そして再び、舞台の幕は上がる ⑤
今回でプロローグ終了です!
ようやく次回から第一章が始まります。
では、ユリアと子どもたちの話の続きをどうぞ!
もしもよろしければ、ブクマや評価などをしてくださると励みになります!
「……そなた……私を見て、何か思ったか……?」
「えっ──何か、ですか……?」
質問の意図がわからず、ラウレンティウスは目線をわずかに逸らして困惑した。どのような返答が正しいのか、焦りながら思案している。すると、もうひとりの少年が、従兄にしびれを切らせた──おそらく、肌の痛みが煩わしく、その影響で少し苛ついているように見える──ように口を開く。
「……想像してたより、少し違うなと思いました」
「お、おい! クレイグ!?」
クレイグと呼ばれた十代半ばの少年は、静かにそう言った。
彼の黒い短髪は、艶やかさと波打つような癖毛があり、その髪をおしゃれに軽くかき上げている。左の目じりあたりには泣きぼくろがあり、十五歳の少年らしい顔つきなのだが、どこか伊達男らしさを醸し出していて不思議な色気がある。
「……そうか」
無表情のまま、ユリアは呟く。従弟の失言に対するユリアの反応に、ラウレンティウスは言葉を失った。焦りで言葉が出てこないのか、わずかに目線を下げ、手は小刻みに震えている。しばらくして、手のひらに冷や汗がにじみはじめた。
その時、ユリアが「どうしたの……?」と、誰に向けて言ったのかわからない言葉を発すると、彼女の堅かった表情が少しだけ和らいだ。
「──ラウレンティウスよ。ユリアは怒っていない。むしろ、わかっていたことだ。気にするな」
「……え?」
先ほどの凛とした声とは打って変わり、平静ながらも優しく気遣う声がユリアから聞こえてきた。その変化に、ラウレンティウスだけでなくクレイグたちも呆然としている。
「突然にすまない。わたしの名はアイオーン。ユリアの内側で生きる星霊だ」
「あ、あなた様が……!?」
ラウレンティウスは、感情が追いついていないような声を出した。
「判りづらかろうが、これでもユリアは少々緊張しているのだ。ひとまずは、わたしと話をしよう。ユリアのことを勘違いをしたまま話が進むのは心苦しいゆえ。──まずは、自己紹介をしてはくれぬか?」
と、アイオーンは、ラウレンティウス以外の三人の子どもたちに目をやった。
「あ……んじゃあ……まず、ウチからやらせてもらいます。ウチはアシュリー・ベイツです。こっちは弟のクレイグです」
アシュリーと名乗った少女は、丸型の眼鏡をかけており、少々垂れ目で、活力をあまり感じない雰囲気を持った目をしている。右側の口端から少し下の部分にほくろがあり、弟のクレイグと同様、不思議と色気がある。あまりユリアたちに動じないところも似ている。また、毛先が肩まで届くほどの長さの黒髪に艶があることもそうだ。
アシュリーの言葉に西部訛りがある理由は、幼いころから西部にある魔力研究機関に勤める研究者のもとで勉学に励んでいたからだとダグラスは言っていた。そのため、いつの間にか訛りが身に付き、そのまま抜けなくなったという。
「えっと──よろしくお願いします」
突如としてユリアと入れ替わったアイオーンに、クレイグは少々呆気にとられた様子で頭を下げる。彼はまだ肌が痛むようで、ときどき顔を歪ませながら二の腕をさすっている。
クレイグが挨拶を言い終えると、一番年少の少女が背筋を正し、顔を力ませる。
「あ、あたしはイヴェット・ベイツですっ……! よろしくお願いしますっ……!」
イヴェットは、一見、真面目でおとなしそうな可愛らしい顔立ちをした少女だが、アイオーンが彼女の緊張を解かすために微笑みを向けると、イヴェットは満面の笑みを返した。きっと、はつらつとした子なのだろう。彼女は、ラウレンティウスと同じく深みのある茶色みを帯びた金色の髪を持っている。それは腰までの長さがあり、リボンを使って耳の下あたりで二つ結びにしている。
アイオーンは、改めてこの四人の子どもたちを見渡した。子どもたちの目は、濃淡の差は若干あるが緑の目を持っている。
「ラウレンティウス、アシュリー、クレイグ、イヴェットだな。よろしく頼む」
軽く会釈すると、アイオーンは、何かを考えるように天井を見上げた。
「……おそらく、きみたちは『ここにいるユリア』と『歴史に語られるユリア』との差異──そして、ユリアもわたしも死んでいない理由について気になっていることだろう。もしかすれば、ほかの歴史にも何か食い違いがあるのではと推測しているか……」
アイオーンは、子どもたちひとりひとりを見つめ、やがて目を伏せた。
「だが、我々はそれらについて、何ひとつ語りたいとは思っていない。……そして、どうか我々の過去を聞かないでほしい。わたしたちは、誤った歴史を修正するためにここにいるのではない。わたしは……ユリアから奪ってしまった寿命を取り戻したい。そして、『星霊の核の器』を得て、ただ穏やかに余生を過ごしたいだけだ」
静かながらも、どこかに威圧感のようなものが感じる口調に、子どもたちは小さな声で「わかりました」と了承しかできなかった。
「……しかし、これだけは話しておこう」
アイオーンは、静かにゆっくりと息を吐いた。
「──ユリアは、両親から愛を受けたことはない。『両親』と『子』であれた時間はなかった」
「えっ……」
ラウレンティウスたちは絶句した。
歴史にはそのようなことはひとつも書かれておらず、国を守った英雄と伝わっているため、良い印象しか抱いていなかったのだ。
実際、彼女のことを悪く書いてある歴史書は存在しない。そもそも、詳細な人物像や経歴は伝わっていない。そのため、そのようなことは想像もしていなかった。
「戦争を勝利に導くための存在として、なおかつ死を恐れぬ『兵器』のような存在になることを望まれた──あの時代の者たちは、それを『英雄』と称したがな……。民と国のために生きる立場として生まれたのだから、そのために命を賭すのは当然のことだと考えられていた時代だ。幸か不幸か、ユリアは魔術に関して抜きんでた素質と才能を持っていた。それらをさらなる高みへと導くべく、星霊たちの手によって育てられた。……そのような経歴ゆえに、ユリアは感情表現や本心を言葉で表すことが少々苦手だ」
「あのぉ……国王様と王妃様は、それに納得してたんですか……? 自分の、実の娘やってのに……」
アシュリーが遠慮がちに問う。
「納得していた。王は、娘は生まれてすぐに死んだようなものだという解釈をしていたのだろう。ユリアは、実子と認知されることはなかった。ゆえにか、彼はユリアに話しかけることもなかった。心の内には、時代と立場ゆえにやむを得ないという思いがあったのやもしれぬが……わたし自身、王や王妃と話す機会があまりなかったゆえ、詳しいことは判らない」
「王妃様は……?」
ラウレンティウスが呆然と呟く。
「王妃もだ。腹を痛めて産み、母になったことよりも、共存派を象徴とする国の王妃となった意識のほうが強かった。ゆえに、世のために我が子を捧げた。──両親ともに、ユリアは家族らしい会話をしたことがないのはそのためだ」
「……そんな……」
イヴェットも衝撃を受け、それ以上何も言えなかった。
「ゆえに、きみたちには、どうかユリアの友になってやってほしい。──ん? どうした、ユリアよ。……クレイグに伝えたいことがある、だと?」
「えっ、オレに……?」
アイオーンは「交代する」という言葉を発した。その後、どこか緊張しているような手の動きを見せ、少し落ち着きがない印象のしぐさをするようになった。ユリアに代わったようだ。
「……クレイグ。先ほどから肌を気にしているけれど──それは、どうして……?」
アイオーンが表に出ている間に、少しだけ緊張が解れたのだろうか。ユリアは、先ほどの堅苦しい口調を止めた。
「いや……。なぜか地下に向かう階段あたりから急に肌がピリピリしだして、ここに入った瞬間、かなり痛みが増して──」
「少し……触らせて……」
クレイグの頬に触れようと、ゆっくりと人差し指を近づける。すると──。
「痛ぇッ!?」
触れたところに激痛が走ったようで、クレイグは勢いよく指を払うかのように顔を振り、表情を歪ませながら数歩後ずさった。
「……まさか……」
ユリアはそう呟くと、クレイグを見つめながらなぜか動かなくなった。
そんな彼女を、クレイグは怪訝そうに見たその瞬間、何かの変化を感じとったように目を見開いた。
「──どう……?」
無表情で、ユリアは首をわずかに傾げる。
「……痛くない」
「な、何したんですか!?」
アシュリーが興奮しながらユリアに問う。
「……さきほど指で触れたときは、指先に体内の魔力を集めていたの。でも、今の私は、体内から皮膚へとにじみ出ようとする魔力が、外の空気をつたって周囲に広がらないよう遮断している状態。これは、『気配遮断』と呼ばれる魔術の一種。……魔力を生成できる人間は、肌から少量の魔力が漏れてしまうものだから……」
「って、ことは──!?」
アシュリーが結論を急く。魔力研究者に師事していたことだけあって、こういったことへの興味は深いようだ。
「……クレイグは、無意識に『気配察知』の能力を発動し続けているのだと思う。特異体質……かもしれない」
ユリアの推測に、アシュリーは困惑し、クレイグは納得がいっていないような表情でうつむいた。
「魔術なんて……あり得ないですよ」
「どうして……?」
「オレは『持たざる者』です。……魔術師の家系に生まれたのに、魔力を作れないんですよ。血液検査をしても、魔力がなかった」
その言葉に、ユリアは何かを考えるように目線を斜め下に下げる。
「……生まれつき、生み出された魔力が血中を巡らず、そのまま肌に流れていってしまう体質なのかもしれない。その肌の痛みは、魔力の耐性がないのと気配察知が合わさった結果だと思う。魔力の耐性は、血の中に魔力があって身につくものだから。でも、もしかしたら魔力生成量が少ないほうなのかもしれない。魔力生成量と耐性は比例するものだから……。けれど、あなたは間違いなく魔力を生み出せている。あなたからは魔力を感じる」
「……は、はぁ」
淡々と、それも早口ぎみにユリアは説明した。ただの説明なため、自分の考えを言うより饒舌だった。
クレイグは、言われた意味は何となく解ったような、解らないような曖昧な返事しかできなかった。魔力に関する知識や興味をあまり持っていないため、いまいち説明に頭がついていかなかったのだ。ラウレンティウスとイヴェットも、ぽかんとした顔になっている。しかし、彼らとは反対に、アシュリーは気分の高揚を抑えきれずにいた。
「ま、ままままじなんれしゅかっ!? いひゃあああ!? アンタまさかのそんな体質やったん!? 魔力学的に新たな事実発見やん!? つーかユリア・ジークリンデ様のお身体調べたら未知だらけでヤバいやろ絶対──お身体すみずみまで触らせてくださいッ!」
「落ち着け変態」
ラウレンティウスが冷静につっこむ。
彼女の興奮も無理はなかった。現代における魔力の研究は、実はこの数十年前からようやく本格的に始まったらしい。今までは、現代の魔術師が研究自体に協力的ではなかったからだという。
その理由は、今世まで受け継がれてきた魔術師の血は、星霊と同じく神聖なものであるため、研究のためのサンプルとして差し出すなど言語道断だという思想があったからだ。現在はそのような考え方も少数派になりつつあり、ようやく研究が進むようになったらしい。
「──あの、だったらオレはどうしたらいいんですか? 『魔術師』になれるんですか!?」
クレイグは、食い気味になってユリアに問いかける。魔術師の家系に生まれた『持たざる者』は、魔術師の社会では地位が低くみられ、辛酸をなめることが多い。そのため、『持たざる者』は、魔術師の道を諦めて一般社会で生きることを余儀なくされるのだ。そのことを一族の汚点と見る魔術師もいるという。
だが、いとこたちの反応を見るに、おそらく家族から非難されることはなかったのだろう。しかし、それでも彼の反応からして、ずっと悔しい思いをしてきたようだ。
「……なれると思う。……まずは、私の力を利用しながら魔力の流れを矯正していきましょう。魔力を操る稽古は、そのあとで」
「お願いします。矯正と稽古をつけてください。魔術師になれるなら、どんな稽古でも耐えてみせます」
「……もしかして、騎士になりたいの……?」
現代では、魔力を持つ者は騎士になることが一般的だという。そのため、ユリアは自然とその疑問が出てきた。
「はい。でも、ずっとなれないと思っていましたので──だから今、すごく嬉しいです……」
「……それは、よかった」
クレイグの希望を感じた嬉しそうな声に、ユリアはわずかに笑った。
すると、ラウレンティウスの隣にいたイヴェットは不満そうに従兄の服の袖を引っ張ったり、力を緩めたりを繰り返しながら、ぶつぶつと小声で何かを言い始める。
「いいなー……。イグ兄だけズルい……」
「わがまま言うんじゃない。ユリア・ジークリンデ様を困らせるな」
ラウレンティウスが注意すると、イヴェットは不服な目つきで従兄を見る。
「ラルス兄だってうらやましいって思ってるくせに。ほんとは自分にも稽古してほしいってか思ってるでしょ? 一緒にお願いしよ?」
「別に思っていない」
「うそ」
「うそじゃない。ユリア・ジークリンデ様を困らせるだろうが」
「ラルス兄のいじっぱり屋さんめっ。くそマジメっ」
そう言ってむくれっ面になりながら、ラウレンティウスの足を軽く何度も蹴りつけはじめた。「こら」と怒られ、ようやく止めたが、怒りが収まらにようで頬を膨らませている。
ややあって、イヴェットの目つきが何かを決意したような雰囲気に変わった。そして、ユリアを見上げる。
「──ユリア・ジークリンデさま! ラルス兄が武術の稽古をつけてほしくてたまらないしお願いきいてくれなきゃ泣いちゃうって言ってます! あたしからもお願いします! ついでにあたしにも稽古つけてください!」
「ちょっ、待て!? なんでそうなる!?」
だしにされたラウレンティウスは、焦りながら怒鳴った。しかし、ユリアは特に何も気にせずに──。
「……私にできることなら」
と、快諾した。
「ほんとですか!? ありがとうございます! ラルス兄よかったね~!」
「あ……ありがとうございます。ユリア・ジークリンデ様……」
英雄に師事できることに喜ぶ一方、従妹から口実として自分を利用されたことへの複雑さで、なんともいえない表情だ。
すると、ユリアは相変わらず表情にあまり変化はないが、何かに恥ずかしがるかのように、自分の手を弄りはじめた。
「……あ、あの……みんな……私のこと、ユリアと……」
「……?」
ユリアの声があまりに小さかったため、イヴェットが不思議そうに首をかしげた。ほかの子どもたちも静観する。
「私の名前……ユリアと呼んで……。丁寧な言葉も、必要ないから……」
先ほどよりも大きいが、それでもまだ小さな声であった。恥ずかしがっているため、声が張れないのだろう。しかし、今まで無表情で淡々と魔術の解説を言う人が、これを言うことにここまで弱々しくなるものなのかと、子どもたちは内心驚いていた。
「……ユリア、で……いいんだな?」
ラウレンティウスがおそるおそると返した言葉に、ユリアは無言ながらもどこか嬉しそうに口元を緩めた。
「あ、あの……あなたの名前……えっと──」
「ラウレンティウス」
「……名前、意外と長いわよね……」
「……『ユリア・ジークリンデ』のほうが若干長いぞ」
「……え……? そ、そう……?」
名前が長いと言われたラウレンティウスは、少しだけ不満な声で反論したが、ユリアには自覚がないようだ。妙にゆるい空気が流れる会話に、アシュリーは「んふっ」と吹きかけた笑いをこらえる。
「……あの、ラルスと……呼んでも……?」
あだ名で呼んでもいいかユリアが問い、「まあ、別にいいが」と言うと、ユリアはおずおずと握手を求めた。
「……どうぞ、よろしく」
ラウレンティウスはそれに応じ、握手を交わす。すると、彼の手を握りながら、ユリアは何かに気がつき、少しだけ彼に微笑んだ。
「あなたの手……なんだか不思議な感じがする……。好きな、感じで……このまま、握っていてほしいような……」
「……」
ここで初めて、ユリアはしっかりとした笑みを浮かべていた。その笑みのせいか、言葉の衝撃のせいか、彼は口を半開きにして真顔になって何も言わなくなってしまった。
「──あっ。アカンわ。思考回路にバグ起こしとるわコレ」
「相変わらずウブすぎだろコイツ」
アシュリーとクレイグの姉弟が、ラウレンティウスの状況を冷静に分析しながら、握手をしているユリアと彼の手を解き放す。ユリアは、何かがいけなかったのかと首を傾げながら考えている。すると、誰かに袖を引っ張られた。そのほうを見ると、イヴェットが手を差し出している。
「ラルス兄がおかしくなってるから、代わりにイヴェットと握手しよ!」
求められるまま、ユリアは彼女とも握手を交わす。彼女の手に触れて、まだまだ成長途中の小さな手だと初めてわかった。
「……小さくて、かわいい手」
ユリアが言う、イヴェットは「やった!」と無邪気に喜んだ。ユリアもつられて少しだけ口角を上げた。
「──ちゃんと笑えるんやん。表情筋、死んでんかと思ったわ」
「仏頂面よりもそっちのほうが可愛いぜ?」
アシュリーが笑顔で冗談を、クレイグも微笑みながら軽口を言った。こういったことを言うのが、普段のふたりなのだろう。
「ちなみに、こんくらい口の端あげて笑ったほうが可愛ええで」
と、アシュリーはユリアの両側の口端に親指を置き、そのまま、ぐいっと引き上げた。ユリアは、誰かに気安く触れられたことに新鮮さと嬉しさがこみ上げる。
「……うん。でも……ラルスのほうが可愛いと思う」
アシュリーに物理的な笑顔を作られるがままのユリアは、素直にそう褒めた。しかし、何かが違うようで、アシュリーは「あはは!」と爆笑し、クレイグは憐れむようにラウレンティウスを一瞥して苦笑した。
「あ~……それ、男にとって誉め言葉じゃないんだわ」
「……難しい……」
と、ユリアは困ったように呟いた。しかし、どこか嬉しそうに。
これが、ユリアを変える出会いの日の出来事であった。ユリアは、ようやく心を育める機会を得たときでもある。それから、ユリアはローヴァイン家とベイツ家、そして王室からも世話になり、さまざまな知識や経験を吸収していった。
そして時は流れ、現在──あの出会いの日から、十年の歳月が経った。十代の子どもだった少年と少女は、背丈も伸び、経験を得て『大人』へと変化を遂げている。それは、ユリアも例外ではない。十年前と現在を比べたら、きっとその変化に驚く者もいるだろう。
彼女の物語は、十年後である『今』から始まるのだ。
◆◆◆
「──これが、買ってきてほしいもののリストだ」
とある大きな屋敷の一室にて、毛先あたりだけが波打つようにうねる白に近い銀色の長い髪を持った青年らしき人物が、ユリアに折りたまれた紙を渡した。
青年らしき人物は低い声をしている。ユリアより背が高く、美しさを兼ね備えた男性寄りの外見だ。人によっては一瞬、女性かと見間違えてしまうかもしれない。
目の色は真紅で、どこか威圧感を感じる凛とした目つきであり、鼻筋が通っている。そして、肌は白磁のように白い。幻想的で彫像かと思ってしまう風貌は、人によってはある種の神聖さを、あるいは近寄りがたさを感じることだろう。
「たくさんあるのね。夕食は何を作るの?」
紙を広げ、内容を見たユリアは青年らしき人に微笑みかける。
見た目は十年前とまったく変わっていないが、性格や印象はずいぶんと変わった。春のような温かさと爽やかさを感じさせる雰囲気に、余裕ある明るい笑みを自然に浮かべることができている。過去では、精神的な理由によって、ややうつむきがちになってしまうことが多かったが、現在は常に背筋がしっかりと伸びており、優美さを感じさせる佇まいである。
「出来てからのお楽しみ、ということにしておこう。今日はラウレンティウスが帰ってきているゆえ、たくさん作るつもりだ。ふたりが満足する品々を作ってみせよう」
「あら、それは楽しみだわ。アイオーンの料理は美味しいもの」
この人物は、アイオーンだった。
この十年で研究が進み、ついに『星霊の核の器』を開発できたのだ。この外見は、誰かの好みで造られたものではない。造られたばかりの『器』は、ほとんどマネキンのような姿だったのだが、星霊の核を『器』に埋め込み、しばらくの時間経過ののちにこのような見た目へと変貌した。星霊の核には『変質できる特性を持ったもの』に入ると、もとの外見と同じ姿になれるという。
アイオーンによれば、ユリアが変貌しなかったのは、彼女がまだ生者だったからのようだ。死んでいれば、おそらく身体はじょじょにアイオーンの見た目へと変化していただろうとのことだ。
「──おい、ユリア。置いていくぞ」
部屋の扉越しに、少し不機嫌そうな口調をした青年の声が聞こえた。ラウレンティウスだ。これから、ユリアと彼は買い物に行くことになっている。
ユリアは、寝台の上に置いていた鞄を手に取り、再びアイオーンに微笑みかけた。
「では、行ってくるわね」
「うむ。気を付けるのだぞ」
今のユリアは『歴史に名を遺す英雄』としてではなく、『ヒルデブラント王国に住む女性』だ。アイオーンが望んだとおりに、彼女は笑顔で平穏に暮らしている。これからも、そういう『物語』が待っているだろう。
しかし、時はすでに満ちていた。
誰がどれだけ望まずとも、拒んでも避けられないことが起きるだろう。
それは彼女の物語とも必然的に繋がることなのだから。
まだ、『誰も』そのことは知らないだけで──。
読んでいただきありがとうございます! ここまで長くなってしまったことに自分でも驚いています……。
一気に十年もの月日を飛ばしましたが、それは物語のメインはその十年間には無いため、あえて飛ばしました。それまでにどんなことがあったのかは、作中で断片的に語られることがあるかもしれませんが、ご覧になられた皆さんのご想像にお任せします(笑)




