真実の嘘《2-1》
依頼人:鴇坂真咲
依頼内容:止まった時間を動かすこと。
依頼請負人:空間移動管理官・神谷雪、補佐官・J。
以上が、今回中間人を通して記憶管理局に持ってこられた依頼内容だった。予想通りというか、月子からの条件をのみ受諾人は雪。それも入りたての補佐官――とも呼べない足手まとい――の新人・Jまでつけてだ。一体上は何を考えているのか…。
――まぁ、Jをつけたのは雀野郎だがな。
*
事務所の衝立越しに数人の人影が写る。
一人、二人、三人。ゆらゆらと揺れるそのシルエットは一か所に集まり、そうして囲いを作るようにして彼に詰め寄っていた。
『お前が引き抜いたようなもんなんだ。責任くらい取れよな?』
『――っな』
『そうね。丁度あなたに相棒もいないことだし』
『勝手にっ』
『古株なんだ。お前が育てろ、雪』
『……』
雀に、狐に、要まで。
寄ってたかって三人よりも背の低い雪を追い込む様にして説得する。頭上から降る声は説得というよりも半ば脅迫に近くて、言い返すことも出来ずに仕方なく息を飲んだ。最高責任者である男にまで賛成されては形無しだろう。何だろう、この一人ぼっちな感じ。
『あの~…』
盛大な溜息をついて項垂れると、三人の背後の方から遠慮気味な声がかけられる。その声の主は当の本人であるJだ。衝立の向こうに隠れるように立つ姿は未だ幼い。少年から大人の男へと変わりゆく間の曖昧な時期にあるのだとそう思った。
――身体、隠しきれてないぞ。お前。
以前よりもまた少し大きくなったらしい彼の身体は、内緒話に耳を欹てるにはどうにも不向きのような気がする。今後気をつけないと大事な場面で失態を犯しそうだ――なんて、そんなことを冷静に判断できる自分に呆れる。苦い笑いと共に溜息を隠すと彼はJへと向き直る。
『お前はどうしたいんだよ?』
『――っ?』
『ここに来たからには、したいことがあるんだろう』
雪の言葉を合図にしたように三人も視線を向けると、ジトッとした目をJに向けた。怯み後ずさる男に思わず雪の頬が緩む。なんて分かりやすい奴だろうか。
一歩、二歩と下がってそれから眉を八の字に模った表情で身を小さくする。さながら項垂れた犬の様に耳を下げると助けを求めるように――真っ直ぐに――雪へと視線を向けた。その瞳の強さに驚く。
『俺…』
『……』
『あの……』
見透かすように無言で見つめる瞳に自分の姿が映り、微かに揺れている。言いたいことはある。
意思も想いも伝えなければいけないことは沢山あるのに、それを声にしてもいいのかが分からないから言葉に詰まる。望んでもいいのだろうか…。
『俺は、傍にいたい……です』
『…』
『出来ることは、とても少ないかも知れない。でも』
『……』
『出来ないことを出来ないと諦めたくもない』
怖いこと。辛いこと。悲しいこと。
記憶の海で今まで経験してきた感情よりも強い負の感情を受けた時には、足が竦んで動くことも出来なかった。正直、今すぐにでもこの場から消えたい。いなくなりたいと願った。でも。
――雪は逃げない強さを教えてくれた。生きることの大切さと、死ぬことの怖さも。
俯いた視線の先に影が重なって、見慣れないスニーカーのつま先が映る。不意に頭に襲いくる衝撃。くしゃくしゃと髪を混ぜて、それから力いっぱいJの肩を叩いた。激痛に思わず悲鳴を飲み込んで、それから横に立つ人物を見上げた。雀だ。
『――っに、するんですか!?』
『べっつに~』
『……雀さんっ!!』
『いいんじゃね~の?』
『――?』
にやにやと嗤う雀を訝しげに見つめる。
あんなに他人に興味を持たなかった彼が、同じだけの熱さを持って見つめ返してくる。そして同じ色をした少女が『私たちは貴方を歓迎するわ。J』と嘆息するように呟いて雀の肩を軽く押す。そのまま腕を取って『行きましょう』と囁けば、二人は『じゃあな』と軽く笑ってその場を離れて行った。いつの間にか居なくなっていた要。誰が何を言うこともない。
すべては本人の強い意思が決めることだ。だから、雪は何も言わなかった――。
*
ふ~っと艶のある溜息を落として足を組み替える。頬杖をついて顔にかかる髪を指先で玩ぶと興味も薄そうに白いカーテン越しに揺れる人影を眺めては、もう一度息を吐いた。
「――で? 準備は終わったか新入り」
「――っ!」
「ったく、たかだか制服着るだけだっつぅのにどれだけ待たせるんだよ、タコ」
「――…」
安静を得るための部屋に、安静とはかけ離れた暴言が飛ぶ。白い布が引き攣ったようにその皺を強張らせ、布を持ち上げていたレールを軋ませる。明らかに動揺しているだろう男に呆れて雪は銀色の頭をガシガシと掻くと徐に立ち上がって靴音も高くカーテンに近づく――その白い布を乱暴に掴み思いっきり左右に引いた。
「――っ!?」
「いい加減にしろっ、この役立たず!!」
容赦なく襲いくる罵声に思わず身を竦めるJ。それを下から怒鳴りつけ見上げる雪――と、Jが瞠目して息を飲んだ。どうしてだろう。可笑しいと思うのに、いとも簡単に目の前の彼がそれを着こなしてしまうから、Jも平然と受け止めるしかない。そう、確かに。目の前の彼はJと同じ男子高校生の制服を着ていた。
違和感がちっとも湧かないところに余計違和感が生じなくもない…。
――なんか、こういう生徒いるよな…。
小柄で表情のコロコロ変わる―後輩から見ても―可愛い先輩。多分人懐っこくて、大分人気者。そう言った雰囲気だ。実際がどうかなんて今は棚上げして、マジマジと雪の姿を見下ろした。うん。可愛い。
「――なんだよ?」
「えっ」
「眼付けてんじゃねぇよ」
「……すみません」
見とれていただけのつもりが、彼よりも幾分か高いこの目線では見下しているように感じ取れるらしい。うん。どちらかというと眼をつけられているのはJの方だと思うし、言いがかりも甚だしいが、そこは素直に謝る。
白いパイプベッドに腰を下ろし雪はまた足を組む。
全体を白で基調とした「保健室」は、清潔感というよりもどことなく薬品とか消毒液の匂いを思い出してJは微かに眉を顰めた。病院に似たそれにいい思い出はあまりない。
「――おいっ」
「はいっ!?」
「聞いてたか?」
感傷に浸っていると、目の前に彼の碧い瞳が迫る。息も触れ合うほどの距離に雪の顔があって、長い睫毛が揺れて、思わず心臓が跳ねた。どうやら彼の声も聞こえない程思い出に囚われていたらし。短い悪態とともに頬杖を吐くと、彼は「一から説明すっぞ」と呆れたように呟いて自分の腕を上げて見せた。情報はすべて腕時計中にしまわれている。
「ここは現実じゃない――いや、正確には現実の地上ではあるが、ある人物が作り出した仮想空間だといっていい」
「仮想空間?」
Jの言葉に雪は視線だけ寄越し頷く。
ボタンで画面を切り替えて実際の建物の模型を映し出すと、それをくるくると回転してみせる。
「ここが今いるところ。基本的にはここを拠点に動く。いいな」
「ここは大丈夫なんですか?」
「少なくとも他よりはまとも…かな」
「まとも…ですか」
「まぁ、別に生死に関わるような重大な依頼でもないんで――」
“いいんじゃん? 適当で”なんてへらっと笑う彼に心底不安が込み上げる。この自信はどこから来るのだろうか…。簡単に手順を説明して依頼内容を確認すると、彼は解いていたネクタイを手にとり首に巻きつける。器用にそれを結び付けてセーターの中にしまうと「よしっ」と短く呟き立ち上がった。
「それじゃ、とりあえず目標人物を捕獲するぞ」
「……はい」
不安だらけの初仕事のはずなのに、彼の眼が力強く輝いているだけで――前を向いているだけで――大丈夫だと思えた。
自分にも何かできるはずだと、そう信じていた――。