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ノスタルジア管理局  作者: 彩人
序章~記憶の海
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序章

  

 

 『記憶』…それは過去に経験した事や、一度覚えたことを時間の経った後までも大体その通り思い出せること。また、「心」に残って消えないこと。


                     1


 ただ空を見ていた。

 どこまで行っても、見渡しても青い、空。

 別段いつもと変わることもなくそこにある空に、彼は心を奪われる。

 この時間が好きだと思う。

 一人誰もいないビルの屋上に寝転び、ただ好きなだけ空を見つめる。平和で長閑(のどか)な時間。

 時折、風が頬を|(くすぐ)り誰かの訪れを知らせる。丁度今のように。

(せつ)―せーつー?」

 遠くから聞こえる声に耳を澄ませながらも、彼は自分から声をかけるような事はしない。

 それは現実逃避というか…声の主が持ってくる面倒事を知っているからである。

「……」

 一つ気だるげな息を吐くと、彼は寝転がっていた身体を起こして上から高みの見物と決め込んだ。


 決して狭くもない屋上を声の主はくまなく探す。それこそ鼠が通るような細かな隙間でさえもだ。

 そんなところに居る筈がないと頭では分かっているはずだ。

 だが、こうも度々行方(ゆくえ)(くら)まされては探す方としても些か皮肉を込めたくもなる。ぶつぶつと口先だけで小言を零すと、視線を落とした薄汚れたコンクリート造りの地面にうっすらと影が浮かんでいた。

「……」

 ため息交じりに探し忘れていた頭上を見上げると、逆光に紛れて人の姿が浮かぶ。表情は見えないがその小さな身体(シルエット)が指し示す人物は思い当たる処一人しかいない。彼だ。

「雪。こんなところにいたのか」

 思いがけない場所に居た彼に嘆息して、男は空を見上げる。

 どこまでも広く高く続く空に彼は何を思っていたのだろうか…。そんな事を思った。

「俺は(ねずみ)じゃねぇぞ」

「――?」

「そんな狭いとこに入れるかってっ――のっ」

 軽々と二メートルはあろう高さから飛び降りて、雪は声の主―(るい)―の目の前に着地する。まるで羽根でもついているのかと言うくらい重さを感じさせない身体が風だけを舞わせて彼の綺麗な銀髪が揺れた。

「――んで、どうしたよ」

 呆気に取られている自分よりも十数センチ背の高い男の顔を見上げる。息が触れるくらい。一歩近づけば簡単にその口唇に触れてしまえるくらいに近づいて、少年はくりっとした目で見つめる。碧く澄んだ瞳に、色白の肌。熟れた紅い口唇はまるで女性のように艶やかで目のやりどころに困ってしまう。

 不意に彼の頭を押し返して視線を逸らす。咳払い一つして平静を保つと塁は困ったように雪を見た。

どうした(・・・・)――じゃないでしょっ」

 分かり切っていた言葉に塁は溜息を落として彼を見る。

「また(カレ)が迷ってたよ」

「……また(・・)か」

 どこかばつが悪そうに俯くと、小さなその手で頭を掻く。予想通りの面倒事に内心「面倒くさいな」とか呟きながら彼は溜息を落としてその場を後にした――。



 ここは閻魔庁直属の『記憶(ノスタルジア)管理事務所』。

 人は死後、現世での記憶を持ち閻魔庁を訪れる。それは事故・寿命・自殺いずれによっても同じように扱われ、水先案内人により川を渡りて辿り着く。

 その後、現世での行いを裁判官ならぬ、閻魔大王様に裁かれ行き先を決められる。まあ、これは嘘のようなホントの話…とは言うものの実際見たことも会ったこともない自分には、まるで遠い出来事なのだが。

 その過程でその人間の善悪の記憶を閻魔大王様に資料としてお出しするのが通常の仕事だ。だが時折記憶を落としたり、紛失する奴がいたりするから性質が悪い。

 もしくは”閻魔帳”に記されてもいない特殊な事情を持つ―迷子の―人間達。

 そういう奴らの面倒をみるのが『記憶管理事務所』内「管理局」――彼らの仕事だ。

 大まかに仕事(・・)と云ってみたものの、実のところ他にも仕事(やること)はあるし、メンドクサイ組織図やら省庁同士の関係やら表に出てるのは氷山の一角でしかない。

 閻魔庁におまけ(・・・)的に作られた部署なんて肩身の狭いモノで、実際の所他の省庁で働く管理官とは出会わない。もっとも本庁に行けば遭遇する事もあるが、そこには責任者である者だけが赴く事を許されていた。

とにもかくにも、そんな「記憶管理局(ところ)」で働いてたりする。


――同時刻、記憶管理事務所内・階段。

「せーつ、雪さーん」

 屋上に続く螺旋階段内に男の声が響き渡る。男というよりは幼い顔立ちをした青年(・・)という言葉の方が当てはまる。男の性格をそのまま表した様な黒く真っ直ぐな髪に、澄んだ瞳。今時にしては珍しい飾り気のないその姿は見るモノに清潔感と好感を与える事だろう。その風貌の彼はしきりに一人の名を呼んでいた。

「おいっ、そこの」

 屋上からゆっくりとした足取りで、その人物は現れる。

 突然、頭上からかけられた声に反応して青年は上を見る。そこには吹き抜けの螺旋階段から見える青空と陽の光を背負った小柄な人物がいた。

「雪さん!」

 青年は急いで階段を駆け上り、また雪はそれに構わず階段を下りていく。

――犬みてぇ…

 青年の嬉しそうな姿に、ついているはずもない犬の尻尾が振り振りと大きく揺れている錯覚を見る。どちらかと言えば大型犬より小型犬で、色は黒。そんなことを官が出したら今度は耳までついているような気がしてきた。思わず笑いが腹の底からこみ上げる。

 不思議そうな表情を浮かべて青年は小首を傾げるが、その件について深く尋ねる気はないらしい。

「あ~良かったぁ。一瞬マジで迷子になったかと思いましたよ。」

 心底安堵したような顔で青年が言う。そんな風に明るく笑う青年を見て「随分でかい迷子だな」という皮肉交じりの言葉が口唇をついて出そうになるが、その言葉は口の中だけで飲み込んだ。

 咳払いを一つ。

「お前、落し物(キオク)の在処は見つかったのか?」

 急に真面目に問われ、青年はその佇まいを直すと「さっぱり」と殊更明るく返答する。その微塵も困っていない態度に些か腹が立つが、焦らしたところで見つかるはずがないことも経験上分かっている。言うだけ無駄だ。

――笑い事じゃないんだがな…ホント。

 雪はその場に座り込み、心の中で一人突っ込んで落胆する。目に見える見事なまでの落胆ぶりに青年も「あれ・・すいません。なんか・・」と軽く謝罪の言葉を述べるが、その声は雪には届いていなかった。


 この青年は『(ジェイ)』。

 推定年齢16歳。男。何故に推定なのかといえば、自分がどこの誰で、どうして記憶管理局(ここ)にいるのかも覚えていない。所謂(いわゆる)名無しの権兵衛(・・・・・・・)』さんだからである。

――第一、こいつを連れてきたのが要だってのが胡散臭いんだよ。

 記憶管理事務所の最高責任者――(かなめ)

 唯一閻魔庁に入る事を許されている人物であり、特別なことが起こらない限り自分から面倒事(しごと)を持ちこむ様な事はしない。それ故に今回の事が特例であることが窺える。

 ここまで記憶のない人間は特例以外の何者でもない。殆どの人間は記憶を紛失(おと)しても自分の名前や年齢、家族構成などある程度の事は覚えている。ところが彼に至っては名前はおろか、自分の生死でさえも覚えていなかった。

 これは『記憶探し』において致命傷(・・・)なのだ。

 本来なら、個人の持っている情報をもとに閻魔庁の『記憶の海(マザーコンピューター)』に問い合わせし、それをあるべき場所に拾いに行くのが仕事だが・・彼には検索にかけられるような情報が一つも無い。

 その為、普段なら管理官が探す記憶(もの)も本人に同行を許可し、些細な情報をパズルのピースをつなぎ合わせる様に集めることにした。それ意外に適当な方法が無かった。

――いや、本来なら閻魔庁に引き渡せば終わる筈だ。

 閻魔庁にはこの世に生を置いている者全ての情報が管理されている。

 それこそ今日誰が死んで、誰が産まれるか――それさえも手に取る様に分かるのだ。

 ならば何故それ(・・)をしないのか――。

 理由は一つ。要がそれを良し(・・)としなかったからだ。

――全く、厄介なのを連れてきてくれるよなぁ。メンドクサイ事この上ない。

 彼がここに連れて来られたのが三日前。

 もし彼がすでにお亡くなり(・・・・・)になっている魂なのだとしたら、葬儀にしろ告別式にしろ何処かで何らかの動きがあってもいい頃合いだ。

 管理局内には様々な人間がいる。

 雪のように実際に足で動いて記憶を探す管理官や、地上で普通に生活しながら依頼をこなす管理官。情報探索のスペシャリストと云って過言ではない者も。

 だからこそ地上でその様な動きがあれば、それは逐一報告され、否応にも管理官の耳に入る仕組みになっている。ところがその報告が無いのだ。いや、正しくは(カレ)に当てはまりそうな情報がない。

 心の中で憎まれ口は叩くが、その実彼は管理官としての仕事を的確にこなす。その口唇から発する言葉は乱暴に聞こえるが真剣に考えていた。

「とりあえず一旦、局に戻るか・・・」

 ここにいても出来る事は何もない。

 雪は新しい情報を求めに管理局のある事務所に戻ることにする。

 空は青く、澄み渡る…長い長い「記憶」探しの始まりだった。


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