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ノスタルジア管理局  作者: 彩人
孤独の音
42/86

孤独の音《2-1》

 夢を見た。

 もう忘れてしまった過去の自分と、今は傍にいないかつての同胞がそこにはいた。きっと昨日の昼間、雪と話したせいだ。彼女の“サンクス”の言葉を聞いたせいだ…そう思う。


 寝起きの汗を流すように個室内に取りつけられた簡素なユニットバスに足を運び、冷たいままのシャワーを頭から浴びる。

 この瞬間の“禊”のような感覚が塁は好きだった。

 汚れた自分の身でさえも清めてもらえているようで――。


―居なくなってからは思い出す事もなかったのに…。


 彼がいなくなり随分の時が立つ。

 時間という概念は管理局(ここ)にはないが、それでも経た時は取り戻せずに流れていく。塁がここに来て、彼がいなくなり、雪が動き出す。まるで定められた運命という名の歯車が第三者の手によって回されているような違和感の中、それでも彼は盤上に自分の駒となるべくモノを揃えようとしていた。


―もう少し…なのか。


 応える者はいない。

 室内は次第に温かくなったシャワーの湯気で満たされ、水の流れる音と共に塁の溜息さえも飲み込んでいく。それが丁度良かった。

 この考えは決して口に出してはいけないもので、言葉にした瞬間に効力を失ってしまうだろうから…。


「そうだろう…ライ?」


ぽつり呟いてシャワーを止めれば、すぐに室内は晴れていく。

用意しておいたバスタオルで身体を拭い、髪は簡単に水気をとる。そのまま身体にタオルを巻いた状態で鏡の前に立ち髪を整えると、ふとその視線に気が付いた。

 鏡に映る自分の顔を眺め、そこに映る歪んだ笑みに眉を顰める。何も変わらないこの世界で唯一変わった髪の長さだけが、未だ自分の中に“瑠衣”がいることを教えた。長い髪に隠れる首筋には今も消えぬ―まるで戒めの様な―痕。憎しみの刻印(しるし)

 自分の顔に見惚れるわけもなく嘲ると、同じように返す鏡の自分に背を向け部屋を出た。


―今日は…。

 

素足で踏むフローリングの感覚を冷たいと感じながら塁は予定を確認しながら歩く。

そのままクローゼットの中から襟足の高い藍色のタートルネックを取り出すと、彼は慣れた手つきで袖を通した。

 合わせるジャケットはオフホワイトで、落ち着いた印象の中に清潔感を持たせる。

 今日は依頼主(クライアント)を迎えに行く事になっているから、第一印象には特に気を使うのだ。度々女性に間違われる長い髪を頭頂部で一つに結上げると塁は大きく息を吸った。


「―っよし」


 しっかりと眼を開けて自分自身に気合を入れる。

 いつもより少しだけ気分がよくて、少しだけ憂鬱な朝の始まりだった。




管理事務所内・管理局――。


「おはようございます」

「おー…」


 誰もいないと思われた夜明け前の薄暗い室内から、気の抜けた声が返り塁は驚く。辺りを見回しても動いているモノはおろか、人影さえ見当たらないこの場所に一体誰がいるのか…訝しく思いながら部屋の電気を点けた。


「うっ…眩し~ぞ…こら」

「―っ!?」


 入り口近くのソファに寝転がるオヤジ―もとい二十代後半―が一人。隠れるでもなく堂々とその大きな身体を投げ出している。サイドテーブルには山のように積まれた吸殻が灰皿いっぱいに乗せられ今にも崩れ落ちそうになっていた。

 その有様に思わず声を荒げる。


「要さん!」


 名前を呼ばれた男は気だるそうにソファに投げ出していた足を下ろし、身体を起こす。そのまま背もたれに深く身体を埋めて見せれば塁は呆れてモノが言えなくなった。


―この人はっ……。


 溜息一つで会話を終わらせると、塁は自席に荷物を置く。

 必要なデータは全て頭の中に入っているが、なにぶん管理局(ここ)には雑務が多い。同僚たちの性格上、それらを好んで片そうとする人間はいないし、何より彼らはそんなに几帳面な性格でもない。必然的に自分がこなさなければ物事や埃が溜まって行くのは道理だ。だから荷物も増える…。

 邪魔になる上着をきちんとハンガーにかけ共同ラックに吊るすと、徐に袖口を捲り上げ彼はキッチンへと移動する。その靴音は明らかに彼の心情を表しカツカツと甲高い音を立てていた。


「…今日もご苦労だな」


 怠惰な上司が発する声を右から左へと聞き流し、彼は使い古されたやかんを手に取ると

水を溜める。それをガス代へとかけ、足早に今度は談話室内に散らばるゴミ屑やら書類、その他の雑誌などを手早く仕分けしては片づけていく。意図して結上げてきたわけではない頭上の髪が屈むたびに頬に落ちてくるくすぐったさに眉を顰めるが、それでも動きやすさを考えれば下ろすのは得策とはいえない。

 落ちてくる髪を一房取れば色素の薄い銀髪がさらさらと指の間を滑り落ちた。

 その髪の色に思いを馳せれば、現実に引き戻さんとけたたましく鳴り響くやかんの笛吹く音に追い立てられる。仕方なく片づけを中断して簡素なキッチンに戻ると手を洗い鳴り響く音を止めた。



「要さん、ブラックで良かったですよね?」


 コトンッと彼専用のマグカップをサイドテーブルに置き、まだ眠そうに眼を閉じていた男に声をかける。その声に驚く様子もなく生返事を返す姿を横目で確認して、塁も彼の前の席に腰掛けた。


「どうしてこんな処で休まれてるんです?」

「ん~?」

「お部屋で休まれた方が疲れも取れるし、効率的でしょ?」

「……」

 

 視線を合わせずに塁は香りたつ湯気に眉を顰める。

 珈琲は嫌いではないが、あまり好んで飲みたいとも思わない。普段ならば日本茶か紅茶を淹れるのだが、今日は自分一人ではないため眼の前の男が好む“珈琲”を敢えて選んだ。

室内に広がる匂いに要は伏せ眼がちに口をつけると、満足そうにその眼を細めて見せる。

 塁も自分のカップの中身を少し揺らしてから火傷しないように口をつけた。

 たちまち口腔内に広がる香りと苦み、そして少量のミルクがそれらを中和していく。これくらいなら飲めそうだ。


「うまいな…」

「…? ありがとうございます」


 呟かれた言葉に相槌を打つと、彼は徐に塁へと視線を向ける。その眼が常よりも真剣に見えて、思わず塁も目を合わせた。


「なんです?」


 怪訝そうな表情を浮かべ尋ねる。

 他人の行動を観察することは好きだが、反対に観察されることは得意としない。それどころか軽い嫌悪感さえ覚えてしまう…。


挿絵(By みてみん)


 カップを右手で持ち塁は足を組み直す。静まり返った室内には二人きり…それも考えの読めない―多分、腹黒な―年上の男で、自分の上司にも当たる。居心地の悪さを覚えながら肩にかかる髪を払うと、塁は溜息を一つ吐いてから立ち上がった。その刹那―。


「今日会うのか?」

「……?」

「依頼主と」

「……ええ?」


 当たり前の事を聞く上司の言葉に塁は眼を見張る。

 中間管理者である自分が会わずに誰が会うと言うのだろうか。それ以前に今日会うことになっている依頼主の情報を知っているのは管理事務所の中では要の秘書である女性と、自分しかいないのだ。他のメンバーには仕事を振る際にしか説明されない事になっている。


―余計な気を回させたくないし…。


 先に情報を与えて、依頼主に感情移入されれば面倒な事になりかねない。同情も、怒りも哀れみも、彼ら“管理官”には必要のないものだと塁は思っている。勿論、それは中間管理人である自分にも言えることだが、塁は完全に割り切って考えていた。

―自分には関係ない…―と。

稀にそう言う感情にのまれ単独行動をしたり、その代償の大きさに痛い目を見る人間もいるが、些細な問題行動には眼をつぶるしかなかった…。

 もっとも感情の波にのまれ問題行動を起こす人間なんて限られているのだが…。


―彼は人の痛みを知り過ぎてる…。


 自分が傷つくことよりも、人の痛みを恐れ、哀しみ、そして愛する。ぶっきらぼうな言動や態度をとった処で彼の人間性が変わる訳もなく、だから彼を見ていると不安になる。

 “優しさが仇になる”のではないかと…。


「塁」

「??」

「考え過ぎだ…」

「…何をです?」

「……」


 知ったようなことを言う上司に些か腹が立つ。

 何も知らない癖に。痛みも、哀しみも、そして彼の事も。その上、自分()自身の事にまで知ったように口出しするこの男が許せなかった。

 不意に視線をカップの中の揺れる液体にそそげば、もう冷めてしまったであろう珈琲は塁の顔を映しだす。そこにあるのは紛れもない塁自身だ。


―違うな…。


 この男は知らないんじゃない。

 むしろ何もかもを知った上でここに“最高責任者”としているのではないだろうか。この先に起こる事も、起こそうとしているモノの“結末”も全て受け入れて…。

 思い当たる節はいくつもある。

 鼻先に香ってきた焼ける紙と煙草の匂いに顔を上げれば、彼は思いに耽るように宙を見つめていた。その先にあるのは“希望”か“闇”か。

 

―あるいは“両方”か。


 陰り始めた自分の思考に塁は自嘲気味な笑みを浮かべる。眼を伏せれば、その雰囲気を打ち砕く足音が遠くから聞こえ、いつしか夜は明けようとしていた。


時間軸が”現代”に戻りました^^

今回の章は”塁”の過去編なので、またちょこちょこ回想的なシーンが入ってくると思われます^^;

読みづらくならないように頑張りますが、もし何かありましたらお気軽に一報下さい……


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