第一節 セオドアを追って ③
ラウレンティウスとユリアが、ふたりきりになって話をする回です。大人数の前ではなくて、ふたりきりだからこそ、いろいろと深く話をしていきます。
そう言うと、クレイグたちはユリアとラウレンティウスのもとから去っていった。アイオーンは、ユリアとラウレンティウスを一瞥したが、睨むことはせず、三人に引っ張られる形で離れていく。
「……行ってしまったわね」
ユリアは、四人の背中を見送りながら呟く。
これから、どうしようか。予期せずふたりきりになってしまったが、電話で約束したことを果たすことが出来たため、ある意味では良かったかもしれない。
「……俺たちも行くぞ。とりあえず、街を歩く。セオドアの件もあるからな」
ラウレンティウスは、ユリアのほうを見ることなくぶっきらぼうに言い、勝手に歩き始めた。
「あ。え、ええ」
数歩遅れて、ユリアも歩き、コインロッカーを後にする。
しばらく繁華街を歩いていると、ユリアはあることが気になってきた。
(ラルス、歩くのが速いわね……。こんなにも歩幅が合わないなんて初めてだわ……)
一歩の歩幅がかなり違う。
今のラウレンティウスは、急くように速歩きだ。ただでさえ彼は背が高く、自然と歩幅が広い。なので、速く歩かれてしまうと、女性にしては長身であるユリアでさえ、彼についていくことが少し大変だ。
このことから、普段の彼は、歩幅を合わせてくれていたと判る。
「ラルス。ちょっと」
「なんだ」
つっけんどんな言い方だ。ユリアは心の中でむくれながらも、冷静に思っている言葉を伝える。
「歩くのが速くて、ついていくのが少し大変なのよ。もう少し、速度を落として」
そう言うと、ラウレンティウスは頷きも謝りもしなかったが、歩く速度を落としてくれた。相変わらず、ユリアのほうを見ようとはしない。
ユリアは、ラウレンティウスを見上げる。
彼が自分を見ようとしない理由は、何となく解っている。イヴェットが言っていた……彼は、自分を想ってくれているから──だろうか。
「……俺を見るな。前を見ろ。転けても知らないぞ」
呆れと困惑、そして気恥ずかしさが漏れた声でたしなめられ、ユリアは慌てて前方を見る。
「ごめんなさい……。あの……お昼、食べる? 時間的には頃合いだから」
「……何がいい?」
「気候が良いから、いろいろとテイクアウトして食べたいわ。よければ、あまり人がいないところを探して、そこでゆっくり食べましょう」
なんとなく、ふたりきりになりたかった。今は、電話で出掛ける約束をしたときのように、彼に対して心臓が激しく鼓動することはない。だが、ラウレンティウスに対して抱く気持ちは、自分でもまだ解っていなかった。どうして、あのときは心臓がうるさかったのだろう──。
曖昧な自分の気持ちをしっかりと見つけるためにも、彼と静かなところで話がしたい。
「……ん」
相変わらず彼はユリアと目線を合わせようとはしないラウレンティウスだったが、短くも簡易的なその返事には、緊張と嬉しさがあった。
◆◆◆
人気のない公園の原っぱに、ふたりは並んで座って食事をとっていた。食事をはじめて十分ほどが経ったが、会話は一切ない。食べながら喋ることを嫌がっているわけでもなく、沈黙が苦痛なわけではないが、せっかくの時間がもったいない。
何か、彼と話しやすい話題はないか。新たな彼を知れる話題はないか──そうだ。この話は、どうだろう?
ユリアは、持っていたカツサンドを口の中に詰め込み、素早く咀嚼した。そして、透明のボトルに入った水を飲んで、それを胃の中に流し込む。
「喉、詰まらせるなよ……」
さり気なく見られていた。
さっきまでこちらを見ようともしなかったくせに、間抜けた光景は見るのか。
ユリアは、ラウレンティウスを軽く白けた目で見ながら、ボトルから口を離す。
「──ねえ。ラルスは、なぜ騎士になろうと思ったの?」
突然の疑問に、ラウレンティウスはしばらく沈黙した。何かを考えるように、ユリアと同じ店で買ったカツサンドを頬張り、飲み込んだ。
「……父さんの背中を見てきたから、だな」
「お父さんの背中……」
やはり、彼は自分にはないものをたくさん持っているとユリアは思った。そんな理由を言えることが、ユリアにとってはすでに羨ましかった。
「誰かを守れる人はかっこいい。だから、そんな大人になりたいと思った」
「あなたは凄いわね。誰かを守ろうとすることは、少なからず怖い経験をすることでもあるのに、それでも騎士になろうとするなんて……」
ユリアは、心からの賛辞を送った。
「ユリアだって似たようなものだろう。民のためだとか、国のためだとか、そういう感じじゃないのか?」
「──」
ユリアは、身体を強張らせ、言葉を詰まらせた。この話題を、うまくはぐらかせる言葉が思い浮かばない。できれば、彼には嘘をつきたくない。だが、正直に言えばきっと──。
「……辛かっただろうな」
「え……?」
「王族の身分である以前に、ユリアもただの人間だ。俺には想像することしかできないが、それでも『民や国のために』という言葉は、重苦しかっただろうと思う。だから、俺はそれが辛いと思うことはおかしいと思わない。生まれる先は、選べないからな……」
そこで、ラウレンティウスの言葉が途切れた。
彼も、うまく言葉が浮かばないのか、首筋を掻く仕草をしながら、「ともかく」と無理やりまとめに入った。
「まあ──正直なところ、周囲から期待を寄せられるのは面倒くさいものだな」
「……なんだか、ラルスにしては意外な言葉ね……?」
ラウレンティウスから面倒くさいという言葉を聞いたのは、いつ以来だろう。そう思うほどに珍しかったため、ユリアは目をぱちくりさせた。
「意外なものか。これでも俺は、半分はあのベイツ家の血が入ってるんだぞ」
「やだ。なんて凄く納得できる言葉──いや、納得するのはさすがに失礼ね」
彼から飛び出たノリの良い言葉に、ユリアも思わずノリツッコミをしてしまった。そんな彼女に、ラウレンティウスは嬉しそうに微笑んでいる。
「……そう……。あなたは、そう思ってくれるのね」
何かが許されたような気がしたユリアは、肩の力を抜き、小さなため息をつく。
「苦しいなら素直に苦しいと言えと、前に言ったはずだぞ」
電話をした時に、彼から聞いた言葉だ。つっけんどんな言葉にある優しさに、ユリアは微笑む。
「……そうだったわね」
「真面目すぎるんだ。お前は」
「それはあなたでしょう? 仕事では真面目すぎると総長が言っていたわよ」
「俺は──」
再び、ラウレンティウスの口が止まる。ややあって、なぜかユリアの顔色をうかがうように言葉を紡ぐ。
「……職場で嫌われたら面倒だから、真面目に振る舞ってるだけだ。『仮面』を被っていれば、面倒事は起きにくいからな……。騎士団には人間関係でいろいろと面倒なことが多い。だから、内心では悪態を付きまくってるし、同僚とは上司の愚痴を言いまくっている」
「……」
ユリアは静かにラウレンティウスを見つめた。彼の目は、わずかに恐怖を抱いている。
「……幻滅したか?」
「いいえ……。あなたに、とても親近感が湧いたわ」
気が抜けるような答えに、ラウレンティウスの目が点になった。
「し、親近感だと? なんで今さら……。というか、今まで俺をどういうふうに見てたんだ」
「どうって──憧れているわ」
「憧れ……?」
「あなたは、学生の頃から文武両道で、学校での成績は優秀だったと聞いているわ。先生たちからの評判も良かったということもね。たとえ、真面目に見えるように『仮面』をかぶっているだけだとしても、それを続けられるのは、きっとそれが素のあなただからだと思う。そして、知らない誰かのために頑張れる人だから──私は、あなたに憧れているのよ」
ユリアは、胸を張ってそう言った。
だが、ラウレンティウスは否定の意で首を振り、ユリアから目線をそらした。
「……俺は……そんな人間じゃない……。お前のほうが凄いと思う」
「……どうして?」
「目の前に困っている人がいるなら、もちろん俺は助けたいと思う。……だが、大勢の知らない誰かのために戦えと言われると、それは少し怖いと思ってしまう……。背負うものが大きすぎるんだ……。自国や周辺国の人々のために戦っていたお前の方が凄い」
「……」
ユリアは、ラウレンティウスから静かに目線を外した。その顔は、どこか安堵していた。
しばらく沈黙が流れると、ラウレンティウスは不思議そうにユリアを見る。
「……怒らないのか?」
「え? 何に?」
「何って……お前は英雄だろう。弟子がこんな情けない発言を繰り返しているんだぞ?」
「そんな……私も……あなたと同じよ……」
「……そう、なのか?」
「私は……みんなが思うほど、英雄と呼ばれるような人間ではないわ……」
ラウレンティウスは、意外そうな顔で口をつぐんだ。すると、ユリアが自虐めいた笑みを浮かべてラウレンティウスを見つめる。
「幻滅した……? それとも失望? ……非難されても仕方ないことだと思うわ……。英雄だと思っていた人物が、実はそうではないなんて……期待外れもいいところよね……」
「いや、違う……そうじゃない。なんというか……安心した」
「安心……?」
予想外の言葉に、ユリアは自虐の笑みをひっこめる。
「実を言うと、少し……英雄であるお前からの評価が──怖かった。お前に幻滅されたくなかった……」
「えっ」
まさか、英雄の弟子だという部分が、彼にとって重く思われていたとは思わなかった。そもそも、ユリア自身は、周囲からはまったく英雄らしくないと思われているものだと思い込んでいた。
「……ごめんなさい」
「いや、お前が謝ることじゃない。俺が勝手に決めつけていただけだ。……聞けば良かったな。けど……情けないが……聞く勇気が、なかった……」
ラウレンティウスは、足を組むと、太ももに片肘をつき、そのまま恥ずかしそうに手で口元を覆った。
お互いに、いろいろと勘違いや思い込みをしたまま過ごしていたなんて思わなかった。少しだけ壁を取り払ったら、想像以上に相手の奥深くまで知ることができるとは思わなかった。
ここまで、心の距離が近くなるとは思わなかった──。
「……勇気がなかったのは、私もだわ……。それ以前に、私が聞きにくい状態していたと思う……。私やアイオーンが、過去のことを聞かないでほしいと言っていたもの。……歩み寄りにくくしてしまってごめんなさい……。私たちのお願いを、ずっと守ってくれてありがとう」
「今、解ることができたんだ。もう気にするな」
細かいことは気にせず、笑ってすぐに許せることはラウレンティウスの美徳だ。
だからこそ、ユリアは彼に対して穏やかな風に似た心地良さを抱く。
「……私は、今でもあなたは凄い人だと思ってるわ」
「なんだ、急に」
困ったように彼は笑う。先ほどまでの緊張した面持ちはもう無い。
「自分ではそんな立派な人ではないと思っていながらも、向上心を持って騎士として訓練し、見知らぬ誰かを守るために努力している。たまに言葉は乱暴だけれど、他人を気遣い、助けようとする心がある。両親や親戚のみんな、それに騎士団の仲間からも愛されている──羨ましいわ」
彼に想いを持つ女性たちも、きっと彼のそういうところが見えたからこそ、想うのだろうか。彼女たちの気持ちは、よく解る。
すると、ラウレンティウスは、気恥ずかしそうに口元を隠した。
「……少なくとも、お前だって愛されてるぞ。お前やアイオーンは、俺たちの身内みたいなものだからな」
「身内?」
「身内だろう。俺が屋敷に帰れば、『洗濯物を出せ』、『ご飯が出来たから食べろ』、『風呂に入れ』、『明日のご飯は何がいい』とか──身内でもなければ出てこない言葉ばかり聞こえてくるんだぞ」
身内。
その言葉を聞いた瞬間、ユリアは『ある感情』に対する答えを導き出せた。この答えが、今の自分にはしっくりくるのだ。
(そうか……。ラルスが告白されていることと、縁談が来ていることを聞いて心がざわついたのは──あれは、大事な身内が、見知らぬ誰かに奪われてしまうことへの焦りだわ……。『私の一部』が、欠けてしまったような気持ち……)
恋は盲目という言葉がある。だが、恋と言い表すには情熱が足りず、かと言って穏やかに受け止められなかった。周囲は、おそらくユリアの反応を『恋のはじまり』と見ているのだろう。
だが違う。これは身内への愛だ。それも、身勝手で独占欲の強い『幼い愛』だ。昔は『愛』というものがどのようなものなのかわからなかったが、今は解る。だが、今はこんな拙い愛しか抱けない。そんな自分を許してほしい。
「……私も、あなたたちを愛しているわ」
それでも、彼らは呆れながらも笑って受け止めてくれるのではないかと、今は思う。
今の自分には、居場所がある。ここにいてもいいのだ。彼と話していて、ようやくそれを実感することができた。だからこそ、恥ずかしがらずにちゃんと口に出して伝えたい──。ユリアは、ラウレンティウスの目をしっかりと見て『愛』を伝えた。
「──っ!? あっ……ああ……。それなら、良かった……」
一瞬、ラウレンティウスは顔を赤らめたが、顔をそらしてなんとか平静を保った。
きっと、自分は極端に恐れすぎていたのだ。幻滅や失望されることは、今でも恐ろしく思う。だが、彼らはきっと、どんな自分でも受け入れてくれるのではないか。悩みを伝えたら助けてくれるのではないか。
前に進みたい。この人たちとなら、私は強くなれるかもしれない。
前に、進もう。
「……私、決めたわ」
ユリアは、胸に手をあてて、真っ直ぐに彼を見た。決心をしたユリアの目に、ラウレンティウスは目を見張る。
「──あなたたちに、私の過去をすべて話したい」




