孤独の音《4-2》
自分の罪の重さを思うと、いつだって浮かぶ顔がある。
与えられた“咎”がこの僅かばかりの心を支え、そうして今も僕を生かしている。
憎しみよりも。哀れみよりも。
今もこの心を埋めるキミへの“愛情”だけが、“瑠衣”であることを忘れさせなかった――。
――ホント、つくづく人って生き物は強欲だよ。
薄暗い室内の冷たい窓ガラスに額を擦りつける。
今日は一段と冷えるのか、その無機質なガラスは白く濁り今にも泣き出しそうな表情をしていた。呼吸でより一層白くしたソレを人差指で軽く撫ぜれば浮かぶ文字は無意識にも人の名前を模っていく。“芽衣”――と。
「っは…何やってんだか」
自嘲を漏らした唇は、その眦は哀し気に八の字を描き出して細められ誰に見られる前に彼はガラスに映し出された名前を掌で消した。
その刹那。
「塁? いるの?」
扉越しにかけられた声に思わず肩を震わせ息を飲む。扉のすりガラスに映る人影は華奢な女性のもの。ともすれば、訪れたのは“狐”だろうか…。
「…どうぞ」
一つ息を吐いて平静を装うと、塁は立ち止まる人物を部屋の中へと促した。
*
一方、地上――。
開けたリビングに通され眼の前に広がった光彩に眼を細める。
古びた木造の建物の中は割と真新しくてきちんと整理された室内の中に所々広がる玩具たちが返って色を出していた。何処となく懐かしい人の気配と差し込むの陽の匂いが鼻をつく。一つ呼吸を落として眼を開けばそこにはお世辞にもきれいとは言えない萎びたピアノと、それを叩く綺麗な指の――よく知る横顔があった。塁だ――。
「―――るっ」
「違う」
思わず出かかった言葉を無理矢理イチによって塞がれると、耳元に響く微かな声が表情を変える。どうして彼は動揺しているのだろうか…。そして。
「芽衣――」
イチの声に反応してよく知る横顔の肩が揺れる。伏せられていた頭は上げられその眼がイチを捉えて瞬間、驚いたように見開かれた瞳――そして少女は控えめに笑顔を浮かべた。
「…一喜?」
「ただいま、芽衣」
少しの距離を置いて視線を交わす二人の間には、何故だか“寂しさ”とか“哀しみ”の色が漂っている。本能的に雪はそう思った。それが何かは分からないが――。
深く交わされることの無い会話を流して、芽衣と呼ばれる少女にイチが二言三言事のあらましを説明するとイチの後ろに立つ雪を覗きこんで彼女はそれまでとは違う“笑顔”を向ける。その笑顔に重なるのはよく知る人――塁の面影。
「いらっしゃい。こちらへどうぞ」
ふわり漂う花の香りと柔らかな少女の白い手が雪の冷たい掌を覆えば、言葉もなく少女に手を引かれ奥の部屋へと誘われた。――着替える為に。
「どんな服が良いかしら」
「……」
独りごとのように呟く少女の背を見つめ雪は茫然とその姿を眼で追う。意図していた訳ではないが、同じようなお姫様カットの長い髪が揺れるたび、その横顔が、長い睫毛の瞳が伏せられるたび、口元が優しく笑みを刻むたびに――彼を思い起こさせた。
――違う。こんな風に干渉することはいけないことだ…。
本当は気付いている。
この少女が塁に――“駆城瑠衣”に直接関係する人物である事を。
街で偶然すれ違う程度ならば気付かなかったかも知れないが、今は生存していた頃の、普通に人生を歩んでいた頃の瑠衣に一番関わりの深かった“一喜”と一緒にいて、そうして彼が連れてきた場所に“彼女”がいた。否定すればするほどに湧き上がる“確信”に雪は独り眼を伏せる。
――こんなの“本望”じゃないだろ?
あの頃の記憶はない。
瑠衣が“管理官”になった時のその経緯と思いを“雪”は知らない――。
知っているのは彼だ。この記憶は全部彼のモノなのに…それをどうして今思い出す?
――何も出来ないのに…してやれることなんて何一つないのに…。
いつの間にか見つめていた少女の瞳と自分の瞳が交差する。どうしようもなく泣きたい気分だった。
「どうしたの? 大丈夫?」
「―――」
何も言えなくてただ俯く。
その瞳を真っ直ぐに見つめることなんて出来ない。それなのに――。
「大丈夫よ…大丈夫」
「――っ」
不意に引かれた身体を少女の温もりが包む。抱きしめられている事に気づくまでに少しの時間がかかったのは言うまでもない。近づいて余計に強くなった塁の気配を打ち消すように、雪は少女の身体を勢いよく離した。
「ごめんっ、あの、俺っ」
動揺を隠せずに雪はただ謝る。その頭上に少女の柔らかい笑みが降った。
「良いの…私こそ急にごめんなさいね」
「……」
正面で見る少女の笑顔はきっといつの日にか瑠衣に向けられたものと同じ――そう思うと余計に胸が苦しかった。その時――。
「雪、芽衣」
不意に室内にノックの音が響いてドア越しにイチの声が聞こえる。その声に雪は思わず安堵の息を漏らした。そんな雪の様子に気がついたかどうかは分からない。けれども少女は「今行くわ」とドア越しに声をかけて、それからもう一度柔らかく微笑んだ。
「さぁ、これを着て――貴方には成すべき事があるのでしょう?」
「―――っ」
「事情は分からないけれど…今貴方に出来る事をした方が良いわ。後悔をしない為に」
「それっ」
瑠衣と同じ言葉を囁く少女を見つめる。
その眼は一点の曇りもなくまっすぐに雪へと向けられていた。
手早く着替えを済ませ木造の建物を立ち去る――。
その背には一言「全ては神の御心のままに――」という少女の餞の言葉が掛けられていた――。
お久しぶりです。
一月以上のお休みを頂き、なんとか桜が本格的に開花する前に活動再開ができました^^
読者さま、お気に入りに入れて下さっている方には長らくお待たせしてしまいすみませんでした。
今後の展開としては新キャラ登場、続編の内容もちょろっと入れつつ更新していきたいと思います。
言い訳がましいですが、作者の頭の中には何の展開もありません。
行き当たりばったりで本人(雪たち)の動きを追っています。
今後も彼らの活躍を生ぬるい目で見守ってやって下さい。
彩人。