第三十四話 隔離病棟
翌日。
俺はパンパンのリュックを背負って、御剣病院の入り口に立っていた。
ここは、その名の通り御剣グループが経営する病院で、都内では指折りの規模を持つ大病院だ。
「……あれ?」
入り口近くの受付に、なんだか見慣れた人が立ってる。
「……ナナミさん!?どうしてここに?」
黒のスーツ姿で佇んでいたナナミさんは、こちらに気づくとツカツカと近づいてきた。
そして俺の鼻先にびっと指を突きつける。
「業務命令です。ソータさんがやらかさないように見張っていろと」
いや別に、なにか悪いことをしにきたわけではないんだけど……。
「ソータさんの希望通り、面会の予約は取っています。本来は家族以外は面会謝絶なのですが、特別に」
「ありがとうございます」
「……でも、何の用事なのですか?何か聞くにしても、相手はとても答えられる状況にはないですよ。全員」
「ええ、大丈夫……だと思います。病棟はどこですか?」
「彼らは完全に隔離されていますからね。道を挟んで向こう側の別棟になります」
ナナミさんが指差した方に顔を向ける。
そこには、周囲を高いブロック塀と有刺鉄線で囲まれた……一見しただけでは、まるで刑務所のように思える建物がそびえ立っていた。
今日俺は、そこで隔離されている五人の男たち……そう、この間の宝石強盗事件で逮捕された、マンドラゴラ中毒者に会いに来たんだ。
幅広な道を渡って隔離病棟へと向かう。
分厚い扉の前でインターホンを鳴らすと、すぐに開いて中から白衣の男性が出迎えてくれた。
黒井タカフミと名乗ったその医者は……なにやら憔悴しているように見えた。
「神室ソータさんですね。お話は聞いております。中へどうぞ」
塀の中に入ると、そこはますます刑務所を連想させる雰囲気だった。
壁の面積に対して窓は小さく、またその全てに鉄格子が嵌められている。
「普段は自傷や暴力の恐れがある患者を一時隔離するための場所なのですが……マンドラゴラ患者は、やはり特別に難しいですよ」
俺たちを先導しながら、黒井先生は深々とため息をついた。
「どういった御用か存じませんが……あまり、長居はなさらないほうが良いかと」
これ以上面倒ごとを増やしてくれるな、と言っているように聞こえる。
まぁ……医者でも家族でもない人間が、用件も告げずただマンドラゴラ中毒患者に会わせろなんて言ってきたら、普通は全力拒否だろうな。会長に口添えしてもらって正解だった。
建物に入り、いくつもの鍵のかかった扉を通って、ようやく辿り着いたその部屋は……
「本当に、刑務所ですね」
そこにあったのは、金属製の檻だった。
牢屋、と言われれば真っ先に頭に浮かぶような、無骨な鉄格子が淡々と整列している、アレだ。
檻の中には、何も無い。トイレ用だろうか、床に、小さな穴が空いているだけだった。
中には、一人の男が半裸で横たわっている。
あの顔には、見覚えがある。間違いない、彼は、この間の宝石強盗事件で捕まえたうちの一人だ。
「ベッドも椅子も……彼らは簡単に破壊し、凶器に変えて自らを傷つけてしまうので、置くことができません」
黒井医師は、再びふぅ、とため息を吐いた。
その音に反応したのかは分からないけれど、突然、横たわって寝ていたように思えた患者が、まるで弓が跳ねるかのように飛び起きる。
「グ、グガアアウアアアアアア!!!!」
奇声をあげ、彼は驚異的な速さでこちらに飛びかかって来た。
格子を掴み、ギシギシと揺さぶり始める。
顔には、明らかな怪樹班が、黒い血管のように浮き出ている。
よだれを垂らし、焦点の定まらない眼で、彼は叫んだ。
「マン……ドラゴラ!クスリ、ヨコセ!!ウガアアアア!!!!」
「神室さん。この格子はダンジョン産の金属で出来ていますので破壊はされないでしょうが……少し、離れた方がいい」
黒井医師に手で制され、一歩うしろに下がったところで……
背後から、叫び声が聞こえた。
「お兄ちゃん!!」
女の子?……この患者の家族か。
制服を着た少女が、今にも檻に向かって駆け寄らんとしている。
「危ない!近づいちゃダメだ!」
医者と、おそらくは両親だと思われる大人二人が、必死に少女を抑えている。
「お兄ちゃん!どうしてよ!……立派な探検者になるって言ってたじゃない!私に、すごい宝物をたくさん見せてくれるって、約束したじゃない!!」
少女の声に……檻の中の男が、少しだけ首を傾げた。でもすぐに手近な黒井医師に向き直り、奇声を上げる。腕は変わらず檻を強く揺さぶっていた。
「どうして……どうして、こんなことになってるのよ……」
少女の声が、徐々にか細くなっていく。
そして力無く、その場にへたり込んでしまった。
「宝物なんて、もう見せてくれなくていいよ……。だから……だから……元に戻ってよ。昔のお兄ちゃんに戻ってよ……」
少女は小さく震えていた。
誰も、声をかけられる人はいなかった。
「お願い……お兄ちゃん……」
俯く少女の顔から、涙がほとりと落ちた。
――その涙に反応したのだろうか。
男の動きが、ピタリと止まった。
そして……消えいるような声で、一言だけ呟いたのが、聞こえた。
「……………………………………タスケテ」
……ガシッ
俺は檻に手をかける。
「なっ!?神室さん、危険です!やめてください!」
黒井医師の制止を振り払う。
檻は、ダンジョン産の金属製だったな。
だったら――俺にとっては、のれんのようなものだ。
真眼を発動し、檻と融合する。
溶けるように、俺は檻と一体化して、そしてその内側に入り込む。
「そんな!?ど、どうやって!?」
「ソータさん!なにをするつもりですか!!」
ナナミさんが檻を掴んだ音が聞こえたけど、振り返ってる暇はない。
俺はまっすぐに、男性を見つめた。
「……グオオオオオオオオ!!!!」
すぐに、彼は俺に飛びかかって来た。
すごいスピードだ。ベースギフトを持っていない俺には、全く反応できない。
首を両手で掴まれ、ものすごい力で締め上げられる。
「ぐ、ぐうっ……!」
最近はよく首を絞められるな、なんて考えてる場合じゃない。
もたもたしていたらすぐに意識を持っていかれそうだ。
「ソータさん!!……黒井先生!早く鍵を!!」
「だい……じょうぶです……ナナミさん……」
俺は、自分のポケットに手を入れた。
そして、緑色に発光する、手のひらサイズの葉っぱを取り出す。
「それは……クリアハーブ?」
ナナミさんの呟きが聞こえる。
クリアハーブは、ダンジョン産の植物で、森のフロアであれば大体どこでも入手が可能だ。
人をリラックスさせる効果が強く、高級な芳香剤などに用いられるが、実はマンドラゴラの中和に僅かだが効くことがわかっている。
だけど……
「クリアハーブ!?ダメです、神室さん!それは単なる気休めです!マンドラゴラの侵食の方が遥かに強く、速い!ほぼ効果は無いんです!!」
黒井医師が悲鳴を上げるように叫んでいる。
そう。
こないだ観たテレビでも、そう言っていた。
確かにこのまま使えば、効果は微々たるものなのかも知れない。
……だけど俺には、この手がある。
俺は手にしたクリアハーブに視線を向け……自分のギフトを発動させた。
――【真眼融合】
ダンジョン産のアイテムの効果を著しく増幅させる、真眼の技。
クリアハーブが、その輝きを一気に増した。
その芳香は鼻をつくほどに強烈なものとなり、まるで煙のように視認できるようになる。
瞬く間に、檻の中は極めて強い芳香で満たされた。
「グオオォォ……ォォ……」
そしてまもなく、目の前で劇的な変化が起きた。
男の顔に浮き上がっていた怪樹班が、洗い落としたかのように消え失せる。
焦点の定まらなかった眼が、徐々に力を取り戻していく。
異様に膨れ上がった筋肉は、しゅるしゅると萎み始め、俺の首にかかっていた圧力が、スゥッと抜けた。
「……俺は……」
目の前の、どこにでもいるただの若者の風貌に変わったその男は、信じられないものを見る目で、自分の手を見つめていた。
……良かった。成功だ。
マンドラゴラに完全に侵食されていた彼は……すっかり、元の状態へと戻ったようだった。
「お兄ちゃん……?お兄ちゃん!!」
「ミユキ……ミユキか?」
「お兄ちゃん!!元に戻った!!」
檻に、少女が飛びついた。
医者たちは誰もがポカンとして、彼女を制止するものはいないようだった。
「ミユキ……ごめんな……心配かけて、ごめんな……」
檻越しに、少女の手で頬を包まれながら……男は涙を流して、そう繰り返していた。
「……本当にありがとうございました。なんとお礼を言ってよいか……」
俺が檻から出ると、彼の両親が涙を流しながら駆け寄ってきた。
「きっと名のあるお医者さまなのですね。どうか、お名前を教えてくれませんか……」
「え?あ、いや、俺は」
俺がしどろもどろになったところで、突然俺らの間にナナミさんが飛び込んできた。
「この方は、それはそれは有名な医者、ドクターKです。そういうことで、それでは」
ドクターK!?
変な偽名が増えた!奪三振王みたいになってる!!
それからナナミさんは、一切質問をさせる暇を与えず、俺の服をぐいっと引っ張った。
俺は廊下まで一気に引きずり出され、そのまま備え付けの椅子に座らされた。
恐る恐る顔を上げてみると……ナナミさんは腕組みをして、大層ご立腹のようだった。
「……ソータさん。素顔のまま人前で真眼を使うなんて、何を考えてるんですか」
「……いや、その、すみません。ほんとは隠れてやるつもりだったんですけど、つい……」
「真眼の力がバレたら、間違いなくギフト狩りに狙われますよ。わかってますか」
「……ごめんなさい」
「そして、もうひとつ。これが一番問題です。……マンドラゴラ中毒者の前に無防備に飛び込むなんて……正気を疑いますよ」
「……ごめんなさい。反省してます……」
じーっと半眼で睨んでいたナナミさんは、俺の返事に、はぁ、とため息をついた、
「まぁ、いいです。ソータさんはそういう人でした」
「え?」
「黒井先生を呼んできます。彼には私からよく言っておきますので、真眼が他の誰かにバレる前にさっさと済ませてしまいましょう」
「さっさと……というのは?」
「他の患者の治療ですよ。その背負っているリュック、中身は全部クリアハーブなんでしょう?……そんなに真眼を使ったら明日は疲労困憊で動けませんよ、きっと」
「……っ!は、はい!!」
「次は暴れた患者は私が抑えますから。ソータさんは後から来るようにしてください」
「え!?そんな危険なこと、ダメですよ!」
「……どの口で言いますか。だいたい、ベースギフトを持たないソータさんより私の方が十倍は強いんですよ?」
「……それは、その……そうでした」
「いいですね?後から来るんですよ?」
「………………はい」
「分かればいいんです」
さっきの部屋の方にくるりと体を向けたナナミさんは、それからボソッと一言だけ呟いた。
「……あまり、心配させないでくださいね」
――それから、何人かの治療を終えて、休憩中。
「ナナミさん」
「なんでしょう」
「俺……好きなんです」
「は、はい!?……な、なにを突然……!」
「俺――ダンジョンが、やっぱり好きなんです」
「……ああ、はい。そうですよね。知ってます」
「まだ、入る時は足がすくむし、怖いこともあるんですけど……小さい頃から、やっぱりダンジョンが好きなんです。だから……」
だから、絶対に。
「俺、許せないです。ダンジョンのアイテムを使って……みんなを苦しめるやつ」
マンドラゴラを、麻薬として流通させた連中。
……もう、そんなことはさせない。
絶対に、俺が止めてみせる。
自然と、握る手に力が入っていた。
ほんの少しだけ静寂が訪れて……それから、ふぅっと、一つ息を吐く音が聞こえた後。
「近いうちに警察との協働が始まります。……一緒に頑張りましょうね、ソータさん」
なんだか赤い顔をしていたナナミさんは、表情をふわりと柔らかくして、そう応えてくれた。
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