謎の老人・2
木が見える。
故郷の、懐かしい宿り木。よく遊んだ。缶蹴り、だるまさん、鬼ごっこ。
懐かしい・・・思い出。
「で、お爺さんはどうしてここに居るんです?」
Jが困惑顔で老人と対峙する。ようやく目を覚ました彼だが、一向に口を開こうとしなかった。
問いかけに対し、反応が無いわけではない。氏名、生年月日などには頷いたり、首を横に振ったりする。
「・・・なんでですかね」
Jは隣に座る雪に、小声で話しかけた。雪は難しい顔で「さあな」とだけ応えると、またもや書類へと目をやる。Jは溜息一つ漏らし、老人へと視線を戻す。
「あの」
「ふぃふふぁあ、ふぃふぇふぁふぁふぁふふぇふぇふぉーふぁ」
「は?」
「ふぉふぉふぉ」
老人は何かを話したと思ったら、急に笑い出した。聞き取れずに、Jは余計困惑する。
「どこの国の言葉でしょうか?」
「アホ、ありゃ日本語だ」
「ええ!?」
真剣に考えるJに、雪が呆れたように口を挟んだ。まだ訳のわからないという顔をしているJを半ばやりすごし、雪は老人に視線を戻した。
「爺さん」
「ふぉ」
雪に名前を呼ばれ、老人が返事を返す。日本語には聞こえない。すると次の瞬間、雪が何かを取り出す。取り出されたのは、白い・・・・入れ歯?
「入れ歯忘れたんだろ!」
「ふぉお!」
今のはJにも聞き取れる。雪の言葉に、老人は確かに「そう!」と返事を返していた。
雪が取りだした入れ歯を受け取り、老人は口の中へとはめ込む。老人も、状況をようやっと理解できたJも、互いにすっきりとした表情になる。Jは心の中で「そういうことか」と納得した。
「どうして分かったんです?」
「ああ?」
「歯がないって」
Jの問いかけに、雪は「ああ」と意味を理解して苦笑いになる。
「たま~に、歯がなくて喋れない老人がいるんだよ」
それは分かる。亡くなる直前まで入れ歯を気にする人は多くないだろう。入れないままお亡くなりになってしまうのは珍しくないとも思う。でも、だからこそ気になる。
「入れ歯って人それぞれですよね?」
「・・・・・」
「誰の入れ歯です?」
「・・・まあ、その辺はな・・・ほら、こう都合よく行くもんなんだよ」
「どう都合良くなんです?」
「それは・・・お前」
Jの問い詰めに雪は困惑する。答えを探すように視線を彷徨わせた。
「分かった!」
「・・・」
間髪入れずにJが雪へと詰め寄ると、雪は少し後ずさって唾をゴクリと飲んだ。Jが何を言うか想像もつかない。雪はJが次に放つ言葉を待った。
「実は・・・」
「実は・・?」
「それ」
「これ・・?」
「雪さんのでしょ」
「(そんなことが)あるかー!!」
予想通りというか、Jらしいとも言える答えに雪は勢いよく突っ込みを入れてから落胆する。
-付き合いきれない・・・。この『天然男』に付き合ってたら、俺の身が持たない・・・。
心の中でのみ思うと、雪は老人へと視線を戻した。
「そ、それより爺さん!これで話ができるよな?」
「雪さん?」
「ほらJ、話を聞こうぜ!?」
雪に促され、Jは仕方なくそれ以上の追及を逃す。雪が誤魔化そうと必死になっていたからではなく、何より老人の顔つきが先程までとは変わっている事に気付いたからだ。
「・・・・」
「・・・・」
二人は静かに目の前の老人が、いや、「金子 高久」さんが話しだすのを待つ。
老人は二人の視線に気づき、穏やかな笑みを見せる。そして、ゆっくりと口を開いた。
「お若いの、歯をどうもありがとう」
まずは雪への入れ歯のお礼。雪は「どういたしまして」と素っ気なく返事を返す。
「わしは、金子 高久というもんですが、お若いの、お名前は?」
穏やかな口ぶりは見た目とは違い、Jを和ませるものだった。
「あ・・えと」
「俺が雪。こっちはJ。そう呼んでくれ」
「雪さん、そんな言い方・・・」
余りにも端的な紹介にJは少し苛立たしくなるが、よく考えれば今の彼に名乗る「名」はない。きっと「管理官」としては雪のしている事が正しいのだろう。そう思い直して、言葉を止めた。
「構わんよ、お若いの」
老人は気にするでもなく、かけていたメガネを手に取ると、服の裾でレンズの汚れを拭き始める。そうしながらゆっくりと話を続けた。
「さて、他でもない。わしには昔、とても仲の良い友人がおったんだが、そいつと約束をした気がするんじゃ」
「どんな約束ですか?」
老人の話を相槌混じりに聞きながら、Jが問う。その問いに老人は首をかしげて見せる。
「はて、それが思い出せなんだ、困っとる」
Jは予想通りの答えに曖昧に笑い、隣で腕組をしている雪に助けを求めてみるが、やはり彼は動かない。内心ため息交じりに、もう一つ問いかけてみた。
「友人のお名前は?」
「・・・・わからん。今では大切な者の名前も忘れてしもうたわい」
老人はそう言って笑ったが、その笑いがどこか淋しげでJは胸が締め付けられる。
「お爺さん・・・」
「心配はいらんよ。わしゃ、元気だ」
「・・・」
老人はあくまで明るく振る舞う。その明るさが余計悲しくさせていた。この人と自分は似ている。Jはそう思った。大切なモノを忘れ、大切な人の名も忘れ・・・彷徨う。自分もそうだから・・・心から力になりたいと思った。ふと、隣で黙っていた雪が口を開く。
「・・・爺さん、場所は?」
「・・・それも覚えとらん」
「名前じゃなくて、景色とか、音とか、何でもいいぜ」
「景色・・・音・・・のう」
雪の問いかけに、老人は頭を悩ませ始める。何か心当たりでもあるのだろうか。二人はその場で見守る事しか出来なかった。暫くして、老人が顔を上げる。思い出したのだろうか。
「そうだ」
「何か思い当ったか?」
「そうだ・・・確か大きな木と、近くに小さな祠があった」
「大きな木と・・・祠?」
「そう、わしらはよくその木の傍で遊んだんじゃ」
「・・・・」
雪は黙りこむ。もう少し何かが欲しい。情報となる何かが・・・。
「爺さん、他にないか?」
雪は思わず聞いていた。老人はまた考える動作をしてから、大きく一つ頷いた。
「そうじゃ、あの祠は火の神様を祀っとった。町は道が整理されてて、綺麗なとこじゃった・・・」
(「大きな木」、「祠」、「火の神様」・・・「整理された道」・・・)
雪は老人から齎されるヒントを頼りに考える。その眼はいつになく真剣で、口数も少ない。Jは隣で見守ることしか出来なかった。
(駄目か・・・・一旦、局に戻るしかねえ・・・)
何となく当てはまりそうなのに、当てはまらない。パズルのピースを頭の中でくるくる回転させてみるが、答えは出そうにない。これなら一旦戻って、雀にでもやらせた方が速そうだ。雪はそう思った。
「爺さん、またなんかあったら教えてくれ」
雪の言葉に老人は考えるのを止め、頷く。そのまま雪は立ち上がると、部屋から出ようと歩き始めた。「ちょっ・・・ちょっと、雪さん!どこ行くんです?!」
「局に戻る」
「戻るって・・・」
Jは慌てて雪の前に立ちはだかると、困惑した表情で尋ねる。その視線は後ろにいる老人を気にしていた。だが、雪はそれさえも気に留めず「お前はここに居ろ」とだけ言い捨てて、Jの横をすり抜けていく。Jはその手を掴んだ。予想以上に細い手首だった。
「俺だけいるんですか?」
「何もするなよ」
「何もするなって・・」
「居るだけでいい」
「・・・何しに行くんです?」
どうあっても自分の事を置いていく気らしい彼に、Jは無理やり自分を納得させ、けれども何をしに行くのかだけは聞くことにする。
「情報を取りに行く」
「情報、ですか」
「ああ」
雪は急いでいる様子で、これ以上のやり取りは無意味になりそうだった。
「気をつけて行ってきてくださいね」とだけ呟いてから、掴んでいた腕を放し、道を開ける。雪は一つ頷いてから「すぐに戻る」と言って、去って行った。室内に静寂がおりる。
「・・・待つかね?」
「待ちましょう」
「信じてるのかい?」
「・・・大丈夫。雪さんならきっと高久さんの記憶に繋がる手がかりを探して来てくれます」
Jは自分に言い聞かせた。互いに向かいあい、取り残されたJと「金子 高久」という老人は、そのまま何をするでもなく椅子に腰かける。雪が戻るのを待つことにした。
一方、雪は事務所を抜け、管理局に戻ろうとしていた。色とりどりの部屋のドアを横目にしながら先を急ぐ。その時だった。
「雪」
背後から、唐突に誰かに呼び止められる。そこには「要」がいた。