耳をすませば『こ・ろ・し・て・く……れ』 温泉旅館女将養成所
私の友人はホラーが大好きで、いつも楽しそうに怪談や恐怖体験を語ってくれます。けれども、私は昔からホラーが苦手で、どうして人がそれを面白いと感じるのか理解できません。今回の作品では、あえて「理解できない世界」を描こうと試みました。しかし書き進めるうちに、どうしても物語としての筋道や道理が入り込み、結果的には私らしい構成になってしまったように思います。
第一章:駅前の幻影
佐藤あかり――二十二歳。武蔵野大学経済学部を卒業したばかりで、秋田の老舗「日の出温泉旅館」の後継者。普段は黒のパーカーに白いデニムを好み、短い黒髪が印象的だ。大学を終えると同時に、福島にある旅館女将養成所へ向かうことになった。
福島の駅に降り立った瞬間、空が裂けるような雷鳴が響いた。
「本当に田舎ね」
両手を伸ばしたすいの言葉を待っていたかのように、激しい雨が駅舎を叩き割る。人影のない改札にだけ、雨音が反響していた。
タクシーを探すが、数は少ない。ようやく見つけた車に声をかけると、運転手は窓を少しだけ開けて言った。
「旅館女将養成所?今日は駄目だ」
「えっ、どうして?」
返事はなく、窓を閉めて空車のまま走り去る。次の車も同じだった。拒絶の理由は誰も語らない。
途方に暮れたすいの目に、駅前の古びたビジネスホテルが映る。外観は今にも消えそうなほど覇気がなく、雨に濡れた看板が揺れていた。走って中へ入ると、内装は古いながらも外ほど荒れてはいない。
「とりあえず、ここに泊まるしかない」
養成所に電話をかけても誰も出ない。SNSで事務局に連絡しても返事はない。
受付の女性は淡々と微笑んだ。
「ああ、助かった。この雨で泊まれなかったらどうしようと思っていたの」
「大丈夫ですよ。この駅に来る人は少ないから」
そして声を潜めて言う。
「ここのタクシーの運転手は、変な人ばかりなんです。養成所へは誰も行きたがらない」
「そんなことはないと思いますよ」
笑顔で答える従業員。
*
そのホテルには小さな共同温泉があった。
「やはり、誰もいないわ」
そう思って湯殿に入ったすいの視線の奥に、一人の女性がいた。濡れた髪を結わず垂らしたまま、視線が合っても笑わない。
「お仕事ですか?」と声をかけると、女性は湯気の中で消えるような声を残した。
「ええ……ここには誰も来ないのよ」
佐藤が体を洗っている間に、女性の姿は消えていた。
湯殿の湯気が濃くなり、佐藤は桶に湯を汲んで髪を洗い始めた。
指の間に泡が広がり、耳の奥まで水音が響く。
そのとき――。
「……こ・ろ・し・てく……れ……」
かすれた声が、湯気の奥から忍び込むように届いた。
「えっ」
思わず振り向くが、そこには誰もいない。
さっきまで隣にいたはずの女性の姿は、影も形もなく消えていた。
湯気だけが揺れ、しずくが落ちる音が虚しく反響する。
佐藤の心臓が跳ねる。
声は確かに耳に届いたのに、湯殿には静寂しか残っていない。
「……幻聴? それとも……」
背筋に冷たいものが走り、すいは思わず髪を洗う手を止めた。
*
夜、眠れないまま佐藤は窓の方へ目をやった。
雨の幕の向こうに、確かに男の顔が浮かんでいた。
さっき覗いていたはずの、見知らぬ男の顔――。
慌てて電気をつけると、そこには雨しかない。
「錯覚にしては、はっきりしている……」
震える声で呟きながら、佐藤はおそるおそる窓に近づいた。
ガラスの外には誰もいない。
だが、窓の表面には奇妙な跡が残っていた。
まるで誰かが手で触れたような形。
そこだけ雨の雫がついていない。
佐藤は息を呑み、背筋が凍りついた。
「……本当に、誰かがいた?」
佐藤は息を呑み、足がすくんだ。電気をつけると、そこには雨しか見えない。
第二章:養成所の門
朝5時。森林の囁き、川の流れ、自然の音が心地よい福島県。
その調和を破るけたたましいサイレン。窓から佐藤は覗いた。パトカーだ。警察官が3人。
背中に戦慄が走り、佐藤は急いで着替えてフロントへ向かう。
すでに担架で、白い布にぐるぐる巻きにされた人が運び出されていた。
布の隙間から覗く顔に、佐藤は息を呑む。
「昨日の女性だ……叶和貴子。」
警察官が客たちに向かって声を張る。
「昨日、最後に彼女と会った方はいませんか?」
その声は怪談のように響き渡る。
一人の女性が小さく手を挙げる。
「あたしだと思います……」
警察官は頷き、佐藤に視線を移した。
「あなたも少し、お話を伺いたいのですが。」
佐藤は嫌とは言えなかった。すぐに終わると思っていた。
しかし、警察官の質問は淡々と続いた。
「彼女は昨夜、どんな様子でしたか?」
「……少し疲れているように見えました。」
「何か言葉を交わしましたか?」
「温泉のことを……それと、養成所に通っていた頃の話を少し。」
その名を聞いた瞬間、佐藤の胸に冷たいものが走る。
――温泉旅館女将養成所。自分がこれから向かう場所。
叶もかつてそこに通っていたのだ。
「詳しいことはまた後日伺います。今日はこれで結構です。」
警察官はそう告げ、佐藤を解放した。
佐藤は外気を吸い込みながら、心の奥でざわめきを抑えられなかった。
死者と自分を繋ぐ「養成所」という言葉が、怪奇の連鎖を暗示しているように思えた。
*
佐藤は仕方なく森の小道を歩いていた。
木々の影が揺れ、鳥の声と川のせせらぎが混じり合う。
そのとき――耳元で低く、途切れ途切れの声がした。
「こ・ろ・し・て・く……れ」
佐藤は立ち止まり、血の気が引いた。
はじめは錯覚だと思った。風の音がそう聞こえただけだ、と。
しかし背筋を走る寒気に耐えきれず、大声を張り上げた。
「誰だ!」
返事はない。
ただ鳥の鳴き声と、森林の囁きが重なり合い、森全体が嘲笑しているように響いた。
佐藤は歩を進めながらも、背後に何者かが潜んでいる錯覚から逃れられなかった。
「……本当に、ここでいいのか」
養成所へ向かうはずの道が、まるで異界へ続いているように思えた。
*
山林を抜けると、突然視界が開けた。鬱蒼とした木々の間に、黒塗りの瓦屋根と白壁の大きな屋敷がそびえ立っている。まるで森そのものが旅館を抱え込んでいるようだった。
玄関から現れたのは主任教官・吉田律子。肩までの茶色い髪、痩せた長身。表情はなく、ただ口だけが動いている。舌だけが生き物のように蠢いているのが妙に不気味だった。
「遅かったじゃない」
「すみません」
佐藤は言い訳を飲み込み、頭を下げた。
案内された部屋には、加藤たむえが待っていた。
「こちらが今日から同室になる佐藤あかりさん」
互いに軽く会釈を交わす。重い荷物を置いた瞬間、佐藤は奇妙な安堵と緊張を同時に覚えた。ここから始まる共同生活が、ただの修行ではないことを直感していた。
*
その夜。
合宿部屋の布団に並んで横になると、加藤たむえが小さな声で話しかけてきた。
「明日から授業ね。英語なんて久しぶりだから、ちょっと緊張するわ」
「私も。外国人の先生って、どんな感じなんだろう」
佐藤は笑いながら答えたが、心の奥では妙なざわめきが広がっていた。
部屋の灯りはすでに落とされ、障子の向こうからは森の虫の声が絶え間なく響いている。
たむえの声は安心感を与えるはずなのに、佐藤はなぜか眠りに落ちることができなかった。
誰かが部屋の外で立ち止まり、じっとこちらを見ているような気がする。
布団の中で身じろぎすると、畳の軋む音が自分のものではないように聞こえた。
「どうしたの?」
たむえが気づいて問いかける。
「……なんでもない。ちょっと、眠れなくて」
佐藤は笑ってごまかしたが、胸の奥に冷たいものが広がっていく。
理由のない恐怖が、闇の中で形を持ち始めていた。
*
翌朝から始まった語学授業。講師はアメリカ人のフランク・カイザー。流暢な日本語で冗談を交えながら英語を教えるが、佐藤はどうしても集中できない。背後から視線を浴びているような感覚が絶えず付きまとっていた。
昼食を終え、午後は料理や配膳、布団敷きの演習。慌ただしい一日の終わり、食堂で食器を片付けようと立ち上がった瞬間、佐藤の視界が暗転した。
目を覚ますと医務室。白い壁と薬の匂い。
「あなたは貧血の可能性がありますね」
無機質な声とともに、錠剤が手渡される。
第三章:事故という名の死
夜。
布団に横たわった佐藤は、どうしても眠れずにいた。隣の加藤に声をかける。
「ねえ……あなたの前に一緒に暮らしていた、叶和貴子さんって、どんな人だったの?」
加藤はしばらく黙り込んだ後、低い声で答えた。
「ほとんど話さない人だったわ。いつの間にか退学してしまって……。」
佐藤が呟く。
「それから、なぜか駅前のビジネスホテルに泊まってい。あたしに会ったその日に……自殺した……」
佐藤の胸に冷たいものが広がる。
「なんか、この駅に来てから、不思議なことばかり……」
言葉にした途端、部屋の空気が重く沈んだ。未来への不安が、暗闇の中で形を持ち始める。
突如、窓の外で雷鳴が轟いた。稲光が障子を白く染め、続いて大雨が屋根を叩き始める。
「嫌な天気ね……早く寝ましょう」
加藤がそう言い、電気を消した。
闇の中、佐藤はようやく目を閉じた。だが次の瞬間――。
顔に冷たい衝撃。大量の水が降りかかり、佐藤は悲鳴をあげて飛び起きた。
「雨漏り……?」
だが、それはただの水ではなかった。鼻を突く腐臭。腐った木材か、あるいはもっと別のものが混じっているような、吐き気を催す匂い。
「たむえ、起きて! 早く!」
佐藤は加藤を揺り起こし、二人で慌てて吉田教官のもとへ駆け込んだ。
「雨漏りね」
吉田は無表情でそう言っただけだった。声には感情の欠片もなく、まるでこの異常な出来事が日常の一部であるかのように。
結局、佐藤と加藤は大広間で寝泊まりすることになった。だが、広間の天井を見上げるたびに、佐藤の耳にはまだあの腐った匂いがまとわりついていた。
それは、ただの雨ではなく、養成所そのものが何かを吐き出しているように思えた。
「これを一日三回、忘れずに」
佐藤は薬を見つめながら、ここでの生活がただの訓練ではなく、何か別の力に支配されているのではないかと感じ始めていた。
午後からの料理教室。
山菜を刻む音、海鮮を焼く匂いが教室に充満していた。講師の声は淡々としているが、包丁の刃がまな板を叩くたびに、佐藤の心臓も小さく跳ねる。
「……高橋恵子ちゃん、見当たらないわね。どこへ行ったのかしら」
誰かがぽつりと口にした。
佐藤は思わず顔を上げたが、周囲の学生の顔が誰なのか分からない。今回の参加者は二十名だというが、まだ名前と顔が一致しない。
加藤たむえが隣で囁いた。
「どうしたのかしら、高橋さん……」
その声は不安を含んでいたが、周囲は何事もなかったかのように料理を続けている。
料理が終わり、配膳の練習が続く。茶碗の位置、箸の角度、湯気の立ち方まで細かく指導される。佐藤は必死に手を動かすが、背後に冷たい視線を感じていた。
最後は布団敷きの演習。
広間に積み上げられた布団は、佐藤の身長をはるかに超えていた。幾重にも重ねられた布団の山が、まるで無言の壁のように立ちはだかる。三十分で全てを敷き終えるよう指示され、学生たちは機械のように動き始めた。
そのとき――。
佐藤の耳に、あの声が忍び込んできた。
「こ……ろ……し……て……く……れ……」
かすれた囁きが、布団の隙間から漏れてくる。
「えっ……」
佐藤は左右を見回した。誰も気づいていない。汗が背筋を伝う。残り一組の布団をめくった瞬間、視界が凍りついた。
そこに横たわっていたのは、女性の死体だった。
顔は蒼白に歪み、布団に押し潰されて窒息した痕跡が残っている。佐藤は悲鳴を上げることもできず、その場に倒れ込んだ。
――高橋恵子。
行方不明だった彼女が、無言のまま布団の下から現れたのだ。
騒然とする養成所。警察官が駆けつけ、事情聴取が始まった。だが、結論はあまりにも簡単だった。
「事故として処理します」
その言葉が響いた瞬間、佐藤の胸に冷たい恐怖が広がった。
ここでは、死さえも「訓練の一部」として飲み込まれてしまうのか――。
*
夜。佐藤は加藤に尋ねた。
「あなたの前に一緒に暮らしていた叶和貴子さんって、どんな人だったの?」
「ほとんど話さない人だったわ。いつの間にか退学して……駅前のビジネスホテルに泊まっていたみたい。佐藤さんに会ったその日に、自殺したの」
佐藤は胸に冷たいものを覚えた。
「この駅に来てから、不思議なことばかり……」
突如、雷鳴が轟き、大雨が屋根を叩いた。
「嫌な天気ね……早く寝ましょう」
電気を消す。
闇の中、佐藤はようやく目を閉じた。だが次の瞬間、顔に冷たい衝撃。大量の水が降りかかり、佐藤は悲鳴をあげて飛び起きた。腐臭を伴う雨漏りだった。
「たむえ、起きて!」
二人は慌てて吉田教官のもとへ駆け込んだ。
「雨漏りね」
吉田は無表情でそう言っただけだった。
*
翌朝、養成所に内装工事屋が呼ばれた。須田智大。屋根裏に上がった彼は、腐臭に顔をしかめ、懐中電灯を向けた。そこには女の死体が押し込められていた。
「ひ、人だ……!」
須田は慌てて吉田を呼んだ。
「屋根裏に……死体が……!」
吉田は無表情のまま屋根裏を覗いた。
「……どこにあるの?」
「ここです! さっきまで……」
しかし、そこには何もなかった。
「そんな、ばかな……確かに見たんです!」
須田は額から汗を流しながら叫んだ。
「作業を続けてください」
吉田は冷たく言い放った。
修理を終え、帰路についた須田。森の中で足音が追いかけてきた。振り返っても誰もいない。
「誰だ……!」
次の瞬間、背後から何かが襲いかかり、須田の叫びは森に吸い込まれた。
翌日、警察は「熊に襲われた」と発表した。だが現場には熊の痕跡はなく、ただ血の跡だけが残っていた。
このことは警察官が養成所に事情徴収に来たときに話してくれた。
佐藤は震えながら思った。
――この養成所では、なんでも、「事故」として処理される。
恐怖は、日常の中に溶け込み、誰も逃げられないものになっていた。
第四章:真実の部屋
夜。
一時は大広間に移されていた佐藤と加藤だったが、雨漏りが収まり、再び元の部屋に戻ることになった。
布団に並んで横になると、加藤がふと思い出したように話し始めた。
「ねえ、叶さんから聞いたことがあるの。ちょっと面白い話」
「面白い話?」
佐藤は半ば眠気に任せて聞き流していた。
「三階にね、たくさん部屋が並んでいるんだけど……奥の部屋だけは特別なんだって。そこに行けば“真実”があるって」
「真実?」
「叶さんはそう言ってた。結局、自分では確かめなかったみたいだけど」
加藤の声は淡々としていたが、佐藤の胸には冷たいものが広がった。
自殺した叶が残した“面白い話”。それはただの噂ではなく、何かを告げる警告のように思えた。
佐藤は何気なく聞いていた。だが、その言葉は夜の闇に沈み込み、翌日の悲劇への予兆となっていた。
*
翌日。温泉の掃除が始まった。
研修生たちは冷静に床を磨き、桶を洗い、湯殿を整えている。だが佐藤は、デッキブラシを握る手に力が入らず、立ち上がるたびに壁に捕まらなければならなかった。体が、日に日に弱っていくのを自覚していた。
浴室に一人残った加藤。
「夕食までに片付けておくわ」
そう言って笑った彼女の姿が、佐藤の目に焼き付いていた。
しかし、夕食の時間になっても加藤は戻らなかった。
皆で探したが見つからない。佐藤の耳に、あの声が忍び込んできた。
――「こ・ろ・し・て・く……れ」
佐藤は震えながら温泉へ向かった。効能別に分けられた湯殿のひとつ。
扉を開けた瞬間、湿った熱気とともに異様な光景が広がった。
湯面に浮かぶ加藤。
仰向けに大の字になり、目は虚ろに開いたまま。口からは泡がこぼれ、湯の中で髪がゆらゆらと揺れている。
その姿は、まるで誰かに押さえつけられたかのように不自然で、湯殿の静けさと対照的に恐ろしいものだった。
佐藤は声を失い、ただその場に立ち尽くした。
――また一人、死んだ。
事故として処理されるのだろう。だが、佐藤にはもう「偶然」には思えなかった。
その夜。
佐藤は医務室で渡された薬をすべて捨てた。錠剤の白い粒が床に散らばり、彼女はこっそり買っておいたビールを開けた。苦い液体が喉を焼き、心臓を叩くように鼓動が早まる。
「……行くしかない」
佐藤は決意した。
怪談を登り、三階へ。
無数の部屋を無視し、奥へ奥へと進む。
叶が語った「真実のある場所」。
その扉の前に立った佐藤は、震える手でノブを握った。
*
外は激しい雷雨。
佐藤が部屋の扉を開けると、誰もいない。
カーテン越しにベッドの影が見えるが、人の気配はない。
そのとき、声が響いた。
「来たね、佐藤あかり。あたしはお前が欲しくて仕方がなかった。そこらの女ならせいぜい五年生きられる程度……だが、お前のような美貌の若い娘の肝なら、二十年は生きられる」
雷が閃き、少し遅れて轟音が部屋を揺らす。
その瞬間、佐藤の目に映ったのは――ベッドの上で上半身を起こす女。
髪の毛一本一本が百足となり蠢き、顔は魔女そのものだった。
「あなたは誰?」
「……エリザベートといわれている」
突如、バタンと大きな音。
ドアが開き、加藤たむえが血まみれの姿で現れた。
目は見開き、手には小型チェーンソー。歯には血がこびりついている。
佐藤自身もパジャマ姿のまま血に染まっていた。
一歩一歩、加藤が近づいてくる。
雷が光るたびに、エリザベートの姿が浮かび上がる。
そのとき、テーブルの上にナタが見えた。
加藤が目前に迫った瞬間、佐藤は雷光に合わせてナタを振り下ろした。
エリザベートの首に直撃。
異様な叫びが響き、部屋は炎に包まれた。
加藤は前のめりに倒れ、やがて消えていく。
エリザベートは首を両手で押さえ、苦しみながら髪の百足をバタバタと散らせた。
佐藤は燃え盛る部屋から逃げ出す。
廊下の部屋という部屋はすべて炎に覆われ、階段を駆け降りる。
大広間では、吉田律子教官とフランク・カイザーが首を押さえながら苦しんでいた。
突如、爆発音が何度も響き渡る。
外へ飛び出すと、大雨が全身を打ちつけた。
炎は養成所全体を包み、やがて上から下へと徐々に消えていく。
そのとき佐藤は悟った。
――人間だったのは、加藤たむえ、高橋恵子、叶和貴子、内装工事の職員、そして自分だけ。
養成所も、職員も、すべてはエリザベートの幻想だったのだ。
(完)
これまで私は「霊障事件解決人・伊田裕美」「新社獣ハンター」「刑事一ノ瀬ちづるの事件簿」といったシリーズを書いてきました。今回はそれらとは趣を変え、短編のホラーに挑戦しました。普段とは違う筆致で恐怖を描く試みでしたが、読者の皆さんにはどのように映ったでしょうか。作品の出来栄えはともかく、新しい挑戦として楽しんでいただけたなら幸いです。次回はまた別の形で物語をお届けしますので、どうぞご期待ください。




