第6話「執事ハンスと侍女長アレクサンドラ」
案内された談話室もまた豪華なものだった。対外的に財力を見せつける意味もあるのだろうが、正直自分の部屋より豪華よね……、とウチは部屋を見回した。
”室”といいつつも、1階廊下の突き当りが扉の無い広い部屋のようになっていてローテーブルやソファが並んでいる開放的なものだ。庭に続く扉は窓を兼ねて広く大きく取られ、明るい昼の光が差し込んでくる。
てっきりどこぞの応接室にでも連れていかれるのか、と思ったが、内緒話をするわけでもなし、密室で自分ですら萎縮してしまう豪華な家具に囲まれていたら相手も気が気ではないだろう、いい選択だ。
開放的な造りなだけにときおり使用人が通りかかるが、みな頭を下げるなりしてそそくさと小走りに歩いていってしまう。彼ら彼女らにも後できちんと謝らないと、私は気を引き締め直した。
「お嬢様、お二人をお連れいたしました」
アデルの声で我に返った私は、椅子に座ったまま、す、と背筋を伸ばし、こちらに来る3人に向き直った。
3人が息をのむ、今の私は談話室に咲く一凛のつぼみ薔薇のようであろう、そう見えるように自分を演出しているのだから。表情はあくまで柔らかく、憂いを帯びつつも誠意を感じさせながら貴族として最低限の威厳を保つ。
さぁここからが正念場よ、ここからはノリとか勢いだけではダメだ、高位貴族に仕える使用人を相手にするのだから。
呆然と3人が談話室の入り口近くで立っているが、ぼけっと立たせておくわけにはいかない、
「突然呼び立てて悪かったわ。2人はどうぞお座りになって、アデルは私の後ろに控えてね」
「かしこまりましたお嬢様」
2人に座るようにうながす、使用人はこういう場では上の者の指示が無ければどうする事もできない、その場にいる者に的確に指示できてこそ一人前といえる。
だが今の私はこの3人に指示をするのがやっとだ。ここにくるまでの屋敷の広さを思えば、王都のタウンハウスとはいえ何百人もの使用人を1人で指示するなど母ですら無理だと、考えなくてもわからないといけなかった。
す、と目の前の2人を見る。
執事ハンス、この壮年期にさしかかった中々のイケオジは父の信頼も篤く、その父親は先代当主にも仕えていたというから一族で代々この家に仕えてくれていた。
侍女長アレクサンドラ、ハンスよりやや若いこの女性はかつて母の侍女を務めており、長年この家でその手腕をふるいつづけてくれていた。
2人共派手な来歴ではないけれど実直にこの家を守り続けてくれてきたのだ、その2人が不安そうにこちらを見てくる。ああ、どうして自分はこの2人を信じられなかったのか。
私が黙っていた為、しばしの無言の時間が流れてしまっていた。
「――――ごめんなさい」
と、私が頭を下げたのに驚く2人、背後のアデルも息をのむのが気配でわかる。
それはそうであろう、貴族とは本来自分と同等以上の者にしか頭を下げないものだ。幼い頃から親しくしているとはいえ使用人は使用人、まして高位貴族である侯爵家の令嬢ともなれば尚更だ。
だが”今の私”は気にしなかった。貴族の矜持なぞ知った事か、と、本来絶対下げてはならないはずの頭を下げた。
「私は未熟者です。できもしない事をできる、いえ、お母さまのようにできなくてはならないと思い込み、本来あなた達を頼るべきだったのに意地を張っていた、ただの我儘な子供です」
目の前の2人の目じりに涙が浮かぶ、この2人はずっと自分を気遣ってくれていたのだ。ああ、どうしてそれに気づかなかった。
「今の私では、お母さまのようにこの屋敷を取り仕切る事ができません、どうか、私を助けて欲しいのです。この家を、お母さまが病に倒れる以前のように、守りたいのです」
2人から嗚咽が漏れる、ハンスに至っては男泣きだった、私はハンカチをハンスに手渡す。「アデル」私が声をかけると、後ろに控えていたアデルが即座に自分のハンカチをアレクサンドラに渡してくれた、やはりこの子は気が利く。
「2人に発言を許します、いえ、今後この屋敷の中では私に一切の遠慮は不要です。アデルもね。私に意見や至らない点があれば、どんな事でも声をかけていただきたいのです」
いつまでも2人を泣かせるままにするわけにもいかない、このまま『下がりなさい』と言う事もできたが、私はとにかく目の前の2人と対話をしたかった。
「お嬢様、失礼を承知で聞かせていただきます。お嬢様は一体どうなされたのですか? そのお姿もですが、何故、突然心変わりをされたのでしょうか?」
ハンスの質問で私は返事に詰まる。それなー、まさか前世の記憶を思い出し、異世界転生していた事に気づいて性格が変わったからです、と言えるはずもなく、っていうか絶対言えないよねー。
「アデルからお嬢様の様子は聞きました。突然今までの事を泣いてお詫びされ、労っていただき、私たちにも同様に謝罪したい、と。……やはり階段から転落された時に頭でも打たれましたか?」
アレクサンドラからも聞かれてしまった。最後のはどういう意味よ、と思ったが、多分後ろに控えているアデルも似たような事を考えているのだろう。仕方ない、嘘つくのヤだし、なるだけ素直に話そう。
「私、階段から落ちた時、本当に死んだ、と思ったわ。あんな経験は生まれて始めてだったの。目覚めた時にその事を思ったら、
もう自分は一度死んで生まれ変わったようなものだ、って思えたのよ。そうしたら、ああ、私は今生きている、もう多少の事なんてもうどうでもいい、って思えるようになったの」
目を伏せて語ってしまっていたので、改めて2人を見てみる、よかった、特に疑われてはいないようだ。
「私、もう疲れてしまっていたのね。王太子妃教育の事もだけれど、お茶会を開いても皆腹の探り合いとか相手を出し抜く事を考えてばかりとか、もう、誰の事も信じられなくなっていたのよ。
でも、アデルはそんな私なのに、私を気遣ってくれたわ、大丈夫か、痛い所は無いか、って。それを聞いた時、ああ、自分はなんて愚かだったのか、と。それでアデルに謝って、居ても立っても居られずにあなた達を呼び出したの」
しばし談話室に沈黙の時が流れる。そして、ハンスがゆっくりと口を開いた。
「お嬢様、過分なお言葉を有難うございました。今より私達はお嬢様の手となり、足となり、力となる事をここにお約束させていただきます」
「私も、同じ思いでお仕えさせていただきます。お嬢様が長らく王太子妃教育や貴族としての人付き合いを通して様々な鬱屈を抱えていらっしゃった事は私共も胸を痛めておりました」
ハンスが私に答え、アレクサンドラがそれに続いた。つくづく自分の行動というのは他者からよく見られているものだ。
「それでもお嬢様が心優しいお方だというのは、屋敷の皆が知る所なのです。先程のアデルをかばって階段から転落された時も、お嬢様は気を失われる前に『私より、アデルは大丈夫?』と駆け付けた私にお聞きになられましたもの」
それは覚えていなかった、以前の私の性根は、思っていたより悪く無かったという事なのだろうか……?
「私が言いたかった事、話し合いたかった事は、今の所これくらいよ、下がって自分の仕事に戻ってください。次は屋敷の皆にも謝ろうと思うの」
なんだか気恥ずかしくなってしまった私は、二人を下がらせる事にした。
「お嬢様、皆には目礼とお声をかけるだけで十分でございます。私どものようなものに頭をお下げになられるのは、これを最後になされませ。お嬢様は誉れも高きローゼンフェルド家のご令嬢なのですから」
「ありがとうハンス、でも私は、これからは下げるべき時は下げる事をためらわないと思うわ。それを、きちんと見極められるようになりたいと思うの」
私の言葉に、2人は一瞬目をみはり、黙礼で敬意を表してくれるのだった。
「では私ども2人は、手分けして屋敷の皆に前もって声をかけておきます。アレクサンドラ、あなたはまず東棟を。アデル、あなたは一旦お嬢様にお部屋にお戻りいただき、準備ができしだい、案内するのですよ」
「わかりました」「はい」
さぁ、一山越えた、次は屋敷の皆だ。
次回 第7話「謝罪を終えて、マジ疲れたんですけどー、ですけどー……」