始まり
「だーかーらー!他の情報は無いかって言ってんの!?」
管理局内に雪の声が響き渡る。
「これ以上は無理だって!大体、Jの情報が少なすぎるんだよ!」
暖かい昼下がり、雪とJは管理局内にいた。窓際のつい立ての向こう、言い争う二人のやりとりに局内にいた人間は「またか・・」と半分呆れ顔で机に向かい、一人取り残されたJは不安顔でそれを見守る。
「『年齢16歳位、男、日本人』なんて、見りゃあ俺だって分かるっつーの!」
「んな事言ったって、他に何もないんだから仕方ないだろうが!」
Jは自分の事を言われているだけに肩身の狭さを味わうが、J自身何も覚えていないだけにこのやり取りを止める事が出来ない。いつのまにか視線は逃げ場を求め局内を彷徨う・・・。
ふと、その視線は塁の元で止まった。
「二人とも、その位にしたらどう?Jも困ってるじゃないか。」
塁はその視線に気づいたのか、ゆっくりと歩いてくると仲裁に入る。
二人は近づいてくる塁に気がつくと、睨み合っていた視線を互いから塁へと移した。
「塁、聞いてくれよ。雪がまた無茶ばっかり言うんだけど~」
「どっちが!・・・お前が役に立たないからだろ~が。」
お互いに一歩も譲らず、そんな姿に塁は溜息を漏らす。
「雪も雀も子供じゃないんだから、いい加減にしたら?」
塁は「呆れてモノも言えないよ」と小言の様に呟くと、後ろで立ち尽くすJに向き直る。
「J、君も少しは止めなさい。少なくとも君の事でもめてるんだから。」
諭すように塁に言われると、Jは素直に「すみません・・」と謝った。
「ところでJ。君、彼の事知ってったっけ?」
塁は今更ながら気づいたように疑問を口にする。J以外の二人も「えっ?!」と慌てて振り返り、三人の視線はJに集中した。
「いや~、あの~・・・俺・・」
歯切れの悪いJの言葉に雪は徐々にイライラを募らせる。Jはそれに気づくわけもなく、視線を彷徨わせてしまう。
「・・おっまえ・・・本当に・・」
震える声で雪が怒れる拳を握りしめると、それを見て塁は「まあまあ」と宥めるように雪の拳を治め、面識のない男を紹介し始める。
「彼はね、雀。綾瀬 雀といって記憶管理局の情報探索管理官なんだ。君の情報は彼によって検索にかけられ、その情報を元に僕らは動くんだよ。」
丁寧に説明してくれる塁をよそに、当の本人はどこ吹く風で興味も薄そうにPCの画面に向き直っていた。
「雀。知ってると思うけど、こいつが『J』な。」
塁がJに紹介し終えたのを見て、雪は雀にJを紹介する。紹介というほど丁寧なものでは無かったが、何もされないよりは余程いいと思えた。
それでも雀はやはり目を合わせるでもなく、「ん~」と生返事を返す。どうやら「人間」に興味が無いらしい。それとも単に『J』のことに興味が無いのかも知れない・・。
「あ・・あの、俺名前分かんなくて・・・『J』って呼ばれてます。よろしく、お願いします」
Jはそれでも深々と頭を下げた。興味を持って貰えない人に挨拶するというのは、想像していたより空しいものだと感じながら・・。そして、ある疑問に辿り着く。
「・・ところで、何で俺って『J』なんですか?」
今更ながらの質問に、今度は興味の無さそうだった雀もJのことを見た。
「今更かよ!?」
軽い突っ込みと同時に雀がJの目をまっすぐに見つめると、Jはびっくりして少し視線を外す。雀の瞳は驚くほど綺麗な灰褐色で、全体に色素が薄い印象を与える。だが、眼光は鋭く見つめられると怯んでしまう感じがした。
「まあまあ、雀。それにしても・・・本当に何も聞いてなかったんだね」
塁が頭を抱え「同情するよ」と付け足し、雪の方を横目で見る。雪は居心地が悪そうに視線を下に落とすと「うるせぇ」と小さく悪態をつき、急に顔をあげ叫んだ。
「俺は、こいつと組むなんて認めてないからな!!」
「雪、それとこれとは違うでしょ?」
「誰がなんと言おうと、俺は反対だね!」
二人が何を言っているのかJには皆目見当もつかず、雀は興味を削がれたようにまたPCに向き直る。
「ちょっ、ちょっと。何がどうなってるんです?認めないとか・・反対とか・・さっぱりなんですが」
雀がこの場をどうにかしてくれるだろうとは思えなかったから、仕方なくJは二人の中に声をかけた。
塁とのやりとりを阻まれ、雪は機嫌も悪そうに雀の横の空いていた席に腰掛ける。
「要するに、お前は、今、管理局の一員扱いなんだよ、」
文節を切られ語尾が強められた文章は、雪の心情そのものに聞こえた。雪の埒も無い説明に、塁が慌てて言葉を付け足していく。
「つまり、君の記憶を探すのに君がここで自由に動く為には、それなりの準備というか・・・手順というか・・・とにかく、ただの人間に内部を動かれる訳にはいかないんだ。」
塁も説明の意図が見えないのか、自分の中で考えながら話す。まとめるとこうだ。
『記憶管理局』は特殊な機関であり、その全てが閻魔庁預かりの下謎に包まれている。ここで働く『管理官』についても年齢・性別・職業などなどが明かされず、個々の生死についても不明。また、閻魔庁の許可を受諾し、制限のもと現世や記憶の眠る「記憶の海」に行くことが出来るのも管理局内、管理官なのである。
「で、言っちゃうけど」
塁が徐に言葉を続けた。
「実は現在、管理局内には九人の管理官がいるんだ。」
「えっ?・・・それって俺、聞いちゃって良いんですか??」
全てが謎に包まれている筈の管理局・管理官の情報をいとも簡単に言われて、Jは一人焦る。
「・・・」
「・・・」
塁の発言を気にする風もなく、雪も雀も黙ったまま動かない。Jはもう一度塁の顔を見つめる。
「うん。だからね、君にここの管理官になって貰おうと思うんだ」
塁はニコッと微笑み、その言葉を聴いてJは目の前が真っ白になった気がした。
「え~・・・と?」
聞き取れなかったとでも言うようにわざとらしくJが聞き返すと、塁は改めて「いらっしゃい。管理官・J」と言い直す。どうやらこれは決定事項らしい。Jに拒否はない。
「阿呆、一時的に、だ」
固まるJを見て、雪が嫌そうに言い放つ。
「一時的?」
「ん~・・まあ、そういうこと。」
塁も雪の言葉に相槌を返すと、「それとね」と呼び名についても説明してくれる。
「君の呼び名なんだけど」
「呼び名?・・『J』ですか」
「うん」
管理官の間で呼び合う名前。『呼び名』は、全てを謎に包まれる彼らにとっては必要不可欠なものである。本来なら、生前の自分の名や、記憶に残る言葉を使う管理官が多い。実際、雪や塁はその手のつけ方をした。
「君には一切の記憶がない。本当は自分でつけるのが定例なんだけど・・・僕らも呼び名がないのは困るし。」
「はあ・・」
塁の言葉にJは頷く。確かに、急に名前を考えろと言われても多分困るだろうと彼は心の内で思う。
『名無しの権兵衛』とは呼ばれたくないし、誰かがつけてくれるのなら、それもまた良いんじゃないかと考えた。その時だった。
「だから、単純にアルファベットの10番目、『J』ってつけたんだよ」
「丁度10人目だったしな」
雪と雀がどうでも良さそうに種明かしをする。雀に至っては楽しそうにニヤニヤと笑っていた。
「何が可笑しんですか?」
Jが不愉快そうに言い返すと、雀は白けたように笑うのを止め、またそっぽを向く。
「二人とも、そんな言い方は・・J、違うんだ。あのね」
塁のフォローを遠くで聞きながら、Jはとんでもない処に来てしまったと今更ながらに後悔していた。
空は快晴。季節は春から夏に移り変わろうとしている。
記憶を紛失くした『J』は記憶管理局でこれから、自分を探す事になる・・・。
自分が誰であり、何故ここに迷い込んだのか。今の彼にそれを知る術はない。
全ては、ここから始まるのだ・・・。