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ノスタルジア管理局  作者: 彩人
孤独の音
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孤独の音《9-1》


 部屋は紫、孤独の色――。

 不安(・・)躊躇い(・・・)を宿したこの部屋には、“孤独”がよく似合う。狭い空間の中に彼は留まり、ゆらゆら揺れる水面に自分の顔を見ていた。

 悲痛な表情で眉根を寄せる“瑠衣”の顔を――。


――お前に、何が出来る…?


 歪む表情の先、染まる瞳は紅色で、まるで獲物を目前にした肉食獣のように彼は自分の紅い口唇を舐める。不意に水面に手を伸ばし、そこに映る瑠衣(・・)を消した。


「もう、手遅れさ…」


 呟く言葉は塁のもの。

 いつもと変わらぬ落ち着いた印象の語り口に皮肉に笑う表情だけがどこか不釣り合いで、差し入れた先の水は紅く揺らいで見えた。何もかもが手遅れだ。封じたはずの過去が時折滲みでては、その憎しみの色を心に落としていく。

 忘れたふりはもう出来ない。多くの憎しみや悲しみに触れてきた。

 生命を狩る役目を戒人から譲り受けた瞬間から、塁は“感情”を面に出す事を自らの禁忌としていた。それは偏に自分が“自分”を見失わない為に必要なことだったから。

だから記憶管理官としての資格を失い、閻魔庁に直接属する「中間管理局」に身を置いた時さえも、感情を顕わにする事はなかった。

 みんなと離れてしまうことに恐怖はない。

 言葉にしなくても、たとえ傍にいられなくても、それでも分かり合えるとそう信じる事に不安はなかった。それだけの“絆”が確かにあった――。


――失くすものを失くした僕にとって、彼らとの絆だけが唯一失えないモノだったのかもしれない…。


 でも、それ以上に失くしてはいけないものがある。

 それが“戒人”だった――。


「ごめん…戒人」


 もしかしたら僕は資格(・・)を失うかも知れない。

 中間管理官としても、案内人としても不適格者だ。それでも、この溢れ出る憎しみを紛らわす事が出来そうにない…。


「どうして同じようなことが起きる――?」


 苦虫を噛み潰すように忌々し気に吐き捨てる。

 この仮初の生命が終わりを告げるまでに、どうしても狩り取りたい生命があった。


――憎しみは、浄化する事が無い…。


 廻り廻ってこの心の中に戻ってくる。

 きっと消すためには、この存在を――塁――を殺さなければいけない。


 何もない空間から大振りの鎌を浮かび上がらせる。

 この鎌は塁の心であり、戒人と塁を結び付けるモノ。多くの生命を狩りとってきた鎌が大切などと、人は蔑むかも知れない。畏怖の対象になれども、それを“絆”と云うモノはいない。

 その()を自らの首に宛がう。

 きっと痛みなんて一瞬。自分が生き続けることよりも怖いことなんて、もうこの世界にはなかった。


「僕が消えれば、全てが終わる?」


 紅く染まった眼をゆっくりと閉じる。

 それだけで世界はこの瞳から色を奪い、また塁を闇へと誘う。あと少し、ほんの少しの力を込めれば、この生命は簡単に終わりを告げるだろう。全てが無に返るはずだ。


「――さよなら、瑠衣(・・)

「――させるかっ!!」

「――っ」


 不意に腕を引かれその手から鎌が離れる。

 金属が小気味よい音を立てて床に転がり、驚きで見開かれた塁の両の眼に眩しいほどの光を纏った彼の姿が映った――雪だ。


「勝手に消えるなんて誰が許すか――」

「雪…」

「一人でなんて、逝かせない――」

「――っ」


 振り払われ床に転がった鎌を遠目に見て、塁は曖昧に微笑む。

 今にも泣き出しそうな不器用な笑顔が、揺れる瞳が、まだそこに“瑠衣”が居る事を教えてくれた。この手を離したりしない――。


「一緒に生きる(・・・)んだろっ!?」

「――雪」

「どんだけ辛い事があったって“逃げない”って、そう言ったじゃねえか」


 言葉が誓約(チカイ)になる。

 あの日――彼は苦渋の末に自ら囚われる事を受け入れた。それがどういうことなのか、皮肉やで頭の良い彼には分かっていたはずだ。その先に待つ未来も――。

 それでも、彼は、ライはその苛酷な運命を受け入れ(・・・・)ざるを得なかった。

 残されたモノの事を思わなかった筈がない。

 だから余計に残されたモノ達の胸は痛んだ。


「お前が言ったんだっ。諦めるなって」

「…」

「だから俺はココまで来れた―――なのにっ」


 痛いほど真剣な眼差しが、必死な声が塁の胸に響く。

 この小さな少女を守りたかった。その想いを抱いたまま居なくなった彼の為にも、自分の為にも――生きる事を諦めさせたくなかった。生きていて欲しかった。

 でも――。


どうして(・・・・)?」

「――っ」


 一瞬色を取り戻した塁の瞳が、また紅に囚われ血色に染まる。

 さっきまで曖昧な表情で微笑んでいた彼が、その刹那に全ての表情を失い、そして熱を取り戻す。視線の先には彼が探していた獲物(・・)があった。

 冷たい気配が雪の頬を過ぎ、彼の視線の先を追えば、そこには――。


「心っ、逃げ――っ」


 叫んだのも束の間、凄い力で塁に腕を振り解かれ勢いのままに壁に強か背中を打つ。息が詰まるような感覚が襲い、目の前が霞んでぶれた。

 急激に変化する色と温度に、部屋の入口に佇んでいた心が眼を瞠る。

 瞬きをする間もないほどの速さで彼が心に迫れば、目の前には射るような塁の冷たい眼差しがあった。


「――っ」

こころ(・・・)


 まるで金縛りにでもあったかのように動く事が出来ない。息をするのも躊躇われるような威圧感の中、名前を呼ばれて背筋が凍りつく。

 紅い瞳が眼を逸らす事さえ赦そうとしない。


「…るいっ…」

「ソレを渡して(・・・)?」

「――っ」

「キミを傷つけるつもりはないよ。だから――」


 “それを渡して”と模る塁の口唇から眼が離せない。

 勝手に震えだす身体が恐怖心を覚える。それでも、心はその手を開こうとはしなかった。


「どうして庇うの(・・・)?」

「この人はっ…自分のした事を悔いてるわっ」

「だから?」

「――っ」


 口調はいつもの彼と変わらず穏やかなモノなのに、その表情はぴくりとも動かずに硬いままだ。それが余計に怖さを醸し出している。

 彼女はその視線に負けないとでも云うように、不意に手の中の“石ころ(ソレ)”を握りしめると、自分の背に隠した。そうすることでもう逃げない(・・・・)と、震える自分を押し留めたかったのかも知れない。俯きキュッと結ばれた彼女の口唇から強い意志が感じられた。

 頭上で溜息の様な、嘲笑のような息が漏れる気配がする。


「―――そう」

「塁っ、やめろ――」


 遠くで雪の叫ぶ声がする。

 でもその制止の声を聞かずに、塁は床に落ちていた鎌を自分の元へと呼び寄せる―――と、その手を俯く彼女へと振りおろした。刹那。


 ッキィン――。

 

 殺られると覚悟して眼を閉じた心の前に、間一髪の速さで飛び出した小さな背中。

 その小さな身体の全神経を警棒(エモノ)を持つ手に集中させると、低い姿勢から塁の眼を見据えた。雪が口唇を開く。


「塁、お前を止めて(・・・)やるよ――」

「―――」

「退いてろっ、心っ」

「…でも」

「いいからっ!」


 軽く後ろに飛び退く塁が、一瞬距離を取って乱れる前髪を掻き上げる。その表情は先程までの人形のような無表情ではなく、どことなく楽し気に歪められていた。紅く染まる瞳、口角を吊り上げた口唇、その眼は標的を変更したかのように真っ直ぐに雪へと向けられている。


「気をつけて…雪君」

「ああ」


 少しの緊張を纏いながら自分の傍から心が離れた事を確認すると、雪は獲物を握り直す。

 肌を刺す様な緊迫した空気が紫の部屋に広がる。この中は所詮異空間。地上とはかけ離れた世界の成し得た産物であるこの建物内に、時間や距離の感覚はない――。狭く感じていたはずの部屋が、まるで競技場のような広さへとその姿を変えた。


「来いよ――塁」

「……」


 大振りな鎌を軽々と回して見せる塁の眼に、揺らぎは見えない。

 きっと、本気で向かってくるだろう…。自分から動きだしたい気分と、それを禁忌とする自分が葛藤する。塁は塁だ。今は憎しみと血に執着しているが、それでも今までの彼と過ごした時間に、記憶に偽りはない。だから、彼を攻撃する事が出来なかった。


――お前を止める。絶対、止めて見せる。


 決意を胸に宿した瞬間、目の前から塁の姿が掻き消える。その一瞬後には受け止めるのが困難なほどの力で、鎌が振りおろされた。


「――くっ」

「……」


 力勝負で勝つ事は難しい。

 もとより獲物の長さが違う以上、鎌の刃の長さを考えてもまともに受けるのは雪にとって不利だ。なんとか左右へとその刃を受け流し、雪は間合いを取ろうと頃合いを図った。だが――。


「――っ痛」


 目測を誤ったのか、微かに当たった刃に右腕を切り裂かれる。焼かれるようなその痛みに彼は眉を顰めた。生温かい血が、服に広がり紅い沁みをつくって行く。その感覚が気持ち悪かった。生身の体ではなく依り代にも訪れる痛みと、血の温かさが余計に雪の頭をマヒさせる。無事な左手で何とか塁の攻撃を受け流すと、荒い息をつきながら距離を取った。


「――僕から逃げるの……? 雪」

「誰がっ――」


 目前に迫る紅い瞳が上から蔑むように雪を見下ろす。

 怯むことなくその瞳を見つめ返し、雪は口元だけでニッと笑みを浮かべると低い体勢から彼の首目がけて警棒(エモノ)を振り上げた。


「――っ」


 息をのむ音と、警棒(エモノ)が空を切る音はほぼ同じ。寸での処で交わした彼の首筋の洋服がペラリと切れて捲れる。

 一瞬怯んだ男の隙を雪が見逃す筈もなく、もう一度切りこもうと身体を反転させるが、その眼は彼の傷跡――呪いの痕――を映し出した。その痛々しい憎しみの痕に心が揺れる。

 その時。


「何処を見てる(・・・)のさ――」

「―――っ!?」


 低く唸るような声が耳もとに響いて、ふわり感じる甘い香りに鼻を擽られる。

 驚きに眼を瞠れば、次に襲い来るのは首に絡みつく塁の指の冷たさだった。不意にその力が強まる。


「――はっ…る、い」

「喋らないで」

「――っ」

「終わりにしてあげる――」


 甘く睦言を囁くかのような声音で塁の指と、二人の視線が絡む。

 彼の瞳の中に映る自分と、そしてもう一人――優しい瑠衣の哀しげな表情が浮かぶ。揺れているのは自分の苦しさに潤んだ瞳か、それとも…。


――まだ、迷っているのか…?


 あの日から一人立ち上がる事も出来ずに、暗い森の中を彷徨い続ける少年の姿が脳裏に浮かぶ。不安と寂しさに揺れる瞳は本当はいつだって光を求めていた。彼ら(・・)を救いだしてくれる道標(ひかり)を――。


「――雪君っ!!」


 遠くで心の叫び声が聞こえる。

 それと、迫りくる勇気(・・)希望(・・)の足音――。


「雪さんっ!!」

「――っ、貴女っ」


 勢いよく部屋のドアが開け放たれる。そこには、あの日確かに(この)部屋で出会った少女――福山 悠里――の姿があった。


こんにちわ。

塁過去編「孤独の音」も、残すところ数話です。

今暫く彼らを見守って上げて下さい。


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