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ノスタルジア管理局  作者: 彩人
孤独の音
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孤独の音《7-1》

 本当はこの事件の結末も顛末も知っていた。

 それでも認めたくなかった。赦せないから、赦さなければならない立場の自分が酷く虚しくて、腹立たしくて、このまま全てが消えて無くなってしまえばいいのに――と、何処かで冷たく嘲笑う声が聞こえていた。


「――っい、塁?」

「――っ」


 不意に名前を呼ばれ塁は我に返る。

 そこは記憶の海(うみ)の中、奥深く。鬱蒼と茂る木々の中、陽の光も殆ど届かない薄暗い場所。中央で行くべき場所を見定めた後、時間屋の二人と別れて二人は歩みを進めてこの森の奥へと来たのだ。 

 初めて立ち入る“記憶の海(うみ)”の奥に少し疲弊したように彼女が溜息を吐く。

 それに気がつかぬふりをして、けれども少し休もうと暫しの休息を提案した――が、かれこれ半時もたっている。

 彼女を気遣ったつもりが、塁自身も慣れない場所での行動に疲れていたのだと気がつく。自嘲の笑みが漏れた。


「大丈夫?」

「――うん。ごめんね」


 心配そうに覗きこむ少女に軽く右手をヒラヒラとさせてあしらう。顔を覗きこまれる事は好きではなかった。少し不満そうに頬を膨らませた後、一定の距離を保ってくれた彼女に内心感謝しながら、座っていた草の上から立ち上がる。その刹那、唐突に目の前にあの日の景色が重なる――。


――僕は………死ぬのかな…。


 あの日の紅が――迫る。

くらりと眩暈を覚えて慌てて背もたれにしていた木の幹に手をつく。その手も紅に濡れていた。見なくても、聞かなくても、自分があの日の自分と重なっている事と分かる――。

 この手は今も生々しい感触を覚え、この耳は最後の呪いの言葉を鮮明に思い出す事が出来る。渇いた笑い声が薄暗い森に響く。


「塁――!?」


 心の慌てた様な声が聞こえる。

 不意に肩口を掴まれて揺さぶられると、急激に意識が浮上した―――目の前に紅はない。


「…こころ」

「大丈夫なの!?」

「……うん」

「貴方、この場所に囚われそうになったんじゃないの…」


 仁王立ちで腕組みをした心が、不意に頭上に怪しく揺らめく木々を見上げる。時々風に揺れる音が無気味に響く。嘲笑うような、悲痛にも似た負の声――。耳障りなその声に、心が一瞬震えたのが分かる。初めての彼女にはこの景色は辛いものだろう…。


「大丈夫――掴まってないよ」

「そう…なら、もう行きましょう」

「……そうだね」


 汗で襟元に張り付いた髪を掻き上げると、塁は一つ息を吐く。目的の場所は目の前まで迫っていた――。


                    *


 一方、地上――。


「行かせちゃってよかったんですか…?」

「……」

「イチさ」

「加藤だ」

「――っえ?」

「……地上(ここ)では、“加藤”と呼べと言ったはずだが?」


 振り向きもしない冷たい男の背に、Jは肩を竦めて“すみません”と声をかける。雪が地上を離れて一刻。二人は拠点にしているネットカフェを離れ街の中を何処かに向かい歩いていた。

 存在を知られないように――と、雪とイチから釘を刺されていた通り、雀との通信の最中も姿を隠して息を顰めていたJだが、内心“雀さん、久しぶりです”とか平和にも思っていた。そんな彼をよそに画面向こうの雀は至極真剣な口ぶりでイチに対し、塁との過去を尋ねる。イチが辛そうな表情を浮かべていたところまでは記憶にあるが、その刹那、雪の小さな手が目の前に降り――そこで意識は途絶えた。


――結局、なんだったんだろう…?


 疑問に思わなくもないが、眼を覚ました時にはすでに雪の姿はなく、少し呆れた様なイチの“出るぞ”と言う声で慌てて飛び起き彼の遠くなる背を追った。

 無言で前を行くイチの背を怨みがましく見つめる。何がどうなって何処に行けばいいのか…Jには見当もつかない。あの時、雪に何かされなければ彼らの持つ“傷跡(いたみ)”に僅かながらにでも触れる事が出来たかも知れないのに…。


――そんなに俺って足手まといかな…。


 頑ななまでの雪の否定の仕方が脳裏に蘇る。あからさまな拒絶の態度に傷付かない訳がない。それでも傷付いた表情を彼女が望まないことを知っているから、出来るだけの笑顔を浮かべて見せた。Jにだって分かっている。


「お前のせいじゃない――」

「――えっ?」


 不意に頭上に掛けられた言葉に驚いて、顔を上げる。そこにはイチの真っ直ぐな視線が注がれていた。考えを見透かされた事に多少の居心地の悪さを感じるが、それでも嫌な気はしない。それはきっと、いつだって端的に物事の本質を見極めて冷静に対処する彼からの言葉だから…。


――本当に、この人も“謎”だよな…。


 優しいのか冷たいのか分からない。でも、とても誠実な人なのだと思う。目指すべき“地上管理官(ひと)”としても、年上の男の人としても、この人は信頼できる。Jは心の隅でそう思った。


「それで、今から何処に行くんです…加藤……先輩?」


 呼称に困り尋ねるように彼の表情を窺うと、こめかみに手を当て頭痛を抑えるように顔を顰めて見せる。明らかに呆れられている。覗きこんだ頭を返すように軽く額にイチの手が触れ、軽い力で押し返される。そうして呟くように“イチでいい”と言い捨てると、ため息交じりに息を吐いてまた歩き出した。自分よりも年上の彼が、初めてできた“兄”のようで、Jはわくわくとした気持ちを胸に抱いた――。


「イチさんっ」

「――じゃれるな」

「これからよろしくお願いします」

「――ヨロシクするつもりはない」

「そんなこと言わないで下さいよ~」


 まるで足元に纏わりつく子犬のようにじゃれつくJに、イチは半ばうんざりしながら不意にピタッと立ち止まると真剣にJの方を見つめる。その眼差しに思わずJの動きも止まった。


「俺は今から|福山悠里の“父親”に逢いに行く」

「…父親?」

「一人で行くつもりだが、後をつける事に対し何かを言うつもりはない。追い払うつもりもない」

「それって」


 それだけを告げ今度は振り返る事もせずに人混みの中に消えて行く。現役の管理官としてJの存在は容認できるものではない。雪の“巻き込みたくない”という気持ちも分かる。それでも、もしかしたら彼が自分たちにとっての救世主(・・・)になるのではないかと一縷の望みを抱いてしまう。だから、託そうと思った。彼自身に。自分の未来を、俺たち(・・・)の運命を――。


――他力本願なのは分かっているさ。


 変えられない想いがあるから。叶えたい夢があるから。救いたい人がいるから―――だから俺たちは、みんなはココにいる。この断ち切れない楔をどうか、拭い去ってはくれないだろうか…。


「イチさんっ」

「……」


 離れて行く背中に追い縋るようにJが声をかける。

 その声が次第に近くなり、思わぬ強さで肩を掴まれ立ち止まらされる。その背にJの声が響いた。


「俺、まだよく分からないけど――雪さんとか、皆が何を抱えているのか知らないけどっ――でも、それでも」


――みんなを…たすけたい…。


 この願いだけは譲れない。皆が自分の事を救ってくれたように、自分も皆の助けになれればいい。皆を――雪を助けたい。

 振り向く事の無いイチの背にJはそっと額を擦りつける。うんともすんとも言わない背中――周囲からの奇異な視線を受けつつも、イチは溜息一つ吐いて。


「…勝手にしろ」


 そう言い捨てた。

 きっとこの先に待ち受けるモノ達は、まだ汚れを知らないJにとって辛く哀しい出来事で溢れているだろう。傷付き、怒り、涙し、もしかしたら途中で崩れ落ちてしまうかも知らない。それでも――。


「もう、行くぞ」

「―――はいっ」


 短く掛けた言葉に、確かにJが返事を返す。

 それを可笑しいとも思わずに二人は人混みの喧騒に紛れて行った――。


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