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ノスタルジア管理局  作者: 彩人
孤独の音
69/86

孤独の音《8-4》


 目的の場所は都会の喧騒からは少し外れた、緑の色濃い優しい風の吹く場所だった。

 人の気配はまばらで、若者というよりかはどちらかといえば年配から初老の人々が多く行き交う。活気があるかと問われれば考え込んでしまうが、ここには情緒や風情と呼ばれるものが息づいているように思えた。


「ここ…ですか?」

「……」


――否定をしないってことは、肯定(・・)で良いんだよな…。


 少し前を歩く男の背を見つめ、Jは頭を掻く。

 何も言って貰えないのは少し寂しいが、それでも彼が無駄な事を言わない男だと言うことは理解しているし、もともとが無口な人だから今更それに不平を言うつもりもない。きっと雪のように普段からお喋りな人間に黙りこまれたら居た堪れなくなるのだろうけど…。


「ここに彼女(・・)が居るんですね」

「……いや」

「??」

「ここに居る事が分かっているのは、彼女の父親(・・)の方だ」

「父親?」


 Jの問いかけにイチは頷くと、そのまま何の説明もなしに歩きだす。Jも慌ててその後を追った。

 小さな個人病院の裏手――色とりどりの花が植えられた小さな花壇の前のベンチに彼は腰掛ける。辺りには散歩だろうか、老人の乗った車椅子を押す若い看護婦の姿や、パジャマ姿の男に連れ添う年配の女性の姿もある。誰もがどこか幸せそうな一時を満喫していた。


「イチさん…ここで何を?」

「お前はここにいろ」

「――はっ?」

「……」


 一言言い捨てるように彼が呟くと、その途端座っていたイチの頭がカクンッと項垂れる。ぐらりとベンチから崩れそうになる彼の身体を咄嗟に支え、その身体の中に彼が居ない事(・・・・)に気がついた。


「イチさん…」

 

 どうして彼が居ないのかとか、それが分かった自分が不思議だとか、思う処も聞きたい事も山積みだった。男――しかも高校生くらい――の二人組が病院に居る事が珍しいのか、先程からちらほらと人々の視線を感じる。居心地の悪さを感じながらもJは仕方なくイチの隣に腰掛け、彼の帰りを大人しく待つ事にした。

 それが今の自分に出来ることだから――。

                  

 同時刻――。

 彼は病院の中に居た。

 姿は見えない。熱とか、音とか、色とか、そういう“容”造るモノは何一つとして存在しなくて、彼は文字通り――魂――という他人から見たら“無”に近いものに代っていた。

 この姿は仮初――。

 彼が“地上方探索官”として必要に駆られて身に付けた特殊能力の一つだ。


――地上では下手に詮索すると逆に不振がられるからな…。


 誰にも見つかる事の無い姿で決して広くはない病院の中を歩く。目的の場所が何処かなんて考える余地もなく、彼は病室前の表札を頼りに探すべき人物のいる部屋を探し当てた。


――福山 渉。


 依頼人・福山悠里の実父であり、福山悠里(・・・・)をあの場所へ追い込んだ原因でもある。ドアを開けずにすり抜けて病室へと忍び込む。誰に見つかる事も、咎められる事もなくイチはその男の顔を拝んだ。


『貴方が、彼女の父親ですね…』


 聞こえるはずのない声が微かに無機質な部屋の空気を揺らす。

 繋がれた機械の先の規則正しい心音が止む事はない。眼を開ける事もなく、伝えるべき言葉を告げる事もなく、彼はこの場所で今も夢の中を彷徨う。その夢の名は悪夢(・・)だ。

 不意に透けた自分の手を彼の額に翳し、眼を閉じてその微かな息吹を確認する。流れる血潮を辿り、消え入りそうな生命力を何とか留めようとイチはもう一方の手で空に文字を描く。


『時の狭間に仕えしモノ。生命の調べを辿るモノ。消える息吹の砂を留め、その流れ出る水をせき止めるモノ――』


 何もなかったはずの空間にソレは現れる。

 イチの声に共鳴し、辺りに散らばる物質を糧にして“鍵”は宙に浮く。ソレは文字を色濃く刻んだ短剣の姿をしていた――。


――とりあえず、生命をせき止められれば…。


 一時でもいい。そんなに長く持たない事は分かっている。この身体の中にあるべき魂が不在(いな)いのなら、肉体は滅びるしかない。だから、彼らがこの件を解決するまでの僅かな時間稼ぎになれば――そう思ってイチは男の胸に無機質な短剣を差し込む。何の障害もなく剣は埋め込まれ、最奥へ到達した。


――止まれ…。今この時だけは。


 突き刺した剣を、ゆっくりと回す。まるでその胸に鍵をかけるかのように。カチリッと小さな音が耳に届いて、イチは詰めていた呼吸(いき)を静かに吐き出した――。


――あとは任せたぞ…神谷。


 かかる前髪の隙間から見える自分の手を見つめ、イチは遠い場所で戦う仲間を思う。その無事を一人願い、彼は眼を閉じた――。


                      *

 一方、管理事務所内――。

 

 残された雀と狐は福山悠里を抱いていた。

 雪が塁を追いかける寸前に託した彼女の生命を、記憶を、痛みを、そして温もりを抱いていた。残り少なくなった力を補うように二人の手は彼女の両の手に繋がれている。

 眼を閉じ彼女が目覚める、その時を待つ――。

 彼女が眼を覚ます為の条件はすでに出揃っている。だから――。


「生きる事から逃げんなよ」

「そうね。何があったとしても、貴女は生まれて(・・・・)これたのだから」

「……」

「逃げちゃだめよ」


 どれだけ願っても叶わない事がある。

 生きたい。まだ死にたくない。そう思う生命(いのち)はきっとこの世界に数えきれない程あって、それでもその願いが叶うのは夜空に浮かぶ星屑の数よりも少ない。そんな中で、彼女にはまだ叶える為の機会が残されている。

 伝えたい言葉も、伝えるべき人もまだ手の届く場所に居るはずだ――。

 生きる事を諦めてはいけない。


 眼を伏せる狐の横顔はとても儚くて綺麗だった。

 思わずその肩に手を伸ばし引き寄せる。突然の雀の行動に驚いた様子も見せずに狐は顔を上げて、優しく彼の頭を撫でた。その姿はさながら大きな猫が甘えて擦り寄っているようだ。


「雀?」

「…」

「私なら、大丈夫よ」

「…うん」

「叶わなかった願いも確かにあるけれど、叶った願いもこの掌の中にあるもの」

「…うん」

「後悔はしない。そう決めたもの」


 言い聞かせるように呟いた後、一つ溜息をついて彼女は微笑む。切ない色を宿した瞳が揺れる。その瞳を守りたかった。何よりも誰よりも大事だから、彼女だけは失えなかった。


「…狐がいてくれて良かった…」

「…どうしたの?」

「いや」

「…変な雀」


 自然に繋いだ手から伝わるお互いの熱が、想いが、温かな優しさが、二人の手から福山悠里の身体へと注がれていく。柔らかい光が三人を満たし、鼓動(おと)が伝わる。

――その刹那、福山悠里が眼を覚ました。


「んっ…」

「「――っ!?」」

「ここは…?」


 初めて逢う二人の顔を交互に見比べると、悠里は大きな眼を更に大きく見開いて驚く。言葉が出ないといった様子の彼女を見かねて、狐がそっと繋いでいた手を離すと少し困ったように微笑んだ。


「気がついた?」

「――はい…私?」

()という名を覚えている?」

「雪? ……雪さん?」

 

 問い返すように瞳を揺らす彼女に狐は頷く。その優しい瞳に浮かぶ寂しい色がとても印象的だった。

 ゆっくりと身体を起こして、悠里は二人にきちんと向き直る。


「雪さんは、私を守って(・・・)くれました。逃げるな(・・・・)って、ずっとそう一生懸命叫び続けてくれました。だから」

「その続きは本人に言ってあげて?」

「…雪さんに?」


 一言も言葉を発さずにただ黙って俯く雀の代りに、狐はその場所を告げる。


「行きなさい。貴女の大切な人もソコにいるわ――」

「――っ」

「大丈夫。貴女は一人じゃない(・・・・・・)

「……はいっ」


 一つ閉じ込めていた想いが雫となって彼女の頬を濡らす。強い眼差しに背を押され、悠里はゆっくりと自分の足で立ち上がるとペコリと頭を下げて走り出した。彼女が後ろを振り返る事はもうないだろう。雪が守り、語りかけた意味が、今ようやく実を結ぼうとしている。あとはその結末を見守るだけ。たとえソコにどんな結末が待ち受けていようと…。

 未来は一つではないから――。


「行ったな…」

「ええ」

「……」


 ぽつり呟く雀の声に相槌を打つ。

 何が待ち受けているのかは分からない。いや、待つ人が大切(・・)ならばこそ、彼女が彼を迎えに行く怖さは計り知れないと思う。自分を待っていてくれるのか、受け入れてくれるのか、赦して《・・・》くれるのか――。

 走る足取りは決して軽くはない。進む道も易しい訳じゃない。それでも。


「生きる事を諦めなければ、道は自然と開けるものよ」

「…ああ」

「あとはあの子たちに任せましょう」

「……だな」


 静寂を取り戻した室内で二人は淡く微笑む。

 二人に出来る事は、この場所で無事を信じて待つことだけ――。

 雪と心と、そして―――塁の。

 

「きっと帰ってくるわ」

「決まってるさ。あいつらなら大丈夫(・・・)だ」


 祈るように互いの手を握り、額を付ける。

 二人はただそっと、その時を待った――。


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