第三話 真眼
「ちょ、ちょっと待ってください!いきなり探検者になれとか言われても、俺にそんなつもりは……!」
「業務命令だと言ったろう。お前の意思など関係ない!組織を舐めるな!!」
「いやいや!まだ正式に雇われたわけじゃないですし、業務命令もなにもないですよ!」
「屁理屈を抜かすなぁ!」
いや、無茶苦茶だぞこの人!?
しかしここで、ふと会長の様子が変わった。
「……もしかしてお前、自分の『眼』の価値を知らんのか?」
「眼、ですか?先ほども仰っていましたけど……バイヤーとしての目利きの話でないなら、なんのことやらさっぱりです」
「なるほど。それならあんな先の無い会社でくすぶっているのも頷けるな」
先の無い会社って。
確かにこのところ業績は右肩下がりだったけど。
藤間部長が四半期決算のたびにイライラしていた様子がありありと思い出される。
「よかろう!論より証拠だ!ナナミ、ヘリをまわせ!」
そこからは実に早かった。
櫻井さんがどこかへ電話をかけると、間も無く天井の向こうからバリバリとプロペラの回転音がして……。
俺はビル屋上のヘリポートでヘリコプターに詰め込まれると、あっという間に東京の空へと飛び上がっていたのだった。
◆◆◆
そして今……俺たち三人は、例の巨大なドームの『中』にいる。
「……ここ、『始源の迷宮』ですよね?なんでこんなところに?」
「お前の眼の力を分からせてやるためだ。もたもたするな、入るぞ」
「入るぞって……え、これからダンジョン入るんですか!?俺、探検者認定証持ってないですよ!?」
ダンジョンには、探検者資格という国家資格を持っていないと入ることを許可されない。
過去に取得を目指した事があるけれど、ギフトの無い俺は実技試験が全くダメだった。
「私も別に持っておらん。だが問題ない、ナナミが二級探検者だ。地下一階までなら、我々も同伴で入れる」
ええ!?櫻井さんが、二級!?
探検者資格は、上から特級、一〜四級の五段階ある。
ギフト持ちなら四級は大体取得できるが、三級からは相応の実力が要求される。
特級は全国で数人、一級は五十人ほどしかおらず、前線で活躍している人たちは主に二級探検者なのだ。
俺にとっては、憧れの対象だった。
「二級なんて、すごいんですね櫻井さん!」
「……いえ。大したことはありません」
あれ?俺何か変なこと言ったかな?
櫻井さんに、ふぃっと顔を逸らされてしまった。
「あれが、ダンジョンの管理門です」
視界を占める、ドームの天井まで伸びた分厚そうな金属の壁。その一部に、牢屋の檻のような、門が存在していた。
「お二人は同伴者用装備の装着をお願いします。そちらの更衣室で貸出しがありますので」
「では、あとでな」
俺は案内板に従って男子更衣室に向かう。
部屋の手前で、装備品を受け取った。白く細かい鱗で覆われているのが特徴的な、軽鎧の形状をした防具だった。
火野マテリアル社の白蜥蜴シリーズか。
調整もちゃんとしてある。こんなのを貸し出してくれるなんて、流石は人気のダンジョンだよな。
白蜥蜴は通常のダンジョンでは地下十五階あたりで出現する、象くらいのサイズのトカゲ型真獣だ。
これをソロで倒せるかどうかが、二級と三級の境目と言われる。
要は、素材の調達が割と難しい部類に入るのだ。
我ながら慣れた手つきで装備を着込んで更衣室から出る。
そこには、すでに二つの影があった。
「遅い!化粧でもしてたのかお前は!」
「ごめんなさい!」
結構素早く準備したと思ったけど……。探検者の櫻井さんはともかく、会長にまで遅れをとってしまった。
会長が装備しているのは……げっ、竹中貴金属社のプレミアムシリーズだ。
黒金剛石という、ダンジョン内でのみ採れるダイヤモンドより硬い鉱石を、長い時間かけて加工した逸品。白蜥蜴とは価格が二桁違う。
同じレンタルなのにすごい格差だ。
まぁ確かに、これを着込んでいれば、よほどのことがない限り身の危険は無いだろう。
地下一階とはいえ、御剣グループの次期総裁がひょいひょい入って大丈夫か、と思っていたが、合点がいった。
櫻井さんは……おお、流石は二級探検者だ。
海外メーカーBARL社の特注品、氷牙獣シリーズの軽鎧。
氷の彫刻のような外観だが、異様な硬度を誇り、かつ軽く動きやすい。実に実践的な逸品だ。
そして、我々と違って彼女は武器も持っていた。
巨大なフクロウ型真獣、黒梟獣の素材を使った片手剣。
吸い込まれるような黒い剣身が特徴だ。
ダンジョンは通常、深く潜れば潜るほど、強力な真獣が現れる。どの辺りの階層で現れる真獣か、というのは、その力を推し量る上で重要な情報だ。
もちろん、同じ真獣でもダンジョンによって出てくる階層は異なるため、最初のダンジョンである始原の迷宮の階層を基準に、階級付けが為されている。
黒梟獣は、実に四十五階級の真獣だ。
一級探検者でも、ソロ討伐はまず不可能だろう。
そんな真獣の素材を使った武器を持っているなんて、やはり櫻井さんは只者ではない。
……あれ、でもこれは?
「まあいい。ナナミ、案内してくれ」
「はい。どうぞこちらへ」
先ほど見た門の前にたどり着く。
衛兵のような格好をした警備員が門を開いてくれた。
ゆっくりと上がる金属格子の向こう側には地肌を剥き出しにした広場があり、その中に、厳重にロープで囲われた場所があるのが見える。
あれが……『始原の迷宮』のゲートか。ダンジョンの入り口だ。
ロープの内側には、直径十メートルほどの、大きな穴が空いていた。
いや、空いていた、という表現は正確ではないかもしれない。
その空間は、ちょうど池のように、七色に輝く渦によって満たされていた。
水ではない、何か得体の知れない物質の渦は絶え間なくうねり、我々を歓迎しているようにも、激しく拒絶しているようにも見えた。
「……ゲートは認定試験以来です。……正直言って、毎度怖いです……」
「最初に飛び込んだ先人は実に偉大だな。さあ、行くぞ」
「では、まず私が飛び込みます。お二人は、あとに続いてください」
そういうと、櫻井さんは、こちらの返事を確認することなく、渦の中へと身を躍らせた。
直ちに、会長が続く。
「え、あ、ま、待ってくださいー!!」
俺も慌てて、後を追って飛び込んだ。
……視界全てが、七色の光に包まれる。
身体が周りと溶け合って、徐々に境が無くなっていくような感覚があり……
気がつくと、俺は大草原の中に立っていた。
見渡す限り、地面には緑の草の絨毯が続く。
だが、空や地平の彼方は、まるで絵の具を塗りつけたかのように真っ白だった。
光源は上にあるようだが、はっきりしない。
「ここが、『始まりの草原』です」
すぐそばに、櫻井さんと会長が立っていた。
「東京の地下に、こんな空間が……」
「なにを混乱している。ダンジョンはゲートの真下にあるわけではない。知っているだろう」
あ。そうだった。
櫻井さんが辺りを警戒しつつ、解説を加えてくれた。
「近くの土地からいくら掘り進んでも、この場所には到達できません。また、どんな測定でも、東京の地下にこうした空間があることは確認できていません。つまり」
「ゲートを通って、どこか別の場所に移動させられている可能性が高い、ということですね」
「そうだ。そうでないと説明がつかん、というだけだがな。結局のところこの三十年、なにもわかってないに等しい。……さて」
突然、会長はその大きな瞳で俺の顔を覗き込んできた。
「本題だ、神室ソータ。お前は、人に合わせて真装具を選ぶのが得意だそうだな?」
「あ、はい。それだけは自信がありますね」
「どうやって判断している?説明しろ」
……え?それが本題に関係あるのか?バイヤーは要らないんじゃなかったか。
「ええと」
俺はどう答えたものか悩んだ。
「でも、あんまり信じてもらえないと思うんですが」
実際、同僚に話しても皆笑うだけだった。
「構わん。話せ」
「……『色』です。真装具と、探検者。どちらにも、色があって……その色が近いほど、相性が良いんです」
俺の答えに櫻井さんは怪訝そうな顔をし、会長はニヤリと笑った。
「本体とは全然違う色が、目を凝らすとぼんやり見えてくるというか」
「その色が見えるようになったのは、最近だな?」
「はい。就職してちょっと経ったころだと思います。沢山の真装具に囲まれているうち、だんだん、見えるようになってきて」
「うむ。聞いていた通りだ」
聞いていた?何を?
――その時。
櫻井さんが、突如警戒態勢に入った。
「お二人とも、ご注意ください。真獣です」
櫻井さんの視線の先に――黒い岩が複数連なって人の形をした、真獣が立っていた。
写真で見たことがある。岩人形、通称『ゴーレム』だ。
「ちょうど良い真獣だな」
会長はさも嬉しそうにゴーレムを見遣ると、再び俺に視線を戻した。
「お前は色が見えるようになってから、真獣を見たことがあるか?」
「いえ」
「では見てみろ」
意味がよく分からなかったが、とにかく言われたようにしよう。
俺は、仕事でいつもやっていたように、眼に意識を集中しながらゴーレムを見た。
そうだ。身体中の血液が眼に集まるような感覚があって……
あれ?
ゴーレムにも、『色』がある?
「どうだ?見えるか?」
「はい。見えます。ゴーレムの全身から……いや、なんだこれ、偏ってる?」
それを聞いた会長は、ますます笑みを深くする。
「どこに偏ってる?」
「はい。右脇の下。ちょうどあの大きな岩とその下の小さい岩との繋ぎ目が、やたらと『色』が濃いです」
「よかろう。ナナミ!狙え!」
「はい!」
櫻井さんは、十メートルは離れていたゴーレムに、一度の踏み込みだけで肉薄する。
ゴーレムに迎撃の素振りが見えるが、所詮は地下一階の真獣か。
ギフト無しの俺でも躱せそうなくらいに動きが遅い。
二級探検者の櫻井さんにとっては蠅が止まるレベルだろう。
あっという間に懐に入り込むと、黒い剣身を容赦なく右脇下に叩き込んだ。
その直後だった。
パンッと何かが弾けるような音がすると、ゴーレムは糸が切れた人形のように、ガクンと倒れ、動かなくなった。
「すごい!流石は二級探検者!」
俺は思わず歓声を上げた。
だが、何故かその場で一番驚きの表情をしていたのが、当の櫻井さん本人だった。
「ゴーレムが一撃……?」
「え?なにか変なんですか?」
キョトンとする俺に、会長がしたり顔を向けた。
「ふふ。地下一階の真獣にも関わらず、ゴーレムには武器がほとんど効かぬ。動きが遅いので避けて進むのが定石だ」
「それを一撃というのは……」
「これがお前のギフトの力だ。私は、『真眼』と呼んでいる」