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お前を愛する暇などないと言われたので、本当に暇がないか、ついでに見ていることにしました

作者: 園日暮


           ドトール王国歴174年


 地方領主の娘であったナタリーは、近隣の領地を継いだばかりの若き領主の元に嫁いだ。

 家格も年齢も釣り合った婚姻。

 それはこの国で何百となく繰り返されてきた婚姻の一つに過ぎなかった。


 そのナタリーは初夜の寝室にて、夫となった男に言われた。

 「お前を愛することはない。そんな暇はない」と。


 「暇ぐらいありません?」


 思わず純粋な疑問が形を取り、ナタリーの口からついて出てきた。





 顔合わせから結婚式までの夫の態度から「お前を愛することはない」ぐらいは言われるかと思っていたけど、「暇がない」と言われるとは思っていなかった。


 「他に真実の愛の相手がいるだの、女になど触りたくもない汚らわしいだの、では暇がないとはならないでしょうし」


 最初は私の発言にうろたえた様子を見せた夫であったが、すぐに表情から動揺を消し、今は胡乱気なまなざしで私を見ている。


 趣味に没頭したい。それ以外に費やす暇はない、とかでしょうか。

 でも、事前情報ではそんな話はなかったはずですし……。


 「ああ、愛するってロマンス的な意味合いでしょうか」


 ふと思いついた考えを口にした私の言いように、夫は再びちょっとたじろぎを見せる。


 ちょっと耐性ないのでは?


 でもまあ、そんなことより……、


 「それはいいとして、契約の方はきちんと果たしてくださいね。婚姻の際に結んだ契約。私、契約にはちょっとうるさいですからね。暇がないから契約は守らないとかだと承知しませんよ」


 ナタリーがこの夫の家に嫁いだのは実家の領地の経営が、天災災害人災、その他もろもろでにっちもさっちもいかなくなったからである。実家とその領地は、援助と引き換えに実質夫の傘下に下る。

 これはその契約の元の政略結婚。



 『お前らなんかのために私が犠牲になってたまるか』


 そんな風に思って、婚姻を拒否していたナタリーは過去の人。

 今のナタリーは契約さえ守られるなら、従順に妻の役を務めるつもりだ。



 なので契約だけはちゃんと確認しないと。


 契約は大事。


 ()()()()()()

 契約と罰、それは私の存在意義にさえ関わる重大事項。



 「契約がきちんと為されないなら、義両親ごりょうしんに、旦那様の地位を狙っている義弟に、親戚筋の方に、主家筋の方に、上司に……手ごたえのある人に当たるまで、手当たり次第に訴えて出ますからね」


 「……フン。ずいぶん事前に調べさせた話とは違う人間のようだな」

 「どんなお話かは知りませんが、その事前・・の令嬢ナタリーのままなら、今頃家出でもしてここには嫁いでなど来ていないでしょうね。

 私がここにいるという時点で、以前の私とは違う存在に変わったという証ですわ」


 夫は吟味するように私を見つめるが、まあいいというように首を振り、気を切り替えている。


 そんなことより、いったい何でそんなに暇がないのか。それを確認しておかないと。

 私の大事な契約に反する可能性がないかどうか、そこが気になる。


 「いいだろう。とくと聞くがいい」


 聞き出すことに労力はいらず、夫は語りたがりたそうに語ってくれた。

 「私の名を地の果てまで轟かすのだ」






 いろいろと展望を語っていたが、要約すると、出世がしたくて、そのために忙しいから暇じゃないそうだ。


 う~ん、よくあると言えばよくある野望。でも夫が語っている姿を見るとなんだか馬鹿っぽいように感じてしまいますね。

 やはり、暇ぐらいはありそうな気もするけど、まあ、その話はよしておきましょう。


 その夫の語る『出世』の規模は、人が聞けば誇大妄想だと思うこと間違いなしの代物だった。


 だからと言ってどうということでもないけど。

 契約さえ守ってもらえるなら、夫がいくら誇大妄想だと思われようが別に問題はないのだから。


 それしても、だとすると、


 「では、我が家の領地を手に入れたのは、あのダンジョン目当てということですか」


 「! 知っていたのか? …………いや、領主の一族だからな。別に知っていてもおかしくはないか」



 我が家の領地にはまだ誰も存在を知らないダンジョンがある。

 そこには貴重なエネルギー資源やチート級アイテム、加護が授かれる秘跡、能力成長領域など、より取り見取りの秘宝が眠っている。

 我が家にはそれらを持ち帰れるような人材はいないので無用の長物でしかないけれど、夫には自信があるのだろうか。


 それらの力を手にして、誇大妄想レベルの出世街道を歩むつもりなのだろうか。


 まあ、それもどちらでもいいのだけど。

 契約さえ守られれば。


 時間だけは十分にありそうだし、ゆっくりと夫のやることを見ていることにしましょう。

 私は熱く夢を語る夫を眺めながら初夜の晩をすごした。


 ついでに、本当に暇がないのかもじっくりと検証しておくことにしましょう。









           新王国歴 14年


 「よいしょっと」

 私は杖を片手に不自由な足を引きずりながら立ち上がる。

 傍には多数の侍女たちが控えているが、手を貸すものは一人もいない。

 決して。

 この後宮には。


 なにしろ、この足は外ならぬ、私を介助する侍女の一人に刺された結果なのだから。




 結婚後、ダンジョンで力を手に入れた夫は、着実に王国での地歩を固めていった。

 地方ではそれなりの勢力を持つ一領主になったばかりの身から、生産力を高め、同士を集め、軍事力を増やし、文化水準を発展させ、産業を革命させた。

 

 ダンジョンで手にしたものはともかく、どうしてそんな知識があるのかと、私が不思議に思うようなものもあった。


 質問する暇ぐらいはあった。してみた。


 夫曰く、前世の知識があるそうだ。


 「ほへ~」


 思わず変な声を出してしまった。

 そんな私を鼻で笑い、


 「まあ、お前のレベルでは理解できまいな。お前のレベルではな」

 と言い残し、忙しいと夫婦の寝室から立ち去って行った。



 私はそれを見ていた。

 暇があるかどうも見ていた。





 さらにその後も、近隣のもめ事を引き受け、解決・討伐。時には強引に引き寄せたうえで、吸収合併し、同盟を組んだりもしていた。

 やがて地方にて厳然とした一勢力を築き上げることに成功する。

 国から危険視されるようになり、謀略から武力まで、さまざまな工作が押し寄せる。

 それらの限界点を見極め、綱渡りのように勢力を増していき、ついに蜂起の時が来た。


 国に対し起こした反乱は燎原の火のように燃え広がり、群雄割拠の戦乱となった。

 夫は忙しく戦場を駆け抜け、他国からの介入も入り、国中で麻のように乱れた戦況が続く。



 「もうダンジョンの秘宝とか、前世の知識とかでどうにかなる状況でもないと思うのですけど」

 夫婦の寝室のベッドシーツを整えている暇に聞いてみた。

 夫は夫婦に関係がないのを周りにばれたくないと言うので、寝室にはできるだけ使用人を近寄らせないようにしている。

 表向きは夫婦の間に他人を入れたくないという主張で。


 なので、寝室のベッドは私自ら整えている。

 

 「やはり、天才、か」


 どうやら自分が天才だからどうにかなっている、と言いたいようだ。


 「現実が妄想に追いついてくると、馬鹿にできないのが残念ですね」


 「フ、そうか…………馬鹿にしていたのか?」






 一時は千々に乱れた国内もついに統一された。

 革命の日だ。

 夫は王座に就いた。


 同時に私は王妃になった。



 王妃になって2年。

 昔からの侍女が私を裏切り、私は右足に傷を負った。

 王妃の座を狙う者の仕業だった。


 かつての田舎暮らしでは見たことのないような金を積まれ、感覚が振り切れた結果の裏切りだった。

 実行者から首謀者まで、関係者たちはすべて捕らえられ、極刑に処された。



 私は、その時の後遺症で足が不自由になった。

 そのため王室の行事や臣下との交流の場にもなかなか出席できない

 




 ―――――――ということにしてある。




 実際の所、足の傷はとっくに治してある。


 のだけれど、治らないままのふりをした方が都合がいいので、完治していないということにしてある。

 そんなわけで表に出ることも少なく、私は王宮でスローライフを過ごしている。


 もちろんそれだけでなく、契約が守られているか、夫は暇なのか。その二つを厳重に監督している。

 それは、私にはとても大事なことだから。



 契約はきちんと守られており、王妃の出身地特典として、かつて実家だった領地は税が免除されている。

 それでようやく他の土地と遜色ない程度の繁栄度といったところなのだから不甲斐ない話ねえ。


 もしかして、あのダンジョンのせいなのかしら。

 ダンジョンに力を集めるために周辺の土地から活力を吸い取っているとか……、そうそう契約と言えば、



 「離婚はしないのですか? もう政略的には意味のない結婚ですよね」

 暇を見つけて夫に聞いてみた。


 夫はとっくにこの国の王になっているのだ。

 今更実家の土地目当ての婚姻関係を続けるメリットはない。

 なぜ私と結婚したままにしているのか。

 急に離婚しろと言われても困るので理由を知っておきたい。それなら前兆を察してあらかじめ対処することもできるでしょうから。


 「ふん。ではお前と離婚したとして、どんなメリットがあると言うのだ?」

 「他国から王族を娶ることができるようになる、とかでしょうか?」

 「それは視野の低いものの考えにすぎんな。余はそのような意識低い凡俗とは一線を画した思考の元行動しているのだ」


 はあ……どゆこと?


 「他国との連帯を深めるなど、守りの思考。この国一つを守り抜くことを目的とした低レベルな目標だ。余の野望はそんな次元にはとどまらない。他国などどうせ全部攻め滅ぼすのだから、他国との連帯を深めた所で意味などないのだ」


 言い切ったよ、この旦那。

 いずれ攻め滅ぼすとしても、いったん同盟をメリットはあるでしょ。

 でも、この調子で国王にまで成り上がったので反論を受け付けない空気ができている。


 私も当たり障りのないコメントしかできない。


 「それはまた、暴君ですね~」

 「すべての大地は余の足元にひれ伏すために存在しているのだ。踏みにじられて本望だろう。我が名が世界に轟き渡る日も遠くはない」


 これって、ワンマン経営者が落とし穴に落ちる時のやつではないかしら。

 とりあえず私と離婚する気はないようね。


 そんな暇はない、のでしょう。






            神聖統一歴 46年


 その後、何度か落とし穴に落ちるも、その度に不死鳥のように蘇って、ついに夫は大陸制覇を成し遂げた。


 今は、天の彼方まで届かんと、バベルの塔を建設している。

 すでに雲の上まで届いているけど、アレ、そのうち倒れてきたりしないでしょうね。恐ろしい話ね。


 世界宮と名付けられた宮殿を散歩しながら、私は星都の北端で建設中の塔の先を見上げる。

 足が治っているのを隠すのはもう止めている。


 大陸制覇後、献上された神仙酒(エリクサー)とかいう飲み物で夫は不老不死になった。

 私もそれを飲んだので、怪我をしたままというわけにはいかなかったのだ。


 神仙酒(エリクサー)の効果により肌のしわも白髪もすっかりなくなって、夫はまだ国王になる前の若きの日の姿になっている。

 私の姿もそれに合わせて若返った姿へと変化、という身の上。



 盤石かつ完全なる支配体制が築かれ、王妃の命を狙う者でもあろうものなら、殺意を察知した瞬間に抹殺される警護システムが敷設されているので、一人で気ままに宮殿内を出歩いても安全。


 もし、傷を負ったところで神仙酒(エリクサー)を飲んだものにはたちまちの内に傷が治る効果もあるし、私が傷を負った姿のままでいることはない。


 ならそもそも厳重な警護など必要ない気がしないでもないけれど、それはまあいいでしょう。

 私は契約さえ守られているならそれでいいのだから。



 こうなってもまだ離婚はしないのだろうか。

 もうこうなってはハーレムでも、女性に興味がないのなら男ハーレムでも、性に興味がないのなら配偶者自体をなくしても。

 もはや誰もおもんばかることのない絶対権力を手に入れたというのに。



 そんなわけで若々しい肉体でも愛することのない夫婦の寝室で聞いてみた。



 「……今となっては語ってしまってもよいだろう。実は朕の前世はリィーフィーシードラゴンなのだ」


 リィーフィーシーーーーー何?

 ドラゴンなの? そんなドラゴンいた?


 「その記憶がある朕にとってヒト族の生殖は、おぞましい感覚を呼び起こす代物にすぎないのだ」


 どんな生殖の生き物なのでしょう。そのリー……なんとかドラゴンとは。


 「故に人としての生殖などやりたくないのだ。いまさら妃に関すること変えても面倒ごとしかないなら、今のままでよかろう。


 ……それともお前は離婚したいのか」


 「いえ、そんなことはありませんよ。傍で陛下を見ていたいです」

 そのためには、

 「陛下の妻がいいですね」

 都合がね。


 「そうか……。それに、そんな暇もないのだ」

 「暇、ですか。これ以上何をしようというのですか」

 「地上は朕の手中に収まり、朕の名を知らぬ人間は地上からいなくなった」

 「まさしく地の果てまで名が轟いていますねえ」

 「フ、覚えていたか。……が、それも地上での話にすぎない」

 「と、言いますと」

 「この地上を睥睨し見下す、天界の神々にしてみれば、朕もまた眼下をうごめく有象無象にすぎない。朕は神々を打ち倒し、天をも手中に収める」


 天界に攻め入り神々を下し、天上までその名を轟かす。

 あの天まで届くバベルの塔を建てているのもその一環だそうだ。


 ……う~~ん。ここはちょっと一言言っておきましょうか。

 そんな気になった自分に少し驚きつつ、私は夫に告げる。


 「なるほど、神々ぐらいならアナタにもどうにかできるかもしれませんねえ。……ですけど、いずれはアナタにはどうにもできない壁にぶつかるでしょう。いったい、アナタはいつまで上を目指すおつもりですか」


 「ハハハ! 神々ぐらい、とは。お前も言うようになったな、ナタリー。朕の妻の地位に付いているだけはある」

 「それはどうも」


 夫は機嫌よく笑い、グラスに注いだ酒を一気に飲み干した。

 これはここ十年ぐらいの夫のマイブーム。


 神仙酒(エリクサー)を飲んでいる夫には一切の毒が効かない。

 そこで献上されたお酒を、一切検査や毒見をせずに持ってきて一気に煽るというお遊びをやっている。


 間違って他の者が飲んでも困るので、夫と同じく神仙酒(エリクサー)を飲んでいる私といる時しかやらない行為。


 「()()は常に上を目指すのだ。地上のみならず、天上まで()()の名を知らぬ者などいなくなるまでだ。どこまでも……行けるとこまでな」


 そうなのね。それがアナタ。

 また一つ夫への理解が進む。


 契約も守られている。



 私は満足だ。







            頂天上歴 1848年


 私は今、天上界の神殿にいる。



 神々との長き戦いの果てに、夫は神の権能の入れ替えという手段を手にした。それにより夫は神の王の力を自分のものにすることに成功した。

 そしていまや、神に成り代わり天界の支配者となっている。


 私も神々の女王とかいう神の権能を手に入れ、神々の女王になっている。


 権能の名を豊穣神の権能という。

 この権能をもって故郷の不毛の大地を実り豊かな大地に変え、荒れ狂う河川を氾濫させる天候を穏やかなものへと変えた。


 神の力でようやくまともな土地になるなんて……実家は呪われた土地か何かだったのだろうか。



 神の王となり、これで上り詰めたかというと、そうではない。


 「この世界には神をも上回る上位存在が存在している。次はそいつだ」


 堂々と宣言する夫に、私はいつかこんな日が来るだろうと思っていた。

 これまで早かったような長かったような。


 夫は高らかに笑い、どこまでも上を目指す。この世界のすべてに名を轟かせんと。


 「そうなりますわね……ええ……そうでしょうね。アナタならそうだろうと思っていました。……それでは、いってらっしゃいませ」



 夫に最後の挨拶を終えた私は神殿にて一人、物思う。


 はたして『暇』はなかったのだろうか。


 「そうねえ…………それは………」









 そして、私の前に、絶対なる上位存在が姿を現す。


 それは夫は上位存在に敗れたということ。

 私はそれを知っていた。

 ずっと昔から。


 ようやくこの時が来た。

 私に下された使命を果たす時。


 「これより使命を果たします。お母さま(マスター)


 私は私を生み出した上位存在たるお母さま(マスター)の前に跪いた。







 私の前に姿を現した上位存在たるお母さま(マスター)は、特にこれといって特別な外見はされていない。


 これといって特別でない村娘のような服装。

 これといって特別でない程度に伸ばし、これといって特別でない程度に手入れのされていない髪。

 これといって特別でない顔立ち。


 上位存在だからといって全身からオーラを放って光っていたり、一目で人外と分かる姿をされていたりはしない。


 愚かな私はそんなことを疑問に思い尋ねたりもした。

 帰ってきた答えは、意味などないから。


 特殊な外見であったり、特殊な喋り方をするのは、相手にそう思ってほしいから――必要だからそうしている。

 相手に威厳があると思ってほしいなら、威厳のある外見を心掛け、相手が威厳を覚えるような口調でしゃべる。


 だが、お母さま(マスター)にそんな必要はない。


 「あたしが威厳があると思われたいなら、そう思った時点でこの世界の生き物がそれ以外の考えを抱くことは物理的に不可能なわけだし。わざわざ威厳を抱いてもらえるような恰好や口調など必要ないってわけ。わざわざ必要のない威厳をまとう理由なんてないでしょ」


 お母さま(マスター)はくだけた口調でそうおっしゃられた。

 物理的に不可能というのはどういうことなのだろうか。

 よく分からなかったが、きっと私には理解できないことなのだろう。




 我はドッペルゲンガーというモンスターだ。

 他人の姿をコピーし、同じ姿に化けられる。

 上位種になれば、姿だけでなく、化けた相手の能力や記憶までコピーできる。


 我はこの世界の創造主にして絶対者であるお母さま(マスター)手ずから創られた。ただのドッペルゲンガーではない。

 いわば、ゴッド・ドッペルゲンガーとでも言うべき存在だ。


 お母さま(マスター)は私を創り、おっしゃった。


 「あたしに挑んだこの男にふさわしい、特別な罰を決めよー!」


 お母さま(マスター)の隣には、無謀にもお母さま(マスター)に挑んだという男の魂が残滓となってとどめ置かれていた。


 「はい、お母さま(マスター)望みのままに」

 この世界のすべてはお母さま(マスター)の望みのままにされるためにある。そのために生み出された世界だ。

 だが、お母さま(マスター)は、


 「それは駄目」


 それを否定した。



 「この男には特別な罰を与えま~す。だ・か・ら、いつも通りの普通の罰じゃダメなわけ」

 「特別、ですか」


 我はお母さま(マスター)のお手を煩わせたその男の残滓を見た。何の感慨も沸かない。

 なぜこの男に特別を与える理由があるのだろうか。

 その答えはすぐにお母さま(マスター)の口から発せられた。


 「ななな、なんと彼は―――あたしがこの世界を創ってから―――このあたしに挑んできた―――記念すべき77777人目になりま~す。よって、記念に特別な罰を与えることしたの」


 何が記念なのかよく分からないが、お母さま(マスター)がそう望むのであれば、それでいい。

 すべてはお母さま(マスター)の望むままに―――


 「だから、それじゃ、だめ、なの。……あなた『神はサイコロを振らない』って知ってる?」

 「いえ、申し訳ありませんが」


 我はまったく申し訳なそうなそぶりを見せずに謝罪する。

 そのデータは私の中にはインプットされていない。

 申し訳なさそうなそぶりができる人間をコピーすれば、すぐにできるようになるだろうが。


 「別にいいってことよ」


 お母さま(マスター)は寛容に私を許す。

 そもそもお母さま(マスター)が我をこのように創られたのだから、一種壮大なマッチポンプだと言えよう。


 やはり、お母さま(マスター)は何をなされても壮大なお方なのだ。



 「それでね」


 我が感慨にふけっていると、お母さま(マスター)はにんまりと口角を上げ告げられた。


 「あなたが私のサイコロになるの」




 お母さま(マスター)の力はあまりも強大であり万能である。


 お母さま(マスター)がちょっと雨がうざいなあ、と思えば、その瞬間から世界のすべてで雨が降ることはなくなり、雨ではなく炭酸でも降ってこないかと思えば、その瞬間から世界のすべてで炭酸が降ってくるようになる。


 お母さま(マスター)が罰を与えたいと思えば、お母さま(マスター)が何もしなくても自然に天罰が下る。


 でも、それでは駄目なのだとお母さま(マスター)は言う。

 自分の思ったような罰が下るか、全然思ったような罰ではない罰が下されるのか。

 結果の分からないサイコロの目のように、どんな罰が下るか分からない罰。

 それがお母さま(マスター)の下される特別な罰。


 そのために我は


 




           ドトール王国歴174年


 そして、時は戻り、今はナタリーの結婚直前。

 そこに我はいた。



 お母さま(マスター)は言った。

 「まず、あなたは過去の行って、この男に妻になるはずだった女――ナタリーと入れ替わるの」


 そして、妻として彼の傍で彼を見て、彼に下すにふさわしい罰を()が決める。

 それがお母さま(マスター)よりさずかった使命だった。


 「ただし、強制的に入れ替わっては駄目。あくまでナタリーと取引し、入れ替わる契約を結ぶように」


 契約。


 そうすることで我の使命である特別な罰の決定に役に立つ、とお母さま(マスター)は言う。



 だが、神はサイコロを振らない。


 その言葉の意味はお母さま(マスター)より聞かされた。

 神と定義するほどの存在であれば、すべての結果は予測できる。


 サイコロを振る者の振る力の強弱も、サイコロが当たり跳ね返る面の弾力も、出る目の結果も。

 神、にとっては既存の法則内で行われる計算できる現象にすぎないので、振る降る前から結果は分かっている。

 ランダムな結果になどならないので、振る降る意味がない。

 なのでサイコロを振らない。


 確かに万能なるお母さま(マスター)なら、これから我が下すことになる結論など、今の時点ですでに予測できているはずだ。

 では、これは意味のない行動なのだろうか。

 否。


 当然、お母さま(マスター)からの言いつけに否はない。


 ああ、そうか。


 その瞬間、我に天啓が下りてきた。

 お母さま(マスター)の望んだとおりに思わないなど物理的に不可能。

 それが今、頭ではなく心で理解できた。


 我に天啓をくれたお母さま(マスター)の忠実なるシモベである「天」に感謝する。


 我は存在しない心臓が跳ねるのを感じ、こころもち早くなった歩みを進め、ナタリーを探す。




 見つけた。



 ナタリーは不本意な男との婚姻を実家に決められていた。

 そして、ナタリーは男との結婚前に実家から逃げ出していた。


 彼女は家族も領民も嫌っていた。

 嫌いな者たちのために自分が犠牲になるなど考えられないナタリーは、迷いなく逃げの一手を選んだ。


 当然、実家からの追手がかかる。

 大した身体能力のない令嬢であるナタリーの足では逃げ切れるものではない。



 そして、ナタリーは追手に見つかる


 ――より前に、追手とはまったく関係のない腹をすかせた野犬たちに遭遇し、


 今、この場に屍をさらしていた。



 このまま我の能力でナタリーに変身してしまえば話は早いが、ナタリーに入れ替わるためには彼女と契約をせよとの命がある。


 我は犬さえ寄り付かなくなったナタリーだったもの前に立ち。その霊魂を呼び起こした。

 


 ゴーストとなったナタリーが我の眼前に現れる。

 初めは彼女が死の直前に味わった苦痛と絶望に捕らわれており、ひたすら意味の通じない叫び声をあげるだけだった。

 我はナタリーを正気に引き戻し、意思疎通できるようにする。


 そして、ゴーストナタリーと取引を始めた。



 彼女の過去 経歴 人間関係 戸籍 姿 声 感情 名前。

 すべてを彼女からいただき、お母さま(マスター)からの使命を果たすのに邪魔な部分をすべて削ぎ落す。

 その時、ドッペルナタリーが誕生する。


 それはほぼ別人といえる存在になるだろうが、それからは、あくまでそれがナタリーである。

 以前までのナタリーは消え、我の変化したナタリーが新たなナタリーになるのだから。



 我はそれを偽ることなく、すべて正直にナタリーに伝えた。


 取引なれば、嘘や駆け引きも駆使されてしかるべきであろうが、今回はそれらは行わない。

 入れ替わるだけならナタリーの許可などいらず強制的にコピーすればいいだけの話。

 それをあえて「契約」と指定された。

 ならば、嘘や駆け引きなど行わず正面から取引を行うべきであろう。

 それがお母さま(マスター)のお心にかなうはずだ。



 だが、ナタリーに入れ替わる目的は話すわけにはいかない。

 お母さま(マスター)に関する情報を漏らすなど、許されざる禁忌だ。



 それも正直に伝える。

 入れ替わる目的は話せない、と。



 その代わりナタリーには与える。

 彼女の望むものを。




 契約は成立した。 




 我の黒くひょろ長い手足は、白くふっくらとした肉付きに変化を遂げ。

 全身の黒の中、そこだけが白くつるりとした顔面部分が、勝ち気な性格を思わせる顔へと変貌する。

 服装も完全にナタリーと同じものが生み出される。


 そして、コピーしたナタリーの人格から要らない要素を削除して、()()ナタリーになった。




 それでは、ナタリーであった彼女にはちゃんと契約の報酬を与えないといけない。


 お母さま(マスター)より借りた力で、ナタリーが死ぬ前、家出するより前まで時間を戻し、彼女を復活させる。

 その上で、しがらみも縁もない、別の大陸の街中に彼女を転移させる。そこで名前も変え、ナタリーでなくなった彼女は生活していくことになるでしょう。


 もうナタリーでなくなった彼女は、転移前に私に感謝の言葉を述べ、行った。


 彼女にしてみれば、生き返らせてもらった上、自分の希望までも叶うのだから、礼を言うのは当然のこと、といったところでしょう。

 ナタリーの人格をコピーした私には、彼女の考えが自分のことのように理解できる。




 しかし、彼女はどうするつもりなのでしょうか。



 契約において、私はお母さま(マスター)よりいくつかの権限を与えられていた。


 彼女が望めば、契約の代償としてさらに――


 莫大な財産を持って行くことも可能だったし。

 ヒトに望める限りの才能や能力を与えることもできた。

 祝福された運命をその身に宿すことさえ可能だった。



 しかし、契約は駆け引きも何もなく終わったので、それらを使うことはなかった。


 家から出てすぐに死ぬ程度の人間が、縁故もない未知の土地でどうやって生活していくつもりなのでしょうか。

 彼女の思考をトレースしてみたところ、その辺は何も考えていないようだった。


 取引をもっと上手くやれば、いくらでも生活に困らない資産を持って行けたでしょうに。



 公正な取引なので、わざわざ言う必要もないカードをさらすことはしなかったけど。



 これが『取引』、そして『契約』。


 そういうことね。


 私は一つ学習して、ナタリーとして婚姻の日を待った。





 ナタリーの実家では私を厳重に監視し、軟禁していた。

 彼女はよく逃げ出せたものね。


 その後、無事私を嫁がせることに成功し、露骨に安堵した様子の家族が式から帰っていく。

 ナタリーの感情をトレースしても、彼らには何の感慨も沸いてこなかった。



 そして、彼と結婚した私は初夜の晩を迎える。


 「……フン。ずいぶん事前に調べさせた話とは違う人間のようだな」

 「どんなお話かは知りませんが、その事前・・の令嬢ナタリーのままなら、今頃家出でもしてここには嫁いでなど来ていないでしょうね。

 私がここにいるという時点で、以前の私とは違う存在に変わったという証ですわ」



 そうして初夜を終え、そして私は、私を愛する暇などない夫を見ていた。

 ずっと。







            頂天上歴 1848年


 そして、時は流れ、今こそ私の使命を果たす時がやってきた。


 「さあ、彼に与えるべき特別な罰とはどんなものなのかな。ね! ()()()()()()()


 お母さま(マスター)はとても楽しそうだ。

 そんなお母さま(マスター)に……



 ――――私は告げ   お母さま(マスター)は下した








           ドトール王国歴174年


 ()ナタリーは、実家から逃げ出した。


 家と領地と領民のための政略結婚。

 でも、私にはあの男とは結婚する気はない。


 屋敷から抜け出したナタリーは道なりに小一時間ほど街道を進んだところで、この道を進み続けるのはマズイとの判断をする。

 実家からの追手がくる可能性に思い立ち、足跡を消そうとナタリーは試みる。


 なので、私は森の中に入った。


 服の上から纏っている外套を突き出した枝にひっかけ破りながら進む。

 できるだけ地味な外套を選んできたが、どれも装飾過多感があり、大差はなかった。


 そのまま、けもの道を進むこと半時。

 私の前に三頭の野犬が現れた。

 目は血走り、口からは唸りとよだれが漏れ出し、あばらの浮いた腹が不規則に上下している。



 私、ナタリーは、地面の落ち葉に視線をやった。


 途端に落ち葉は膨れ歪み始める。そして、たちまちの内にそれは、目を血走らせ、口から唸りとよだれを漏らし、あばらの浮いた腹が不規則に上下させる、野犬のドッペルゲンガーへと変貌した。


 3つの落ち葉から変身した野犬のドッペルゲンガーたちはオリジナルの野犬たちと激しく絡み合う。

 同じ姿と同じ能力をもった野犬たちは互いに噛み合い、もつれるように一塊となって、動きを止めた。


 その塊の半分が塵となって風に吹かれて消え、その場には3匹の野犬の死骸だけが残った。




 さて、これでナタリーが死んだ時は過ぎ去りましたね。




 お母さま(マスター)に特別な罰を告げ、お母さま(マスター)はたいそうお喜びになってその罰を執行された。


 これで私の生み出された存在意義は消失した。

 お母さま(マスター)のサイコロの役目は終わったのだ。


 存在意義を失った、私にお母さま(マスター)は聞く。


 あなたはこれからどうしたいの?


 考える間もなく答える。

 私はナタリーとして生きることを希望した。



 それを聞いたお母さま(マスター)はまたしても破顔してお喜びになって、私の希望を叶えてくれなさった。



 私とナタリーが入れ替わったタイミングまで時間は戻り――

 

 そして、私は結婚を拒み家から逃げ出したかつてのナタリーと同じように、家から逃げ出していた。


 ナタリーが結婚するはずだった相手は以前と変わらない。

 かつてと同じ家の、同じ立場の、同じ育ちの――でも別の名を持つ、かつての夫とは別の人物。


 


 お母さま(マスター)に挑んだ特別な罰として、夫の存在は過去現在未来のすべてから抹消された。

 最初からこの世界に生まれてこなかったことになり、彼の存在した痕跡は人の記憶からも、記録からも消滅した。

 世界のすべてに自らの名を届かせるべく戦った夫の名は、どこにもなくなった。


 それがお母さま(マスター)へ告げた、彼への特別な罰の内容。



 「まあ、私は覚えていますけどね。私を愛する暇がなかなったアナタの名前を」



 さて、それではここからナタリーとして生きる場合、どうするのか。

 トレースした彼女の思考パターンによれば、無謀にもこのまま森を突っ切って人気のある場所まで行く、とういうことになる。

 なら、そうしてみましましょう。


 「では、行けるところまで行ってみることにしましょうか。……あら? なんだか……」

 私はあることに気が付いて、おかしさを覚えた。


 「ナタリーのように行動しているはずが、これじゃあまるでアナタみたいですね、…………ベリト」


 私は、世界中のすべての人々の記憶から消え、世界のすべてから痕跡を抹消された名を口にし、道なき道へと足を進め始めた。







 これよりのち、ナタリーの名を持つ存在がこの世界でどのような軌跡をたどったのか、その記録はどこにも残っていない。



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