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ユリア・ジークリンデ (1) ―遥かなる亡国姫―  作者: 水城ともえ
第一章 崩れ落ちる日常
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第二節 告白 ③




 その後のユリアとダグラスは、ケーキと茶をお供に、夕方頃まで他愛のない話を続けていた。互いにゆっくりと話す機会がなかったことと、ダグラスが話好きで会話の引き出しが多いため、話題が絶えなかったのだ。

 そして、この時間帯になり、「遅くなる前に姫さんを帰さないと、俺がアイオーンに怒られちまう」というダグラスの言葉をもって、今日はお開きとなった。


「……さすがに、今かけても出ないわよね……」


 ダグラスの家を後にしたユリアは、徒歩で最寄りの地下鉄の駅に向かいながら、携帯端末で電話をかけていた。

 このときの高級住宅街の街路は、どこも静かだった。もともと静かなところなのかもしれないが、社会人が仕事からあがる時間帯にはまだ早く、下校時間にも少しずれていることもあるだろう。


(ラルス、着信履歴は見てくれるかしら……。それ以前に、見る余裕あるの……?)


 ユリアが電話をかけていた相手は、ラウレンティウスだった。ダグラスから頼まれたとおりに、ユリアは彼を遊びに誘おうとしていた。

 しかし、ふとダグラスが教えてくれたラウレンティウスの現状を思い出し、ユリアは不安になった。本当にこんなことで電話してもいいものか──。しかし、考えていても埒が明かないことなので、無理やり別のことを考える。


(……そういえば、例の夫婦の研究目的が、亡くした子を蘇らせるためだったけれど……具体的にどういう研究をしていたのかしら)


 ダグラスたちによれば、所有していた研究資料は他の違法研究者たちと『似たようなもの』だった──つまり、さらなるホムンクルスの強化か、肉体強化ができる薬の開発などといった内容だろう。しかし、真の目的は死者蘇生だという。ならば、どこかにその研究資料があるはずだ。別のところに研究拠点があるのだろうか。

 そんなことを考えていた時、後ろから小走りをする人の足音が聞こえてきた。


「よう」


 後ろを振り返ると、騎士団の制服を着たクレイグが軽く手を上げて近付いてきた。


「えっ、クレイグ?」


「やっぱ、アンタだったのか。あそこの小高いマンションの屋上から周囲を見てたら、アンタの後ろ姿っぽいのがチラッと見えたもんだからさ」


 クレイグが指差す小高いマンションからここまでは、意外と距離がある。きっと、魔力を利用して視力を上げて確認したのだろう。その後は、身体能力を上げつつ、大気中にあるわずかな魔力を利用して降り立つ際の衝撃を和らげ、マンションの屋上から飛び降りてここまでやってきたという流れか。

 普通の人なら大怪我以上のことが起こる行為だが、ユリアとの稽古や騎士団での鍛錬で、このようなことも恐れることなくできるようになっている。


「もしかして、今は巡回の仕事?」


「ああ。最近、この地区の担当になったもんでな。そっちは何してんだよ、こんなとこで」


「総長の家に行っていたのよ。休暇を取ったけれど暇だからということで家に呼ばれたの」


 それを聞いたクレイグは、突然ニヤニヤと笑いだす。


「おーっと。ラウレンティウスがめちゃくちゃ不機嫌になる話だな。黙っておいたほうがいいぜ? ちょっと面倒になるからな」


「ええ。総長は一応、風邪という名目で騎士団を休んでいるものね」


「は……? いや、そういう──まあ、そうだな」


 一瞬、クレイグは何かを言いかけたが、ユリアの反応を見て面倒になったのか止めてしまった。


「それよりさ、総長から例の夫婦についての情報は聞いたか?」


「ええ。亡くなった息子さんを蘇らせるために研究していたということは聞いたわ」


「それと、もうひとつ。さっき、新しい情報を仕入れることができた。今日、あの屋敷からほど近いところにある町で、聞き込みをしてくれたヤツがいたんだ」


 クレイグは、周囲を警戒するように見渡す。変わらず誰もおらず、魔術師らしき気配もない。


「何がわかったの?」


 ユリアも、周囲を警戒しながらクレイグに顔を近づける。クレイグは、ユリアの耳元でこう囁いた。


「あの夫婦には、十六か十七歳くらいの娘もいる」


「娘……?」


「夫婦を逮捕した日は、娘は違う場所に居たんだろうな。きょうだいを復活させるための研究資料を持ってる可能性もある。だから今、その娘の外見的特徴や足取りの情報を引き続き調べてもらってる」


 その娘は、魔術師なのだろうか。両親から魔術を習っていたのか。それならば、どのくらいの力量で、何を考えているのだろう──不穏な情報だ。十六、七歳という年齢なら、ひとりで考えて行動できる。妙なことを起こさなければいいが。


「……そう。ありがとう」


 ユリアは浮かない顔で礼を言い、クレイグから一歩離れた。


「んじゃ、俺は本来の仕事に戻るかね」


 そう言って、クレイグが何事もなかったかのように微笑むと踵を返した。すると、ユリアは素早く彼の腕を掴んで引き留める。


「──クレイグ」


「ん?」


 クレイグは、顔だけ後ろに振り向いた。ユリアは、そのまま彼の腕を掴み続けている。


「あなた、無理してない? 大丈夫?」


「なんだよ、急に。総長から何か言われたか?」


 いつもどおりの余裕ある笑みで、クレイグは言った。


「……ラルスが、精神的に辛い環境で仕事をしていると総長から聞いたわ。だから、あなたにも、いろいろとあるのではないかと思って……」


「俺の所属は、地域安全課だぜ。『騎士団の花形』である公安課に比べりゃ、仕事内容も気楽で過ごしやすいもんさ。小さい頃は魔術師じゃなかったヤツがどうたらとか、魔力生成量が少ないくせに騎士団に入ってきやがってとか文句をたれる面倒なヤツも少ないしな」


「……そう……?」


「そうそう。それに、オレはアンタの弟子だぜ? あれだけ容赦ない稽古だったってのに、それをこなしてた弟子は、未だに弱いって言いたいのか?」


 そう言われたユリアは、彼がまだ十代後半の年齢だった頃のことを思い出した。ユリアが組んだ肉体的かつ精神的にも厳しい鍛錬と訓練メニューを、彼は毎日かかさずこなしていた。辛そうな顔をすることはあったが、それでも根をあげることなく黙々と取り組んでいた。辛抱強く、努力家で負けず嫌いなのだ。


「……いいえ。変に気にし過ぎたみたい」


 ユリアが、ほほ笑みながらゆっくりと腕から手を離した。クレイグは満足そうに笑い、人差し指の腹でユリアの額をツンと優しく当てた。


「アンタはいろいろと心配しすぎなんだよ。けど、ラウレンティウスは気にかけてやったほうが良いかもな? ──んじゃ、そういうことで」


 軽い別れの挨拶をすると、クレイグは地面を蹴り上げて、住宅の屋根を伝ってどこかへ行ってしまった。

 このような行動は迷惑行為と捉えがちだが、ヒルデブラント王国では法律でしてもいいことだと認められている。屋根に降り立つ際に発生する足音は、聞こえないような造りになっているところがほとんどだ。なぜなら、屋根に飛び上がり、そこをつたって行くことは、はるか昔からされてきた行動なのだ。


「……クレイグも心配しろと言うなんて……」


 ラウレンティウスは、周囲から心配されるほど辛い状況なのかと、ユリアは不安になった。ともかく、今は屋敷に帰ろう。

 再び歩きだそうとした、その時。ふと、向かう道とは違う方向の道の角の陰から、何かを感じた。

 魔力の気配ではない。目線を感じた──。


(……気のせい?)


 誰もいない。人影も見えない。気のせいか。

 しかし、なぜか妙に気になってしまう。クレイグから聞いた事件の情報が、そう思わせるのだろうか。

 街灯が順に明かりを灯していく。もうじき日が暮れる時刻だ。ユリアは、すっきりしない気持ちを抱えつつも、足早に駅を目指した。



◆◆◆



 ローヴァイン家の屋敷に戻ったユリアは、アイオーンの自室をノックした。返事はない。台所にもいなかったため、まだ外出しているようだが、じきに帰ってくるだろう。

 ユリアは、洗面所で手洗いとうがいを済ませると自室に入り、そのまま寝台へ寝そべった。携帯端末の側面にあるボタンを押して画面を点けると、今日のニュースを調べはじめた。すると。


「あっ、えっ!? もう来たの!?」


 突然、バイブが起動した。

 画面に電話のマークが表示される。ユリアは、思わず寝台から飛び起き、うろうろと室内を歩き回る。表示されている名前は、ラウレンティウス・ローヴァイン──想像していたよりも早かったため、ユリアは驚いてしまった。そのせいで手が震えているが、なんとか電話を繋ぐ。ちゃんと話せるだろうか。


「ラ、ラルス?」


『なんだ、珍しい。何かあったのか?』


 少し不機嫌そうなのは、今日も仕事が大変だったからだろう。ユリアは、手短に電話を終わらせるため、端的に話を始める。


「あ、あの……次の──どこかに……」


 本当にこんなことを言っても嫌われないのだろうか。ダグラスは大丈夫と言っていたが、いまいち信じられなかった。


『……なんだって?』


 彼の声色から察するに、呆れと少しの苛立ち──いけない。もっとハッキリと、端的に。意を決して、ユリアは大きく口を開く。


「お、お休みの日に……ラルスとふたりでどこかに行きたいのっ!」


 声が裏返った。ダサい。あまりにも情けなさすぎる。端的な言葉にもほどがある。もっと何かならなかったのか。

 だが、もういい。嫌われても怒られてもいい。どうせ断られるのだから。そのように、ユリアの脳内はマイナス思考に囚われ、開き直っていた。

 しかし、ラウレンティウスはというと──。


『……は──あぁッ!?』


 彼は、しばらくの沈黙のあとに激しく動揺した。このように、ユリアの緊張した声を聞くのは初めてで、その理由が解らないからだろうか。


「なっ、何……!?」


 彼の動揺する声に、ユリアは怯えたように驚く。


『そ、それはこちらのセリフだ! 今までそんなことしなかったくせに急に何だ!? 珍しく電話をしてきたと思えばいったい何を考──!』


「い、嫌なら嫌ってはっきり言って! 諦めるから!」


 ユリアは、彼が動揺する理由が解らない戸惑いと、なんとなくの恥ずかしさのあまり、ラウレンティウスの言葉を遮った。


『なっ、べ、別に嫌だとは言ってない!』


 ラウレンティウスは、苛立つような口調で乱暴に言い放った。ユリアは、そんな彼に少しずつ腹を立たせていき、眉を吊り上げて眉間にシワを寄せ、口をへの字に曲げていく。


「それなら、いつ大丈夫なのよ!?」


 怒った声で聞いてしまった。いつもなら、言動を諌めて理由を聞く余裕はあるはずだ。なのに、今はそれができない。

 やはり、自分はおかしくなっている──と、ユリアは、心のどこかで客観的に自分を見た。先日の買い物の時には、彼も自分も普通に接していた。今まで、こんなにも心が暴れだすことはなかった。制御が効かない。ダグラスから、彼の縁談と告白されていたという情報を聞いてからおかしくなった。

 どうしてこれほどまでに、彼が、ほかの女性のもとへ行ってほしくないと思ってしまうのだろう。これは、子どもだと思っていた彼が巣立っていくような寂しさからくるものなのか──ユリアには、わからなかった。


『……』


 ラウレンティウスは、しばらく黙り込んだ。妙な沈黙が流れたが、そのおかげで、ふたりは少し冷静さを取り戻した。


『……はっきりとは、まだ判らない。休暇が取れそうなら……また、連絡する……』


 話しはじめたかと思えば、恥ずかしそうに少しずつ声が小さくなっていった。このようにラウレンティウスが弱々しい声を出すのは初めてだ。


「わ、わかった。……ラルスは、行きたい場所とかある……?」


『……人が、いない場所がいい……』


「人がいない場所……?」


 それなら、どこがいいだろう。行楽地ではないところだろうか。

 そんなことを考えながら、ユリアは無意識に呟いた。ただ、ユリアはそれだけだったのだが──。


『べ、別に変なことは考えていない! 妙な勘違いはするな!』


 ラウレンティウスが妙な勘違いをした。


「へ、変なことって何よ!?」


 ユリアは、思わず頬に薄っすらと朱を走らせる。


『き、聞くなっ!』


「何なのよ──もうっ……!」


 再びヒートアップしそうになったユリアは、落ち着くために、あえてそれ以上は言わないようにした。また沈黙が流れる。心臓がうるさい。どうすればいい──。


『とっ……とりあえず、また連絡する。……それまで待ってろ』


「……わかった……」


『……じゃあな』


「え──」


 待って。まだ、もう少しだけ。


「待って」


 もっと声を聞かせてほしい。理由は解らない。ただ、この時間を長引かせたかったがために、頭に思い浮かんだ『待って』という言葉を咄嗟に出してしまった。


『な、なんだ……』


 ラウレンティウスは、再び緊張した声を出した。

 ユリアは、頭が真っ白になった。何も思い浮かばないのに、引き留めてしまった。しかし、せっかくだから何か言わなければ。何か、何かを言わないと──。


「……私は……ずっとあなたの味方だから……」


『……急に、どうした……?』


「なんというか──辛いときは、辛いって言ってもいいのよ。きっと誰も責めないわ。もしも誰かが責めてきたら、私が返り討ちにするから!」


 ユリアは、彼が総長から心配されていたことを思い出した。だからこそ、無理はしないでほしいと言いたかったのだが、その内容とは少しズレた言葉になってしまった。それでも、何が言いたいのかなんとなくでも伝わっただろうか。

 しばらくののちに、ラウレンティウスは「ふっ」と一瞬だけ笑った。


『……お前が相手ならば、そいつは確実に病院送りになるだろうな』


「できるかぎり頑張って手加減するわ。……自信はないけれど」


 ユリアがそう小さく呟くと、ラウレンティウスは「まあ、なんだ……」と照れたような声を出した。


『お前も、苦しいときは苦しいと言え。言いにくいことは多いだろうが、言えることは吐き出したほうが気持ちも楽になるものだ。だから、お前もひとりで抱えこむな。──お前には俺がいる』


「えっ……。う、うん。ありがとう……嬉しい……」


 お前には俺がいる。

 彼の本音だ。彼からそのような言葉を言われたのは初めてだった。そう言ってくれる人がいることは、とても心が温かい。──だからこそ、自分から離れていかないでほしいと思ってしまう。


『っ──』


 ラウレンティウスは、しばらく言葉を詰まらせた。照れているのだろうか。


『……明日も仕事なんだ。もう切るぞ』


「あっ……、ええ。そうよね……おやすみなさい」


『……おやすみ』


 通話が、切れた。相手側の通話が切れた音が、寂しく耳元で響く。

 もしも彼が誰かと結婚すれば、こうして話をすることもなくなるのだろうか。他のみんなも、そうなのだろうか。

 ──誰かが離れていくのは寂しい。仕方のないことだが……行かないでほしい。ユリアの心には、そんな欲望が生まれていた。今まで、こんなことはなかったのに。


「……」


 ユリアは寝台へとうつ伏せで倒れこみ、枕を抱きしめて身体を丸まらせた。とんでもない独占欲だと自分でも思う。自分は、こんなにも欲深い人間だったのか。


(……そういえば縁談のこと、聞くの忘れていたわ……)


 得た知識は増えているが、経験がない──自分はまだまだ未熟者だ。

 ユリアは、深いため息をつきながら、目を瞑った。

読んでいただきありがとうございます! 今回で第二節は終了です。


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