第89話「ロザリアお嬢様のこと:sideアデル」【挿絵】
私の名はアデルと申します。
正しくはアデライドらしいのですが、私をそう呼ぶ人は誰もいません。
”里”からローゼンフェルド家に派遣され、
ロザリアお嬢様の侍女を務めさせていただいております。
年齢は13才らしいのですが、はっきりとした事は私にもわかりません。
アデルという名前も、拾われた時に私の持ち物にあった名前から命名されたものなのです。
急な事だったので、修行途中で引っ張り出されてきた私は、
色々と精神的に未熟だった事もあり、
最初はあの人の事を何とも思っていなかった。
いえ、少々精神鍛錬の足りなかった私は、
正直に言うとあの人の事が大嫌いでした。
私が屋敷に来た当時のお嬢様は荒れに荒れ、恵まれた環境でありながら、
我儘放題のどうしようもないクソガキだったからです。
周囲の同僚は「あの人は色んなものを抱えているのだから」と同情的でしたが、
それを言うなら誰にだって色んな事情があるもので、
誰だって自分を悲劇のヒロインを思い込もうと思えば思い込めるものです。
いざ自分がその我儘お嬢様の侍女になる、
と聞いたときは目まいがしたものです。
お嬢様は私に暴力こそ振るわなかったものの、
すぐに感情を爆発させては私に当たり散らしました。
我慢して侍女を続けていても、やれお茶の入れ方が気に入らないだの、
服のシワが痛いだの、よくあんな人にいちゃもんを付けるネタが出てくるものだ、
と心を悩ませる毎日だったのです。
修行の成果で耐えられてはいたものの、
それでもすり減り続ける心に限界というものは来るもので、
最悪、あの人を殺してこの屋敷から去ろうかとまで思っておりました。
あの日までは。
奥様が病に臥せっておられる事から、
屋敷内の仕事の割り振りの均衡がとれておらず、
重い荷物の運搬を押し付けられた私は気が散っていたせいか、
不覚にも階段で足をふみはずしてしまいました。
けれど、あの人は、お嬢様は、私を助けてくれて、
代わりに自分が階段から落ちてしまった。
あろう事か、すぐ駆けつけたアレクサンドラ様に、
『あの子は大丈夫?』と、私を気遣う言葉を下さった。
その事故の後、てっきり私は不始末から懲罰として
”里”に戻されるかと思っておりましたが、
その一言のおかげというべきか、お嬢様が目覚めるまでの世話を任されました。
ベッドの中のお嬢様は、小さな幼子のようだった。
眠っている時ですら眉間に皺を寄せ、休めていないのではなかろうかと思えてならない。
だが、目覚めたお嬢様はまるで別人になってしまっていた。
突然泣きながら私に抱きつき、何度も何度も謝罪をしてくれた。
本来貴族の、それも侯爵令嬢ともあろう者が、
侍女に対して謝罪をするなど絶対にあり得なかった。
私は場合によっては殺されても異を唱えられない立場でしたので。
心労から少々精神の均衡を崩していた私は、不覚にもその言葉に感極まって、
お嬢様に抱きつき返して泣いていた……と思います。
意外な事はその後も続きました。
お嬢様は何を思ったのか、屋敷の皆に今までの自分の事を謝って回りたい、
と言い出されたのです。
その言葉に裏表は全く無く、真摯なものでしたので、
私も自然とそれを手伝う事にしました。
私が身支度をしても、化粧をしても、髪結い一つにしても、
お嬢様は心の中で大喜びしていたようです。
これまでは何をされても無関心で、髪型にも服装にも反応を示さず
、死んだような目で鏡の中の自分を見つめておられましたので。
しかし、今のお嬢様は自分の容姿が好きになられたようで、
今では化粧や髪型にあれこれと注文をつけるようになっています。
この人は本当に誰なのでしょうか? 一体何が起こったのか?
と考えても、目の前のお嬢様との関係の心地よさに、
途中からどうでもよくなっていました。
あの人は私を女の子、と呼んでくれた、
私の荒れた指にクリームを塗ってくれた、
このクリームは同じ重さの金よりも高いはず……。
化粧なんてした事がなかった。
あの人に手ずから、生まれて初めて化粧をしてもらった。
かわいい、って言ってくれた。
侍女仲間からは、貴族のお嬢様の中には侍女とこういう戯れをする変わり者もいる、
とは聞いていましたが、
まさか自分の眼の前の貴族令嬢が突然そうなるとは夢にも思いませんでした。
お嬢さまは、嘘は何一つ言っていなかった。
ただ、魂の形がちょっと変わった……ような?
そっち方面はまだ未熟なのでよくわかりませんが。
屋敷中の使用人たちに一人一人謝罪をしてまわるお嬢様は、
身分の上下など一切お構いなしでした。
本来あまり身分が高くない馬の世話をする者達や、庭園の剪定係であろうと、
真摯に一人の人間として向かい合い、謝罪されたのです。
使用人の中には私と同様に派遣されている者も多く、
その者たちもお嬢様の行動に感じ入っておりました。
丸一日かけてそのように屋敷中を回り終える頃には、
この人に仕え続けるのも、悪くないと思うようになっていたのです。
あの人は何をやり出すか全く予測がつかなかった。
そのくせ、私が小言を言うと本気で申し訳なく思っているらしく、
侍女の私に素直に謝って来るのです。
猫のようにくるくる変わる表情、無駄に余りある行動力、
一日一日をすべて楽しみつくそうとする前向きさ。
そのくせ勉強等は妙に生真面目に受けており、
王太子妃としての自分の将来も自分なりに考えているようです。
その流れなのか、婚約者である王太子様までお嬢様に執着するようになったのは、
まぁローゼンフェルド家にとって良い頃なのでしょう。
魔法学園に入学されても、その勢いは全く止まりませんでした。
入学早々、クレア様の魔力爆発事故を命がけで止めようとして、
全身に命に関わる大怪我をされた、
と聞いた時は眼の前が真っ暗になったものです。
既に治癒魔法により傷は完治していたものの、
医務室のベッドに横たわるお嬢様を見た時、
この人はどうしてこうなのだろう、一体何を考えているのだろう。
と悩むばかりでしたが、
今の私にできる事は、お嬢様の安全をできるだけ確保する事だけでした。
紆余曲折あり、クレア様と意気投合されたお嬢様は、
その過程でにわかには信じがたい事を告白されました。
「自分には前世の記憶がある。この世界は、
その前世での遊戯の物語に酷似している」
というものでした。
普通なら気が触れた、とでも思う所でしょうが、
既にいくつもの違和感を感じていた私は、素直にそれを信じる事にしました。
お嬢様の突然の変貌は、別世界の価値観が混ざった、
とでもなければ信じられないものでしたので。
更には、クレア様までもがその異世界からの転生者だったという事が判明し、
心を通い合わせる事になったのです。
クレア様も加わった学園生活は、騒がしくなっていく一方でした。
クレア様はその遊戯では”ヒロイン”という立場である事から、
多数の男子生徒に愛の告白をされたりと休む暇もありません。
尚、お嬢様はその遊戯では”悪役令嬢”という役割なのだそうですが、
その悪役令嬢の行動は、まさに前世を思い出す以前のお嬢様そのものでした。
私はお嬢様がその”悪役令嬢”になってしまわないよう、色々と心を砕くのですが、
考えて見れば、どうしてお嬢様は私がダメだ、
と言うと素直に言うことを聞いてくれるのでしょうね……。
普通、多少は反発しそうなものなのですが。
”前世”のあの人はどのような人生を辿ったのでしょうか。
家族をすべて失った孤児でありながら、
大勢の同じ境遇の子供達の姉のような立場だったようです。
実際、子供は好きなようで、孤児院を訪れた時は、
子供達にも優しい目を向けており、時には無邪気に子供たちと遊んだりします。
そして時おり、子供達の為に何かをしてあげたい、
という願いを口にされていました。
その事自体は実り多い経験になると思いましたので、
孤児院の経営を良くする手伝いの許可は出したのですが、
まさかそこからあんな店舗経営にまで発展するとは思いませんでした。
孤児院で集まる古着を売る店を、
投資をする事であれやこれやと改善していくのですが、
正直言いますとその知識に私は少々背筋が寒くなる思いでした。
どれもこれもが”進みすぎている”のです。
時代を百年単位ですっ飛ばしかねない発想ばかりで、
よくお嬢様は
「魔法があるこっちの世界のほうがある意味進んでるわよー?」
と戯れのようにおっしゃっておりましたが、とんでもありません。
一歩間違うと大幅な技術革新を起こしてしまい、
場合によってはお嬢様の身に危険が及ぶかもしれませんでした。
私は、同様の知識をお持ちのクレア様共々、
その知識の活用には細心の注意を払おうと心に誓ったのです。
……が、私はまだ考えが甘かった。
よくお嬢様は「想像の斜め上を行くわねー」と、
少々変わった言い回しをされますが、
まさにその、想像の斜め上がやって来たのです。
突然お嬢様が古着屋の店員をしたい、とおっしゃるので、
まぁお客様の服を選ぶくらいなら、と軽い気持ちで許可を出したのですが、
それが悪夢の始まりでした。
お嬢様は、何を思ったのか、
褐色の肌に金髪、派手めの化粧に異国なまりも交えて会話をする謎の存在、
『ギャル』になり果てたのです。
その言動は正直何を言ってるか全くわからないのに理解できてしまい。
初対面のお客様でも馴れ馴れしく、
そうかと思ったらあっという間にそのお客様の信頼を得てしまうという対人関係の強さ、
柔軟な発想を通り越し、一体何を考えているのか、
と言いたくなる事が何度もありましたが、
ギャル状態のお嬢様いわく
『えー? ウチいつも心の中ではこんな感じで物事を考えてたよー?』
というのを聞き、全てが氷解いたしました。
ああ、この人は本当にどこまでも自由なのだ、と。
お嬢様を本来縛っている、身分差や貴族社会のしがらみといった諸々のものですら、
必要であればあっさりとそれを無視してしまえる程に。
羨ましい程に誰にも束縛されず、
自分自身が信じるもの、好きなものに
全身全霊で一生懸命になる事ができる。
それは、私のような、この世界での身分や生まれや
”掟”に縛られる事が普通と思っていた者にとって、
地上から大空を飛ぶ鳥を見るような思いでした。
この人にはずっとこのままでいて欲しい、
この人がこの人でいられなくなるような世の中なんて間違っている。
私はいつの間にかそのような考えを持つに至っておりました。
ですが、何の運命か、お嬢様は様々な事に巻き込まれ始めたのです。
切っ掛けは些細な事でした、
クレア様の持つ光属性の魔力を始め、闇の魔力、魔界等、
どう考えてもお嬢様を中心に事態が動き始めているのです。
その中でもお嬢様は全く変わる事無く、
ついには剣術まで学ぼうとし始めたのでした。
ドレスとは名ばかりの鎧を纏い、
杖とは名ばかりの刀を振り回し、
敵を斬る技を学び、
いつしか誰かを斬り殺さなければならないかもしれない、
危うい状況が今まさに来ようとしていました。
その姿を見る度に、私はどうしようもない怒りがこみ上げてくるのです。
何故お嬢様が戦わなければならないのか、
鎧を纏い、武器を振り回さないといけないのか。
そうなる前に、私が止めなければいけない。
お嬢様の手が血に塗れる前に、
私が手を汚さなければならない。
私の技術、力、決意はその為にあるのだから。
私の名はアデル、
ロザリア・ローゼンフェルドお嬢様の侍女にして、
お嬢さまの剣にして、
お嬢さまの鎧にして、
お嬢さまの盾である。
ただ一人の護衛なのです。
次回、第90話「アデルさん無双する。やだこわい」