第42話「雨は切ない気持ちになるっていうけど、降る量にも限度があるよね?」
雨が長く降り続く季節の休日、流れ落ちる雨水がローゼンフェルド家の談話室のガラス窓を洗い流している。
窓際のロザリアは浮かない顔で窓越しに鉛色の空を見つめていた、その瞳に力はない、物憂げに何かに思いを馳せてはいるようである。
めったに見せない表情だけに、クレアやアデルも少々不安そうにロザリアを見ている。
『どうしてヨーロッパ風の世界に梅雨があるのよ……! そこまで日本式!? 東南アジアで乙女ゲームが作られたら、見た目ヨーロッパでも雨季と乾季があったりするわけー!?』
考えているのは割とどうでもいい事だった。
『いやどうでもいい、って言うなし! おかしいでしょー!? これ!?』
「はぁ……、お姉さまが浮かない気持ちになるのもわかります。梅雨の季節って、何も出来ませんよねぇ、
学園生ギルドも依頼の数が減るそうですし、鉱山も水が流れ込んで危険だから操業を控えているそうですよ? 今月の魔力充填は不要だ、って言われちゃいました」
ソファに座っていたクレアがため息交じりにつぶやく。彼女はロザリアと違い、この世界の四季の感覚にも違和感が無いが、それでも梅雨には辟易としているらしい。
「クレアさんもナチュラルに梅雨って言ってるし……、もういい、気にしないことにする!」
「お嬢様は、たまによくわからない事で悩まれますね?」
アデルは不思議そうな顔で紅茶の用意をしており、クレアもアデルの言葉に微笑んでいたが、悩みのタネであるその当人達には全く自覚がない。
むしろロザリアを心配そうに見てくる始末なので、ロザリアは何とも言えない気分になるしかなかった。
「あー、今月はお小遣い半分にしないといけないかなー。お姉さまー、しばらくはずっと授業受けて、休日はちょっとカフェとかに行く、って感じですけど、まだ学園生ギルドはダメなんですか?」
クレアはロザリアが憂鬱になっている理由を勘違いしたまま話を進める。ロザリアはそれに気づきながらも訂正する元気もなく、ただ無言で首を横に振った。
なおクレアは、あの後もたまに救護院にフェリクスの手伝いに行っている。が、学園生ギルドを通さず自主的に行っているので、その分の収入は発生していないのだった。
『え、いつの間にそんな関係に、地味に行動力の塊ね、この子』
「ダメなのよねぇ、リュドヴィック様に何度もお願いしたんだけど、絶対に認めてくれなくて。この分だと私が自分で生徒会長にでもなって、自分で出禁を解除しないと無理そうだわ」
「あー、いっそ、もうなっちゃいましょうよ、お姉さま! どうせ将来は王太子妃になるわけですから、手始めに学園を支配していただいて!」
「ええ~、そう?」
「クレア様、お嬢様に変な事を吹き込まない下さい」
クレアの言葉にまんざらでもない顔をするロザリアに、アデルが釘をさすように言う。
クレアはその様子にクスリと笑いながら、アデルに謝りつつお茶の準備をしている彼女の手伝いを始めた。
ロザリアはそんな二人の様子を眺めていると、「お嬢様、少しよろしいでしょうか? お手紙をお持ちいたしました」と執事ハンスがやってきた。
「ご苦労さま、誰からの手紙……、アルフレッド? 誰かしら?」
「お姉さま、王太子様以外に、男子の知り合い、いたんスね」
「クレア様、口調にお気をつけを、差出人の住所は、王都の外れの孤児院ですね、これ、以前、お嬢様達が鉱山でお救いした方では? たしか、フレッド、と」
「ああ、アルフレッドで、フレッド、ね」
アデルが封筒の裏の住所を見て心当たりをロザリアに伝えた事で、ようやくロザリアやクレアも思い至ったようである。
ロザリアはしばらく考えた後、すぐに封を切り中身を確認した。そして、読み進めるにつれ、段々と頬が緩んでいく。
「何が書いてあるんですか?」
「フレッド君からのお礼と、孤児院の院長、って人からのお礼ね」
「律儀ですねぇ、まぁ、お姉さまに命を救けてもらったわけだから無理も無いっスけど」
「クレア様、口調、それに、お助けしたのはクレア様もでしょう?」
「えー? でもあれ考えたのアデルさんですよー? アデルさんいなかったらどうなってたかー」
クレアはそう言うとアデルの肩に腕を乗せ、ぐりぐりと頭を押し付けていた。
アデルはいつもの事なのか、特に嫌がる素振りも見せない、いつの間にやら仲良くなったものだな、とロザリアは微笑ましく思う。
「孤児院、かぁ。」
「どうしたんですか? お姉さま」
「いえ、私の前世って、両親がいないから施設で育ったわけでしょう? 考えたら、ちょっと時代や境遇が違っていたらフレッド君みたいに鉱山で働いていたのかも、と思ったのよ」
「あー、まぁ、今の私も、裕福とは言えないですけど、私が鉱山で働かないといけない、って程でも無いですからね」
豊かな世界から転生してきて、裕福な生活を当たり前のように享受してしまっていたロザリアは、誰かの貧しさを想像する事すら出来ていなかった。
だが、自分が恵まれている事に気づかされた今だからこそ、ロザリアは考えてしまうのだ、自分に何かできないか、と。
「あんな小さなフレッド君が働いていた、って事は、それだけ、孤児院の経営が大変なのかしら」
「……、お嬢様、気になるのであれば、一度行かれてはどうですか?」
「え? 孤児院に? アデル、行っていいの?」
ロザリアは、まさかアデルの方から提案されるとは思わず、驚いた表情を見せた。
そんなロザリアの様子に、アデルは相変わらずの仏頂面で返す。
「貴族の義務の中に、社会への奉仕というものがあります。貴族は富を持っている分だけ、それを分け与える義務もあるのです」
「へぇー、やっぱり貴族って、色んな事しなきゃいけないんですね」
「でも今の私は、特に何ができるわけでもないわよ? お金だって自由にできる金額は少ないし」
「お姉さま、こういうのは気持ちですよ、気持ち! このフレッド君にとって、お姉さまは正義のヒーローみたいなものかも知れませんし」
「! よし! 行きましょう! 明日も休日だからちょうど良いわ! クレアさんも泊まって行ってね! 明日の朝から行きましょう!」
ロザリアは勢いよく立ち上がり、今にも飛び出しそうな様子だった。
それを見たクレアは苦笑しながら、アデルはため息をつきながら、それぞれ紅茶を飲むのであった。
明くる日の朝は曇り空、クレア達一行は馬車で孤児院に向かっていた。 先触れは前日のうちに送ってある。
場所は学園よりむしろ近い、と聞かされ、意外そうな顔でクレアがロザリアに語り掛けた。
「意外に近い所にあるんですね?」
「お父様に聞いてみたわ、国が経営を委託している所らしいの、この王都でも大きめの所みたいよ」
「国も色々やってるんですねぇ」
ガタゴトと多少馬車にゆられて程なく、王都郊外の孤児院が見えてきた。周辺にはまだまだ住宅や商店が立ち並んでいる。
「おおー、定番の教会に併設、って奴ですね、結構大きな教会なんじゃないですか?」
「この辺一帯の地域の為に建てられたものですからね、あまり小さな所では子供たちの面倒を見るどころではないでしょう」
「ああ、なるほどです」
「でも、教会もちょっと古びて傷んでるっぽいわね?そこまで手が回らないのかしら?」
ロザリアの言葉通り、教会は老朽化が進み、あちこちが補修もされないままだった。
しかし隣の孤児院では子供たちが明るい声を上げて走り回っている事から、そちらをおろそかにはしていないようだ。
教会側の門の前には、一人の尼僧が立っていた。ロザリア達の到着に気づくと、彼女は恭しく頭を下げた。
ロザリアは馬車から降りると、尼僧に挨拶をする。クレアとアデルもロザリアに付き添うように降り立った。
「初めまして、先触れをお送りした、ローゼンフェルド家のロザリアと申します」
「は、はい! ど、どうぞ! お待ちしておりました! 中へどうぞ!」
まだ年若い尼僧は貴族令嬢を迎えるのに慣れていないのか、慌ただしくロザリア達に背を向けると、教会の扉を開いた。
ロザリア達は尼僧に案内に続いて、孤児院の中へと入っていく。敷地内は外から見た以上に老朽化が進んでおり、草木の手入れも追いついていない。
だがこちらでも子供たちの一部は元気に走り回っており、明るい声を上げていた。敷地内には妙に猫の数が多い。
「まずは中で、祈りを捧げさせていただいてもよろしいですか?」
「あ、はい! もちろんです! ではどうぞこちらへ!」
尼僧の後に続き、ロザリアたちは礼拝堂に足を踏み入れる。天井は高く、奥の壁際には神像が飾られており、荘厳な雰囲気は王都の大教会と変わらなかった
埃っぽくはなかったが、やはりどこか古びている印象は受けた。
『ケッコー綺麗に、してる、よね? でもゼータクしてる様子もなし、かぁ』
教会の祭壇前で、一列に並んで祈りを捧げた後は、院長室に案内された。
院長室に入ると、ドアの前にも猫がいたらしく、鳴き声を上げると部屋から出ていった。
「ああごめんなさい、この教会では猫を大切にしているんです。教典や書物を痛めるネズミを獲ってくれるもので」
そこには初老の女性が椅子に座って待っていた。白髪交じりではあるが、優し気な顔立ちをしており、その瞳は慈愛に満ちたものだった。
彼女は立ち上がり、深々と頭を下げる。その姿にロザリアは背筋が伸びる思いだった。
「初めまして、ロザリア・ローゼンフェルド様、この教会にお越し下さりありがとうございました。そして、フレッドの命を、救ってくださり、本当に、ありがとうございました
この教会の管理を任されておりますと共に、孤児院の院長のルイゼと申します」
「ロザリア・ローゼンフェルドです、本日は急に来てしまい申し訳ありませんでした」
「いえいえ、神に仕えている身では、今日も明日もそんなに違いませんよ」
そう言って朗らかにほほ笑む院長の姿は、神に仕える者というより、自分に祖母がいたらこんな感じなのかなと思わせられた。
ソファをすすめられ、ロザリア達が腰かけると、院長が手ずからお茶を用意してくれる。アデルは紅茶を一口飲むと、感心したような声を出した。
「あらためて、フレッドの事でお礼を言わせて下さい。あの子は責任感の強い子で、この教会の為にと鉱山に働きに出たのです。周囲は働くには早い、と止めたのですが、あの年じゃないとあそこで働けないからと
本人の意思も強かったので送り出したのですが、まさかこんな早く事故に遭うとは」
「救けておいてなんですけれど、ご無事で本当に良かったですわ」
ロザリアがそういうと、院長は嬉しそうな表情を浮かべた。
それからしばらく、院長の口から孤児院の現状について語られた。元々この孤児院は国の補助により運営されているが、水害の影響で大きく経営状況が変わってしまったとの事だった。
「ところで、フレッド君の事なんですが、いえ、あの子の事に限らず、なのですが、この教会はそんなに経営が大変なのですか?」
「そうですねぇ、単純に、人数が多いのですよ。広範囲を任されているものですから、どうしても人数が多いのと、ちょうど水害のあった時期の子供たちが重なってしまって」
「何人、いらっしゃるのですか?」
「働きに出ている子、を含めると、100人くらいですねぇ」
「100人!?」
「マジっスか!?」
「それは、多いですね」
院長の言葉に流石のアデルも驚いたようで、クレアの口調を正す事も忘れて声を上げた。
次回、第43話「孤児院の子供たち」