第4話 お引越し
ディアナが決断すると、事は驚くスピードで動き始めた。
「私の10年は何だったのかしら?」
「無駄とは言わないが、仕事はしすぎだったと思うよ」
ディアナが首を傾げると、正面に座っているサミエルが言った。
「そうですよ。お嬢さまは働きすぎです」
隣に座ったマリーもウンウンと頷きながら訴える。
ディアナは、その日のうちに馬車へ乗り、カナン男爵家へと向かっていた。
サミエルがニコニコしながら言う。
「荷物を載せた馬車は、キチンと後から来るから安心していて」
「ええ……ありがとう」
ディアナは戸惑って曖昧な笑みを浮かべた。
ついさっきまで地味な色の作業用ドレスの上にエプロンをつけて魔法薬を作っていたのに、今はよそ行きのドレスを着て馬車に乗っている。
「遅めの昼食を僕の家で摂ろう。君が来ることは両親に伝えてあるから、美味しい物を用意して待ってると思うよ」
サミエルは楽しそうに笑っている。
「それはありがたいけれど……ご迷惑では?」
「君は両親のお気に入りだよ。迷惑なんてことはない」
ディアナの横でマリーはうふふと笑っている。
「レーアン子爵さまが、お嬢さまの結婚に先立ち用意していた書類も、ミーティア伯爵家の執事に渡しておきましたし。レーアン子爵家への連絡も済ませておきました」
「ありがとう、マリー」
ディアナが動かなくても周りは準備万端整えていて、物事は勝手に転がっていく。
「僕の方からも、君の兄上へ連絡を入れておいたよ。安心してね」
「手際がいいわね、サミエルは」
「ふふふ。商売人だからね」
地味な茶色のスーツを着て穏やかに微笑む男は、やり手の商売人でもある。
カナン男爵家は昔から商売で成功していて裕福だ。
サミエル自身の商才もあり、豊かな財力を誇る男爵家は屋敷も大きく、警備もしっかりしている。
「君のために別館を整えさせているから、荷物を持ち込み次第、作業の続きができるよ」
「まぁ! 仕事のしすぎと言いつつ、私をしっかり働かせるつもりね?」
ディアナがおどけて言うと、サミエルはふふふと笑った。
「だって君は、魔法薬を研究するのも、開発するのも、作るのも大好きだろう?」
「まぁ……そうね」
サミエルの言葉に、ディアナは頷いた。
「イーサンというストレスがなくなれば、魔法薬作りは楽しくできるはずだよ」
「そうかもしれないわね」
「売るのは僕がしてあげるから、いくらでも作ってくれていいよ」
「ふふふ。サミエルってば、ちゃっかりしているんだから」
ディアナが声を立てて笑うと、サミエルは一瞬息を呑み、目元を赤く染める。
そして安堵したように、穏やかな笑みを浮かべた。
マリーはそれを見て、うふふと笑った。