孤独の音《2-3》
室内には二人きり。お互いに言葉はなくて、ただ同じ空間の中に違う存在を感じていた。
不意に視線をあげれば、昇り切ったお日様を背に何やら彼は考え事をしているようにも見える。その憂い顔にそっと触れてこちらを向かせたくなるが、その心を何とか抑えて塁は小さく溜息を零す。
「…雪?」
「――っ?」
声をかければ小さな肩を震わせ、交わす視線は揺れている。なんて表情をしてるんだろう…塁は苦い笑いを飲み込むと、温かい日本茶の入った湯呑を彼へと差し出した。まだ熱く白い湯気の昇るソレを手に取り、そっと口をつける。日本茶に適した飲みやすい温度の湯で入れられた玉露の香りが鼻先を擽り雪は不意に目を細めた。一口、また一口と口内に含めば広がる甘い味に肩の力が抜けていく…。そう、こんな感じ…。
――気にしても、仕方ない…か。
去り際に告げられた上司―要―からの言葉に思いを馳せ、気が付けば他のメンバーが集まる時間になろうとしている。何をそんなに考え込んでいたのかと我にかえり雪は自嘲の笑みを浮かべた。そして。
「…ぃーっす」
「おはよう」
嵐のように慌ただしくドアが開き、寝惚けた―まだ眠そうな―雀と、いつもと変わらずきちんとした格好の狐の姿が現れる。狐は二人を見ると、少し意外そうな表情を浮かべた。
「あら…早いのね。雪」
「ん?」
「あ~?」
雪が間の抜けた声を出すのと、これまた怪訝そうに雀が振り向くのはほぼ同時で二人は顔を見合わせて苦笑いを浮かべる。互いに次の言葉を考えて、先に口を開いたのはやはりというか雀だった。
「そういや…そうだな」
「……」
「どしたよ、雪」
面白そうに告げられる言葉とは裏腹の心配そうな色を映した瞳に雪は俯く。“どうしたのか”と聞かれて答えられるような“コタエ”など持ち合わせてはいなかった。黙ってしまった雪を見かねて塁がその間に入る。
「おはよう、二人とも」
「おう…」
「雪はこれから僕と仕事だから、また後でね」
「え?」
「雪が“お前”と!?」
塁の言葉に普段は動揺することの無い狐も思わず声を上げる。二人は驚きを隠す事もせず怪訝な表情を雪に向けた。遠慮することをしらない不躾な視線がまっすぐに刺さる。二人が言いたいことは分かっているから余計に…。
「どういうこと?」
「お前ら、コンビ解消しただろうよ」
「……だから」
納得のいかない様子の二人に雪が口を開きかけた瞬間、後ろから塁の手が伸び徐に雪の口を塞ぐ――その事態に二人はおろか、雪自身も驚きを隠せなかった。声にならない抗議の声を上げるが、その声はただくぐもった息遣いのまま塁の掌へと吸い込まれて消えた。
「僕が頼んだんだよ」
「塁がっ!?」
「そう…」
ジタバタと腕の中で暴れる雪を適当にあしらいながら塁は何事もない様に二人―雀と狐―に向けて笑いかける。それ以上の詮索を許さないであろう冷やかな視線を投げかけて…。
「…どうして、今更?」
「今更? どうして、そんなことを聞くの。狐」
「だって…」
そう。本当は塁自身にも分かっている。
自分が雪と組むことが“好ましく”無いという事を、彼は知っていた。それでも…。
――また君を一人で行かせるわけにはいかないから…。
この提案は雪の為であり、そして塁自身の為でもある。こうすることでお互いを縛る鎖になれば良いと――今はそう願わずにはいられないから。だから例え誰に反対されても今回の事に関して譲るつもりはない。その意思が君にも伝わればいい…。
そんな悠長なことを思っていたら突然腕の中の人物が暴れ出す。
「――っはぁっ…離せやっ!!」
「雪っ?」
「俺を殺す気かっ!?」
「……」
塁を振り返り逆上する雪に対し、当の本人は表情を変えずに小首を傾げて見せる。何だろう…怒る気さえもそがれる微笑みがそこにはあった。
勢いを殺され、雪は盛大な溜息を一つ吐く。これ見よがしなその溜息に彼は苦笑いを浮かべるとスッと自分の髪を掻きあげた。その刹那、見える傷跡――タートルネックの首元と髪に隠れていた首筋――に雪は思わず目を伏せる。微かに覗く痕は、彼の憎しみの証だから…。
「?」
「……」
不意に逸らされた視線に気が付いて塁はハッと息を飲む。それから出てきたのは苦い笑いと複雑な表情だった。そしてまた傷跡を隠すように髪を下ろす…。
「ごめんね…」
「見てないから」
「うん」
「……」
嫌な物を見せてしまった事を謝れば返ってくるのは素っ気ない返事。それが二人の間にある距離であり、侵してはいけない領域だから…。
――僕らはまた見ないふりをするんだ。
一層その闇を濃くした瞳を覗きこむ彼に塁は笑いかける。その刹那―、
「俺は“塁”だから、一緒にいるんだからな」
「…?」
「分かるか?」
唐突な言葉に目を見張れば、同じようにキョトンとした表情の雀と狐まで巻き込んで彼は力強く口角を吊り上げ上目づかいに笑って見せる。そして状況の掴めていない周囲に向かってもう一度念を押すように“塁が必要だ――”なんて告げた。そんな君だから…。
――本当に敵わないな…。
黒い感情も、この暗い闇の様な腹の底も、きっと君の中では意味の無いもの。そうやって、暗い自分に囚われようとする“塁自身”を意図も容易く救いあげて光の指す方へと連れ出すんだ。きっと。
「…そう」
微かな溜息が背後から洩れ、狐が少し呆れたように頷く。振り返れば二人は複雑そうに、けれどもお互いに手を取り合って微笑みかけてくれていた。
「貴方達が納得しているのなら、それでいいわ」
「俺らが反対する事じゃないしな」
曖昧な表情で頷いて笑顔を浮かべれば、同じように、鏡のように彼らは表情を返す。その微笑みに“ありがとう”と小さく呟き返していた。そして。
「行こう、塁」
「……?」
「“依頼主”が待ってる」
不意に引かれた手の平は温かな温もりに包まれる。驚きに目を見張れば彼は確認するように“そうだろ?”と視線で問いかけた……その手を強く握り返す。
「うん…行こう」
「……おぅ」
見つめた瞳の中に映る自分が“塁”であることを確かめて、そっと目を伏せて頷いていた――。
謎めく会話にネタばれの予感^^;
どうも今後の展開が頭の中をちらついてしまい、こんな風な話の進み方になってしまっています。
気がつけば”J”がいないと管理事務所に集まる人数って限られてるんですよね…。
ちょっと寂しいな~とか思ったのは作者の気のせいでしょうか…^^;
☆年内にもう一話up出来れば良いな…(゜-゜)