第2話 ブラック労働?
「それがいいですわ、お嬢さま。もともと白い結婚なのですから、全く問題ありません。離婚なさいませ。離婚をして、綺麗さっぱり存在ごと忘れてしまいましょうよ、あんな男」
メイドのマリーもサミエルの提案に賛同する。
「そもそもお嬢さまは、魔法薬作りの天才なのです。しかも商才もおありになるのですよ。充分に1人でもやっていけるではありませんか」
マリーの言う通りである。
ディアナ・レーアン子爵令嬢といえば、学園でも名高い魔法薬作りの天才だったのである。
魔法薬作りの天才という点では、現在も現役だ。
そして嫁いだ後もやってることは変わらない。
24歳の時に、イーサンはミーティア伯爵令息からミーティア伯爵へと肩書を変えた。
ディアナもミーティア伯爵夫人へと肩書を変えたが、やっていることの中身は変わらない。
魔法薬の研究開発と作成。そして販売。
それがディアナの仕事だ。
「白い結婚をして、魔法薬を作らせる。妻というよりも、安く使える使用人を手に入れたようなものじゃないか。そんなもの結婚なんて言えないね」
サミエルは、顔をしかめて言った。
「そうですよ。ブラック労働もいいところですわ。お嬢さまは優秀な上に、美しいのですよ? 幸せになって当然です。なのに、あの男ときたら……」
苦々しく言うマリーに、ディアナは頷いた。
「そうね……」
イーサンの浮気癖は今に始まったものではないし、ディアナとは白い結婚だ。
悲しいが、今さらである。
(でも離婚となると色々と面倒だし。10年は短い期間でもないから、愛着はあるのよね)
しかしマリーの言うことももっともなのである。
嫌になったら伯爵家を出ていくだけだ。
全てはディアナ次第。
「契約上も問題はないはずだろう?」
「そうですよ、お嬢さま。白い結婚のままだった場合、お嬢さまが嫌になったら何時でも解消していい、という契約だったはずです」
「まぁ……そうだけど」
サミエルの言うことも、マリーの言うことも、もっともなことだとディアナは思う。
さっさとこの家を出ていけば、全ては終わる。
グズグズしているのはディアナっぽくない。
だがグズグズして我慢していれば、平和に今日が終わるという気持ちもある。
「変化が嫌なのかも?」
「変化は既に起きているのではないですか、お嬢さま?」
「どういう意味?」
ディアナは首を傾げてメイドを見た。
「お仕事大好きなお嬢さまが魔法薬を作りながら、『なぜ私は、必死に魔法薬を作っているのかしら?』などと呟くなんて。我慢のしすぎです」
マリーはプンプンしながら言った。
「あら、気付かなかったわ」
ディアナは全く覚えていなかった。
サミエルが気づかわしげな表情を浮かべて真剣に言う。
「それはいけないよ。心を壊してしまう前に、この家を出るべきだよディアナ」
「まぁ、確かに? 魔法薬を必死に作って、私ってば何しているのかしら?」
ディアナは首を傾げながら、手元にある小瓶を目の高さに持ちあげた。
窓から入る日差しを浴びて瓶はキラキラと光り、中に入っているピンク色の液体を魅惑的に見せている。
ディアナの前にある作業台の上には、様々なものが並んでいた。
数々の道具類に薬草、薬剤、鍋やそれを温めるための蝋燭。
複数の大きさの違う器の中には、透明や青、濃淡の違うピンク色などの液体が入っている。
「取引先の要望で、作り慣れない化粧品に手を出したけど。これを使った奥さまのシワは伸びるかもしれないけど、私のシワは増えるわね」
頭痛がするほどの濃縮された香りのなかで、作業している自分は何なのか。
ディアナは美しく整った眉をしかめた。
サミエルが言う。
「それを依頼した僕としては、この魔法薬は作って欲しいけど。それはココでなくても作れるよね?」
「そうね。ココでなくても作れるわ」
ディアナは室内を見回した。
それなりに長い時間をかけて整えた作業部屋ではあるが、他の場所でも魔法薬を作ることはできる。
「屋敷に作業場所も提供するよ。マリーと一緒に引っ越してきたらいい」
「そうねぇ……」
サミエルの誘いに、ディアナは考えた。
魔法薬のレシピは出来ている。
製品作りそのものは、別の作業所へ委託してもよいくらいだ。
仕事の上でも支障はない。
「今日にでも来るかい? 僕は構わないよ」
「でも商売相手である貴方に、そこまで甘えるわけには……」
サミエルに優しく言われ、マリーもコクコクと頷いているが、ディアナは溜息をついて首を横に振った。
だがサミエルは諦めない。
「同級生でもあるし、僕の両親も君を歓迎すると思うよ?」
「それはそうかもしれないけれど……」
「実家のほうが気楽だろうけれど、君の実家は遠いからね。君の兄上にも君のことを頼まれているから遠慮はいらないよ」
ディアナは室内を見回しながら、でもだって、を繰り返していた。