第三節 予言の子 ①
この節からユリアとアイオーンの過去編となります。
物語も、いつの間にか終盤に向かいつつある中盤あたりに入ってます。
「おはよう」
ローヴァイン家の屋敷に戻ってきて、一夜が明けた。台所で皿を洗っていたユリアは、眠たげな目を擦りながらやってきた寝間着姿のアシュリーに声をかけた。洗面所にはまだ行っていないのか、髪は寝癖だらけである。
「はよ……」
「眠たそうね」
「そりゃ、あれだけ動いたん久々やし……。筋肉痛がヤバい……」
と、アシュリーは大きな欠伸をする。
「他のみんなはもう起きてるわ。あとで、アイオーンに頼んで筋肉痛を治癒術で治してもらいましょうか。朝ごはんはどうする?」
「なんかあるもんテキトーに食べる……」
アシュリーは、流し台のそばにある物置き台に近づき、そこに置かれているパンやバナナといった朝食にうってつけの軽い食べ物をあさりはじめた。
「……昨日、私たちに促されるまま本格的な戦闘をしていたけれど、怖くなかった……? 戦闘なんて初めてだったのに」
ラウレンティウスたち騎士の立場である者はそうでもないが、アシュリーだけは戦いとは無縁である研究職の者だ。そのため、内心ではどう思っているのかが気になったユリアは、恐る恐るに聞いてみた。すると。
「怖かったけど──あの三人の謎のやる気に引っ張られてたな。いつの間にかウチもやる気になってたわ。んで、やってみたら案外いけたわ」
アシュリーは牛乳を飲みながら、想像以上にあっけらかんとした態度で言った。その軽さにユリアは呆気にとられて「え」と小さく呟く。
「いや、だって、ひとりで挑むわけやないしさ。ひとりだけやと、さすがに足竦むけど」
「……まあ……誰かと一緒ならば、意外と勇気は出てくるものよね」
それでも、彼女の勇気は凄いものだとユリアは思った。もちろん、彼女だけではない。ローヴァイン家とベイツ家の血を引く子どもたちは、ユリアの想像を超えた精神を持っている。それは、普段の生活の中では見えにくいが、昔からなんとなく感じ取ってはいた。そして、セオドアの件が絡んでから顕著になってきた気がする。ユリアにとっては不思議な魅力でもあり、羨ましいものでもあり、どことなく幼馴染を彷彿させるものだった。
ユリアは、最後の皿を洗い終えた。そして、ゆっくりと息を吐く。
「……今日は、みんなでヴァルブルクの街に行って調査をするつもりだけれど──その前に、ドレーゼで言っていたように昔の話をしようと思うの。朝ご飯を食べたら居間に来てきてくれるかしら?」
ユリアの昔の話。それは、世の中から隠された真実。彼女が今まで言おうとしなかった闇──。アシュリーは、いつも通りの表情で「食べながら聞く」と言いながら朝食と飲み物を両手に抱えた。ゆっくりでもいいのに、とユリアは小さく笑う。
居間に向かうと、すでに全員が揃っていた。アシュリーとユリアがソファーに着席すると、他の四人も座っていく。
「……まず、たまに昔の話を少しだけ話すことが何度かあったと思うけれど……、あれらの話は全部忘れて。本当のことを言う勇気がなかったから、嘘を含ませていたの。──これから話すことが、すべて事実よ」
と、ユリアは前置きを話す。
「それで、どこから昔の話をすればいいのか考えていたのだけれど……そもそも、現代には『予言の子』の話は伝わっていなかったわよね? 私の名前がアイオーンに付けてもらったということも」
ユリアがクレイグに問いかけると、彼は目線を天井に上げ、しばらくしてユリアを見た。
「……ないな。なんだ? その『予言の子』ってのは」
「予知能力を持つ人間や星霊たちが感じ取った、未来の可能性を持つ子どものことよ。予知夢だとか、意識せず勝手に脳裏で何度も同じような言葉が浮かんだり、映像が流れてきたりしたみたいなの。星霊たちが予知した未来の内容は、『ヴァルブルク王と王妃の間に、淡い色味の金髪と空色の目を持つ娘が生まれて、彼女が戦場へ身を投じ、やがて世を暁へと導く』というものだったらしいわ」
「それって……」
イヴェットの言葉に、ユリアは頷く。
「予知された子どもの特徴が、私と一致していたから……私は『予言の子』と呼ばれていたの」
その言葉を紡いだユリアの顔は、わずかに複雑な感情が垣間見えた。
「アイオーンが、ユリアの名前を付けたというが……その頃のアイオーンは、他人とはほとんど関わりを持っていなかったのではなかったか?」
ラウレンティウスが不思議そうに問う。
今でこそ想像がつきにくいが、当時のアイオーンは、生まれ持った能力が群を抜いて異質だったことから、その力を狙う星霊や人間たちから命を狙われながら生きていたという。そのため、気質は今よりも冷たく、人を寄せ付けない態度をとっていたということはラウレンティウスたちも聞いていた。
いつ頃から今のような穏やかな性格になったのかは聞いていない。過去に踏み込むため、彼らはあえて聞かなかった。
「ああ。なるべく、誰とも深く関わらないように生きていた。……しかし、少し訳があってな……。ゆえに、わたしはユリアの名付け親となったのだ」
アイオーンは俯き加減になりながら、目を細めてしみじみと語る。
「せっかくだ。私がユリアに名付けた日のことから話すとしよう」
アイオーンの提案に、ユリアは「そうね。お願い」と同意する。
「あれは、ユリアが生まれてからしばらくたった頃のことだ──」
◆◆◆
時は遡り、現代からおよそ千年前のこと。
ヴァルブルクの王城の一室にて、若い男性と女性がいた。男性は、淡い色味の金髪と空色の目を持っていた。濃紺色を基調、差し色には真紅、金の刺繍が印象的な豪奢なマントを羽織りっている。衣服は、インナーには黒、上着は白を基調としたものを着ている。頭には、金の冠をかぶっていた。女性も同じく、インナーには黒、そして白を基調としたゆったりめのドレスを着ており、それには真紅と濃紺、そして金の刺繍が配されている。彼女の腕には、産まれたばかりの赤子が眠っている。
すると、扉をノックする音が聞こえてきた。
「入りなさい」
冠をかぶった男性が穏やかな口調で言うと、扉が開いた。
入ってきたのは、目まで覆った黒いフードと体格が判らないほどにゆったりとしたローブを着た、人のかたちに似た者──だが、人間ではない。なぜなら、フードの上には黄金色の毛に覆われた大きな獣の耳。そして、臀部あたりからはふわふわとした同じく黄金色の尻尾が生えているからだ。それらは、どことなく狐を思わせる。
「呼んできたぞよ。我が王よ」
獣の耳と尻尾を持つローブを着た者は、声色から女性だろうか。少々古めかしい言葉を使っているが、口調は軽くて明るい。
そして、その後ろから顔を覗かせたのは、白銀の長い髪を持つ長身の美丈夫の人間の姿をした星霊。この時代はまだ本来の身体であったため、ラウレンティウスを越す身長を持っていたという。
「ご苦労。──急に呼びたてて申し訳ない。アイオーン殿」
「ようこそ、おいでくださいました」
王と呼ばれた男性は、穏やかな笑みで会釈した。隣の女性も、微笑みながら頭を下げる。
獣の耳と尾を持つ者は、部屋に入ろうとした。だが、アイオーンは入ろうとはせず、廊下で真っ直ぐに王の目を見据えている。
「そら、早う入れ。素通りするでないぞ」
獣の耳と尾を持つ者は、アイオーンの腕を軽く引っ張ろうと手を近づけた。しかし、アイオーンは手を鬱陶しそうに払いのける。その表情は、触れるなと言いたげで、刃のように冷たく鋭い。雑に手を払われた獣の耳と尾を持つ者は呆れたため息をついた。
アイオーンは、腰の位置を越える長さの毛先あたりだけが波打つようにうねる白に近い銀髪の髪に、真紅の目をしている。そして、彫像のような風貌と神秘的な雰囲気をまとうのは今も昔も変わっていない。ただ、この時には氷のような冷たさと恐ろしさを含んだ鋭さがあった。
「……ヴァルブルクの王と王妃よ。何用だ」
アイオーンは、そう言いながら獣の耳と尾を持つ者よりも先に部屋に入った。獣の耳と尾を持つ者は、「やれやれ」というように両手を軽く上げながら部屋に入る。王の前でも、アイオーンの態度は変わらない。それでも、王と王妃はそれを咎めることなく、穏やかな目つきを向けていた。
「この子について、そなたに頼みがあるのだ」
王は、隣の女性が抱いている赤子に目をやった。アイオーンも赤子にちらりと目をやるが、すぐに興味がなさそうに目を伏せた。
「戦況か何かが変わったのかと思えば──わたしは、誰とも縁は結ばぬと申したはずだ」
アイオーンは、無関心に冷たく言い放つ。すると、獣の耳と尾を持つ者が叱るように声を上げた。
「忘れたか、アイオーン。いかに人間や星霊に関心のないそなたであろうと、この娘の存在を忘れたとは言わせぬぞ。この赤子は、おぬしと比肩する存在となるであろう『予言の子』じゃ」
『予言の子』とは、多くの予知能力者が見たという『争いを終わらせられる人間の少女』のことを指す。
この予言は、ヴァルブルクだけでなく諸外国にも知れ渡るほどに有名であり、誰もが関心を示した。長きに渡る争いに、ようやく終止符が打たれるからだ。
しかし、大勢の予知能力者が見たことはその子どもが生まれるということだけで、共存派と不信派のどちらが勝つのかは判らなかった。そして、その予言は当然、敵対する不信派にも知れ渡っている。不信派が『予言の子』を狙うことは明白だった。
「これから、この子はアイオーン殿と関わることも多くなることだろう。その誼で、そなたにこの子の名を付けてやってほしいのだ」
王の口から発せられた言葉に、アイオーンは訝しむ。
「子に名付けるという行為は、親になった者の務めではないのか」
アイオーンの言葉に対して、王は否定の意で首を振り、王妃は悲しげに俯いた。
「我らは、この子を『我が子』として関わらないことにしたのだ。この子の意思を無視して、戦う技術を学ばせて戦場に送るのだから……。我々も、この子にも、家族としての情を湧かせてはいけない──。身勝手極まりないことではあるが……私たちは、ヴァルブルクの王という責務を果たすためにも、親の務めを辞退する。この子は、世を暁に導く『予言の子』なのだから」
王の娘を『予言の子』として期待するのは、ヴァルブルクの民だけではない。諸外国も同じだ。
この赤子は、生まれながらにとんでもない重圧を背負うことになってしまった。
しかし、だからといって『予言の子』であることを取り消すことは誰にもできない。ならば、親としてできることは、前に進める力を備えさせることではないか。
だからこそ、王と王妃は、我が子に強さを身に着けさせるため、星霊たちに子を育ててもらうことを決めたのだった。人間ではなく星霊に頼むのは、人間よりも魔力の扱いに長けているからであり、彼女の能力を最大限に育て上げることができるからだ。
「ならば、別の者に頼め。ちょうどそこに適役の者がいる。『予言の子』を予知した星霊のひとりであり、信ずる家臣でもあるだろう」
アイオーンは、考える素振りすら見せずに言い放った。しかし、獣の耳を持つ者は「駄目じゃ」と苦しそうに声を出す。
「わしでは意味がない……。わしは、まもなく生を終えてしまう……『予言の子』を支えてはやれぬのじゃ」
その言葉を聞いた瞬間、アイオーンの目が妬みの感情を含ませる。が、すぐに冷たく鋭い目つきに戻った。
アイオーンは、生まれながらに不老不死の能力を持っている。そのため、ほかの星霊よりも寿命が遥かに長く、戦場で大怪我を負っても簡単には死ねず、自害しても痛みが伴うだけで傷はすぐに治ってしまうため意味がない。だからこそ、寿命がある者に対して妬みを抱いてしまったのだ。
すると、『予言の子』がぐずりはじめる。
「──わたしに名付ける義理はない」
王と王妃の想いに触れようとしないアイオーンは、ついに踵を返し、部屋から出ていこうと扉の取っ手に触れた。
その時、『予言の子』が大声で泣きはじめた。刹那、部屋中に月白色の結晶のようなものが現れ、扉も大部分がその結晶で覆われてしまった。取っ手に触れていたアイオーンの手も、結晶に飲み込まれてしまっている。
「ま、まあ……! 申し訳ありません、アイオーン殿……!」
王妃は、赤子をあやしながら必死の声で謝罪する。その隣で、獣の耳と尾を持つ星霊は盛大に笑っていた。
「あっはっはっ! いやはや参った。生まれたばかりだというに、もう同胞の魔力封じが効かぬほどの力を有しておったか。あとで術式を組みなおしてもらわねばな。……のう、『予言の子』よ。そなたは、アイオーンに名付けてほしいかえ?」
獣の耳と尾を持つ星霊は、ぐずる赤子の頬を愛おしそうにふにふにと押す。その間に、アイオーンは扉と自分の手にある結晶を融解させていく。
「アイオーン殿……」
王は、アイオーンの背中を見つめながら呟く。その声は、自身の頼みを聞き入れてくれなかったことへの怒りはまったくなく、逆にアイオーンを憐れむようなものだった。
「やれやれ、やはり王と王妃の頼みだと申しても無駄であったか……。そなたがヴァルブルクへやってきて幾分の月日が流れたが、なかなか変わらんのう」
アイオーンは、獣の耳と尾を持つ星霊の言葉を無視して扉を開いた。
「──待て。そなたをここへ呼んだのは、単に『予言の子』の名付け親になれということではない。その行為が、そなたを『ひとつの未来の可能性』へと導くことに繋がると思うたがゆえじゃ」
「……どういう意味だ」
アイオーンが廊下へと出ていこうと一歩、足を進ませたその時、獣の耳を持つ星霊が真面目な口調で言った。振り返りこそしなかったが、三人に背を向けたまま、アイオーンは行動を止めて問う。
「先日、脳裏に浮かんだのじゃ。わしの妄想ではない。わしが持つ予知能力が見せたものじゃ。──『予言の子』は、そなたを変える。この子は、そなたの光となろう。そして、そなたもまた『予言の子』の光となろう」
「……」
アイオーンは、獣の耳と尾を持つ星霊の言葉を静かに聞いている。それは、アイオーンに隠された本心を示すような行動だった。
「この未来を予知したがゆえに、わしは王と王妃にそれを伝え、そなたをここに呼んだのじゃ。……さて、アイオーンよ。そなたは、どのような未来を選ぶ? 未来の可能性を信じるか否か──それは、そなたが決めるがよい」
アイオーンは何も言わなかった。だが、部屋から離れることもしなかった。沈黙が流れる。そして。
「──ユリア・ジークリンデ」
王侯貴族の人間は、昔から名前をふたつ持つことが慣例だ。『ユリア』と『ジークリンデ』は、いつだったかアイオーンがどこかで耳にしたことのある人間の女性名だった。
名前を覚えるほど深い関わりのあった人間など、アイオーンにはいなかった。それなのに、不思議と忘れることなく記憶の片隅に残っていた名前だという。
アイオーンは当時をこう振り返る。なぜ人間の、しかも女で、そのうえふたつの名前だけを覚えていたのか──今でもまったくわからない。しかし、この運命を迎えるために覚えていたような気がしたという。
「ユリア・ジークリンデ……?」
王は、聞き間違いではないかと思いながら復唱した。
「人間の女の名なぞ、それくらいしか思い浮かばぬ」
そう言って、アイオーンは部屋を去っていった。
「素直ではないのう……」
獣の耳と尾を持つ星霊が呆れた目つきで呟く。
「しかし、ようやくアイオーン殿の本心のようなものを見ることができた。……あと、私たちができることは、あの御方とこの子が未来を作っていくことを願うだけだ」
アイオーンとは深く関われない。娘とも、もう深く関われない。王とはいえ、もはや願うことしかできなかった。
「また今度、アイオーン殿にお礼を言わないといけませんね」
「そうだな」
夫婦は顔を合わせてほほ笑むと、母親は子のほうに目線を下げた。
「──そう。あなたは、ユリア・ジークリンデというのね」
すぐに手放すことになる娘に対して、母親は嬉しそうな声で娘の名を口にした。
こうして、『予言の子』はユリア・ジークリンデという名が付けられたのだった。




