも。……場所がなければ、真壁さんは守れません」
“守れません”。
その言い方が、陽葵らしくないほど強い。
透葉の胸が熱くなった。
陽葵が、鎧の正しさを“守るため”に使っている。
それが透葉には眩しかった。
沙良がここで口を開いた。
「先生。……私も、今、居場所がありません」
担任が沙良を見る。
沙良の名前と顔は、きっと担任の中で“問題児の影”として分類されかけている。
沙良はそれを感じたのか、続けて言った。
「居場所がないと、人は変なこと考えます。……私は、そうなりたくありません」
それが沙良の本音だった。
輪の言葉じゃない。
助けを求める言葉だ。
担任は小さく眉を寄せた。
そして、ため息をひとつ吐いて言った。
「……分かったわ。顧問に話してみる。……ただし、旧校舎には行かないで」
透葉の中で少しだけ息が戻った。
完全に守られたわけじゃない。
でも、“話す”という言葉が出た。
話すと言わせた。そこが今日の勝ちだ。
陽葵が短く言った。
「ありがとうございます」
柚羽も小さく言った。
「……ありがとうございます」
沙良も一拍置いて続いた。
透葉は言葉を出すのが遅れた。
遅れて、でも言った。
「……お願いします」
職員室の前を離れるとき、透葉は背中に視線を感じた。
先生たちの視線じゃない。
生徒の視線。
廊下の端から、誰かが見ている。
振り返ると、生活指導の先生がこちらを見ていた。
目が合う。
先生は笑わない。
視線を少しだけずらして言った。
「旧校舎には、行ってないだろうな」
問いじゃない。確認でもない。
“釘”だ。
陽葵が正しい声で答えた。
「行っていません」
嘘。
でも、今は必要な嘘。
正しさに対抗するための嘘。
先生は「そうか」とだけ言って去った。
去り際の足音が硬い。
まだ終わっていない音だ。
四人は何も言わずに歩いた。
今言うと崩れるからだ。
旧校舎が見つかる未来が、はっきり近づいている。
でも同時に、“申請”の道もできた。
旧校舎へ向かうわけにはいかない。
だから、今日は駅前へ行くことにした。
カフェでも、カラオケでもなく、ただ歩く。
歩くことが、今日の呼吸になる。
夕方の空気は冷たかった。
冷たい空気は、肺の奥を痛める。
なのに、少しだけ気持ちが戻る。
その冷たさは現実だからだ。
沙良がぽつりと言った。
「……ねえ、私、先生に言えたの、ちょっとすごくない?」
透葉が即答する。
「すごいよ。でも調子に乗るな」
沙良が目を細める。
「褒めてるの? 貶してるの?」
透葉は無表情で返す。
「両方」
柚羽が小さく笑った。
陽葵もほんの少しだけ笑った。
笑いが出たことが、今日一番の救いだった。
駅前で別れるとき、陽葵が透葉にだけ言った。
「……透葉さん。旧校舎、今日行かなくて正解だった」
透葉は頷いた。
「うん。でも、いつかは戻る」
陽葵の目が揺れる。
「……戻る?」
透葉は言った。
「匂いがあるから。……あそこ、居場所になりそうだから」
陽葵は少しだけ微笑んで、小さく頷いた。
「……うん。だから、守る方法を作る」
その言葉で、透葉の胸の奥が少しだけ温まった。
守る方法。
方法があるなら、まだ戦える。
帰宅して、透葉はスマホを開く。
柚羽から一通届いていた。
『旧校舎の資料室、鍵が変えられてました……』
透葉は画面を見つめた。
息が止まる。
止まって、次に、ゆっくり吐く。
鍵が変えられた。
つまり、先生たちはもう“場所”を知っている。
遅かった。
でも、遅いからって終わりじゃない。
申請の道は残っている。残っているうちに、押し込むしかない。
透葉はベッドに腰を下ろし、両手で顔を覆った。
覆うと、薄暗い部屋がさらに暗くなる。
なのに、胸の奥は妙に熱い。
(守るって言ったんだろ)
自分に言い聞かせる。
その瞬間、頭の中で、旧校舎の紙と絵具の匂いが蘇った。
あの匂いはまだ消えていない。
鍵が変わっても、匂いは消えない。
透葉は目を閉じて、しばらくして目を開けた。
そして、スマホに短く打って送った。
陽葵へ。
『明日、顧問に直談判。四人で。逃げない』
送信。
画面が暗くなる。
暗くなった画面に、透葉の顔が薄く映る。
薄い自分の輪郭を見て、透葉は小さく息を吐いた。
明日はまた波が来る。
でも明日は、四人で波に立つ。




