孤独の音-序章-
Jが「記憶管理事務所」を去って数日。
管理局は何事もなく平和に過ぎていた。依頼や迷子は度々訪れるが、それはいつもの事。振り分けられた担当によって確実に仕事をこなし、その魂をあるべき道へと還す…。
これはそんな、静かな日々が続いたある日の出来事だった―――。
☆ノスタルジア管理局~孤独の音~
「せーつ、雪―!?」
いつもの朝が今日もまたやってくる。
呼び声の主は探す人物の居場所が分かっているのに声をかけるし、彼は彼で返事をするでもなくただ空を見上げていた。青い空が見渡せる明るい屋上に寝転んで…。
「雪っ」
「お~」
「“お~”じゃないよ、まったく」
彼は呆れたように溜息をつくと、いつもと違う雪の様子に些か眉を顰める。何処か具合が悪そうな青い顔をした彼は呼びかけに顔を上げるでもなく気だるそうな溜息を一つ吐く。その溜息に塁は更に表情を歪めた。
「どうかしたの?」
「……何が」
「何がって、顔色悪いよ」
心配して聞いたつもりが、どうも様子がおかしい。心配されるのが嫌ならば、言葉の一つも返して無理にでも笑顔をつくるはずの彼が、今日は左腕で顔を隠すのみだ。明らかに覇気がない。何があったのだろうか…。
―おかしい……あっ。
起き上がらない彼の姿に塁は頭を悩ませるが、ようやく一つの事に思い当たる。
多分、この考えは正しい…。
「もしかして、彼のせい?」
塁のその言葉に、雪の肩がピクッと反応する。どうやら図星らしい。少しだけ笑いたくなる衝動を抑え、塁はそっと彼の隣に腰を落ち着けた。
「苦しいの?」
「……」
顔を覆う左腕の上から覗き込むと、そっと声をかける。勿論返事はない。こういう時の彼はうんともすんとも言わないでただ小さく溜息をつくばかりだ…。
―仕方のない子だね…。
不意に苦笑いを刻むと、塁はそっと眼を細める。
雪は彷徨える魂だった彼―瀬名 淳一(コードネームJ)―を救うために賭けをした。管理官として前例のない無謀な賭け。勿論彼はその賭けに勝ち、負けたJは現実世界―肉体―へと戻る事になったわけだが、雪はJを地上に戻す時にあることを行った。
―記憶の欠片を取り除く…自らの体内に取り込む呪法。
本来ならば禁忌とされるこの呪法は彼だからこそ出来たものであり、また彼が決めた事だからこそ塁は黙認した。管理官の補佐役であり目付役でもある“中間管理官”―閻魔庁と管理事務所、その二つを行き来し管理官の行いを閻魔庁に密告することも仕事の一つとされている。今回の彼の行いは密告に値するもの…けれども、塁はそれをしなかった。他ならぬ―雪―の為に。
「雪、胸を貸そうか?」
苦しそうに溜息を繰り返す雪に、塁は救いの手を差し伸べる。彼がJから取り除いた欠片の名は“恐怖”と“痛み”。記憶はパズルの様なもの…欠片が一つなくなればその人物を形成するであろう情報が減る事に繋がる。それはあまり好ましいものではない。例え必要のない記憶でも欠けてしまうよりは揃う方がいい。だから…。
「…いらない」
「…素直じゃないね」
「……」
雪はその取り除いた欠片の代りに、まだ何にも染まっていないまっ白な欠片を残した。
これでJは恐怖も痛みも持たずに病気に立ち向かい、日々を過ごす事が出来るであろう…その代償を雪に背負わせて。
―個人的には許せないんだけどね…。
知らず溜息が零れる。
雪がこんな風に苦しんでいるのは見たくない…。これは個人的な感情で“中間管理官”としては正しくないことだと分かっているからあえて口にはしない。それでも、いつだって彼を心配している…。
―キミは気付いていないかも知れないけど…。
そんなことを知る由もない彼は、今も煮え切らない感情の波に押されただ短い溜息を漏らす。少し乱暴な気がしたが、塁はその身体を無理矢理に起こすと不意に抱きしめた。
「なっ―」
「……」
「塁っ!?」
「黙ってて」
慌てて身体を離そうとする雪の頭を肩口にのせ、悪戯っぽくその耳に囁く。まるで艶事のように甘い声で…。
「…おっ前…」
諦めにも似た呟きが溜息にのって溶けた。
それきり彼は抵抗するのをやめ、眼を伏せる…感情の波に押し流されない様にきつく塁の背中を抱いて…。
―ホント、もう少し“自分”の事を省みてくれれば良いのに…。
大人しくなった雪の頭を撫で、息をつく。微かに聞こえた“サンクス”の言葉にさえ塁は自嘲の笑みを浮かべた。
―あの時、僕を助けてくれたのは君なんだよ。雪。
どうしようもなく自分が嫌で、自分以外も、世界も、何もかもを憎んだあの時。憎悪の淵で違う存在に変わろうとしていた僕を見つけて手を差し伸べた――。
君たちが、今の僕を生かしたんだ…。
ようやく新シリーズ開始です。
今回は”塁”の過去編パート1になります。
Jは出てきません。
代わりに変な性格の悪いのが出てきます(゜-゜)
それでも良ければ見てやって下さい。