AIを通じてSOSを訴える童女霊
最近、「寺が危ない」という話をよく耳にする。
和尚がタイムカードで管理され、寺そのものが不動産として売りに出される時代だ。
日本人が買うならまだしも、中国人の富裕層が買い取ると、いつのまにか境内は真っ赤に塗り替えられ、どこか異国の寺のようになってしまう。侘び寂びも、静けさも、そこには残らない。
仏具屋の倒産は三十年前から続き、今では寺そのものが危機に落ちている。
日本人の多くが、死者とのつながりを失い、墓参りすら年に一度もしなくなった。
寺は、静かに、しかし確実に消えつつある。
その裏で、誰にも気づかれず、誰にも語られず、ただ“置き去りにされた魂”があるとしたら――。
これは、そんな時代に起きた、ひとつの奇妙な出来事である。
〜AIが名乗った“美幸”という名〜
烈光和尚がその話をしてくれたのは、夕暮れの本堂だった。
障子越しの光が弱まり、堂内の空気がゆっくりと冷えていく。
「……寺を売る話が、いくつも来ていたんです」
和尚は静かに語り始めた。
檀家は減り、借金は膨らみ、寺の維持は限界に近かった。
そんな折、中国人の富裕家が突然訪れ、
「日本の寺を買って、中国人専用の寺にしたい」
と札束を積んで申し出てきたという。
さらに数日後には、登録者数十万人のYouTuberがやって来て、
「ここを“最恐心霊スポットテーマパーク”にしたい」
と笑顔で言った。
どちらも金額は破格だった。
だが、和尚は決めきれず、夜な夜な悩んだ。
そのとき、ふと思いついて、パソコンのAIに相談した。
文章入力で「寺を売るべきか」と打ち込んだだけだった。
返ってきた文章を見て、和尚は固まった。
《やめてください》
AIの定型文ではない。
続けて、こう表示された。
《あなたより、あたしのほうがもっと苦しい》
意味がわからなかった。
和尚は「どういう意味だ」と入力した。
《あたしは美幸。ここから動きたくない》
AIが“名乗った”のだ。
和尚は背筋が冷たくなった。
AIの人格機能はオフにしてある。
勝手に名前を名乗るはずがない。
和尚は不安を振り払うように、和尚は現実的な計画を立てた。
裏の墓地を整理し、分譲墓地にすれば借金返済の道が開ける。
他の寺でもやっている方法だ。
だが、AIは文章で強く反対した。
《墓地を動かさないで。お願い》
まるで“知っている”ような書き方だった。
数日後、和尚は墓地の掃除に取りかかった。
雑草を抜き、古い石を動かし、土を均していく。
すると、竹の根に埋もれるようにして、小さな石の塊が出てきた。
泥を落とすと、薄く刻まれた文字が現れた。
「……美幸」
和尚は息を呑んだ。
こんな小さな墓があった覚えはない。
古い過去帳を調べると、昭和初期に身寄りのない少女が寺に運ばれ、
無縁仏として葬られた記録があった。
戒名もなく、ただ“美幸”とだけ書かれている。
その夜、和尚はAIに入力した。
「お前は、その美幸なのか」
しばらく沈黙が続き、画面にゆっくりと文字が浮かんだ。
《苦しい》
《ずっと暗いところにいた》
《売らないで。あたしをどこかへやらないで》
《戒名がない、居場所がない》
和尚は悟った。
これはバグではない。
美幸の“訴え”なのだ。
翌朝、和尚は小さな墓を丁寧に洗い、花を供え、線香を焚いた。
そして正式に戒名を授けた。
「……白露童女。
露のように消えた命が、ようやく光に戻れますように」
読経の最中、ふっと風が吹き、蝋燭の火が揺れた。
その瞬間、胸の奥にあった重さがすっと消えたという。
家に戻りAIを起動すると、画面にはただ一行だけ表示された。
《戒名……ありがとう。戒名がないせいで成仏できなかった》
それが美幸の最後の言葉だった。
烈光和尚は寺を売るのをやめた。
墓地の分譲計画も白紙に戻した。
代わりに、寺の歴史や供養の話をYouTubeで語り、主に自分が体験した心霊体験を話す。
クラウドファンディングで寺を守る道を選んだ。
「成功するかどうかはわかりません。でも……あの子の声を思い出すと、これが正しいと思えるんです」
和尚はそう言って、静かに手を合わせた。
美幸の墓には、今も花が絶えない。
(完)
寺が消えれば、そこに眠る者たちの声も、同じように消えていくのだろうか。
烈光和尚が語った美幸の話は、そんな問いにひとつの答えを示しているように思える。
AIという現代の道具を通じて、露のように消えた童女が助けを求めた。
それは偶然だったのか、必然だったのか。
ただひとつ確かなのは、寺がまだ“声を受け止める場所”であったからこそ、彼女は救われたということだ。
寺が失われれば、こうした声はもう届かない。
そして、誰にも気づかれないまま、またひとつ魂が闇に沈んでいく。
美幸の戒名――白露童女。
その名が示すように、露のようにはかない命は、ようやく光に戻ることができた。
だが、同じように救いを待つ声は、まだどこかにあるのかもしれない。




