孤独の音《4-3》
街に戻り二人は人混みを避けるように一つの店へと居を移す。地上にいてもなお管理局からの“情報”を得られる場所「インターネットが使える喫茶店」――いわゆる“ネットカフェ”と呼ばれる場所の狭い個室に二人は密着する形で入りこんだ。
直接触れる肌の感触は自分のモノではないのに、思わず身体を引いてしまう。他人の体温に触れることはあまり好きではなかった…。
「っ悪い」
「…いや」
「……なんか結構狭いんだな」
「…そうか? こんなものだろ」
畳二枚分くらいの広さの部屋に、ソファが一つと備え付けのデスクに置かれたPC画面が一つ。二人はその画面を食い入るように見つめる。
実は地上探索型管理官であるイチや、空間移動管理官である雪が地上に降りて行動するときにはこういった店を利用することが多い。勿論どの店のどの機械でも通じる訳ではなく、ある程度利用できる店と機械は限られているわけだが…。
――そこんとこが不便だよな…ホント。
長い髪を後ろに払い雪はソファに身体を預ける。
仮の身体ではなく“生身”の身体であるせいか、いつもよりも数段疲労の蓄積が早い。地上に降りている間は、その期間が一週間程度ならば適度な仮眠だけで事足りていたのだが、今回はどうもそうはいかないらしい。身体が疲労と共に“眠気”を訴えて雪の意識を重く沈めて行く…。
眠りにつく刹那――聞き覚えのある声を聞いた気がした。
*
一方、記憶管理事務所内――。
いつもより静かな事務所内「管理局」に響くのはキーボードを叩く音と、無機質に動く機械の音だけ。そこには雀と、狐の姿しかなく“塁”は出払っていた。そして――。
「――っ」
「…雀?」
不意に息を飲んだ片割れの様子に気が付き、書類整理をしていた狐は本棚の間からひょっこりと顔を覗かせる。その瞳が訝し気に揺れた事に気づくモノはいない。
灯りをつけていない部屋の中は薄暗く外から差し入る陽の光と、幾つも並べられたパソコンのモニター画面からの光だけが二人の位置を教えている。互いが互いの存在を感じられる場所に居る事が当たり前だった。
不意に俯く雀の姿を視界の隅に確認して狐は傍へと歩み寄る。彼の隣にしゃがみ込んでその顔を覗けば、何処となく辛そうに寄せられる眉根と、きつく閉じられた瞳――そしてその手は首に架かる“戒めの輪”へと伸ばされていた。
思わず雀の肩を揺すり、その名前を呼ぶ――。そうしなければ不安で押し潰されてしまいそうだったから…。
「雀っ!!!」
「――っつぅ」
「――!?」
「…はっ」
一つ息を吐きだして添えられていた手をヒラヒラと左右に振って見せる雀。自嘲の笑みと開かれた瞳の揺れる色に狐は言葉を失った。逸らす事も閉じる事も出来ずに彼へと向けられた視線が同じ色の瞳と交われば、そっとその冷たい指先が狐の頬へと当てられ彼は微笑む。その口元に“大丈夫”という言葉を刻んで、小さな頭を自分の胸元へと抱きこんだ。不意に力強く引かれ狐は成す術もなく雀の腕の中へと滑り込む。そこに言葉は必要なかった。
「――ちょっと、ドジっただけ」
「……うん」
「探してた情報と、俺らの探せない情報が偶然重なってた――」
「………うん」
互いの表情は見えないけれども、その心は痛いほどに伝わってしまう。
少し震える彼の指先と、彼の背に添えられた掌の指の冷たさは同じモノ。本来ならば消えてしまっていた“命”を繋ぎとめたのは――お互いへの気持ちと執念であり、そして課せられたモノは“誓約”と言う名の“鎖”だった。
気まぐれに留まらされた命が、元は一つであった命が離れてしまった事が悔しい。でも、それ以上に互いが互いを思い合えるこの距離が二人を支えていた…。
「狐…ごめんな」
「…うん」
「……ごめん」
「………」
謝る彼に何も言うことが出来なくて、狐はただその背を優しくさする。そうすることでこの気持が届けば良いと願いながら…。本当は分かっているから、そこに言葉は存在しない。これまでも、そして“これから”も――。
「入るわよ――っ!!」
ノックの音もなく豪快に扉が開かれ、辺りに立ち込めていた“憂い”は何処かへと吹き飛ばされる。開いた扉の入り口には廊下の明るい陽を背負った華奢なシルエットが仁王立ちのように立ち塞がっていた。それは突然の再会――。
「なっ、お前っ――」
「――!?」
絶句している二人をよそにその年頃の少女は5センチほどのヒールの高さのニーハイブーツをカツカツと打ち鳴らし部屋の奥、二人の前まで歩みを進める。その足音は止む事を知らない。
迷うことの無い足音に、勝気な瞳。肩口で切り揃えられた茶色の髪には青い花飾りが揺れて、微かに鈴の様な音が風に響いた。彼女は…。
「邪魔するわよっ」
「お前っ、相原……」
眉根を寄せて少女を見る雀の眼差しは常よりも険しい。狐も何処となく不安気に視線を揺らすと少女の真っ直ぐな瞳を見つめ返す。どちらの瞳にも“戸惑い”の色が見て取れた。
「なんで“案内人”のお前がココにいるっ!?」
「……」
「答えろよ」
雀にきつい言葉をかけられても動じることなく少女は上から二人を見下ろす。雪によく似た意思の強さをもつ、けれども管理官とは決して相容れない立場にいる“水先案内人”の少女――相原 心――はただ言葉もなく二人の先のパソコン画面を見つめた。その刹那――。
「心――っ」
開け放たれたままの扉から慌てたように飛び込んできたのは塁――そして見慣れない少年の姿がそこにある。塁は困ったような苦笑いをその口元に浮かべて三人の元へと歩み寄り、その口を開いた。
「ごめん、二人とも」
「塁! これはどういうことだよ?」
「――どうしてココに彼女が?」
「……うん」
曖昧に相槌を打つと徐に視線を泳がす塁の後ろから少年は音もなく近づくと、まるでそれが当たり前のことのように衝撃的な一言を告げる。
「心は本日付けで“空間移動管理官候補”となります」
「――っ!?」
「…何を…」
「何だよ、それ」
静かな室内に雀と狐の声だけが響く。
心と呼ばれる少女も、塁も、そして謎の少年も誰ひとりとして、それ以上口を開こうとはしなかった。ピリピリとした緊張感を張り巡らせ、それを壊すのは唐突に繋がる無機質な電子音。その場にいた全員の視線がモニターへと移れば、そこには数字と文字が意味を成さずに羅列となり画面いっぱいに蔓延る。カタカタと操作もしていないのに勝手に打ちつけるキーボードは誰の意思とも取れずに情報の解析を行っていく。
それが終わるのを待たずに雀は徐に回線を横取りすると、違うモニターを立ち上げて何処かへと連結する準備に入る。
事態は動き始めていた――。
*
暗い意識の隅に微かに聞こえる電子音と人の声。
―――これが……ですか…
―――ああ。
微かに息を漏らす男の笑い声。何処かで聞いた事のあるような…懐かしい感覚に雪は眉を顰めた。
沈んでいた意識の淵に差し込む光は、どこかあの景色に似ている気がする。呻るように重い身体で身動ぐと肘が何かにぶつかった。
「――っ」
「??」
「神谷、もう少し寝像よくはできないものか?」
「……えっ」
不意に呼ばれた名前に振り返れば、微かに眉を顰めた男の顔――その手は右のわき腹を抑えて冷たい視線で雪の事を見ている。そこで初めて自分が彼に肘鉄を喰らわせてしまった事に気づいた。なんというか――言葉も出ない。
「……」
「なんだ?」
「あっ、その、ごめん?」
「…何故疑問符をつける?」
「…うん」
決まり悪そうに視線をずらせばイチが小さく息を吐く。その眼は依然パソコンの画面へと向けられている。
「えと…どう?」
「……」
重い身体を起こして雪は身を乗り出すように彼の横から画面を覗きこむ。狭いせいで密着してしまう身体を気にするでもなく、彼はついた頬杖をずらさずに無言のまま視線だけを彼女へと向けた。そして空いた左手をふらふらと彷徨わせると画面の中央へとその骨ばった指を持ってくる。
「……」
「これから始まる」
「…?」
「先刻、雀から合図が来た」
画面には黒地に緑色の文字の羅列が並んでいる――いや、蔓延っていると言った方が分かりやすいかもしれない。勝手に動く文字たちを眼で追うでもなく隣にいる男はただ茫然とその画面を眺めている。ちかちかと点滅するようなその動きに雪は一瞬で眼を逸らした――これは、眼に悪い。
「俺、これダメ――眼が痛い」
素直にそう告げると微かに息を漏らす音が耳につく。それが嘲笑なのか何なのかを知る由もなく顔を上げれば、眼の前に優しい影が差した。
「うわっ――」
「なら、見なければ良い」
「って、えっ?!」
その影を作っているのが彼の無骨な手だと気付くのに時間はかからなかった。守られた視界の指の隙間から微かに覗く彼の表情はいつもと変わらないのに、画面から送られる緑色の淡い光に照らされたイチはいつもよりも優しいような気がした。微かに心臓が跳ねる。それが自分の物なのか、それともこの身体の少女―福山悠里―のものなのかは分からない。けれどもこの瞬間向けられた“優しさ”は他でもない自分の為にあるのだと思うと、何となく温かい気持ちになる。こんな風に誰かと過ごす時間ならば悪くない。
――なんて…柄にもない。
奪われた視界を好都合とでも言うように眉を顰めると、心の中に一つ溜息を落とす。この優しさは自分に向けられていいものではない。そう思うと、温かさとは別の複雑な温度が胸に湧き上がってくる。だから彼の手をそっとどけて不意に雪は顔を逸らしてしまう。
「神谷?」
「いや…もう大丈夫…だから」
歯切れの悪い言葉たちを並べて雪は深くソファに身体を沈める。一瞬彼の視線を感じたが、次の瞬間にはその視線は外され何事もなかったようにパソコンの画面へと戻された。
――暗黙の了解…か。
お互いの過去に触れないこと。傷には見て見ぬふりを――関わるのならば、その“記憶”全てを受け入れる覚悟で臨みなさい。
それが“管理官”の中の暗黙の了解。これがある以上お互いにお互いの事に干渉することは出来ない。
――それを認めた瞬間、俺たちはその“権利”さえ失うんだ…。
関わる事を怖がればそこに待つ暗い過去や、醜い傷に触れなくて済む。例えまだその傷跡から紅い血が滲んでいようとも…。
長い髪の間から深い溜息を零す。その刹那、まるで雪の吐息を打ち消すように甲高い電子音と共に画面の中の緑の文字たちがぐにゃりと歪んだ――。
「来たかっ」
「――ああ」
思わず飛び起きるとイチの肩を掴んで身を乗り出す。肩に滑る髪を後ろに払いのけ雪は徐に腕時計を確認する。時刻に狂いはない。管理事務所のある閻魔庁と地上では時の歩みが違う――だからこれは今の閻魔庁の時間。そして、記憶の海の中にある“核”の時間。核の起動に必要な動力は莫大、その上負荷も多い。五分程度の物事が何十倍もの電力――例えば地上で暮らす人類が一日に必要とする電力量に相当する――を喰らう。その為、繋がる時間は極僅かでそれ以上の負荷は核の存在や地上における人類の生活を揺るがすものになってしまう…それが今の閻魔庁と管理事務所の状況。
「出来るか?」
「やるしかないさ」
「頼む」
「……」
カタカタとキーを打ち込む音と、次々に移り変わる画面に眼を走らせる。多分今頃は事務所内でも“雀”が同じように作業を行っているはずだ。そうして時計とイチとを交互に見やれば焦る心とは裏腹に彼は呼吸一つ乱さずに与えられた知識と情報を一気に“海”へと流す。その手なれた様子に雪は眼を瞠り見守ることしか出来ない。
――さすが“地上探索型管理官”を一人で担ってきただけのことはある。
その力量は如何ほどか…。
推し量れるものはないけれども、管理官として古株の雪からしても彼は優秀な人材だと解る。これなら“雀”にも引けを取らないかも知れない。そう思わずにはいられなかった。
次第に浮かび上がる文字の羅列の中に見え隠れする映像――どこか見覚えのある景色と白黒の靄がその視界を遮る。
眼を凝らしてその映像を見つめれば同様に頭に鈍い痛みが走る。まるで鈍器で殴られたような重い痛みと警笛のように耳をつく甲高い音に思わず眉を顰め息を詰めるが、痛みは次第に大きくなるばかり――掻きむしるように頭を抱え雪は眼の前にあったデスクに額を擦りつける。
「――っつぅ」
「神谷!?」
「ばかっ…集中して…ろ」
「―――ああ」
止まない頭痛の隅で止まる事の無いイチの指の動きに、その音に安堵する。今は情報を集める事を最優先にしなければならない。それはよく分かっているはずだ。だから――。
「――くそっ」
荒い呼吸を吐きながら身体を起こす。自分自身に命令するように“動け”と言い聞かせれば制止するイチの声も今は耳に届かない。痛みに眼の前がちかちかと点滅し始め、それでも眉を顰めながら画面を覗く。どこか見覚えのある場所――なのに思い出せない。それがもどかしかった。その時――
「これ、“海”の中ですよ――――雪さん」
その声に、鳴り響いたいた音と頭痛が止んだ――。
不意に顔の横を掠める見慣れぬ色の制服に、鼻先を擽る匂い。その聞き覚えのある声に雪は驚いて振り返る。そこには、あの日確かに別れた男“J”――正確には「瀬名淳一」――の姿があった。
雪が振り返ると、そこにはあの日別れた筈の男「J」の姿があった。
彼は何故再び現れたのか!?
そして候補生「相原 心」とは!?
☆こんにちわ。
普段なら二話に分けて更新するんですが、ちょっと中途半端だったので一話にまとめました^^;
そしたら文字数が珍しく五千越え…。
地上と管理局、二つの場所の動きを交互に追うせいで凄く読みにくいかと思われます。しかも文字数多いし…。
そしてそして、なんと今回からまた更に新キャラが☆
緋花李さまにお願いしたところ「相原 心」ちゃんと言う素敵可愛いキャラクターを頂けました(゜-゜)♪ありがとう、ひかりん(笑)♪
彼女の今後にも乞うご期待です!
……なにも考えていないけど…(^_^;)
そんなこんなで更新です!