第54話「猫さんこちら、手の鳴る方へ」
「はい、ではお茶を入れるには、まずお湯の温度がとても重要です、
沸騰の温度だと、お茶の香りが飛んでしまうので注意して下さい」
店への改装工事が続く中、孤児院から選抜された3人の少女達が真剣な顔でアデルの話を聞いていた。
最初は真新しいお仕着せの服にはしゃいでいたが、自分達の店の売り上げで、
孤児院の食事事情が改善するとあって、次第に表情が変わっていった。
「では、誰でもお茶は入れ方でそんなに味なんて変わらないだろう、と思うでしょうから、
一度比べてみましょう。それでは、エミリアさん、ちょっと入れて見て下さい」
アデルの指示で女の子の一人、エミリアと呼ばれた少女が緊張しつつ、教会での見よう見まねで入れてみる。
残り2人の少女、カティとサラも食い入るように見ている。入れ終わったお茶の見かけの色は特に変には見えない。
「はい、では、ティーカップを持つときは、穴に指を入れてはいけません、このように、3本の指先でつまんで下さい」
同時に彼女たちは、貴族の前に出ても恥ずかしくないくらいの行儀作法を叩きこまれる。アデルが淡々と教えるのが、意外に合うようだ。特に反発も無く少女たちは教えをじっと聞いている。
「ちょっと渋い、です」「えー、でもこんなものじゃないの?」「あとはミルクとか、お砂糖でごまかしますよね?」
「はい、では、次に、私がお茶を入れますね」
アデルの所作は一片の迷いも無く、まるで何かの武術の型を見ているようだった、女の子達も、見ているうちに引き込まれる。
「では、どうぞ」
「え……、何これ甘っ」「お茶の香りも凄い」「このままで十分過ぎるくらい美味しいですねー」
「さて皆さん、これに同じ銀貨一枚を出すなら、どちらを選びますか?」
「あー、ねぇ?」「こっち…」「これ飲んだ後で、さっきの出されたら怒りますよね……」
「そうですね、皆さんと私は、そう変わらない年齢です。そしてお客様が出すのも同じ金額なんです。
同じお金をもらうのであれば、同じような味であって欲しい、と誰でも思いますよね?」
「アデルさん凄いっスねー、最初教える、と聞いた時はどうなるか、って思いましたけど」
「似たような年齢の子が、ちゃんとお茶を入れて礼儀作法も綺麗、っていうのが効いたみたいですねぇ」
「おおここか、持ってきたぞ」
クレアとソフィアが話していると、ギムオルが何か大きな荷物を持って店を訪れてきた。
「おおー! ギムオルさーん!」「いらっしゃーい!」「いえー!」
「な、なんじゃ?」
荷物を持ってきたギムオルを女子たちの歓声が迎える。こういう時の女子のノリは、どこの世界でも変わらないようである。
「じゃあ、私達は猫ちゃんの方を用意しましょうか」
ロザリア達はフレッド達が色々準備している店の奥を抜けて、裏手側に回る、そこは小路になっており、ある程度の人通りがあった、もちろん、猫も。
「こちら側の扉横の壁に、穴を開けてもらいました。ここに置いてもらえますか」
ソフィアが指さす裏の小路に通じる壁の穴をふさぐように、ギムオルは店側の壁ぎわに箱型の魔石具を設置した、大きさはちょっとした段ボール程だろうか、箱の天面に、石がはめ込まれている。
「箱の側面のフタを取ると……、おお、外の小路が見えるようになりました、ここから猫ちゃん達が入って来るんですね?」
「そういう事だ、で、ここの天面の石にクレア嬢ちゃんの浄化魔法をかけると、中を通る猫も、綺麗になる、はずだ」
「はず、って」
「4石の魔石具は珍しいからの、一応実験はしてみて問題無いとは確認したが、もしかしたら効果が全然発揮されないかもしれん」
「えー、あの、大丈夫っスか?」
「まぁまぁ、クレアさん、心配するより一度やってみましょうよ」
ロザリアの言うように、クレアは箱の天面の石に浄化魔法をかけてみる、すると、ほんのりと石が光り始めた。
「おお、光り始めた」
「もう少し込めてみてくれ、満杯になったら、弾かれるような感覚があるはずだ」
「さて、猫を呼び込むには、だけど」
「やっぱり、お魚、ですよね?」
クレアが魔力を充填している間、ソフィアが用意したのは痛みにくい干し魚だった。
量も欲しかったので、かなり大きめのものを用意していた。
「もったいないのぅ、これで酒が呑めるくらいだぞ」
「私達も安い方が良いので、色々試してみて変えて行きますけどね」
ソフィアの方も店長として、今後どれだけ予算がかかるかは気になる所ではあった。
「あー、最初の猫ちゃんが、来ま、うえっ」
「クレアさん、どうしたの? うわ汚っ」
「猫は綺麗好きなはずだがの、あれは無いわ」
「ま、まぁ、ここ通れば、綺麗になるんだし。むしろ良いんじゃないでしょうか」
一同が待つ中で最初に通りがかった猫は、やせ細っており、酷いケンカをしたのか、薄汚れを通り越して真っ黒で、片足をひきずり、片目もよく見えていないようだ
最初の被験者としては申し分無いが、ちょっと引くくらいに弱っていた。
「はーい、これ、食べ、る?」
ロザリアは皿の干し魚を見せつけるように目の前に差し出して、興味を誘ってみる。
だが、猫の目つきはどう見ても険しく、不信感を丸出しだった。それでも、空腹なのか、皿につられるそぶりを見せる。
「よし、興味を持ったみたいね、それじゃ扉を閉めて、かわいそうだけど」
扉から入って来られたのでは意味が無いので、すぐに扉を閉め、魚の皿は魔石具前の開口部に置いた。
「これで、匂いにつられて入って来る、と思うんだけど」
「来ない、ですね。お姉さま」
「んー、切れっぱしを、外からこの中に入るように撒いておきましょうか?」
外に出ると、先ほどの猫はまだいた、やはり怪しげな穴には入りたくないようだ。
「はーい、これあげるからねー」と猫の前に魚肉を放ると、少し匂いを嗅ぐと食べだした、やはり空腹ではあるようだ。
「それじゃ、これを穴の中にちょっと入れて、と」
ロザリアは再度扉を閉め、中で待つ事にした。
「あ、来たっス! ってうわ、見違えたねー君」
浄化の魔石具から出て来た猫は、見た目ががらりと変わっていた、汚れを全て落とされた毛並みは白と黒の綺麗な虎縞で、足も目も治っていた。
治癒の効果で突然体調が良くなった事にとまどっているのか、落ち着きなく動き、キョロキョロと辺りと人の顔を見ている。そして、好奇心より空腹が勝ったようで、目の前の皿に飛びついた。
「こりゃ凄い効果だの、多少効き目は弱まっておるはずなんだが」
「これだけ綺麗になるなら、どんな子が来てもお店に出して問題無さそうね」
ロザリアは夢中で食べる猫の背中を撫でてやりながら、実験結果に満足していた。
「この装置、大きいの作ったら、人間用のができそうですね?」
人間用のものが出来たら、フェリクスが喜ぶだろうか、とクレアはつい思ったのだが、ギムオルは首を横に振る。
「作れなくもないが、ちと高額になり過ぎるぞ、それに大きくなればなるほど、込めた魔力の割に、発動される魔法の効率が悪くなる。
このサイズでも、どうも2/3くらいには弱まっとるからの。人用の大きさだと1/10といった所か」
「えー、そんなのだったら、私が直接かけた方が良いですね」
「この装置が成立しとるのは、あくまで小さな動物向けなのと、お前さんの強い魔法力あっての事だからの。だからこの手のはあまり普及せんのだ」
「あの、ギムオルさん、その効果を上げるにはどうしたら良いんですか?」
「魔石の精錬、に挑戦してる奴もいるな。だが肝心の魔力を籠める人材が、
魔力が強いほど出世とかしてしまう。結局この手のは自分たちが魔法を使える貴族向けという傾向が強いんだ」
「あー、確かに、私の家でもお父様が自分で魔力を籠めていました」
「ま、それでも転移門のような、魔力を使う公共の設備は徐々に整備が進んどるがの」
「そういうのはどこから魔力を受け取っているんですか?」
「魔法学園とか王宮とか、魔力持ちの多い所には魔力を吸収して溜めこむ装置があるとは聞いた事があるな」
クレアとギムオルの会話で好奇心をそそられ、色々聞くうちに、やはりまだまだ魔法とは特権階級のものになってしまっているなぁ、とロザリアは思うのだった。
などと雑談をしていると、足元で、にー、と猫が鳴く。「もっとよこせ」と言ってきているのは誰もがわかった。
「はーいじゃあ、こっちに来てねー」
ロザリアは次のお皿を見せつけながら、今度は店の方に誘導する。
「あ、お嬢さま、それが最初の猫ですか」
「おおー、綺麗な猫じゃないですか」
「さっきの、マセキグ?ってやつの効果? 凄いねー」
「後で触っていいですか?」
紅茶を入れる練習をしていた女子達も手を止め、この店初めてのお客さんを微笑ましく迎えた。
「ロザリアさん、とりあえず、ツメを立てられても良い絨毯を敷いておきましたから、ここでくつろいでもらえたら良いんだけど」
「ここに食事置いておくからねー食べてってねー、水もあるからねー」
ロザリアが皿を床に置くと、猫はトコトコと駆け寄って夢中で食べている。何となく皆で手を止めて、その光景を見ていた。
食べ終わると、猫は安心したのか、あくびをしながら背伸びをすると、辺りをちょっと歩き回り、ごろっと寝転がったり、転がしてある玉を前足でもてあそび始めた。
「あー、何か良いですね、これ」「ぼーっと見ていたくなりますねー」「癒されるねー」
ともかくも、猫カフェ開店への第一歩は踏み出せたのだった。
次回、第55話「あっちもこっちも大忙しなんですけどー!」