雪と塁
「雀!いるか?!」
勢いよく扉を開けた雪は、その勢いのままに綾瀬 雀の姿を探した。
「・・雪?どうしたの?」
「・・っはぁ~・・・良いから、雀は?」
走ってきたせいか、情けなくも乱れる呼吸を抑え何事かと駆け寄ってきた塁を押し返す。塁は驚いてから「彼なら、出てるよ」と答えを返した。
「・・・で・・出てる?」
「うん。生憎、今日は戻らないと思うけど?」
「・・・マジ?」
「・・・残念だけど」
塁は、苦笑い気味に溜息をついて見せる。こんな表情の時、塁は絶対に嘘をつかない。
「だぁ~・・・なんだってこんな時に」
雪は力尽きてその場に崩れ落ちる。膝をつき、入口を塞いだ。
「とりあえず、中に入ってよ」
そんな彼を見て、塁は優しく手を差し伸べると体を起こすのを手伝い中に通してから、入口の戸を閉める。その上、脱力して椅子に腰かける雪に、塁は暖かいお茶を煎れてきてくれた。
「雀に何の用だったの?」
「あ~・・・情報をちょっとね」
「情報?」
「うん」
お茶を受け取り、雪はようやく一息つける。湯気のたつカップを両手で持ち、塁へと視線を向けた。
「塁は、用事済んだの?」
「ん?」
「用事、あったんだろ?」
雪の言葉に、塁は少し考えて思いだしたかのように手を打って見せる。
「あ~・・・うん、大丈夫!」
「・・・怪し~」
明らかに不審な塁の動きに、雪は訝しげな視線を向け見つめると塁はフイッと目を逸らした。
「そ・・それより、Jは?」
話を逸らした塁の態度に、雪はそれ以上追及せずに応える。ここでは深く詮索しないことも暗黙の了解なのだ。
「置いてきたよ」
「置いてきたってどこに?!」
「依頼人のトコ」
笑って吐き捨てる雪に、塁は落胆した。
「どうして、置いてくるかな~」
「まずかった?」
「・・・まずいでしょ~、普通」
最後の方は、小声になりながらも塁は雪に向き直す。その眼は真剣そのもだった。
「あのね、雪」
「・・・うん?」
「ここには知られたくないことや、見られたくないモノもあるんだ。それは分かるよね?」
まるで小さな子供を諭すかのように、塁は言い聞かせる。雪も真っ直ぐに塁の目を見つめ「知ってる」と答えた。その答えに塁は更に頭を悩ませる。そうして溜息一つ吐いてから、
「Jを・・・信じてるの?」
と、雪に尋ねてみる。
唐突な問いかけだが、彼が何かをしないという保証も確証もないのに依頼主と二人置いてきたのには、彼なりにJの事を信用しているからなのでは・・・と塁は思ったのだ。
「・・・・」
塁の問いに、雪は目を逸らして考え込む。別にそんなつもりはなかった。目先の「情報集め」に目を奪われ、一人部屋を出てきた。それが最善かどうかなんて考える余地もなかったし、いつもそうして来たから、それが当たり前だと思ってしまう。
「・・・・分からない」
信じるも、信じないも、今の彼には生死も分からなくて、記憶も行き場もない。そんな人間を信じる事に何の意味があるのか。それさえも危ういと思えた。
「分からない・・・か」
雪の応えに、塁は少し自嘲気味に笑う。その顔を見て雪は逆に問うてみる。
「塁なら、信じるのか?」
その言葉に塁は目を見開いた。そして今度は困ったような表情をして、笑う。
「僕には、信じられるモノは何一つないよ」
「・・・・」
「僕は他人を信じたことはない。神も未来も、自分自身さえも信じない」
「塁・・」
その眼には、何もない。何も映してはいない。ただ闇があるだけ。暗く深い闇が揺れていた。二人の間に沈黙が流れる。雪は何も言えずに黙っていた。
「さて、じゃあやろうか」
「・・・!?」
先に口を開いたのは塁だった。
見つめあっていた目を逸らすと、塁がいつもの表情で明るく雪に笑いかける。その眼にはもう、先程までの闇は見えない。今はただ穏やかに揺れ、その眼に驚いた表情の雪を捉えると、塁はもう一度溜息をつく。
「情報、探すんでしょ?」
「いや、でも、雀が・・」
「手伝うよ」
「は?」
「僕もお力添えするってこと」
語尾に「♡」マークでも付いてるのかと思えるほど、茶目っけを含めた言葉に、雪はようやく我に返る。
「いいのかよ、忙しいんだろ?」
塁の言外に軽さを感じて、雪は皮肉気に笑みを浮かべた。
「今は、暇だからね」
その皮肉に気づいてか、塁もウインク一つして見せる。その関係は何とも表現しがたいが、「信用」ではない「絆」が二人にはあった。