水底の涙・5-雪と一-
海の見える寂しい場所に、彼らは眠っている。
もう誰かに語れるほどの思い出はないけれど、それでも彼にとっては大切な失くしたくないはずの記憶だった…。
温かかったはずの優しい思い出。
―父さん、母さん…ただいま。
もう応える人はいないけれど、それでも彼らはきっと微笑んでくれているだろう。昔のように…。
冷たい墓標には見知った名前が並ぶ。確認するでもなくその名前を指先で撫でると彼は小さく溜息をついた。
「はぁ…」
ここに来るのはどれくらいぶりだろうか。
海から吹く冷たい潮風が頬を撫で、髪を弄ぶかのように揺らす。まるで誰かに触れられているように…。
―お前はココにいない…のに。
逸る胸を抑え切れずに彼は俯くときつく唇を噛んだ。その表情は見えない。でも。
「あと少し…少しだけ……」
その続きはそっと波音がかき消して行った――。
「神谷」
「……」
「神谷 雪」
「…?」
不意に後ろから声を掛けられ雪は歩いていた足を止める。
聞きなれない声と、呼びなれない名前に反応が一瞬遅れてしまったのは言うまでもない。
―“神谷”…なんて呼ぶなよ…まったく。
振り向いた先にいる男に雪は苦笑いを返すと、その眼を真っ直ぐに見つめた。
「久しぶりだな、イチ」
「…ああ」
口数の少ないこの男は、『記憶管理事務所』内、管理局に属し“地上探索方管理官”の任を頂く人物―加藤 一喜―コードネームは『一』。
管理事務所内で唯一現世に暮らし、普通の生活を送る現役高校生だ。
「元気そうで何よりだ」
「…お前もな」
「……」
「……」
続かない会話にお互い沈黙を抱く。雪は視線を辺りに泳がせるが、一方の彼はそんな雪の様子を気にするでもなくただ少し俯いていた。
―こいつと普通に会話できるのって“塁”くらいなんじゃないか??
気まずい間を埋めようと思いを巡らせてはみるが、一向に共通の話題は見つからない。現世に降りるのに“一人じゃダメだ”なんて塁が言うから仕方なく“一”に協力を頼んだものの…これなら一人の方が幾分か過ごしやすかった気がする…。
―どうしたもんかね…。
現世の季節は梅雨―。
暫く続いていた雨も、今日は泣きださずに済みそうだ。じめじめとした空気は好きにはなれないが、真夏や真冬に訪れるよりは良いように思えた。もっとも真冬には良い思い出がないだけに、一人で来ようなどとは思わなかっただろう。この世界は一人で来るには辛すぎる…。
「そうだ」
「…?」
不意にあることを思い出して口を開くと、目の前の彼は怪訝そうに眼を細めて見せた。その表情に雪は少しだけ微笑みを返す。
「その節は世話をかけた…ありがとう」
「…?」
「金子高久の件だよ」
「……ああ」
前回の“金子高久”氏の依頼で、現世にいる彼には迷惑をかけた。記憶の海にある欠片だけでは処理できなかったものを、地上にいた彼に探して貰ったのだ。その記憶の残骸を―。
「急だったし、悪かったな」
「いや、休みの期間だったからな……問題ない」
「そうか、助かった」
「ああ…」
ようやく会話らしい会話が続いたかと思うと、彼はまた黙り込んでしまう。人見知りというよりかは、単にそういう人間性のようだ。雪は一つ息をつくとスッと右手を差し出す。
「とにかく、宜しくなイチ」
「……」
差し出された手と、その言葉の意味に気付いて彼はその眼を見開く。そしてその眼が不意に細められた―好戦的な輝きを映して…。
「こちらこそ」
交わされた言葉と、固く繋がれた手に、言葉以上の絆を感じられた一瞬だった――。
ようやく地上探索方管理官”イチ(一喜)”の登場です><
口数少ないし、真面目だし、扱いにくい感じの彼なんですが、実は名付け親は高校の時の友人です^^←凄く普通っぽい名前が意外にお気に入り(笑)
地上に暮らす設定のせいで、あまり表舞台には立てないんですけど”塁の幼馴染”なんてものやってたくらいなので、今後塁との絡みは期待できるかと☆
とにもかくにも雪&イチ(漢字表記だと分かりにくいので敢えてカタカナにします! )の地上探索は続きます(゜-゜)♪