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ユリア・ジークリンデ (1) ―遥かなる亡国姫―  作者: 水城ともえ
第二章 真実と夢
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第三節 予言の子 ②

 それから六年後。

 六歳となったユリアは、年頃の少女らしい背丈となった。しかし、内面はすでに大人へと近づいており、落ち着きのある雰囲気をまとっていた。

 誰しもが『予言の子』の異様な早熟さを称えた。

 『予言の子』は、それは称えられることではなく当然のことだとして、さらに『皆が望む予言の子』になろうと励んだ。

 自身の名付け親であるアイオーンという星霊には、未だ会ったことはない。実の両親も、顔は知っているが話しをしたことは一度もなかった。

 ある日のこと。

 その日は、朝から星霊たちとの戦闘訓練を行い、それが終わって自室に戻っていた。

 彼女の自室は、城の居住区にはない。離れに塔があり、その最上階が自室だった。そこからはヴァルブルクの街が見渡せる。もともとヴァルブルクの街は丘の上に作られており、その頂きに城があるのだ。だから見晴らしがとてもいい。

 この頃のユリアの日常は、鍛錬と座学で一日が終わる。座学の内容は、一般教養から共存派と不信派の情勢はもちろん、戦うための魔術学、歴史などだ。

 王女としての教養は何も教えられておらず、貴族の令嬢の間で何が流行っているのかも知らない。

 趣味らしい趣味もない。しいていえば、鍛錬だろうか。それでも、これは必要だからしているだけだが。


(……子どもの声が聞こえる)


 ガラス窓を開けていたため、温かな風と共に元気のいい声が届いてきた。

 街は大きいが、この城と民が暮らす街は隣接している。星霊と人間が共存しているため、外では星霊に遊んでもらったり魔術を教えてもらう子どもが多く、たまに大きな笑い声やが風に乗って聞こえてくる。

 ユリアは、ガラス窓を締めた。

 うるさいからではない。ただ、あのような自由で明るい声を聞いていると、心が揺らいでしまうのだ。

 自分の使命は、国を守るために強くなること。国のための武器になることだ。このようなことで、心が揺らいではいけないというのに──。

 そうだ。もうしばらくすると、使用人が食事を運んでくる頃だ。その後は、座学の時間となる。訓練服から私服に着替えなければ。

 ユリアは、ガラス越しに外を見ながら魔術でシニヨンにしていた髪をほどいた。


「……なんだ……?」


 ふと、ユリアは窓から真下を見た。地上に違和感を感じたのだ。

 人はいない。だが、そこから微かに魔力が動いているように見える。誰かが術を使わないかぎり、魔力はあのような動きをしない。もしかして姿を隠しているのか。何やら怪しい。放ってはおけない。

 ユリアは窓を開け、躊躇することなく怪しげな場所をめがけて飛び降りた。

 そして──。


「ぐふっ!?」


 何もないところで人の身体のような感覚と、少年らしき声がした。ユリアの下には、たしかに誰かがいる。


「何者だ。ヒルデブラントヒツジモドキの外套を使っているな? 姿を隠していても判るぞ。城内で姿を隠すなど何を考えている」


「も、申し訳ありません!」


 ユリアの下敷きになっていた少年らしき声の主は素直に謝罪し、目くらましの術を解除して姿を現した。

 生成り色のフード付きローブを着た子どもがうつ伏せになっている。

 ユリアは、少年の上から退くと、手のひらに月白色の鋭い水晶の剣を出現させ、その切っ先を少年に向ける。

 ユリアの方を振り向いた少年は、目の前に鋭く尖ったものを向けられていたことに気が付き、「うわっ!?」と悲鳴を上げた。少年の顔の雰囲気からして、十歳ほどの男の子だろうか。赤銅色に似た赤毛は、耳たぶが隠れるくらいの長さで、全体的に緩やかに波打ったような癖毛をしている。顔立ちは、気品がありながらも親しみやすい柔和な雰囲気をまとった端正なものだ。

 パッと見た外見から判断すると、このような罰せられる行為はしなさそうな真面目で穏やかな男の子に見える。


「……えっ。小さい女の子……?」


 意外すぎたのか、少年は思わず思ったことを口走る。


「それでも、お前よりは強いと思うぞ」


 なんとなく馬鹿にされたような少年の口振りに、ユリアは眉間のしわを寄せる。そして、剣の切っ先を少年に向けながら、倒れたままの彼の頬を強く引っ張った。


「ちょっ、痛い! 止めるんだ!」


 少しだけ気持ちが晴れたのか、ユリアは少年の頬から手を離した。それでも、剣は少年に向けたままで目つきも鋭い。


「なぜ姿を隠していた?」


「……お、お城の探検をしていたので……」


 目的を問われると、少年の顔が引き攣った。


「何者だ。名を名乗れ」


「……」


 少年は、ユリアに何かを訴えるかのような目線で見つめる。しかし、名乗ろうとはしない。


「自分の名前を忘れたのか?」


「ち、違います……。言いたくありません……」


 ユリアは、容赦なくまた少年の頬をつねった。


「止めてくれないかい!? 地味に痛い!」


「では、質問の内容を変える。お前は、ヴァルブルク王家に悪意を持っているのか?」


「そんなものは無い! ヴァルブルク国王と王妃、そしてユリア・ジークリンデ様に誓う! 忍び込んだのは観光目的のようなものだ!」


 と、少年は毅然と宣言した。

 しかし、ユリアから頬をつねられているため、いまいち締まらない言葉ではある。しかも目的は観光。ユリアは余計に気が抜けた。


「……一応、悪人ではないことは信じよう」


 たとえ悪人であっても、ここまで間抜けならさほど問題にはならないだろう。

 ユリアはため息をつきながら、魔力で編んだ剣を消し、少年の頬から手を離した。少年も安堵のため息をつき、ローブについた土埃を払い落としながら立ち上がる。


「……このことは、誰にも言いつけない。その代わり、ひとつだけ質問に答えよ」


 すると、ユリアは少年から目線をそらして遠慮がちに言い始めた。少年は「なんだい?」と言いながら、先ほどの雰囲気とは少しだけ違うユリアを見つめる。


「……街では、子どもたちはどのような遊びをしている……?」


 少年は、ユリアの正体を知らない。

 ならば、このような質問をしても咎められることはないはずだ。この区域は、あまり人は寄ってこない。用事のある者が少ないからだ。だからこそ、『予言の子』らしからぬ質問が出来るのは今しかない。ユリアは、わずかに期待した目線を一瞬だけ少年に向けた。


「……申し訳ない。この街のことは、まだよく知らないんだ」


 知らない──。

 ユリアは、ゆっくりと目線を地面に向ける。

 何をそんなにも残念な気持ちになるのだ。知らなくてもいいではないか。

 知っていても、自分にはできない。


「……この街の者ではないのか?」


「私は、ヒルデブラントに住んでいるんだ。父上がヴァルブルクに用があったため、それについてきただけでね」


 申し訳ないと、少年が謝罪する。ユリアは小さく首を振った。


「いいや、構わない。変な質問をしてしまった」


「……今さらだけど、君の名前は? 私は、テオドルス・マクシミリアンというんだ」


 ふたつの名前を持っているということは、彼も貴族だ。あまり貴族らしくない行動をしていたが、そういう気質なのか。

 せっかく名乗ってくれたが、ユリアはあえてはぐらかし、名乗らないでおこうと思った。『予言の子』らしくない質問をしてしまったからだ。


(……でも、名乗ってくれた人に対して名乗らないのは……)


 ──この人は……。この人も『同じ』なのか? それとも『違う』……?

 彼の緑の目は、優しそうな気配がする。ユリアは、光に手を伸ばすかのように、彼と目を合わせ、名前を口にした。


「……ユリア・ジークリンデ」


「えっ!? 君が!? あっ、いや! あなた様が!?」


 少年の声が裏返った。

 ああ──やはり、そうなるか。『予言の子』というものはそういう存在だ。自分の名前を知れば誰もがそうなる。解っていた。

 それでも、本当に自分は『そんな存在』か? 先ほどの素の対応のほうが気楽で良かったと感じるのは、自分は何かがおかしいのではないか。あるいは、『間違っている』のではないか?

 自分の教育係である星霊たちは、気高い精神を持った者ばかりだ。素晴らしい先生たちだと思う。その先生たちや民たち、諸外国からも自分は期待されている。

 だからこそ、気高い精神であらなければならない、そうありたいとも思う。

 しかし、そのように心を奮わせるたびに、疲弊してしまい、自分はそこへ至ることができないのだということを突きつけられ、自己嫌悪に陥るのだ。

 そんなことは、誰にも言えない。『予言の子』らしく振る舞えないこの心は、きっと『悪』なのだ──。


「た、大変失礼いたしました! まさか、ユリア・ジークリンデ様だとは思わず数々のご無礼を……!」


 少年は勢いよく地にかしずき、頭を深く下げた。


「……別に良い」


 ユリアは、無意識にぶっきらぼうな言い方をしてしまった。

 すると、テオドルスはユリアの顔をまじまじと見つめはじめた。何かを見透かされるような目に、ユリアは恐怖する。


「……何を見ている。無礼者」


 ユリアは、すぐさま睨みつけた。

 この者といれば、自分の醜い一面をまた出してしまいそうだ。一刻も早く、彼を城から追い出さなければ──。


「──この近くに、城の外に通じている隠し扉がある。人通りの少ない場所だから、見つかる可能性は低い。そこまで案内するから早く城から去れ」


 有無を言わさぬ物言いで、ユリアはテオドルスの腕を掴んで引っ張った。なるべく顔を合わせずに、ユリアはテオドルスの腕を引っ張りながら細い道を行く。

 やがて、城壁の近くの地面に隠された扉があった。


「ここだ。早く行け」


「はい。いろいろとお世話に──」


 テオドルスは、突如、言葉を途切れさせた。その言葉を取り消すかのように「いや」と、言いながら首を左右に振り、ユリアに微笑みかけた。


「申し訳ありません。やはり、またお世話になりに来ます」


「……は?」


「今度は別の形で──誰にも咎められず、文句すら言わさない方法でお会いしましょう。そうするには、あと三年か四年くらいかかってしまいますが、それまでお待ち下さい。では、私はこれで失礼します」


 と、爽やかな笑みを浮かべながら、テオドルスは隠し扉の向こう側へと去っていった。ユリアにとって、あまりに予期しなかった言葉だったため、呆れ返ってその意味の質問すらできなかった。


「……どういう意味……?」


 その言葉の意味が解ったのは、およそ四年後のことだった。

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