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ノスタルジア管理局  作者: 彩人
水底の涙
34/86

水底の涙-終章-

挿絵(By みてみん)

ようやく「水底の涙」も最終回を迎えました^^

長い間、ありがとうございました☆

 

光の届かない水の底 哀しく揺れるは 一雫

 誰も気づかない この痛み 吐いた嘘は泡沫に

 そして 浮かぶは “記憶の欠片”――


☆ノスタルジア管理局―水底の涙・終章―


バシャッ…


 全身ずぶ濡れの状態で彼は浅い小川に立ち尽くす。

 水の中で寝転んでもここまでは濡れないだろうと言うほどの浅瀬で、いったい何が起きたのか―それを知るモノはいない。この短時間で彼が行っていた事。


―“海”とこの場所を繋げる事―


 本来ならば出来るはずの無い事を、雪はこの短時間のうちに行った。もっとも、この場所が“記憶の海”と似た雰囲気を持ち、記憶の海に通じる為に必要な力が蓄えられていたからこそ出来たのだ。それでも…雪にかかる負担は大きい。


「―っはぁ」


 荒い呼吸を吐きながらふらふらとした足取りで辺へと辿りつく。自力で立っているのもやっとの状態―そう言わざるを得ない程、身体の消耗は激しかった。


―くそっ…手間取ったか。


 予想以上に持って行かれた力に雪は眩暈を起こす。遠のく意識に身を任せれば、倒れる身体を力強く支えられた。


「大丈夫か?」

「―っ?」


 閉じかけた瞼を気だるい動作でどうにか持ち上げれば、顔色一つ変えない男の顔が―いや、これでも彼は心配してくれているのだろう―そこにはイチが立っていた。


「遅くなった」

「……いや」


 謝罪の言葉を述べる彼に雪は支えられたまま苦笑いを浮かべる。そして、肩を借りたまま木陰に移動すると、木に寄りかかるように身体を預けた。


「見つかったのか?」


 疲労から来るまどろみに意識を手放しかけてイチの言葉にハッとすると、しっかりと頷く。水の奥深くに隠されていたモノ―Jの記憶―が、彼の手には握られていた。それを凝視するように見つめてイチは徐に口を開く。


「こっちも当たりだ」

「……そうか」


 要点だけを端折って伝えると、彼は口を挟む事もなく最後までただ聞いていた。時折目を伏せ相槌を打ち、その手は強く握られる。彼の中にどんな感情があるのかなんて分からないが、それでも結論は同じだと、そう思った。


「どうする?」

「どうも…賭けを終わらせるだけだ」


 視線を合わせず告げる彼は、それでもまだどこか考えている風でイチは口を噤む。手の平にコロコロと記憶の欠片を遊ばせて、けれども彼の瞳は驚くほどに真剣だった。


―何を思う…管理官・神谷 雪。


 自分よりも古い管理官である彼―いや、彼女―に、イチは思いを馳せる。彼の過去は知らない。殆ど顔を合わせる機会もないが、それでも彼が優秀である事は知っていた。そして無茶をしでかす事も。その瞳に宿る思いに彼がけじめをつけるのを待つ間、イチは不意に木々に隠された森の奥の方へと視線を送った。そして。


「―っ」


 ある事に気が付く。

 人が倒れているのだ。遠目にも分かるその姿は依頼人―J―彼に他ならなかった。


「神谷、まずい事になった」

「??」

「彼が…Jは限界だ」

「―っ!?」


 イチの言葉に慌てて振り返れば、そこに見えるは倒れている人影。霞んだ目ではその人物を特定することは出来なかったが、イチが“J”だと言うならば多分間違いないはずだ。重い身体を忘れ雪はその人影に走り寄る。


「おいっ、Jっ!!!」


 うつぶせに倒れている男の身体を揺すり大声で呼び付けるが、彼からの返事はない。慌てて背中に耳を当てその音を確認する。


―音はある…か。


 微弱なその音に安堵の息を吐くと、雪は無理矢理に彼の身体を起こそうとした。自分よりも大きい男の身体に細い腕を絡ませて必死に力を込める。息を止めてみた処で、力の入らない彼の身体はびくともしなかった。


「さがれ、神谷」


 見かねたイチが雪の肩を掴んでどくように促す。雪はそれに逆らう術もなくすっと後ろへと身体を引いた。


「…J」

 

 仰向けに返し頬を叩きながら名前を呼ぶ。

 至極冷静なイチに彼を任せ、雪はただその光景を見つめた。そして、その眉が微かに動き、眼がゆっくりと開いた。


「Jっ!?」

「……」

「分かるか?」

「…雪…さん…と」


 茫洋とした瞳が雪を捉え、イチへと移る。

 “そういえばこいつら初対面か”などと今更気が付いて、雪は苦笑いを浮かべた。

 イチは自己紹介をするでもなくJの身体を起こしてから、そっと立ち上がり雪の背後へと身を寄せた。


―そうだな…もう、名乗る必要はない…か。


 彼の行動の意図する事を汲み取って雪は二人の間に立ちはだかるように膝をつくと、静かに差し出した手の平で“ソレ”を彼に見せる。水底で見つけた“彼の記憶”を――。


「――っ」

「探し物は、コレだな」

「……」


 気まずそうに逸らされた瞳に、雪は確信を持つと一つ溜息を吐く。聞きたい事は色々あった。それでも、それを聞いたら後戻りできない事を知っているから聞けないとも思った。

 何がそんなに彼を追い詰め、絶望に追いやったのか。そして、記憶を自身で封じるなどという狂気をどのように行ったのか―。

 全ては、無言の彼が肯定している。

 だから、敢えて聞く事はしない。


―辛いのは、お前だからな。


 俯き唇を噛みしめる“J”に、それでも残酷な結果を告げる。

“お前は賭けに負けた(・・・)”のだと。

 そうして、この勝負を終わりにしなければいけなかった。彼の為にも。


「勝負は決着した。終わりだ」

「っ!?…待って下さい」

「分かってるだろ? お前の負けだ、J……いや、瀬名 淳一(・・ ・・)

「……」


 名前を呼ばれ彼が息をのむ。少し意地悪かもしれないが、もうすでに札は揃ってしまった。何より、彼自信が限界なのだ。


「俺…でも」

「言ったはずだ。お前が負けたら記憶を」

「管理局に居たいんですっ!!」


 雪の言葉は遮られ痛いほどに彼の声が響く。その姿は必死に見えた。


「短い間だったけど、みなさんに出会えてっ……金子さんを救えて…」

「……」

「楽しかったんです。凄く…凄く充実してた」

「……」

「だから」

「ふざけるなっ!」


 Jの懇願にも似た言葉を、彼の怒声が押し留める。その瞳は常よりも鋭く、またとても傷付いた色を滲ませているように思う。そんな表情をされて、二の句が継げなくなった。苛立ちを押しとどめた雪が言葉を続ける。


「こんなに愛されて、思われて…なに逃げてんだよ? 楽しいとか充実とかくだんないこと言うんじゃねえ」


 棘のある言葉に身が竦む。

 唸るように「お前に何が分かる」と言われて、Jの心は軋んだ。明るくて、前向きな彼がひた隠した“痛み”がここにはある。その事実が一番、痛かった。


「お前に“管理官”になる資格はない。生きることから逃げた奴に、そんな偉そうな口、きかせない」


 俯いた彼の表情は窺えない。ただ小刻みに震える肩と、強く握られた拳が彼の気持ちを伝えた。知らずJの頬を涙が伝う。その雫は落ちて…音を立てて割れた。


―どうしてっ…、俺が―

―自由に生きられないのに、この“生命”になんの価値がある…?―

―怖くない…怖くない…だからっ…―


 呟き続けた言葉たちが今、自分の上に降り注ぐ。

 自分に“平気だ”と嘘をつき続け、笑顔を作った日々はまるで昨日の事のように生々しく、そして虚しかった。こんな風になりたかったわけじゃないのに…。


「――っつ…うっ」


 その場に膝を吐いてJは泣き崩れる。

 本当に怖かったのは、哀しかったのは――。


―自分が何も出来なくなること…そして、消えてしまうこと。


 百パーセントなんてない。高確率で助かっても、その後の生活に影響が及ぶ可能性はある。初めて直面した病気と死の事実が、彼の心を蝕んでいった。


「俺…嘘を吐いたんです」


 ポツリ交わされる言葉に雪は顔を上げる。その先に移るJを見つめ、ただ黙った。


「…身体は、生命は助かっても、“選手”としての俺は死んでしまうのかも知れないって…それが怖くて…」


 こみ上げる感情を、ただ病室から見える小川の流れに載せた。

 それが始まり―。

 きらきらと光る水面を見るたびに、彼はその心の不安を一つ、また一つと自分の中から消した。呪縛の様に強い、意思が成しえた自己暗示。

 一人白い天井を見るたびに、目覚めない恐怖と目覚める哀しみに溺れる。そうして積み重なったモノは、彼を現世から泡沫へと彷徨わせたのだ。


「気づいてました…自分がそう願ったんだって」


 自嘲したように口元を歪め、彼は“でも”と呟く。


「それでも、こんな毎日が続けば良いと思ってしまった」


 気付いて行くたびに、自分が壊れていく気がした。

それでも、彼らと居たいと願ってしまう。嘘をつけば吐くほど身体からは離れ、例え元に戻る事が出来なくても…。


「姉の声は届かなかったのか?」


 今まで口を噤んでいたイチが、不意に口を開く。その言葉にJは眼を見開いて“えっ…”と短く声を漏らした。


「お前の姉は、ずっと名前を呼び続けていた。毎日だ」

「…姉さん…」

「俺にも聞こえたよ。必死で“タスケテ”って叫んでた」

「……」


 イチの言葉に雪も相槌を返す。

 ずっと聞こえていたあの声は、Jの姉のものであったと今なら確信を持って言える。それほどまでに強い絆や愛情に雪は触れていたのだ。気付かないはずがない。

 Jの表情が歪む。複雑に、けれども何処かスッキリとしたそんな眼をしていた。


「お前を思う人たちの処に帰れよ」

「……」

「分かってるだろ。今のお前を受け入れる事は出来ない」


 雪の言葉の中に匂わされた“希望”に、Jは眼を輝かせる。聞き間違いでなければ彼は“今の”と言ったのだ。それは、つまり…。


「はいっ」

「……分かりやすい奴」

「俺、きっとまた雪さんに会いに来ます」


 苦笑いと共に雪は腕を組むと、まるで犬の様に懐くJに“はいはい”と適当な返事を返す。そして。


「契約を解除する」

「…えっ、でも」


 中間管理官を挟んで交わされた“契約”を勝手に解除することは出来ない。身体を縛る呪縛は今も彼の手首に埋め込まれ、それを解く権限は“塁”にしか与えられていないはずだ。


「心配すんな。上で塁がサポートしてる」


 不安そうな表情を浮かべるJに、雪は悪戯っぽい笑みを浮かべるとその手を取った。不意に伝わる温もりにJの頬が紅く染まる。初めてでもないのに、伏せられた眼に落ちる睫毛の影とか、その唇、声、その全てに目を奪われ…また、忘れたくない(・・・・・・)と願った。


「―この結末を持ちて、管理官・雪と彷徨える魂。Jの契約を解除する」


 鈴の様に優しく彼が言葉を告げる。

 次第に遠くなる意識に、Jは身を委ねた。


「ありがとう……雪」


 その眼に涙を溜め、Jは笑う。

 触れていた手を不意に強く引かれ消えかかる身体を雪は強く抱きしめてくれる。突然の出来事に躊躇う余裕もなく言葉は落とされた。


「忘れるな、淳一(・・)。“死ぬ”のは怖い事だ…その怖さがあるから“人”は必死に生きようとするんだろ」


 触れた身体にJは腕を回し縋る。言葉にはならなくて、感謝と憧れと、淡い想いが涙となって彼の肩に落ちた。

 雪はJが身体に戻り消えるまで、離さずにいてくれた―――。


 優しく、そしてその心の様に強く…。


最終回。

如何でしたでしょうか^^??

かなり最後の方、駆け足になっちゃった気がしますが無事に終われた事に満足しています。


もう一話、「水底の涙」編のおまけ話-後日談??-があります。

よかったらそちらも読んで下さいね♪

それでは、またお会いする日を楽しみに…。

ありがとうございました!!!

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