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ノスタルジア管理局  作者: 彩人
孤独の音
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孤独の音《9-2》


 自分の指が他人の首に食い込む感覚を知る。

 少し力を込めれば折れてしまうような雪の細い首が、掌の下でドクドクと脈打つ。苦し気に歪む表情の中、それでも彼女は一瞬たりとも眼を逸らす事をしなかった。その強さがいつだって眩しくて、いつだって腹立たしい。


――壊してしまえれば楽なのに…。


 このままこの首をへし折って、もう何処にも行けなくすればいい。

 苦しむ事も、傷付く事も無い安息の地へと導いてしまいたかった。でも、それは出来ない…。最初から分かっている。


「雪さんっ!!」

「――っ、貴女っ」


 何の音も響かなかった塁の心に、少女の声が飛び込む。

 それは消えかけていた“案内人”としての塁を呼び覚ますのには十分な叫びだった。


――福山…悠里。


 不意に掴んでいた手を離し、声の主を振り向く。咳き込み崩れ落ちる雪の身体が力なく床に倒れる。それでも塁は見向きもしなかった。


「…っ、はっ……ゲホッ」


 自分の傍から離れていく塁の背を歪む視界で見つめ、雪は唐突に戻ってくる空気の感覚に咳き込む。喉からはヒュッと不気味な音が聞こえ、視界はぐらぐらと揺れていた。すぐには動けそうにない――。


――塁…何を…?


 コツコツと響く塁の靴音だけが静寂の中を染める。

 近づいてくるその姿を確認して、心は急いで少女を自分の背へと庇う。


「何を」

「いいからっ、大人しくして」

「…」


 戸惑う悠里を制止して、心は迫りくる恐怖と対峙する。怖くない訳がない。こんな風に荒々しい彼を見るのは始めてなのだ。いや――荒々しい(・・・・)と云うよりも、異形の者(・・・・)のように思えてならなった。血を求めて彷徨う悪鬼のような冷酷で残忍な紅い瞳が二人を射すくめる。冷たい感覚が背を流れ、思わず唾を飲み込む。彼の後方をちらりと見つめ、雪が無事な事を確認するが、すぐには動けそうになかった。自分が何とかしなければいけない。


「貴女、福山悠里(・・・・)といったわね」

「…はい」


 少女の返事を聞いて、心は後ろ手に持っていたソレをそっと手渡す。訳も分からず渡された淡い光を放つ石に悠里から戸惑いの声が漏れた。開いたままの彼女の手を上から覆い、しっかり持っているように告げる。どちらにしろ、この石は彼女(・・)に返すべきモノだから…。


しっかり(・・・・)持ってなさい! 今度は失わないように」

「――っ」

「…いい?」

「……はいっ」


 心の言葉の意図に気がついて、悠里は強くその石を抱きしめると力強く頷く。もう決して大切な人を失くさない(・・・・・)ように。その想いの強さが石の光を更に強くする。祈る様に両の手を合わせ少女は眉根を寄せる。


「…お父さん…」

「……」


 彼女の微かな呟きに塁の肩がピクッと跳ねた。次の瞬間何もなかったはずの塁の表情が、口元が可笑しそうにつり上がる。二人の元へと向かっていた足取りは止まり、今にも笑いだしそうに彼は自分の顔を片手で覆った。堪え切れなかった笑い声が、静寂の中に漏れる――。


――どうして、キミは赦そう(・・・)とするのか…。

  僕のしたことは無駄(・・)だったの……芽衣?


 守りたいモノがあるから、自分が犠牲になることなんて少しも怖くなかった。

 死ぬ(・・)のが怖くないんじゃない。ただ、それよりも大切な人(・・・・)を失うことの方が瑠衣(・・)には世界が終ってしまうほどの絶望に思えた。

 だから、この手が血に濡れてしまうことも、もう二度とキミに逢えなくなってしまうかも知れない事も怖くない。そう信じた。


――キミが笑ってくれるのなら、それだけで良かったんだ。


 例え瑠衣の想いが報われなかったとしても、それでも彼女の幸せこそが瑠衣の願いだった。それなのに――。


「――塁?」

「くくっ…はっ――」

「……」


 何が可笑しいのか、彼は一頻り笑うともう一度鎌に手をかけ俯けていた顔を上げる。その眼がギラリと不気味に輝いた。その刹那。


「――っ」

「塁――!!」


 キィンッ――。

 

 息を飲む心。叫ぶ雪。迫る塁の狂気と、そして。


「――っ!?」


 刃を受け止めたのは同じように弓なりに反った昏い刃。

 覆い被さる影は闇よりも尚色濃く、酷く寂しい音をしていた。


「――戒…人?」

『―――』

「どうしてっ……」


 自分の前に立ちはだかる男の姿に瞠目する。信じられないとでも云うように、塁はその表情を曖昧なモノに変え、そうして泣きだしそうに歪めた。絡み合う刃はお互いの瞳を映す。揺れる紫苑の瞳に紅の瞳。戒人の表情は黒い装束に匿われ――見えない。

 唯一無二の“信じられる”者が、自分に牙をむいた事が哀しかった。


「キミまで……僕を止める(・・・)の?」


 絡む刃を引いて、塁は再度その牙を振りかざす。

 何もかもが嫌だった。こんな風にしか生きられない(・・・・・・)自分も、自分の事を裏切った世界も、そして信じた(・・・)モノでさえも――。


「塁っ、やめろっ!!」

 目の前で繰り広げられる攻防はなんと一方的なモノで、なんと哀しい(・・・)のだろう。むやみやたらに振り回す鎌が男に当たる事はない。綺麗に流れる刃の光が、重なり合う音が酷く耳に響いて、眼に痛い。心に響いた――。


――どうしたらお前(・・)を救える…?


 自分の首に纏わりつく塁の指の感触が、その冷めた瞳が今も尚、雪の胸に突き刺さる。本当は終わり(・・・)にさせるつもりなんてない。逃げる手を、立ち止まる背中を何度塁に押されたか分からない。

 塁は決して生きる(・・・)ことから逃げ(・・)ようとはしていなかった。

 今までも、そしてこれからも――。


――どうしたらお前(・・)の心に届く…?


 ふらふらと未だ覚束ない足取りで立ち上がる。

 こんなところで立ち止まる訳にはいかない。伏せている場合でもない。

瑠衣(・・)を失いたくないから()も失くせない――。

 そっと服の上から胸元の名前に触れる。

 きっと()ならば、こう言うだろう―――“成すべき事を成せ、お前の望みを叶えろ――”と。

 

――瞬間でもいい。塁の意識を奪えれば…。


 傷つけたい訳じゃない。傷付いて欲しい訳でもない。

 でも、彼を救うためにはソレ(・・)しかなかった。幸い、今彼の意識は目の前の戒人へと向けられている。転がっていた自分の獲物を拾い、その手にギュッと握り直した。

 不意に奥に居る心と眼が合う――。

 同じように自分の獲物をしっかりと握り、少女は揺れる瞳で頷いた。想いは一つだ。


――見ろよ、塁。

 お前の事を想う奴がココにも居るんだ。


 福山悠里に隠れているように告げ、心はもう一度雪にむかって目配せする。彼女の獲物は鎖鎌だ。ジャリッと微かに小気味の良い音を立てて鎖同士がぶつかり合う。次の瞬間、彼女の手から離れた鎖はまるで意思を持つかのように真っ直ぐに“塁”の元へと伸びた。


「――っ」

「逃がさないっ」


 鎖の先についた錘の反動でソレはいとも容易く塁の持つ鎌の柄を捕える。

 迷いのない彼女の意思がまっすぐに塁自身の動きを止め、雪がソレに呼応するように前へと駈け出した。

 塁が素早く身を翻す。ところが――。


「――戒人(・・)っ!」


 雪の声と同時に影は容を変える。目の前にあったはずのモノが闇に紛れ、視界を遮る。そこに見え隠れするのは―――あの日の“瑠衣”だった。思わず身が竦む。息を飲んだのは他でもない…。


「――っ」

「塁っ、ごめんっ!!!」


 刹那――。

 開けた視界の先に――まるで“風花”のように――ヒラリ舞う銀色(・・)の髪が飛び込む。微かに香る白檀の香りに鼻孔を擽られ、そこにもう一人(・・・・)の存在を知った。強い衝撃と共に、襲い来る痛みと揺らぎが塁の思考を遮って行く。


「……戒…人」


 涙は出ない。

 憎しみに拘っていた心が、静かに眠りに落ちるのを感じる。

 どこか笑いだしたいような――そんな気分だった。

 薄れゆく色の中で、紅い瞳と眼が合う。その瞳は酷く“哀しそう”だと思う。だから、想った。泣かないで(・・・・・)――と。


――お前は……死なせない。


 消える意識の片隅で、懐かしい“(こえ)”を聞いた気がした――。


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